第15話「デブ氏、固まる」

「うーん。この辺にいるはずなんだけどなあ……」


 ネイトさんに言われた果物のなる木の辺りを一通り探してみたが、件の人物の姿はない。

 警備だからどこか見回りに行っているのだろうか。さすがにこのバカでかい敷地を全部しらみ潰しに探すのはなかなかきつい。ただでさえ屋敷の罠で疲労してるし、日を改めた方がいいだろうか……。

 

 と、腰をトントン叩きつつ天を仰ごうとしたその時だった。


「ん?」


 その目線の端に、俺は何かをとらえた。

 目を凝らして見てみると、少し先にある木の上に人がいた。どうやって登ったのか、結構な高さの枝の上だ。


(……メイド服?)


 腕を枕に足を組み、幹に寄りかかっているその姿は、貴族の家の使用人には見えなかった。どちらかと言うと、ギルドにいたような自由な空気を持った冒険者達のそれに近い。


 メイド服ということはさすがに警備の人じゃないだろうし、さぼりのメイドなのだろうか。

 でもさっきネイトさんは自分達以外には使用人はいないと言っていた。となると、やはりこの人物が件の警備の人になるのだが……。


 まあ聞いてみればわかるか、と俺は早速木の上に向かって声を掛けてみた。


「あの~すみません」


「んぁ?」


「もしかしてこの屋敷の警備の人ですか? ちょっと話があるんですけど、下りてきてもらえませんか?」


 すると木の上の人物は、気だるそうに伸びをしつつあくびを漏らした。どうやら眠っていたようだ。


「ん、ふぁ~? 何だってえ?」


 がしがしと頭をかきつつ幹から背を離すその人物だったが、まだ目が覚めきっていないのか、むにゃむにゃと眠そうに頭を揺らす。

 その仕草は完全に寝起きの男そのものだ。しかしメイド服の上からでもわかるその大きな胸からして、明らかに女性である。

 て言うかぶっちゃけそれどころじゃない。やばい。SUGOIDEKAI。


 と、その膨らみに心奪われていた俺だったが、次の瞬間彼女が大きく体制を崩し、我に返った。

 

「──ちょ!?」


 急に起き上がって立ちくらみでも起こしたのか、彼女はそのまま頭から下に向かって落ちてしまう。

 まずい。このままいったらマジで死ぬ。そう思った時には、俺の体はすでに動いていた。

 

 俺の脂肪腹で受け止めればどうにかなるかもしれない。そう思い、俺は猛然とダッシュしてその落下地点へとスライディングをかました。しかし、


「ぐぶっふぉ!?」


 何と彼女は落下前にくるりと一回転し、見事に着地したのである。……俺の腹に。


「また、このパターン……」


「……あ? お前何してんだ?」


 彼女はその見事なお胸の上から、助けに入ったはずの俺にあんまりなお言葉を投げかける。ひどい。あんまりだ。


「や、落ちたら、ぐふっ! まずいと、うふ! 思った、んでえ!?」


 しかも何を思ったか、彼女は俺の上でどすどすとストンピングをかます。

 いや何してんのこの人。俺を屠殺する気? 妹と同レベルのドSかな?


「へ~、結構丈夫じゃねえか。おもしれえ、お前ただのデブじゃねえな?」


「いやあの、おごっふ!? ちょ待っ!?」


 と、彼女がまた俺を踏もうと思い切りジャンプしたので、たまらず俺はゴロゴロと横に転がって難を逃れる。

 何だこの人やべえ……。さやちゃんでもここまではしなかったぞ。やべえ人しかいねえのかこの屋敷……。


 これ以上踏まれたらひとたまりもないので素早く立ち上がると、彼女はその長い髪をふぁさと後ろに払いつつ、つまらなそうな顔をこちらに向けた。


「……ちっ。んだよつまんねえ。もうちょっと遊ばせろよ」


 鬼だ。鬼がおる。こんなの絶対メイドじゃない。メイドの姿をした鬼だ。


 元は黒を基調としたクラシカルなメイド服だったはずなのだが、自分で裂いたのか、横に大きくスリットが入ってしまっている。そこから日焼けした健康的な大腿が見え隠れするのはかなり眼福なのだが、貴族の家のメイドと言うには、やはり少し破天荒が過ぎる姿と言わざるを得ない。


(似合わない、ってことはないんだけど、いかんせん立ち振る舞いが完全に男なんだよなあ……)


 しかしその目鼻立ちは整っていて、かなりの美人である。その勝ち気そうな眉と強い光を帯びた大きな瞳はハリウッド映画に出てくる女優と見紛う程だし、身長も俺より少し低いくらいでスタイルもいい。仮に彼女が普通の格好をしてそこらに立っていたら、たぶん男は放っておかないだろう。それくらいには、はっきりとした美女だ。


(年は俺よりちょっと下……20歳くらいか。ふさふさ耳ってことは、この子も亜人だな)


