第14話「デブ氏、方向性を得る」


 あの日お嬢様に誤解されてしまってから、俺は地獄の中にいた。


「ぐあああああああああ!!」


 俺がお嬢様と接触したことにより復活した屋敷の中の罠に翻弄され、俺は屋敷の中を永遠に走り回されていた。


(くう……糸口は掴んだのに全く先に進めん……!)


 もうあれから2日も経つのに、何も進展していない。こうまで徹底的だと近づくことすらできない。正直参った。

 一応雇用はとりあえず無期限の住み込みということにはなったが、こんなことでは俺のタイムリミットが来てしまう。早々に対話する場面を作らないとまずい。


「ふんぐおおおおおおお!」


 と、考えている間にも容赦ない攻めは続く。追い詰められた俺は、たまらず台所へゴロゴロと転がり込んだ。


「はあ……はあ……。ちくしょう。休憩所がなかったら、俺とっくに死んでるなあこれ……」

 

 最悪からくり屋敷のマグナース家だが、一応この家にもオアシスが二つある。

 一つはレオナルド氏からあてがわれた俺の部屋。普通の部屋は罠が満載のため、わざわざ罠のない物置だったところを掃除して家具を置いてもらった、俺だけの城だ。

 六畳程しかないのでちょっと狭いが、罠がないのでちゃんと休める、大変ありがたい場所である。


 そして二つ目はここ、台所だ。食べ物が無駄になるかもしれないし、刃物がある場所だから危ない。そう言って料理番の人がここだけは罠を設置しないように仕向けたらしい。おかげで俺はここと部屋を拠点とし、何とか休みながらお嬢様に向かうことができるという訳だ。


 と、そうして休んでいると、ちょうどその台所の主から声が掛かった。


「あら。また来たのかい」


 台所の全てを任せられている褐色肌の女性、ネイトさん。顔の皺やまとめ上げた水気のない白髪からするともうかなりの年のはずなのだが、バーンズさんと同じく背筋がピンと真っ直ぐに伸びているので、かなり若々しく見えるエネルギッシュなおばあちゃんだ。


「いやあすいませんネイトさん。またちょっと休ませてもらいます……」


「好きにしな。あの子の相手をする大変さはわかってるつもりさ」

 

 そう言うと、彼女の横に長く伸びた耳がぴくりと揺れた。

 まぶたはやや落ち窪んではいるが、知的な光が宿る琥珀色の瞳は往年の輝きを彷彿とさせる。

 その目力と凛とした立ち姿はまさに貴族の家の使用人にふさわしいものなのだが……。


「あの、ネイトさん……」


 コレだけが、どうにも……。


「なんだい」


「ケツを揉まないでください。ゾクゾクするんで」


「いいじゃないか少しくらい。場所代だと思って諦めな」 


 そう言いつつ、彼女は俺の首に腕を絡める。

 先日ここで彼女に初めて会い、そこでちょっと仕事を手伝ってからどうにも気に入られてしまったようだ。

 何でも俺は体から出ているマナが常人より多いらしく、マナの影響を受けやすい体質の彼女は、俺の近くにいると体の調子がよくなるらしいのだ。


 ただそばにいるくらいなら全く問題はないのだが、さすがにここまで寄られてしまうと、正直なところちょっとどうしていいかわからない。年配の人にこんなにベタベタ触られるのは初めての経験だ。


