第31話「一閃」

 食事を終えて酒場を出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 満天の星空と月のような星が二つあるおかげか、しかし夜でもそこそこに明るい。

 その明かりの下、俺達は涼し気な空気を顔に受けながら夜道を歩いた。


「いい夜ですね」


「本当に」


 何となく言ったつもりだったが、彼もそう思っていたのか、機嫌良さそうに答えてくれた。

 本当に、これで屋敷に帰って寝るだけというのは、ちょっともったいない夜だ。

 少し前を歩く彼の横顔が星の明かりに照らされる。彼の口元にも、微かに微笑みが浮かんでいるように見えた。


 待機している竜車まで少し距離がある。もう少し話をしてみようか。

 そう思い、俺はとりあえず少し気になっていたことを彼に振ってみた。

  

「そう言えば、エレナは残念でしたね」


 そう切り出すと、彼は眉を上げ、苦笑いをこぼした。


「そうですね。ですが、致し方ないこととは思います」


 彼女はあの黒竜事変の後、屋敷の仕事をクビになってしまった。元々あの事件に巻き込まれたのは、彼女の行動が発端だったのが大きかった。本人がそれをレオナルドさんに正直に全て答えた結果、そういうこととなってしまったらしい。


 しかし俺の判断が悪かったり、ティアがなぜかめちゃくちゃ乗り気だったり、エクレアの後押しがあったりと、彼女のせいではない部分も多々ある。彼女だけが解雇されるのはどうなんだろうと思ったが、なぜか本人がそれを希望したらしく、彼女はさっさと屋敷を出て行ってしまったらしい。


 あの時彼女が奮闘していなかったら、今頃俺も無事ではなかったかもしれない。お礼の一つも言いたかったが、それも叶わなかった。いつかまたどこかで会えたらいいなと思う。


「実際黒竜と戦うとなったら、彼女は貴重な戦力だったんですけどね」


 レオナルドさんをはじめ、マグナース家は戒言に縛られているし、ゼノン伯もあてにならない。戦力は少しでも欲しいところだったので残念だ。

 彼もそう思っていたのか、顎髭を擦りながら然りと頷いた。


「彼女は稀に見る実力者でした。しかし、出て行くというのなら止められません。黒竜への対策は我々だけでする他ないでしょう」


 と、彼はそう言うが、なかなかに厳しい状態であるのは彼も重々承知しているはずだ。

 先程彼は“戦う”という選択肢を得たばかりだが、ティアが彼らに戦えと言ってくれる保証は全く無いし、現状マグナース家の戦力は白紙に近い。

 こうなると、ティアとの約束を破って全てを彼らに伝えるということも考えなければならないが……。


 少し迷ったが、俺は彼に言った。


「……バーンズさんは、実際どうされますか?」


 できるのなら、彼らには自然な形で病を克服して欲しい。

 そう思って聞いてみたが、言葉を端折り過ぎたか、さすがの彼も疑問の声を上げた。


「どう、というのは?」


「いえ、その……。さっきバーンズさんは、ティア次第では戦うことも選択肢に入ると言ってましたけど、実際どうですか。彼女にその辺りの気持ちを聞いてみたりするつもりですか?」


 俺のそれに、彼は静かに答えてくれた。


「そうですね……そうしてみたいとは思います。ただ、段階は踏む必要があるかもしれません。レオナルド様の意志を確認しなければならないですし、そもそも私達はお嬢様と意思疎通できる状態でもありません。少し時間が必要になるかと」


 彼はそう言うと、不甲斐なさからなのか、少し俯きながら目を伏せた。


「そうですか……まあ、そうですよね」


 バーンズさん一人が変わろうとしても、そこから全てがうまく回るとは限らない。レオナルドさんの心の傷は並大抵のものではないだろうし、ネイトさんの心の内もわからない。ティアも今更なんだと困惑するだろう。

 10年という月日はあまりに長い。彼らの繋がりが風化していないことを願う他ない。


 そんなことを考えながらバーンズさんと歩いていると、通り抜けていく夜風のおかげで、食事で火照った体がいい具合に冷めて来た。

 酒場や宿屋が立ち並ぶ街区を抜けると、一段周囲が暗くなる。この時間、少々入り組んだ住宅街は眠り支度に入るためか、照明の類が最小限のものとなっている。おかげでますます煌めく星空に、俺は目を奪われた。


「本当に、すごい夜空ですね」


 東京に居た頃は、まずこんな空にはお目にかかれなかった。夜でも煌々と光る外灯は便利ではあったが、こうして満天の星空を見上げると、やはり情緒には欠けるものがあったと言わざるを得ない。


