第27話「デブ氏、デブ氏……?」
この屋敷で過ごしてそろそろ一週間程になるだろうか。そこかしこに張り巡らせられた罠と戦った経験のおかげで、この屋敷の構造はすっかり頭に入ってしまっている。
スリッパのような履物をパタパタさせつつ歩いていると、そこに近づくにつれて話し声が聞こえて来た。
「一体どういうつもりなのかと聞いている」
その威圧するような低い声に、俺は咄嗟に身を隠した。
ホール中央に据えられている階段の影から、バレないように玄関前を伺い見た。
「ですから……先程申し上げた通りです。確認を怠ったことは事実ですが、私達にはそういった意図はありません」
玄関前には、四人の男達が居た。
(おいおいおい……)
その光景に思わず声が出そうになったが、何とかぐっとこらえた。
勇み足で出て行かなくてよかった。ネイトさんが言っていた通り、結構やばそうな雰囲気だ。
レオナルドさんとはまた少し違ったタイプの、かっちりとした軍服のような形状の服を着た男がこちらに向かって立っている。年齢は……40代くらいだろうか。雰囲気と態度からして、おそらくあれがゼノン伯爵だろう。神経質そうに眉間に皺を寄せているところを見ると、やはりかなり怒っているようだ。
本来ならこちらの方を気にすべきだが、しかし今問題なのは、むしろその前に立っている別の人間の方だった。
艶のある長い赤毛を後ろで縛った、ポニーテールが印象的な男。隙のなさそうな切れ長の目と、その微妙に和装のように見える服装からして、何となく武士を想像させるこの男の発する雰囲気がやばい。
背中に背負っている布に包まれた長物は……剣の長さではないし、剣にしては細過ぎる。槍、だろうか。
体はそこまで大きくはない。しかしその印象はあのベアードと対峙した時に受けたものと近い。正面に立ったら視線だけで射殺されそうだ。正直これ以上近づきたくない。
(伯爵ともなるとやっぱやばそうな人間も雇ってんな……。こいつは鎧男達とは全然違う種類の人間だぞ……)
そして問題は、そんな男がレオナルドさんの胸ぐらを掴んでいることである。
両膝をついてしまっているレオナルドさんからすると、ネイトさんの読み通り殴られてしまった後なのだろうか。
そしてその場のもうひとりの男、バーンズさんは、何もできないのかその傍らに立つのみであった。
(……バーンズさん)
しかしよく見ると、その後ろに組まれた手は固く握り締められている。彼もまたネイトさんと同じく、手を出すことを耐えているのかもしれない。
これ以上燃料が投下されたら一気に戦端が開かれてしまう。そんな剣呑とした雰囲気の中、しかしゼノン伯の詰問は続いた。
「意図はない、か。なるほど貴様はそうなのかもしれん。しかし聞くところによると、貴様の娘は変装までして冒険者を装っていたそうじゃないか」
やっぱりそこまでバレてるのか……。
これはまずい。変装させたのが逆に仇になっとる。これじゃあ俺達がわかってて進んで介入しに行ったみたいな感じに思われても仕方がない。
「ふがいない父に代わり、家の力を少しでも取り戻そうとした。そうは考えられんか」
「お戯れを……」
まさに俺が危惧していたことを口にするゼノン伯。しかしレオナルドさんは、膝をつきながらもそれを一笑に付した。
「娘にそのような意志はありません。そもそも母を失い、傷心の娘なのです。そんな大それたことなど思いつきもしないでしょう。誤解もいいところです」
そうはっきりと言ったレオナルドさんだったが、向こうの態度は変わらなかった。
「ふん。人の心などわかるまい。ましてや貴様と、あの女の子供なのだからな」
蔑むような目でレオナルドさんを見下ろすと、彼は冷たい声で言った。
「貴様では埒が明かん。娘の方に直接聞くとしよう」
と、踵を返そうとする彼に、
「おい!」
今まで冷静だったはずのレオナルドさんが、はっきりと拒絶の声を上げた。
が、そうして彼が立ち上がろうとした瞬間、槍男の右拳がレオナルドさんの腹を打ち据える。
「ぐっ!」
そして槍男は悶絶する彼のこめかみを片手で掴み、彼を壁に向かって乱暴に放り投げた。
「がはっ!?」
彼はそのまま壁に背中から叩きつけられてしまい、よほど強く打ちつけられたのか、ずるずると背中を擦りながらその場にへたり込んでしまった。
さすがに見ていられない。全ては俺のせいなのだ。もしあの依頼を受けたのがまずかったと言うのなら、まず咎めを受けなければならないのはあの時責任者であった俺のはずだ。彼じゃない。
