第17話「デブ氏と紳士と筋肉」
魔法の基礎というだけあって、異世界人の俺にも何とか読めるように書いてあった。言葉の選び方からすると、どうも子供向けに書いてあるようにも思える。実は学校の教科書とかなのかもしれない。
ともあれ、俺はそのおかげで何とかこの世界の魔法についての基本的な知識を得ることができた。
肝心の外法魔術については、そんなにたくさん記述がある訳ではなかったが、何とか概要だけはわかった。
外法魔術というのは、通常の学校で教えられる魔法以外のものを総称して言うらしい。
きちんとした教育によって教えられた通常の魔法は安定した威力効力を発揮するが、外法魔術はその点全てが不安定で、威力がとても弱かったり、逆に強すぎて危険だったりする、とのことだ。
通常の魔法は基本的に学校などで先生に実演されながら習得するので、その際にイメージがある程度固着するため、安定した発動が可能となるらしい。しかし外法魔術はそういった過程を踏まない、いわばイメージが固定されていない魔法なので、威力が不安定になるらしい。
威力が強くなるかもしれないなら別に外法魔術使いになってもいいよな、とここまでなら思う。しかし、問題は次だ。
魔法は基本的に体内のマナを使って発動するので、威力が不安定になるとその消費マナ量も不安定となる。仮に思ってもいないくらいに強い魔法が発動してしまったら、とんでもない量のマナを消費してしまうのである。
これが先日のベアードとの試験においての俺のマナ切れぶっ倒れの理由だ。同時にこの世界において外法魔術が外法とされているのは、この点が非常に大きいようだ。
しかもこの本によると倒れるだけならまだマシな方らしく、割と普通にそれを通り越して死んでしまうことも多いらしい。
そりゃ誰もやらんわな! つーかあのくそ筋肉熊! こんなもん俺にやらそうとするんじゃねえよ! 今度会ったら絶対文句言ってやる!
「む……」
と、そうして憤慨しつつ得られた知識を整理していると、ふと傾いた陽が膝を暖めていることに気づく。
窓に目を向けると、時刻はいつの間にか夕刻である。放課後の教室のような眠たい日差しが部屋に充満している。
(バーンズさんが迎えに来てくれるって言ってたし、そろそろ出とくか)
あと女王様が言ってた盟約の秘術についても調べたかったけど、あれは今度でいいか。何か秘術とか言ってるくせに皆知ってる魔法らしいし、どっかで適当に聞いても大丈夫だろ。
俺は立ち上がり、リヒトさんに声を掛けた。
「すみませんリヒトさん、僕そろそろ……」
すると、本棚の影から彼がひょこっと顔を出す。
「何でしょう? 何か質問でも?」
「ああいえ、そろそろ迎えが来るのでおいとま……」
「いやあ、実は私も外法魔術には興味がありまして! 汎用性では通常の魔法に劣りますが、さまざまな可能性を秘めたものですからね!」
「お、おお……?」
「聞くところによりますと、遠い場所から瞬時に自分の場所へものを呼び寄せてしまったり、さらには自分の分身を作り出せる人すらいるといいます。研究対象としてはとてもそそられるものがありますよね!」
求道者(オタクとも言う)特有の早口でまくしたてられ、俺は思わず後ずさってしまった。
そうか。オタクが好きなものを語ってる時ってこんな感じなのか。今度から自重しよ……。
しかし外法魔術すげえな。なんでもありじゃん。危険だけど、やっぱりちょっといろいろ試してみちゃったりしようかしら。
と、また思考に入ろうとしてしまって慌てて我に返る。このままリヒトさんを放っておくと危ない。永遠に話し続けるまである。
ゴホンと一つ咳払いし、俺は未だ喋り続けるリヒトさんにはっきりと言った。
「すいませんリヒトさん。僕、迎えが来るのでそろそろおいとましますね」
そうして言い切ると、さすがのリヒトさんもハッとしたような顔を見せた。
「あ、す、すみません。久しぶりに同好の士を見つけたものですから、つい興奮してしまいました」
「はは、お気になさらず。気持ちはわかりますから」
いやほんとに。オタクの話って結構面白い話聞けるから、時間があったら聞いてあげてもいいんだけどね。なんか有用な話もあるかもしれないし。
しかし今日のところは退散。図書館に行くとか慣れないことして疲れたし。
「ということで、失礼します。また何かあったらお願いします」
「ええ、もちろんです。いつでもお待ちしております」
よほど俺が来たのが嬉しかったのだろう。元々常に笑っているような目をさらに細め、彼は俺を送り出してくれた。
(いい人でよかったな。また使わせてもらおう)
