第22話「デブ氏、セーフ」
あの屋敷の彼女の部屋で受けた時のような無秩序な暴風ではなかった。鋭さをも感じる風が、ガードの甘い俺の右頬を裂いて行った。
「…………?」
しかし、待てども待てどもそれ以上のことは起こらない。恐る恐るガードした両腕を解いて体をまさぐってみるが、頬から少し血が出ているくらいで体には何の異常もない。
おかしいな。絶対殺られると思ったんだが……。
と、不思議に思っていたその時、ふいに右後ろからズン、と鈍い音が聞こえた。
恐る恐る振り返ってみる。すると、
「うおっ……!」
そこには、胴体と首が真っ二つに裂かれたブビードゥが横たわっていた。
(いつの間に……全く気づかなかった)
位置関係からすると、どうもこのブビードゥは俺を狙っていたようだ。そこにティアが何らかの魔法を見舞い、こうなったということだろうか。
一言二言喋っただけでこんな威力が出せるなんて、やば過ぎだろこの魔法。俺のしょぼい魔法とは天と地の差だ。
(て言うかこれ、やっぱり外法魔術だよな)
屋敷での魔法と今回の魔法、彼女は二つの言葉しか発していない。通常の魔法はもっと長い詠唱文があるみたいだから間違いない。彼女は俺と同じく、外法魔術を使う人間らしい。
あれだけ少ない言葉でこれだけの威力。しかも俺のようにマナ切れを起こすような様子もない。彼女は外法魔術をきっちり自分のものとしているようだ。
と、そこまで考えたところで、俺はふと思った。
(もしかして喋れることを隠したいんじゃなくて、外法魔術を使えることを隠したいのか?)
それはちょっとあり得るんじゃないだろうか。外法魔術は使い手が少ないと聞いている。使えることがバレてしまうと、それにともなういろいろな面倒事が起こっても不思議じゃない。それを嫌がっているということなのかもしれない。
(……うーん)
しかしまあ、現状推測の域を出ない。
彼女の置かれている状況について考えるには、まだピースが集まりきっていない感じがする。もう少し情報を集める必要がありそうだ。
しばらくそうしてブビードゥと彼女をちらちら見比べるようにして思考していると、ふと、ティアの視線がこちらから外れる。
そのタイミングで近くの茂みからがさりと音が聞こえ、そこから彼女がひょっこりと顔を出した。
「あっ」
「あ、やっぱりタツキ。よかった~何ともなさそうで」
なぜか別れたはずのエクレアだった。彼女は俺の無事を確認すると、そのままきょろきょろと周囲を伺う。
「あ、あの子見つかったんだね」
ティアの無事も確認すると、彼女は茂みから出ながらほっと息を吐いた。
しかしその視線が再び俺の方に来ると、彼女は俺の前後のブビードゥに気がつき、途端にうえっ、と顔をしかめた。
「何かすごいことになってるね……。もしかして君がやったの?」
「いやまさか。無理だよこんなの」
と、何とはなしに答えてしまったが、俺はすぐにそれを後悔した。
「え、そうなの? じゃあ誰がやったの?」
その続くエクレアの質問に、俺はしまったな、と思った。
「あーそれは……」
言葉を濁しつつ、ちらりとティアの方を見やった。
彼女はエクレアが来てからずっとこちらに背を向けている。しかしおそらく、こちらの会話はきっちり耳に入れているはずだ。となると当然、ティアがやったことにはできない。
エクレアは俺が外法魔術を使えることを知っているんだから、俺がやったことにしておけば一番よかったんだが……。まあ、もうしょうがないな。
少し不自然にはなるかもだが、ここはこう答えておくしかない。
「俺がここに来た時はこうなってたんだよ。たぶんあの騎士達がやったんじゃない?」
鎧男達の得物はただの長剣である。しかしもしかしたら彼らもこういうことをできる魔法や何らかの力を持っているかもしれないし、さほど不自然な回答にはならないだろう。何せここはファンタジー世界。俺が知らない力があっても全然不思議ではない。
そう思っての答えだが、幸い彼女はそれを特に不審とは思わなかったようで、
「あ~なるほど。まあ仮にも騎士さん達だもんね。これくらいはできてもおかしくないかあ」
と、ただブビードゥを見下ろしつつ、眉を上げるだけに留まった。
俺がどう答えるか見張っていただろうティアも、そこですっと肩の力を抜いたようだ。
よかった。何とか窮地は脱したらしい。
(これはまたエクレアに助けられちゃったかなあ)
何でこの絶好の機会に殺られなかったのか不思議だったが、彼女の出現によってティアはギリギリでブビードゥに矛先を変えたのかもしれない。最悪魔法は見られても仕方ないが、殺人現場を見られたらさすがに取り繕えなくなる、みたいな感じで。
ティア的には、とりあえず今回はそのどちらも見られなくて済んだのでよかった、といったところだろうか。まあ推測でしかないので真相はわからないが、何にせよこのまま二人きりでは危ないので助かった。
そうして思考に一区切りがついたところで、ちょうどティアが歩き出した。
さすがにもう見失う訳にはいかないので、俺はエクレアと一度頷き合ってから、彼女の後を追った。