と、そうして覚悟を決め、彼らの前に踏み出そうとした時だった。
突如玄関ホールに、一陣の風が吹き抜けた。
家の中を通り抜ける風と言うには少し強い、その頬を裂くような鋭い突風に、俺を含めた全員が弾かれたように同じ方向を向いた。
そこにはいつの間に居たのやら、彼女が、ティアが静かに立っていた。
彼女はそこに居た彼らをにらめつけるように見回すと、つかつかと歩き、レオナルドさんと槍男の間に立った。すると、
「っ!?」
彼女が槍男の方に顔を向けると、その瞬間、槍男が大きくその場から飛び退いた。
そのままゼノン伯を守るようにその前に立ち、幾分緊張した面持ちでその背の得物に手を掛ける。
「どうした?」
「……いえ」
しかしそうして彼に声を掛けられると、槍男は思い直したかのように得物から手を離す。
だが、そのティアを見る目は、一介の少女を見るものではなかった。
まるで野生動物が獲物を見定めるかのような鋭いその目つき、当事者ではない俺の方が気圧されてしまう程である。
そんな視線に晒されても、ティアはいつものように黙っていた。槍男も寡黙な性格のようで、多くを語らない。しばらく場が滞るかのように思えたが、しかしそこでゼノン伯が言った。
「貴様がレオナルドの娘か」
ティアは答えなかったが、彼は構わず顎を撫でつつ続ける。
「一度見かけたことがあるだけだが、面差しはあの女に似ているし、年齢的にも間違いない。まさか自分から来るとはな。親がやられて黙っていられなかったか?」
今度は明確に問う形で言った彼だったが、ティアはやはり何も答えない。
そのふてぶてしい姿に、彼は不機嫌そうに眉を寄せた。
「どうした? なぜ何も答えない。黙っていてはより状況が悪くなるだけだぞ」
そこでレオナルドさんが割って入った。
「娘は……喋れないんですよ」
まだ先程のダメージが残っているのか、膝に手を置きながらふらふらと立ち上がる。
「先程も申し上げた通り、過去が原因で言葉を失ってしまったのです。ですから……尋問のような真似は止めていただきたい」
「私からも、お願い申し上げます」
レオナルドさんの言葉に続くように、バーンズさんが腰を折る。普段使うような簡易的なものではなく、最敬礼とも見て取れる丁寧な礼だ。
さしものゼノン伯もこれを見れば少しは心動かされるだろう。そう思ってしまった俺は、しかし大馬鹿だった。
「喋れない、か」
そう小さくこぼすと、彼は槍男に何かを促すようにふいと顔を動かす。すると、
「やめっ……!?」
レオナルドさんが悲鳴にも似た声を上げると同時。槍男が得物に纏わせていた布を一瞬で取り払い、その得物の切っ先をティアの額に向けた。
その距離、実に数センチ。
一歩間違えば大怪我である。それを涼しい表情でやってのけるこの男、やはりただ者ではない。危険な程に主に忠実なのも恐怖を煽る。何か失言をすれば、即座に本気のそれが飛んでくることもあり得る。
「…………」
俺なら腰を抜かしているところだろうが、しかしティアはそんな蛮行を受けても身動ぎ一つしなかった。ただいつものようにジト目気味の目で槍男を見つめるのみ。先日の依頼でも見せた、圧倒的くそ度胸である。
そうして彼女が動じないのを見てか、槍男がその得物を引いた。それと同時に、
「ふん。少し脅せばボロを出すと思ったんだがな」
様子を見ていたゼノン伯が、複雑な表情で嘆息する。
「まさか悲鳴どころか眉一つ動かさんとはな。腐ってもマグナース家の娘ということか」
と、再びつまらなさそうにふんと鼻を鳴らすと、彼はレオナルドさん達から背を向けた。
「いいだろう。今回はその娘の胆力に免じて目を瞑ってやる。しかし次に同じようなことをしたら容赦しない。わかったな?」
あくまでも立場はこちらが上。そう言わんばかりに背中越しに言う彼に対し、レオナルドさんはしかし、拳を握りながらただ瞑目していた。
まあ当然だろう。自分だけならまだしも、娘にあんなものを向けられて平気な親がいるはずがない。一回ぐらい殴ってやろうと思ったとしても何ら不思議ではない。
しかしバーンズさんが目配せを送ると、レオナルドさんは観念したように肩を落とし、静かに言った。
「……承知した」
それを聞くと、ゼノン伯はもう何も語らず、歩き出した。
しかしその去り際、主の前に出て玄関のドアを開けていた槍男が、ティアの方をじっと何か言いたそうに見ていた。