図書館の扉を出ると、本格的に日が傾いてきていた。森の木が陽を遮り、子供達が遊ぶ広場に長い影を落としている。
「……ん?」
と、その広場の中央に、何やら見たことのある後ろ姿を見つける。
かなり離れた場所からでもわかるその大柄な体躯と、丸太みたいに太い毛むくじゃらの手足。
(ベアード? 何でこんなところに)
拳聖と謳われる王国の要人が、こんな小さな教会に何の用だろうか。偶然にしては変なところで出会ったもんだ。
ちょうどいい。ちょっと文句言ったろう。そしてあわよくば詫びの品などをせしめよう。
そう思ってベアードに突撃しようと思った矢先、しかしふいに後ろから声を掛けられた。
「あ、タツキさん。もう図書館はよろしいんですか?」
振り返ると、そこにはあの真っ赤な服のシスターさんが。
「あ、どうもどうも」
「どうかされたんですか?」
今まさに突撃体勢を取っていたため、不思議な顔をした彼女に首を傾げられてしまった。
「ああ、いえ。あそこに見たことある人がいたもんで、ちょっと話せないかなあと思いまして」
俺のその視線を追うと、彼女は得心したようにああ、と声を漏らした。
「ベアードさんですか。普段は北の大巨壁の方にいらっしゃるみたいなんですけど、たまに帰って来てこうして教会を回ってくれたりしているんですよ。彼が来る時はもう、子供達も大はしゃぎで」
「ああ、なるほど。それで」
だから皆あんなに騒いでたのか。
まあ“拳聖”だもんな。もう字面だけでかっこいいよな。俺もこの世界の子供だったら、たぶんめっちゃ興奮してると思う。
「もしお会いになるなら私もご一緒してよろしいですか? そろそろ子供達を中に入れないといけないので」
「ああ、どうぞどうぞ」
てな訳で、一緒にベアードの元へと向かう。
ベアードは広場にある大きな切り株に腰を下ろしつつ、子供達を眺めていた。
俺は別に急ぎの用でもないので、最初の声掛けを彼女に譲った。
「ベアードさん今日はありがとうございます。日が傾いてきましたので、そろそろ子供達を家に入れたいので…………きゃあ!?」
彼女が声を掛けようとしたその時、しかし下から上に凄まじい風のようなものが強く吹き抜けた。
物理現象まで起こってしまっているが、あれに似ている。屋敷の警備の女にやられた威圧。あんな感じのやつだ。
俺よりベアードのそばにいたシスターさんはその影響を思い切り受けてしまったようで、大きく体勢を後ろに崩す。
そのまま尻もちをついてしまうかと思ったが、しかし幸い、そうはならなかった。そうなる前に、彼女を受け止めた人物がいたのである。
ただ不思議なことに、その人物はなぜか彼女を片足で受け止めていた。
「バーンズさん?」
見れば、スタイルのいい長身、銀色のオールバックがすこぶる似合うイケおじ、バーンズさんだ。
つい名前を呼んでしまうと、彼は俺に向けてかすかに口角を上げて見せた。
「ぇ…………きゃ!?」
その間に、受け止められた後しばらく呆けていたシスターさんが我に返る。そのまま後ろにいるバーンズさんを丸い目で見上げた。
「申し訳ございません。失礼かとは思ったのですが、手を患っているもので、足にて受け止めさせていただきました。お怪我はございませんか?」
「あ、えっと……はい。ありがとうございます」
シスターさんはうるうるとした目でバーンズさんを見て、少し名残惜しそうに彼からその背を離した。
さすがのイケおじ。こんなに年の離れたシスターさんでさえときめかせてしまうとは。まあでもこのぴしっとした立ち姿といい、かっこいいもんね。仕方ないね。
しかしバーンズさん、手が使えないのか。筋力とかが弱いんだろうか。確かにいつも後ろで手を組んでるけど、ちょくちょく使ってたようにも思えるんだが……。
「へっ、患ってる、ねえ……」
若干訝しみつつバーンズさんを見ていたら、そのやり取りを横目で眺めていたベアードが少し機嫌悪そうにそう漏らした。
すると、バーンズさんが珍しく明らかに眉をひそめ、ベアードに向かった。
「女性にあのような気を向けるとは、感心いたしませんな」
バーンズさんはあくまでも紳士然とした態度を崩すことはなかったが、その言葉の中には、いくらかの怒気がはっきりと含まれていた。
おお、かっこいい。拳聖相手でも全然ひるまない。
ただそれでも、ベアードの不敵な態度は変わらない。
「んな訳ねえだろ。今のはあんたに向けてだよ、上官殿」
ベアードはそこでようやくその重量感のある体をのそりと動かし、バーンズさんの方を見た。
上官というのはどういうことだろうか。実はバーンズさんも王国の中枢の人間、ってことなのか?