 と、そんな感想を抱いての言葉だったのだが、しかし今度は彼から賛同の声が上がることはなかった。

 ふと彼の方を見ると、彼は何やら微かに難しそうな表情を浮かべながら歩いていた。


「バーンズさん?」


 気づけば先程より早足になっていて、しかもなぜか住宅街のより入り組んだ道へと歩いて行く。

 俺の記憶では、待機している竜車までの道でこんな場所は通らない。

 何か彼の様子がおかしい。そう思っていると、彼がふいに歩幅を落として俺の隣に並んだ。


「尾けられております」


「えっ?」


「どうか落ち着いて、視線はそのままで。私達は、何者かに尾行されております」


 幾分緊張した面持ちで、彼はそう言った。

 急な展開に頭が追いつかない。しかし彼のその堅い声音にただ事ではない空気を感じ取り、俺は慌てて彼から視線を外した。


「何者かって……一体誰が……」


「わかりません。ですが、どうも一人ではありません。10人程はいるかと」


「じゅっ……!?」


 言われたそばから大きな声を出しそうになり、俺はまた慌てて口元を抑えた。

 10人というのはちょっと尋常じゃない。盗賊の類だろうか。しかし俺が持っている金なんてたかが知れてるし、財産と言えるものはせいぜいカバンに入っている魔鋼紙くらいのものだ。


「確かなんですか?」


 いまいち信じられなくてそう聞いてみると、しかしバーンズさんはそれに強く頷いた。


「最初は商業区の人の流れにあって勘違いかとも思ったのですが、この住宅区に入ってわかりました。明らかに私達を尾けています。しかもなかなかの手練のようです」


「手練って、どれぐらいのですか?」


 すると彼は顎に手を当てつつ、ふむと唸る。


「そうですね……一人一人が上級冒険者並の力を持っていると思います。エレナよりは大分劣りますが、人数が脅威です。楽観はできないでしょう」


「そんな……」


 何で俺達がそんな奴らに狙われなきゃならん。まさかゼノン伯の差し金じゃないだろうな。

 しかし貴族というのはもっと慎重な生き物なはずだ。こんな大胆なやり方は取らないような気はする。こんなことをするなら、わざわざ屋敷に来て領地運営に関して釘を刺すなどという七面倒臭いことはしないだろう。


 と、思考を巡らせていると、ふいにバーンズさんが目の前で立ち止まった。

 何かと思えば、何と行き止まりである。背後以外の三方向を高い壁に囲まれ、見事に逃げ道がない。


「バーンズさん……」


 これはまずい。いくらエレナより劣ると言っても、こちらにはそれに抗う戦力がない。バーンズさんは戒言によって力を封じられているし、もちろん俺は戦闘なんかできない。こんな狭いところじゃ威力の予想できない外法魔術なんか撃てやしないし……やばい、詰んだ。


 バーンズさんが振り返ったのに合わせ、俺もそこで恐る恐る後ろに振り返った。

 するとそこには、いつの間にやら5人の人間が俺達の前を塞ぐように立っていた。


 目深にフードをかぶっていて人相はわからない。体格はそれぞれ違うが、佇まいからしておそらく全員男だろう。バーンズさんの見立てと人数が違うのは、周りに散らしているからか。


 こんなもんどうすりゃいいんだと内心慌てふためいていると、バーンズさんが俺をかばうように一歩前に出てくれた。


「何か御用でしょうか。もし何かお話があるのであればお聞きしましょう」


 彼はそう言ったが、向こうの反応はなかった。しかしそれぞれがナイフや長剣などの得物を取り出し、じりじりと俺達との距離を詰め出した。どうやら話し合う気はないらしい。


「どうも、タツキ様に用があるようですな」


「へ?」


 俺に? 何で?

 確かにどちらかと言うと、俺に意識が向いているような気はする。だが俺には狙われる理由なんかもちろんない。

 身なりからするとバーンズさんの方が裕福そうに見えるはずだし、物盗りの類じゃないのか……?

 

 と、そんな思考をしている暇もないらしく、今にも飛び掛かって来そうな彼らにバーンズさんが言う。


「この方を傷つけるおつもりであれば、私は命に代えても抗わせていただきます。お互いただでは済まないでしょうし、ここは退いていただけないでしょうか」


 いつものように後ろ手に姿勢良く立ち、バーンズさんはこの状況にあっても、堂々たる姿で彼らにそう提案した。

 しかし、彼らにその言葉は届かなかった。むしろ彼のその無防備な姿を好機と見たか一斉に動き出し、


「もし向かって来るのであれば、お気をつけになられたほうがよいかと。私少々──」

 

 彼が全てを言い終わる前に、謎の男達は一気に距離を詰めて飛び掛かって来た。

 こうなったら俺もやれることをやってやる。そう覚悟を決めたが、相手側は素人目にも非常に連携の取れた動きだった。これ程堂に入った連携を捌くのは二人では到底無理……かと思われた。


「…………へ?」


 が、しかし。

 俺は、確かにそこで見た。


 旋風。その爆発的な瞬発力によって巻き起こった風と共に、向かって来る凶刃その全てをいなし、一瞬で男達の体をことごとく足のみで打ち払う彼の姿、その絶技を。


「──申し訳ございません。私少々、足癖が悪いもので」


 高く上げた足をゆっくりと下ろし、まるで何事もなかったかのようにまた後ろ手に立つ。

 気づけばバーンズさんは、そうして自身が吹き飛ばし、地面に為す術なく転がった男達を、ただ静かに見下ろしていたのだった。


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