それはほんの数瞬の出来事ではあったが、不安を覚える一事であった。おそらく相当な強者である槍男からすると、ティアには何か感じるものがあったのだろう。何かいろいろバレやしないかと肝を冷やしたが、ゼノン氏の背中がこちらから見えなくなると、槍男は閉まるドアに体を滑るように通し、ただ静かにその場を去って行った。
◆
(はあ……何とか首の皮一枚ってところか)
じんわりと汗が伝う胸を、ほっと撫で下ろした。自分は安全地帯から見ていただけのくせに、どうやらかなり緊張していたらしい。
強張る肩を回してから、俺は情けなくもそこでようやく、彼らの前に顔を出した。
「あ、あのー……大丈夫ですか?」
それに反応してくれたのは、近くに居たバーンズさんだった。
「これは、タツキ様。お体の具合はもうよいのでしょうか」
「ああ、それはもう。むしろ不思議なんですけど、前よりも具合がいいぐらいで。ご心配お掛け……しましたよね?」
「もちろんでございます。ご無事で何よりです」
髭の下でニコリと笑ってくれる彼に、俺は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。
彼に連絡せず、無断で鎧男達の依頼を受けてしまったのをどう思っているのか不安だったのだが、どうやら彼は怒っていないらしい。
しかし報連相を怠り、結果このような失態を犯したのは俺だ。とにもかくにも謝らなければ。バーンズさんもそうだが、ここはまず雇い主であるレオナルドさんに謝るのが筋だろう。
そう思って彼に目を向けたが、しかし彼はまだ俺の存在に気づいていなかった。
「ティア……」
彼は彼女によろよろとしながら寄り、心配そうに声を掛けるところだった。
「大丈夫だったか? 怪我は?」
そう言えば、この家に来てから彼と彼女が相対するのを初めて見る。おそらくかなり久しぶりに声を掛けたのだろう。レオナルドさんの声が幾分緊張したように震えている。
しかし、親の心子知らずとはよく言ったもので、ティアの態度はやはりよろしくなかった。
失望……あるいは軽蔑。そんな感情が込められた視線をレオナルドさんに向ける。
その視線にレオナルドさんは少し狼狽する様子を見せたが、やはり娘のことが心配なのだろう。一歩踏み出し、さらにティアに寄ろうとする。
しかし彼女は、それを拒否するかのように彼から距離を取った。
「…………」
そしてやはり、ティアは何も語ることはなかった。レオナルドさんを一瞥すると、それきり。踵を返し、さっさとどこかへと行ってしまった。
どうもやはり、この親子には確固たる確執があるらしい。レオナルドさんは無理にティアを追うことはせず、その場に肩を落として立ち尽くした。
子の心配も満足にできないこの状況、親からしたら辛いだろう。どうにかしてやりたいと思うが、それにはもう少し時間がかかる。本当は喋れるという糸口は掴んでいるが、今はまだ彼女という人間の、端の端にやっと手が掛かった状態でしかない。
掛ける言葉が見つからなくて困っていると、そこで突然レオナルドさんの膝ががくりと落ちた。
「レオナルドさん!?」
慌てて駆け寄って肩を貸す。
「大丈夫ですか!?」
「ん……ああ、君か……」
腹を抑えて完全にしゃがみこんでしまう。そりゃそうだ。端から見ていても相当な容赦のない一撃が入っていた。あれだけやられてまともに立っていたのが不思議なくらいだ。
「すみません。俺のせいでこんな……俺が勝手にしたことなのに……」
「なに、こんなものは大したことはない。ちょっと小突かれたようなものさ」
綺麗な金髪の間から見える額には、脂汗が滲んでいる。正直その姿はラストラウンドのボクサーかというくらいに消耗しているように見えるのだが、レオナルドさんは気丈にもこちらに向けて薄く笑おうとした。
こんな状況においても、相手に気を遣わせまいとする姿に心を打たれた。俺だったらバイトしていた時の上司のように絶対にぐちぐち文句を言っているところだ。真の貴族というのはこういうものかと、深く感心させられてしまった。
だが次の瞬間、彼のその態度が一変する。
「しかし君には、聞きたいことがたくさんあるな」
「え?」
未だよろよろとたよりない調子の彼だったが、その突如低くなった威圧感のある声に、俺は彼に肩を貸していたことを忘れ、思わず彼から一歩距離を取ってしまった。
「今一度聞く。黒竜がいたというのは、本当か?」
いつの間にか、すごい形相となっている。
