第6話「デブ氏、拳聖と出会う」
「あの……大丈夫ですか?」
orz状態の俺に、受付のお姉さんが心配そうに声を掛けてくれた。
俺はそれでもしばらく動けなかったが、何とか返事だけは返す。
「大丈夫じゃないです……」
俺の異世界生活、早くも終わった……。
金がないのは最悪だ。これじゃ30日なんて待たずに死んでしまう。
「だ、大丈夫ですよ! これから毎日お仕事すればすぐにお金なんて貯まります! 頑張りましょう! 私もお手伝いしますから!」
よほど俺が狼狽しているように見えるのか、お姉さんはさっきまでのお仕事モードから一転、柔らかい笑顔でふん、と俺に向けてその豊かな胸を張った。
「おねいさん……」
そのおっぱいに……いや、笑顔に誘われるように、俺はゆっくりと立ち上がった。
そうだよな。俺には時間がないのだ。こんなとこでうじうじしてても始まらん。
そうしてまだ少し力の入らない足を奮い立たせ、再びお姉さんのいるカウンターの前に立つ俺だったが、ここでお姉さんが何かを思い出したかのように「あ」とこぼす。
「何です?」
聞くと、お姉さんは気まずそうに目をそらしつつ言った。
「すみません。そう言えば今はちょっと……一気にお金を稼ぐとかはできないかもです」
いまいち要領を得ない答えに何事かと先を促す。すると彼女から驚愕の答えが返ってきて、思わず俺は辺りはばかることなく叫んでしまった。
「え!? 仕事がない!?」
するとお姉さんは、申し訳なさそうにしゅんと肩を落としながら頷いた。
「はい。実は今は少し特殊な状況なんです。現在王都周辺に生息する魔物が少なくなった関係で、初級冒険者の方々に紹介できる仕事が減っている状況でして。薬草の採取依頼などもすぐに埋まってしまいますので……」
何でもお姉さんによると、今はこの国の女王様が魔法障壁なるものを国全体に張ることによって、瘴気と呼ばれる魔物の素みたいなものを街に寄せつけないようにしているために魔物が生まれにくくなっている状態である、とのことだった。
その関係で怪我を負う人なども減っているため、結果薬草などの需要も下がり、その採取依頼なども激減している、という次第らしい。
「そ、そんな……」
おいおいマジかよ! 薬草採取の類まで封じられたらもう俺にできることなんか何もないやん!
「おおおおおおねいさん! それマズイすよ! 俺死んじゃいます!」
「そ、そんなこと言われても私には何もできま……! きゃあああ!」
と、絶望が過ぎてついお姉さんの肩をがくがく揺らしてしまった、その時だった。
「おお? 何かにぎやかだなあおい。意外に流行ってんのかあ?」
入り口の西部劇扉を揺らし、一人の男がギルドに入って来た。
その男を見ると、ギルドのお姉さんは一瞬呆気にとられたようにぽかんと口を開けた後、大きく声を上げた。
「ベアード様!?」
お姉さんのその声に、ギルド中の人間が一斉にその男に視線を送った。
「うお!?」
「嘘だろ!? 本物!?」
エルフっぽい人からドワーフっぽい人、老いも若きも皆目をむいている。
慣れているのか、彼はその好奇の視線を全く意に介さずにただ悠然とこちらに向かって歩いて来る。
(でけえ!)
全身茶色の毛むくじゃらなので彼も亜人なのだろうが、その体躯がその辺にいる人間とは段違いだ。2メートル弱はあろうかという大巨漢である。
簡単な外套に上下布素材の軽装と、格好は俺とほとんど変わらない。しかし一つ、俺にはないものを纏っていた。
(なんつう体だ……でたらめすぐる)
筋肉の鎧である。服の上からでも分かる膨れ上がった胸筋、丸太のような腕、そのまま地面に深く根を張れそうな程に太い足……。まるで仁王像がそのまま歩き出したかのようだ。
「ど、どうしたんですか今日は。何かギルドに御用ですか?」
お姉さんが慌てた調子でそう問うと、男はがしがしと後頭部をかきつつそれに答えた。
「ん、まあ用って程のもんじゃなくてな。ソフィーのやつに、暇ならギルドにでも行ってみろって言われてなあ。そういやあんま顔出したことねえなあと思って、来てみた訳よ」
「そ、そうでしたか。本当にいきなりだったので、ちょっとビックリしちゃいました」
「あ~。そういやそもそも王都に帰ってくるのも結構久しぶりだったわ。驚かせちまってすまねえな」
男がそう頭を撫でながら謝ると、お姉さんは慌てて首を振る。
「いえ、そんな! まさかこうして対面できる日が来るとは思っておりませんでした。お会いできて光栄です」
お姉さんのその言葉に、ベアードと呼ばれた男は満足そうに頷く。
「ところで何か揉めてたみたいだが、どうかしたのか?」
「ああ、いえ。この方が少しお困りのようでして。先程冒険者登録をしたばかりなのですが、すぐに仕事がないとまずいみたいで」
「ふ~ん……?」
男は顎に手を当てつつ、俺を上か下まで値踏みするように見た。全てのパーツが大きいせいか、そうされるだけで圧迫感がすごい。