 そして特筆すべきはその髪だろう。もっさりとした髪質の金色の毛が腰の辺りまでたっぷりと伸びていて、まるでライオンのたてがみのようだった。

 その立派な髪を右手で撫でつけつつ、彼女は機嫌が悪そうに俺をにらんだ。


「何見てんだよ」


「ひえ!? す、すいません!」


 そのひとにらみの持つ迫力がすごい。まさに獅子のごとき威圧感だ。

  

「つーか誰だお前。この家の人間じゃねえよな」


「あ、は、はい! つい先日お嬢様の仮の導師に就任したタツキと申します! 以後お見知りおきを!」


「ああ~? 導師だあ~?」


 そう言って片眉を上げると、彼女は腰に手を当てながら俺の顔を覗き込む。


「もしかして最近屋敷の方がうるせえのは、お前が来たからか」


 彼女はさらに俺に顔を寄せ、額がぶつかる距離にまで詰め寄る。

 もはやキスするのかってレベルの近さだが、ほとんどチンピラのガン飛ばしみたいな感じなので全くそういう気にはならない。 


 冷や汗を垂らしながらそれに耐えていると、彼女は一言。


「ふ~ん……なるほどな」

 

 と、意味深な納得の言葉をこぼし、一歩後ろへと下がった。

  

「で、その導師さんがオレに何の用だ? くだらねえ用事だったらぶつ切りにすんぞ」


 言いつつ、彼女は左右の腰に佩いている短刀のようなものに手を置いた。

 するとその瞬間、空気が一変した。


「……っ!?」


 ただそれだけのはずだった。しかし彼女がそうした瞬間に心臓が跳ね上がるようなプレッシャーを感じ、俺は息を飲んでしまった。


 彼女がそれを振るう姿を見た訳でもないのに、その使い込まれた革の鞘から抜き放たれた銀の光が、俺の首を一瞬で裂く。そんなイメージが湧いてしまい、俺は冷や汗を通り越して脂汗を腹と背中に流しながら、その場に膝をついてしまった。


「がっ……はっ……」


 思わず自分の首を押さえるが、もちろんどうにもなっていない。ただ俺が勝手にそんなイメージを持ってしまっただけだ。

 と、そう思ったが、こちらを興味深そうに見下ろす彼女の顔を見ると、実はそうではないようで……。


「へえ、なかなかいい感覚してんな。まあでも、この程度の威圧でそんな体たらくじゃあ、大して強くはなさそうだなあ……」


 こいつまさか、わざとやりやがったのかこれ。

 ゴミ商人のおっさんもネイトさんも、俺の黒髪を見て貴族だと勘違いしたんだぞ? 

 なのに初対面の人間にいきなりこんなガチの殺気を向けるとは、向こう見ずにも程がある。


 相手が誰であろうとお構いなし。やはりネイトさんの言った通り、かなり性格に難がある人物のようだ。


「ぐっ……」


 しかしどんな難人物が相手だろうと、俺は引くつもりはない。できることがあるなら体を張ってでもやる。そう決めたのだ。

 この少しの時間で信じられないくらい疲労した体を何とか奮い立たせ、俺は立ち上がった。

 すると彼女は少し驚いたように両眉をひょいと上げ、ひゅう、と一つ口笛を吹く。


「結構根性あるじゃねえか。おもしれえ。その根性に免じて、話だけは聞いてやるよ」


「んぐぐ……そいつは、どうも」


 いいようにやられたままでは男が廃る。俺はまだ笑う膝をぴしりと打ち、ぐっと胸を張る。

 そのまま一度大きく深呼吸してから、俺は彼女に言った。


「あなたが今この家の警備を任せられてるっていう人ですよね? お嬢様を外に連れ出したいんでその護衛をお願いしたいんですけど、頼めますかね」


 すると彼女は「ああん?」とまた機嫌悪そうに目を細めた。


「何を言い出すかと思えば、そんなことかよ。まあくそつまんねえ警備の仕事よりかはなんぼかマシかもしれないけどよ……。無理だぜ、そいつは」


「どうしてです?」


 ある程度想定していた答えだったので、よどみなくそう返す。

 すると、彼女はめんどくさそうにまた頭をがしがしかきつつ言った。


「いや、普通にあいつがオレのことを嫌いだからだよ。オレが行くってなったら、たぶんあいつ来ないぜ?」


「ええ? あなたも嫌われてるんですか? 外部の人って聞いてたんでそこは大丈夫だと思ってたんですけど」


「まあ最初は普通だったけどな。でもオレがあの屋敷の罠を片っ端から壊して回ったら、もう入ってくんなって庭の警備に回されちまったんだよ。結構面白かったんだけどなああれ」 