この顔は、最近見たことがある、あれだ。ティアのバーサーカー状態とほとんど一緒だ。彼の方が大人であるせいか理性的な色を残しているが、それでも正面に立つ勇気はない程の剣幕である。
「やつの兵から依頼を受けたのは、お前の判断だな?」
すっかりいつもの雰囲気が消えてしまったレオナルドさんに身が縮まってしまうが、俺は後ずさろうとする足を何とか踏ん張りつつそれに答えた。
「それは……最終的には、そうなると思います。黒竜がいたというのも、本当のことです」
「ということはやはり、お前がティアを黒竜の前に連れて行ったということになるな」
「いやそれは……」
全然違う! いや、結果だけ見ればそうはなるが、鎧男達からの依頼はあくまでも行方不明になった別のゼノン伯の兵を探すというものだったのだ。最初から俺がティアを黒竜の前に連れて行こうと思っていた訳じゃない。
それは間違いない。間違いないのだが、そんな言い訳が通るような雰囲気ではない。
説教中の学生よろしく何もできずに立ち尽くしていると、彼がのろのろと立ち上がりつつ、その激情の籠った碧眼で俺を真っ直ぐに見た。
「お前が……ティアを……!」
その瞬間、俺とレオナルドさんの間に、物凄い速さで何かが割り込んで来た。
突然彼の姿が半分程消えて呆けてしまうが、ギィイン、という金属的な振動音が玄関ホールに響き、その音で我に返る。
気づけば目の前の床に、何か大きな板のようなものが深く刺さっていた。
(板……じゃない。剣!?)
持ち手部分があるのでおそらくそうなのだろうという予想がつきはするが、それにしてもバカみたいに大きい。
刺さっている部分があるので明確にはわかりかねるが、おそらく刀身を含めると2メートル、幅は2,30センチはゆうにあるだろう大剣である。
(何だこの既視感……)
と、そこで俺ははたと気がついた。そう言えばそんな嘘みたいな代物を、どこかで見たことがある。
その心当たりがある場所に視線を向ける。すると、やはりそこにはあるはずのものがなかった。
中央階段の上の壁に、この家のシンボルのように据えられていた大剣。それが忽然と姿を消している。おそらく今俺の前にあるものは、たぶんあれだ。
なぜあれが急にここにぶっ刺さったのか。それは全然全くわからないが、今はそんなことを考えている場合ではない。
レオナルドさんが、その大剣に手を掛けた。
常識的に考えて、こんなものを人間が振り回せるとは到底思えない。しかし彼がそうした瞬間、まるで黒竜と対峙した時のような恐怖が俺の全身を支配した。
(殺られる……!?)
と、そう思った瞬間、誰かがふいにそばで言った。
「お館様」
その優しげな声色に、恐怖で白んだ景色がいくらか元に戻る。
いつの間にやら、バーンズさんが俺の隣に立っていた。
俺が縋るように彼を見上げると、彼はかすかに目を眇め、笑い掛けてくれた。それからいつもの落ち着いた調子で、彼に声を掛けた。
「今回の依頼を受けてしまったのはタツキ様の過ちではあります。しかし黒竜の件については完全に不測の事態。女王陛下の障壁が展開されている今、誰もそのようなものが領地にいるとは想像がつかないところでありましょう」
そう言って助け舟を出してくれるバーンズさんだったが、レオナルドさんが剣の握りから手を離すことはなかった。
「そんなことはわかっている……」
であるならと、再びバーンズさんが押す。
「当家の情報についてあえて伏せていたのはこちらですし、タツキ様がこうなってしまったのも、お嬢様を身を挺して守った結果だと……」
「そんなことはわかっている!!」
ついに爆発したレオナルドさんが、掴んでいた剣のグリップをぎゅっと握り込んだ。
まさか、と思った次の瞬間、彼はその身の丈以上もある大剣を、床から勢いよく引き抜いた。
「レオナルド様!」
そこで初めて、バーンズさんが焦ったような声を上げた。
レオナルドさんに引き抜かれた剣は、その勢いのまま天井へと向く。そのまま後ろに倒れてしまうかと思いきや、彼は片手でそれをビタリと静止させ、そこにゆっくりともう一方の手を添えた。
「それでも……それでもティアを黒竜の前に連れ出したのは事実」
怒りを通り越して、なのか。はたまた他の感情のせいなのか。とにかく彼は震える声で俺にそう言うと、両足を開いて腰を落とし、
「もし今度彼女を同じ目に遭わせたら……」
その大剣の切っ先を、ゆっくりとこちらに向けた。