ω型の口からすると犬猫の類の亜人のようにも見えるが、その丸い耳と巨躯からすると、熊か何かの亜人のようにも見える。
彼はそうしてひとしきり俺を舐め回すように見ると、ゆっくりとその口を開いた。
「もしかしてお前か? あいつが言ってたのは」
「え?」
疑問符を返したが、彼はそれには答えなかった。その大きな手で自身の口元を覆い、何かを考え込むようにしながら俺を見た。
「ふむ。俺にはそんなすげえやつには見えねえんだがな……」
まあものは試しか、と何やら彼はニヤリとその口を歪めた。
「お前、仕事がなくて困ってるんだったよな。どうだ? 俺の“昇格試験”受けてみねえか?」
「昇格試験?」
そのまま返すと、彼はおうよ、となぜか嬉しそうに笑う。
「今は魔法障壁のせいで冒険者になったばっかのやつには仕事がねえ。それなら仕事がある階級にまで一気に上がっちまえばいい。そう思わねえか?」
「は、はあ」
ずしりと重みのある両手を肩に載せられ、引き気味で生返事をするしかない俺氏。
何だかよく分からないが、その昇格試験に受かれば俺にもまともな仕事があるということなのだろうか。
「あ~でも普段は実績だけ見てギルドが昇格させるかどうか判断してるんだったか? 勝手に俺が試験とか、やっぱまずいか」
「い、いえ! ベアード様が直々に判断されるのでしたら、おそらく問題ないと思います!」
「あ、あのー……て言うかこの人誰なんです? どこかの偉い人とかですか?」
ギルドのお姉さんがやたらとかしこまってるところを見ると、ギルドの上層部の人とかなのだろうか。
そう思って割って入ってみたのだが、それを聞いたお姉さんが、今日一番思いっきり目を見開いた。
「し、知らないんですか!? この方を!」
「え、ええ。まあ……」
しまった。有名っぽい人なんだから、こんなまっすぐに聞いたら怪しまれるに決まってるわな。やっちまった。
しかしもはや後の祭。彼女は異形の不定形生物でも見るような視線を俺に向けると、まくし立てるように言った。
「このファルンレシア王国の最強の矛、拳聖ベアード・ベアーズ様ですよ!? 今現在イグニスに最も近いと言われているこの方を知らないなんて、どれだけ世間知らずなんですか!?」
拳聖? イグニス? そんなことを言われても、異世界から来た俺にはさっぱりそのすごさが分からない。
さっきまで応援してくれていたお姉さんが、いつの間にか俺ディスの流れである。
これは非常によろしくない。よろしくないが、まさか自分が異世界転移者であると明かす訳にもいかない。
どうやってごまかそうかと頭を捻っていると、ここで意外なところから援護射撃があった。
「まあそう責めてやるな。こいつは知らなくても仕方ねえんだ」
「えっ、お知り合いだったんですか?」
「ん、まあそんなところだ。ちっと田舎の方から出て来てるみたいだからな。この辺のことはよく知らねえのよ」
「そ、そうでしたか。それは、よく知らずに責めるようなことを言ってしまってすみませんでした」
「あ、いえ。全然お気になさらず」
そうお姉さんに返しつつも、俺の頭の中は混乱でいっぱいだった。
なぜ今会ったばかりの人間が俺のことをかばうのか。もしかしてまた何か俺を騙そうとしているんじゃないのか……?
と、すっかり疑心暗鬼になってしまっている俺だったが、そうではなかった。
彼はふいにこちらに身を寄せると、俺の耳元でこう言った。
「ソフィーが異世界から召喚したってやつは、お前だな?」
思わず俺は、思いっきり無遠慮に彼の顔を見返してしまった。
彼はそれを見るとふっ、と口元だけで笑って続ける。
「その顔は正解か? ま、もし見つけても手助けはするなって言われてっから、変な期待はすんなよ。あくまでも試験は公平にやるからな。そのつもりで来い」
そうか。彼がこの国の要人だということは、女王様と何らかの接点があっても全然不思議じゃない。
俺が転移者だということを知っている人がいるというのは単純に心強い。しかし肝心の手心は加えてくれないとなると、少し考えてしまう。
「いや、まだやるとは言ってないんですけど……」
一応そう言ってみたが、彼にすぐに正論を返されてしまう。
「ん~? まあやらねえって言うなら別にそれでもいいけどよ。お前仕事がないとまずいんだろ? 今初級冒険者にはろくな仕事ねえぞ。それでもいいのか?」
「う、それは……」
確かにここでこの申し出を断ると厳しい。人に何者かとして認めてもらうには、やはり仕事をするのが一番手っ取り早い。
でもなあ、簡単そうな試験だったらいいんだけど、この感じだと何か大変なことやらされそうなんだよなあ……。
「し、試験って一体何をするんですか?」
そう聞いた俺に対し、彼はにやあとそのω型の口を歪ませる。
上腕の筋肉をこちらに見せつけながら、嬉しそうに、本当に嬉しそうに、彼は答えた。
「俺と、タイマンだ」
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