 と、彼女はつまらなそうにため息を吐いた。

 言われて見てみれば、確かに彼女の手にも俺と同じ指輪がはめられていた。どうやら彼女もあの屋敷の罠の被害者のようだ。

 しかしあの罠を返り討ちにできるってのは結構すごいな。さすがはネイトさんに優秀と言わせる程のことはある。


 それからつらつらとあの罠の楽しさ等を述べた後、彼女は最後に言った。


「っつーことで、無理だ。まあお前があいつを説得できるってんなら、別にやってやってもいいぜ。マジでヒマだしな」


「ふむう、そうですか」


 元々お嬢様が外に出たくなるような何かしらの理由を提示しなくてはいけなかったのだが、さらにここに来て護衛の人との不仲もどうにかしないといけなくなった。なんてこったい。


(まあ元々できればいいな、ぐらいの行きあたりばったりプランだし、ここで少しぐらいハードルが上がったところで大して差はない、か)


 一つ頷き、俺は彼女に言った。


「わかりました。じゃあとりあえずお嬢様の方に確認を取ってみますね。それから改めてお願いします」


「おー。まあそもそもお前じゃあの罠をかいくぐってあいつに会うのも一苦労だろうし、期待しねえで待っとくわ」


「その辺は何とかしてみますよ。それじゃ、失礼します」


 覇○色の覇○みたいなものをいきなり浴びせられた時にはどうなることかと思ったが、これで彼女との謁見は何とか無事に終わった。


 なかなか難のある人物ではある。しかし話してみると意外と素直な感じで、話が通じないことはなかったので助かった。これならお嬢様を何とか説得すれば、割と問題なく護衛任務をこなしてくれそうだ。


 とは言え彼女が言った通り、そのお嬢様を説得するのは至難の業だ。まずはどうやってお嬢様と謁見するかだが……

 再び屋敷の前まで戻って来た俺は、先日用意したあるものを取り出すために、屋敷に併設されている倉庫へと足を向けた。


「……ふふん。俺だってこの数日ただやられっぱなしだった訳じゃあないんだぜ」


 倉庫と言っても入り口は開かれているので、誰でも入ることができる。その分大したものは置いていなかったが、その中に俺は使えそうなものをすでに発見していた。


「これがあれば会うくらいならできるだろ」


 庭木の剪定にでも使うのか、倉庫には数メートル程の高さのはしごがあった。これを使って2階へと上がり、窓から侵入する。外壁には足場になるでっぱりもあったし、デブの俺でも問題なく上れるだろう。


 屋敷の中を通っていけば必ずあの罠が発動する。それなら、屋敷の外から彼女に会いに行けばいいという訳だ。

 指輪を着けさせた後にわざわざ俺を部屋から出したのは、おそらく彼女の部屋には罠がないからだろう。ということは十中八九、一度そこに入ってしまいさえすれば安全だということだ。


 早速俺ははしごを壁に設置し、おぼつかないながらも何とか2階へと上がった。


「へっへ……さすがにこれは想定外だろう」


 まあ会えたとしても話を聞いてくれる可能性はめちゃ低いんですけどね。パンツ事件がやっぱり痛かった。

 あれからめっちゃ大声でフージンのせいだって部屋の前辺りで連呼したけど、全部無視されたからね。やはり昨日今日来たばかりの俺の言うことは信じてもらえない、ということだろう。


 と、そうしてげんなりしつつも外壁を伝っていくと、ようやくお嬢様の部屋の前に到着する。

 先日魔法で壊された窓にはすでに材木が打ちつけてあったが、あくまで応急処置なので、少し押せば中に入れるはずだ。


(よおし、早速入って脅かしてやるか……)


 と、窓に手を掛けた俺だったが、そこで俺の手は止まった。

 中で話し声がする。どうやらフージンとお嬢様が何か話しているらしい。


(ふむ。ちょうどいい。何か攻略の糸口が見つかるかもしれんし、盗み聞きしてやるか)


 俺は窓の隙間に向かって、耳を澄ました。すると、 


「──やっぱりあのテブは少しおかしいぞお嬢。ここまでやって辞めないのは、何か明確な企みがあると思って間違いない」


 フージンの声が聞こえた。どうやら俺のことを話しているらしい。

 こりゃ好都合だ、とさらに耳を澄ますが、一呼吸置いて聞こえてきた声は、またもフージンの声だった。


「そういうことだ。お嬢の秘密も知られてしまったし、このままやつを放っておくのは危険だ。よく考えた方がいい」


 お嬢様の方の声は聞こえない。どうやら彼女はフージンと二人の時でも筆談をしているらしい。普段からボロが出ないように、自室でも徹底しているということだろうか。


「うむ……うむ。そうか。分かってくれて嬉しいよ。ではその方向で」


 俺を追い出す算段でもしているのだろうか。まあそれくらいは覚悟していたが、実際に聞いてみるとなかなかショックだ。

 と、そんな感想を抱いた俺だったが、そこで彼らが話していたのは、そんな生ぬるいレベルの話ではなかった。


 続けてフージンが、重々しくも確かな決意を帯びた声音で、耳を疑うような言葉を口にした。

 

「──追い出すだけでは後顧の憂いを残すこととなる。ここはきっちりと処分。殺しておくこととしよう」


 

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