「すごいね~あの子……。屋敷にずっとこもってたとは思えないくらい豪胆だね。普通はもっと慎重に動くところだと思うんだけど」
「まあ元々好奇心の強い子らしいからね。屋敷でも外でも、付き合う方からするとほんとに大変な子だよ……」
ティアとの今までのことを思い出すと、ついつい魂の抜けてしまいそうな程のげんなりため息を吐いてしまう。
それでエクレアも俺の苦労についていくらか察したのか、あはは、と乾いた笑いを漏らした。
「そう言えば、何でこっちに来たの? 何か問題でもあった?」
ティアに付いて行く間手持ち無沙汰だったのでそう聞いてみると、エクレアはそれにふるふると首を振った。
「いや、別に何もないよ。ただ何か大きな声が聞こえたからなんだろうって思って来てみたんだよ。そしたら君達がいたって訳」
「え、そんな大きな声だった?」
「うん。あれ君の声だよね? あの死んだブビードゥを見てびっくりしたんでしょ? 姿は見えなかったけど、たぶん本人はひっくり返っちゃってるんじゃないかな~って思うくらいの声だったよ」
彼女は笑いをこらえつつそう言ったが、途中でその声を思い出したのか、結局最後にはぷふっと吹き出してしまった。
彼女からすると笑い事でしかないかもしれないが、俺がもしあそこでブビードゥを見つけて声を上げていなかったら、たぶんティアに殺られてたんだよな……。
いやほんと危なかった。マジビビリでよかった。
と、そんなふうにエクレアと会話しながらしばらく歩いていると、2、3分程歩いたところで、ふとティアがその歩みを止める。
エクレアと二人で一度顔を見合わせてから、その視線を追ってみる。すると、
「あれは……」
少し先で誰かが戦っている。バタバタとした足音と、そこに時折金属音が混ざる。
それを見てか、ティアが早足で歩き始めたので、俺達もそれを追う。
そのまま鬱蒼とした草木をがさがさやりながら進んで行くと、ふと森が途切れ、ちょっとした広場へと出た。
「──ひゃはっ!」
突如明るくなった景色に目を眇めながらも、俺はその光景をしかと見た。
飛び、しゃがみ、滑り、また飛び……。ネコ科の猛獣のようにしなやかに体を躍らせながら、エレナがブビードゥと戦っていた。
彼女がこちらに気づく様子はない。彼女はただ好戦的な笑みを浮かべながら牙を剥き、向かってくるブビードゥ達を見事な手際で屠っていく。
突進が来れば、その上をベリーロールのように飛びつつ、両手に持ったククリ刀でブビードゥの背中を縦に裂いた。
牙が来れば、その牙の上を刀を滑らせていなし、そのまま首元を裂いた。
飛びかかりが来れば、その足元にスライディングするように入り込み、そのまま腹を以下略。
目をらんらんと光らせながら、合間合間にその刀から滴る血を舐め取る……。
その野性的な姿と、ふさふさの金髪を振り乱しながら縦横無尽に動き戦う彼女は、まさに一匹の獣。彼女はブビードゥより鋭利なその二本の牙をもって、狩りを楽しんでいるようだった。
エレナを囲むようにいたブビードゥ達は、そうして全て彼女に屠られた。
最後の一匹を仕留めると、彼女はそこに残った血を払うようにビュッと刀を左右に振り、慣れた手つきで腰にそれを納めた。何それクソかっこいい……。
(俺もしょぼい魔法だけじゃなくて、こういう肉弾戦ができるようになればなあ……)
と、そんな憧れを向けている場合ではない。一見無傷に見えるが、こんな大立ち回りをして彼女は無事なのだろうか。
そう思って声を掛けようとした時、ちょうど彼女が弾かれたかのようにハッとこちらに振り返った。
彼女は再び腰の得物に手を伸ばしたが、俺達に気づくと、つまらなさそうに肩の力を抜く。加えて、深いため息。
「何だお前らか。新手が来たと思ったのによ」
あれだけ暴れ回ったくせにまだ足りないらしい。分かってはいたが、やっぱり彼女は戦闘狂の類いのようだ。
「や、やあエレナ。何かすごいことになってるけど大丈夫? 怪我とかは?」
特段目立った外傷はないように見えるが、どうだろう。
若干引き気味になってしまいながらも、そうして身を案じる言葉を掛けてはみた。しかし彼女からは、相変わらず棘の多い言葉が返って来てしまった。
「怪我なんかする訳ねえだろこんなやつらに。てめえオレをなめてんのか?」
片眉を上げて睨むそのチンピラフェイスに、俺は慌てて弁解した。
「い、いやあ、何か普通のブビードゥじゃないみたいだからさ。結構大変だったんじゃないかなあと思ってさ」
「ああん? ……まあ確かにちっとでかい気はするけどよ。大して変わんねえだろこんなの」
「そ、そう……」
エクレアの言い方からすると結構やばいやつだったはずなんだけど……。まあそれだけエレナが強いってことなんだろう。実際すごい超人的な動きだったし、マグナース家の使用人達がお墨付きを出すのも頷けるレベルだ。
これは素直に嬉しい。この得体の知れない依頼をこなすには、これくらいの戦力は絶対に欲しいところだった。これなら何とか無事に依頼をこなし、ティアも無傷で街に帰れるかもしれない。
(そう言えば、あの鎧男達はどこに行ったんだ?)