ついつい好奇の目を向けてしまうと、バーンズさんはちらとこちらを見やってから、少し肩を落とした。
「……昔の話です」
先程の力強い言葉とうって変わり、その声音は弱々しい。
そこで彼の勢いが少し削がれた形となってしまい、そこにベアードが畳み掛ける。
「もうあれから10年も経ってんだ。ちったぁマシになったかと思ったら、あんたもレオナルドのやつも相変わらずだな」
「…………」
「いつまで引きずってやがんだよ。あんたらがその気になりゃ、戒言なんて屁でもねえだろ」
「それは……」
「来客時に使用人を外に出すってのも、まあいい度胸してるぜ。あんただけならともかく、ネイトのやつもいやしねえ。茶を出してくれたのは、どこの誰とも知れないばあさんだ。全く、俺もなめられたもんだぜ」
そこまで言うと、ベアードはひとまずその矛を下ろした。
話の流れが微妙につかめないが、どうやら今日のマグナース家への来客というのは、ベアードであったということらしい。
しかしおかしいな。マグナース家にはバーンズさんとネイトさんしか使用人はいないはずなんだが。もしかしてネイトさんって人が二人いるのか?
戒言というのもちょっと気になる。まさかマグナース家の面々が皆吟遊詩人の毒牙にかかっちゃってるなんてことはないだろうし、まだ俺の知らない何かがあるのかもしれない。
また今度調べてみようかなと、そんなことを考えていると、ベアードが少し声色を和らげ、シスターさんに声を掛ける。
「ごたごたに巻き込んじまって悪かったな嬢ちゃん。ガキ共はちゃんと後で責任持って帰すからよ」
すると彼女は、不穏な空気を感じたのだろう。コクコクと頷き、俺達をおずおずと見比べてから、教会の方へと戻っていった。
唯一の女性という緩衝材がなくなったせいか、それから少しの間、重苦しい無言の時間が続いた。
あまりの重苦しさに俺も退散しようかと思い始めた頃、どちらかがふっ、と息を吐く。バーンズさんだった。
「それでは、私はこれで。タツキ様、入り口に竜車をまわしておきましたので、ご用意ができましたらそちらの方に」
「あ、はい。わかりました」
正直このまま帰るのはわだかまりが残って気持ちが悪いなあと思ったが、彼がそう言うなら仕方がない。
そうして踵を返そうとする俺達だったが、しかしそこに低い声で制止が入る。
「待てよ」
恐る恐るそちらに目を向ければ、そこにはベアードの厳しい顔。どうやらまだ何か言いたいことがあるらしい。
しかしバーンズさんは、そんな彼の顔を見てもやっぱり引かなかった。
「私はマグナース家の執事です。レオナルド様のご意思が変わっていないのであれば、私もそれに従うまで。これ以上私からお話することはありません」
最初は半身で答えた彼だったが、最後はきちんとベアードの方に向き、「失礼いたします」と深く頭を下げる。
あまりにもきっぱりとした口調だったためか、ベアードはそれに反論できず、ただ黙ってバーンズさんの背を見送った。
「ちっ」
しかし俺はと言えば、なぜかその場に留まってベアードの舌打ちを聞いていた。
正直今の状態の彼の相手はしたくはないのだが、どうにも今の会話が気になって仕方がない。何となく、彼らのゴタゴタについて知っておいた方がいいような気がした。
「……よう」
と、そんなことを思っていたら、ちょうど向こうから話し掛けられた。
「お前、あれだよな。王都のギルドにいた」
「あ、そうです。ずっと蚊帳の外だったんで不安だったんですけど、覚えてたんですね」
「まあな。そういや名前を聞いてなかったな。なんつうんだ?」
「タツキです。タツキ・オリベ」
「ほおん。タツキ、ね。で、何でお前がバーンズの野郎と知り合いなんだ?」