「俺はお前を、殺す」
その見開かれた青い瞳に射抜かれて、俺の腰から、ふいに力が抜けた。
鈍く光るその銀色の恐ろしさに、俺は息をごくりと呑んだ。
こうなってはもうどうしようもないのか、バーンズさんからの援護ももうない。
ならばもう後は、自分で何とかするしかない。そもそも自分でまいた種なのだ。最後は自分の言葉で、誠心誠意詫びるべきだ。
俺は腹を決め、大きく息を吸い込んだ。
「わ、わかり、ました。もう、絶対にしません。すみませんでした……」
謝罪としては下の下。言葉遣いも言葉選びもダメダメだが、ひくつく喉を無理やり動かし、何とか声を絞り出した。
神に祈るように、あるいは、悪魔に媚びを売るように。俺は正座をしながら姿勢を正し、そうして彼に宣誓した。
「…………」
それを受けても彼は黙っていたが、思うところはあったのか、剣の切っ先が僅かに揺れる。
ふうう、と長い息を吐くと、彼はゆっくりとその構えを解いた。鞘がないせいか、彼はその大剣を先程できた溝に再び刺す。
とりあえず、斬られる恐れはなくなったということでいいのだろうか。そう思って一息つこうとしたが、しかし次の瞬間、
「レオナルド様!」
彼が激しく咳き込み、その身を案じたバーンズさんが再び彼の名を呼んだ。
何事かと彼を見れば、彼の口を抑えていた手が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。先程のダメージだろうか。どうやら吐血してしまったらしい。
おろおろする俺をよそに、さすがに看過できないとバーンズさんが寄ろうとするが、レオナルドさんがそれを手で制す。
「……少し、頭を冷やす」
それだけ言うと、壁に手をつきながら、よろよろとした足取りで彼はその場から去って行った。俺とバーンズ氏はどうすることもできず、それをただ黙って見送った。
バーンズさんと一度顔を見合わせる。そこで俺はもう耐えられず、ついに床に大の字に倒れ込んでしまった。
穏やかではないオブジェが屹立しているが、そこでようやく玄関ホールにいつもの静寂が戻ったのである。
「っはあぁ……」
体が熱い。肩がガチガチだ。胃も一連のストレスの影響をもろに受けてかキリキリ痛い。
こんなことではまだ何とか残っているはずの寿命も削れてしまう。こっちの世界に来てから本当に気が休まる日がない。こんなことでは俺のナイスなド○○もんボディが干物のようになってしまいかねない。
と、さっきまでの反動でそんな益体のないことを考えながら寝そべっていると、
「申し訳ございませんタツキ様」
いつの間にやらバーンズ氏が、床の俺に向けて頭を下げていた。
「そのようなお姿になってまでお嬢様をお守りいただいたのに、このような態度を取られては心中穏やかではいられますまい。少々冷静さを欠いてしまった主に代わり、お詫び申し上げます」
そしてまた深々と腰を折る彼に、俺は慌てて立ち上がった。
「いえいえそんな! 今回は僕が全面的に悪いんですから! それにほら、僕は全然なんともないですし!」
と、そうして胸を張る俺だったが、なぜかそれにバーンズさんは目を見開く。
「やはり」
「え?」
「やはりまだお気づきではないのですね」
と、バーンズさんはかすかに眉をひそめると、
「こちらへ」
そう言って歩き出すバーンズ氏。突然のことでわけがわからなかったが、俺は首を傾げつつも、黙って進む彼について行った。
玄関ホールから少し歩いたところにある部屋に入るよう促されたので入る。すると、
「こちらへどうぞ」
何かと思えば、こじんまりとした部屋にある鏡台のようなものの前に立つように言われる。
何だろう。自分の醜さについて今一度確認しろってこと? 嫌だなあ……。それとも黒竜による攻撃で、何かでかい傷でもついてしまっているのだろうか。
そんなことを思いながら、俺はその鏡台の前に立った。
「……えっ」
そして俺は、驚愕した。
そこにはいつものデブメンの姿はなかった。そこにいたのは、なんか肌がすべすべで、割と精悍な顔つきをした男。なぜか学生時代くらいに痩せた俺が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこちらを見ていたのである。
「な、なんじゃあこりゃああああああああああああ!?」
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