エレナの戦いっぷりに見惚れていて忘れていた。彼らも戦力として計上しておきたいのでその戦いぶりを見ておきたかったのだが、姿が見えない。どこに行ったのだろうか。
「エレナ。あの鎧男達ってどこ行った?」
聞くと、彼女は「はっ」と嘲笑しつつ、親指で一つの方向を指し示した。
「あいつらなら、たぶん大半が向こうの方でノビてるぜ」
彼女が示した方を見てみると、確かに彼らがいた。地面に大の字になっていたり、木に寄りかかって腕を抑えていたりで、見るからにボロボロだ。
一人だけ元気なのは、あのエレナを挑発した中年のリーダー格っぽい男だ。
「何という体たらくか……。立たんか貴様ら! それでも誉れある騎士か!」
てっきりあのギルド内に限った芝居かと思っていたのだが、どうやら彼は普段からこんな調子らしい。
しかしそうして檄を飛ばしても立ち上がる者はいない。よく見れば彼らはただボロボロになっている訳ではなく、実際にけっこうな怪我をしていた。
大の字の人は足を挫いてるらしく、一人では立てないようだ。腕を抑えている人は、苦悶の表情のまま固まっている。どうも折れてしまっているらしい。
他数人も、同じようにどこかしらを痛めていた。この様子ではこれ以上の行軍はおそらく無理だ。
そこそこ戦えそうな鎧男達でもこんなことになるとは、やはりあのブビードゥは通常の個体じゃないんだろう。俺も一歩間違えていたらこうなっていたかもしれないと考えると、背筋が冷える。
「ぐぬ……何たることか……!」
あれだけ大口を叩いてのこの状況である。よほど腹に据えかねたのか、リーダーはそう言って歯噛みしつつ、きつく拳を握り締めた。
今回のミッションは失敗だ。おそらくリーダーもそう考えていると思ったのだが、しかし彼はここでとんでもないことを言い出した。
「……お前達は街へ帰還しろ。あとは私でやる」
負傷者にムチを打つように、彼は冷たい声音で鎧男達にそう言い放ったのである。
おいおい。負傷者だけで帰らせるのかよ。大丈夫なのか。て言うかまだやる気なのかよ……。
と、俺が冷ややかな目でそのブラック上司っぷりを見つめていると、ふと彼が振り返り、こちらに歩み寄って来た。
じろりとこちらを睨むように一瞥すると、彼は言った。
「これより私と貴様達で任務を続行する。ついて来い」
わかってはいたが、俺は呆れて嘆息混じりの返事をしてしまった。
「本気ですか? この人達だけで帰らせるのはちょっと危ないんじゃ」
「ふん。心配は無用。我らは誉れある騎士。これぐらいのことで音を上げるようなやつは一人もおらぬ」
と、自信満々に言い切る彼だが、その後ろには呻きながら地面に転がる鎧男達が!
典型的な根性論を押し付けるブラック上司である。正直この人について行くのは怖い。鎧男達に要求していたことを、俺達にも当然のようにしてきそうだ。
どうにかして断れないかなと考える俺だったが、しかしそこにエレナが割って入って来て、火に油を注ぐようなことを言い出してしまう。
「よう。そっちのやつら、あんた以外使えなくなっちまったみたいだけど、大丈夫か? 帰った方がいいんじゃねえか?」
ニヤニヤしながら彼女がそう言うと、彼は案の定憤慨を隠さず、エレナに向かって思い切り唾を飛ばした。
「冒険者風情が……たまたまうまく乗り切れたからと調子にのりおって! 貴様に心配されずとも、私がいる限り問題ないわ!」
「おーそうかいそうかい。んじゃあ続行ってことでいいんだな?」
「無論だ!」
威勢よく彼がそう答えると、エレナは満足したようにひらひらと手を振りつつ、踵を返した。
挑発とも取れるそれを見て、彼は悔しさを隠しきれずに、機嫌悪そうに鼻から長く息を吐く。
それ以上見ていたらこちらにも飛び火してきそうだったので、そうなる前に俺もさっさと退散。ティア達の方へと足を向けた。
(血の気の多い人間が一人追加か……。ただでさえくそやばい危険を孕んだパーティーだし、ここで帰りたかったんだがなあ……)
ティアは相変わらず何を考えているかわからないし、エレナは見ての通りの暴走特急だ。ブビードゥの謎の巨大凶暴化の件も怖いし、どんどん嫌なことが積み重なってくる。
(まあでもさすがにこれ以上やばいことは起こらんだろう。皆戦力としては申し分ない訳だしな)
と、そんなふうに思っていた時期が、確かに僕にもあったのです……。
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