やっぱりそこか。それならちょうどいい。自然にいろいろ話が聞けそうだ。
「えっと……。まあ、やっと見つけた仕事がマグナース家での仕事だったんで、その関係で、ですかね」
そう答えると、ベアードはあからさまに顔をしかめる。
「おいおいマジかよ。一番つまんねえとこ行ったなお前……」
やはりマグナース家のことをよく思っていないようで、ベアードは吐き捨てるようにそう言った。
こうまで言われると、俄然興味が湧く。めちゃめちゃな娘溺愛ぶり以外には、皆特に問題はなさそうに見えるんだがね。
「……何かあったんですか? あの人達と」
流れ的にここしかないと思い、俺は率直にそう聞いた。
すると、ベアードは頭をぼりぼりとかき、俺から視線を外す。
夕焼けの中、未だ広場を走り回る子供達に目を向けると、彼は言った。
「あのガキ達によ、たまに戦い方を教えてやってんだ」
「え? あ、はい」
突如として話が飛んだ気がして、つい気の抜けた返事をしてしまう。
はぐらかされたのかと思ったが、何か意図があるかもしれないので一応黙っておく。
「最初はそんなことするつもりなかったんだけどよ。あいつらが言うんだよ。今は教会にお世話になってるけど、大きくなったら自分達の飯は自分達で稼げるようになりたい、ってな」
「ははあ。まあ、いいことですよねそれは」
そう相槌を打つと、ベアードは少し嬉しそうに頷いた。
「だろう。あいつらもわかってんだよな。今の状況が普通じゃねえって。自分達はただ与えられている子供なんだってことがよ。まだまだ全然ガキのくせによ、立派なもんだぜ、マジで」
嬉々として子供達を褒める彼だったが、そこで突然、ミシッ、と嫌な音がなる。
「なのによ、あいつらは逃げてんだ」
音は、彼が強く拳を握りしめる音だった。
急に声のトーンが下がり、同時に周りの空気が数度下がったような錯覚を受ける。首の辺りがチリチリと焼けるようだ。
「に、逃げてる?」
下からうかがうようにそう聞くと、彼はため息まじりに言った。
「人にはよ、最低限やらなきゃいけねえことってもんがあるだろ。あいつらはその最低限から逃げてんだ。力を持ってる人間は、どうしたってやらなきゃいけねえことがあるだろうによ」
そうだろ? と急に振られ、はあ、と曖昧な返事をしてしまう。
それでも彼は俺のその返答に満足したのか、ふんと鼻を鳴らして膝に手をつき、立ち上がった。
「ま、お前に言ってもしょうがねえやな。とりあえず、ガキに負けねえようにお前もきっちり働けよ。とりあえずあの家は出た方がいいな。長居したら腐っちまうぜ」
「あ、あのー」
「あ、なんかすげえつええやつ見つけた、とか面白そうなことがあったら呼べよ。その辺にある兵士詰め所に頼めば大体俺に繋がるからよ」
と、好き勝手にそう言うと、彼はんじゃな、とさっさと俺から背を向ける。そのまま俺が声を掛ける間もなく、彼は子供達の方へと行ってしまった。
(……おーい)
見た目通りの豪放ぶりに、俺は言葉を失った。
結局全然何も聞けなかった。わかったことはただ一つ、お嬢様だけ問題があるのかと思いきや、実は大人組の方も何か問題を抱えているらしいということだけだ。
(貴族なんかはいろいろしがらみもあるだろうし、もしかしたらものすごい大変な所に飛び込んじゃったのかもしれんなあ……)
今更ながらにそう思うが、もう方向転換する時間は俺には残っていない。このままあの家と心中するつもりで行くしかないのだ。
はあ。問題がどんどん積まれてく感じだな。参ったね全く。なんかすごい疲れたし、今日はもう帰って寝よ……。
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