 そんなふうに俺があしらい方を迷っていると見るや、彼女はそれからずっとこんな調子だ。俺にセクハラをしつつ、話を振ってくる。


「しかし本当にすごいマナだねあんた。もしかしてその黒髪は本物なのかい?」


「え? はい。別に何もしてないですけど」


 答えると、彼女は何やら楽しそうに俺の背中をバンバン叩く。


「いやいや、もちろん冗談さ。そんな黒の賢者みたいなやつがその辺にいる訳ないさね。どうせあんたもどっかの貴族の次男坊か何かなんだろ?」


「え、ええ、まあ……」


 いろいろ疑問が湧いたが、俺はとりあえず肯定しておいた。


 黒の賢者って何だ。あとクソ商人のおっさんにも言われたけど、何で黒髪だと貴族になるんだろうか。

 この辺りは俺が黒髪ということもあってよくツッコまれることになりそうだ。早々に調べておいた方がいいかもしれない。


 頭を撫でつつ愛想笑いでごまかしていると、彼女はひとしきりセクハラして満足したのか、そこでようやく俺から離れてくれた。


「まあ何にしても、そのマナはほんとに大したもんだよ。10年くらい前だったら間違いなくあんたに求婚してるところだ。は~……残念だよ全く」


 いや10年じゃ全然足らんやろと口からでかかったが、何とかこらえる。

 彼女はこの家の数少ない味方と言っていい人だ。機嫌を損ねる訳にはいかない。


「しかしあんたも大変だね。そのぶんじゃ1ヶ月もしたらジジイになるくらいに老け込んでるんじゃないか」


「まあ、否定はできないですね……」


 エクレアのおかげでやる気は出たが、それでも俺の体力には限界がある。このままずっと屋敷の中で過ごしていれば、どうしたって徐々に体力を奪われていくのは避けられない。


「せめて外に連れ出したりできればなあ……」


 と、何とはなしにそうこぼした俺に、彼女はさらりと言った。


「連れ出せばいいじゃないか」


 え? と思わず呆けた顔を向けてしまうと、彼女は続けた。


「別に外に連れ出しちゃあ駄目なんて決まりはないよ。好きにすればいいさ」


「ええ? でもあの子、喋れなくなってからほぼずっと家に引きこもってるって聞いたんですけど、大丈夫ですかね」


「押せば何とかなると思うけどねえ。元々好奇心が強い子だし、うまく説得すれば連れ出せると思うよ。まあレオナルドのやつは一度説得に失敗して、それからずっとあの子の外出に対して及び腰になっちまってるけどね」


 困ったもんだよ、と彼女はふんと鼻を鳴らす。


「実の親でも説得に失敗してるんじゃあ、なかなかきつそうですね」


「まあ、一筋縄ではいかないだろうさ。でもあんたは、そんなことは百も承知でここにいるんだろう?」


 少し嬉しそうにそう言って笑うネイトさん。

 その笑顔に釣られ、俺も口元に笑みをこぼしてしまいつつ、彼女に答えた。


「なるほど。そうですね。そうでした」


 どうせパンツ事件で好感度最低まで落ちてるし、今更恐れるものは何もない。やれることがあるなら、ただ、やるだけだ。


「レオナルドさんは許してくれますかね」


 言うと、ネイトさんはまた朗らかに笑んだ。


「大丈夫だと思うよ。まあ一つ問題があるけどね」


「え、何です?」


「外に出るんなら、さすがにあの子をあんただけに任せる訳にはいかない。護衛を付けてもらうことになる。でもちょっと、その護衛がね……」


 はあ、とため息を吐くネイトさん。

 何だろう。護衛の人に何かあるんだろうか。


「今この屋敷にいる正式な使用人は、あたしとバーンズの二人だ。だが今は一人だけ、外部の人間を警備として雇ってる。そいつがちょっと困ったやつでねえ」


「困ったやつ?」


「ああ。まあ、この屋敷の警備は今あいつ一人に任せてるから、なかなか優秀ではあるんだ。ただちょっと御し難いと言うか、我が強いから、操縦に苦労するかもしれないね。そもそも人の下で働くことに向いてない人種だねあれは」


 そう言うと、ネイトさんは疲れたようにまた嘆息する。

 この人がこんな表情を見せるのは初めてだ。屋敷の主を呼び捨てにするような人だから結構な胆力のある人だと思うのだが、そんな人でもその人物には手を焼いているようだ。


 ううむと腕を組みつつ唸ってしまった俺に、彼女は言った。


「とにかく会ってみたらどうだい。意外に気が合うってこともあるかもしれないからね」


「まあ、ネイトさんがそう言うなら……。でも僕はまだその人を一度も見かけたことがないんですが、どこにいるんです?」


 そう返すと、彼女は満足そうに頷き、外の方を向く。


「ちょうど飯時だ。あいつはあたし達と一緒に食事は取らないから、この時間なら門周辺の果物のなる木の辺りにでもいるんじゃないか。行ってみるといいよ」


「なるほど。ちょっと行ってみます!」


 俺はネイトさんにお礼を言い、早速外へと向かった。

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