第5話「デブ氏、早速やらかす」

「それではまず何からお話しましょうか」


「ええっと……。まずはすごい基本的なことで申し訳ないんですけど、このギルドでは飛び入りでいきなり仕事を受けられるんでしょうか。資格とかはいらないんです?」


 そう聞いてみると、おじさんは人懐っこい顔で笑った。


「名前を登録してギルド員になってしまえば、後は仕事を受けるだけですよ。資格などは依頼ごとに違う、という感じですね。ただ、実際に仕事を受けるのには魔鋼紙が必要になります」


「魔鋼紙、ですか?」


「ええ。こちらが初めてということは、おそらく今はお持ちではないと思いますが」


「あ、はい。持ってないですね」


 初めて聞く言葉だが、不思議なことに漢字としてすっと頭の中に入って来た。

 何だろう。字面からじゃどういうものなのかが全然分からない。普通の紙とは違うんだろうか。


 おじさんはカバンの中から何やら紙の束のようなものを取り出して言った。


「さすがにご存知かと思いますが、こちらがその魔鋼紙です。ここでは仕事を受けるのに毎回必要になります。どういうことかと言いますと……」


 そう言うと、おじさんは懐から羽ペンのようなものを取り出す。そして紙の束から一枚を取り、その紙にさらさらと何かを書きつける。


「あっ」


 ペン先から光が漏れ出し、その光が文字となる。


「こうしてムクロ鳥の羽ペンで魔鋼紙に署名した後、その上から別の魔鋼紙をかぶせて……」


「おお!」


「これこの通り。魔鋼紙は、書かれたマナ文字をそのままの形で別の魔鋼紙に複写することができるんです。ギルドは魔鋼紙のこの性質を利用して冒険者への報酬などを管理しています。つまり、これがないと始まらないわけですな」

 

 へえ~マナ文字って言うのかこれ。なるほど。これでコピーを取って割符みたいに使うって感じか。

 羽ペンによるマナ文字と、魔鋼紙。ちょっと面白い。もしかしたらこの世界では活版印刷とかじゃなくて、これで本を作っていたりするのかもしれない。


 と、異世界の文明に感心していると、そこでおじさんが何やら意味深に笑う。


「こちら、先程お持ちではないとおっしゃっていましたよね。どうでしょう。粗相をしたお詫びにこちらお安くしますが、いかがですか?」


 む、なるほど。そう来たか。

 流れるような商談の入り方に、心中で唸ってしまった。必要なものなら正直助かるし、ここで手に入れておくのもやぶさかではないが……。


 一つ、問題がある。

 俺はリュックからお金らしきものの入った巾着袋を取り出し、おじさんに言った。


「それは願ってもないお話ですけど、実はその……お恥ずかしい話なんですが、僕はお金を自分でまともに使ったことがないんです。一応お金は持ってるんですけど、その価値がどれくらいなのか分からなくて……」 


 怪しまれるだろうとは思った。でも、これはいつかはどこかで聞かなければならない。

 さすがのおじさんも、やっぱりこれには少し怪訝な顔を見せた。


「え、お金を、ですか?」


「え、ええ」


「それは何とも珍しいお話ですが、一体どういう……」


 と、そこで彼は何かに気づいたようにハッとしたような顔をして、周りに視線を走らせる。

 きょろきょろと十分に周囲を確認した後、彼はゆっくりと俺に顔を寄せ、声をひそめつつ言った。


「もしかしてあなた、貴族の方ですか?」


「え、貴族? いや~……」


「いやいや、みなまで言わなくても分かります。ええ。実は私、あなたの黒髪を見た時からそうなんじゃないかと思っていたのです。いやはや、貴族の方も大変ですな」


 彼はそう言うと、一人で納得したようにウンウンと頷く。

 何で黒髪だと貴族になるんだろうか。さっぱり分からんが、勘違いしてくれてるなら好都合だ。乗っかっておこう。


「い、いやあ、実はそうなんです。内緒ですよ?」


 嘘をつくのが苦手なので内心ビクビクしつつそう返したが、彼はそれに「もちろんですとも」と、ただ朗らかにニコリと笑ってくれた。


「貴族の方は基本使用人に雑用をやらせるものですし、こまごまとした金勘定をやることはあまりないのでしょうな。であれば、まずはそこから説明いたしましょう」


 そちらのお金、ここに出していただいても? そう言われ、言われるがままに俺はその巾着袋の中身をテーブルの上に広げた。

 そうして広げられたものを見て、おじさんの目がまた見開かれる。


「青銀貨が2枚に金貨が1枚。その他は3枚づつ、ですか。ふむう、さすがは貴族の方。結構な大金ですな」


 おじさんはつぶやくようにそう言うと、口元のヒゲを撫でつつ続けた。


「王都で流通している通貨は、この5種類の硬貨で全てです。価値が一番高いのはこの淡く光を放っている青銀貨で、あとはこの金貨、銀貨、銅貨、それに黒鉄銭という順番で価値が下がっていきます。同じ硬貨が10枚あると、その一つ上の硬貨と同価値になります」


「ふむふむ。例えば黒鉄銭が10枚あると、銅貨一枚と同じ価値になる訳ですね」


「その通りです」


 なるほどなるほど。金貨よりこの青銀貨ってやつの方が価値が高いのはちょっと意外だったけど、それ以外は日本の金事情に近いな。覚えやすくて助かる。


「ちなみにこの青銀貨が一枚あると、どれぐらいのことができるんですか? 僕はこれからしばらくどこかで宿を取ることになると思うんですけど、このお金でどれぐらい宿に泊まれるかを知っておきたいんですけど」


 そう聞くと、おじさんは教えてくれた。


「青銀貨一枚であれば、そうですな……。中等以下の宿なら、4周期程ですか。大体30日、といったところですな」


「おお! 結構いけるんですね」


 となると、俺は青銀貨を2枚持っているから2ヶ月は宿に泊まれるということになる。俺の天命1ヶ月で尽きるのに、女王様結構くれたわね。ありがたし。


 そうして俺の頬が緩んだのを見てか、おじさんはここぞとばかりにそこでセールストークをぶち込んできた。


「これだけあれば当面の衣食住には困らないでしょう。しかしギルドで仕事を受けるには、どうしてもこの魔鋼紙が必要になります。おそらくこれから何度も仕事をうけるでしょうし、どうでしょう。こちらの50枚の束、通常金貨2枚のところを、金貨1枚でご奉仕させていただきますが、いかがですか?」


「ふむ、金貨1枚……」


 言われて俺は、広げられている自分の全財産を改めて見つめた。

 

 青銀貨が二枚。

 金貨が一枚。

 それから銀貨と銅貨と黒鉄銭が3枚づつ。

 これが俺の今の全財産だ。


 青銀貨1枚で1ヶ月宿に泊まれるなら、食費などの雑費を入れても、おそらく青銀貨2枚あれば余裕で1ヶ月過ごせるだろう。


 そう考えると、ここで金貨1枚を使ったとしてもさして問題ないように思える。多少足りなくなったとしても、仕事でのプラスもある訳だから、素寒貧になることはほぼほぼないはずだ。


(……よし)


 俺は決心し、おじさんに言った。


「分かりました。金貨一枚で魔鋼紙50枚。買わせてください」


「ありがとうございます!」


 俺が金貨を渡すと、おじさんはホクホクとした顔で俺に魔鋼紙を手渡してくれた。


「これで何とか粗相の分はお返しできたでしょうかね」


「ええ。いろいろ教えていただいてありがとうございました。これで何とかやっていけそうです」


 そう言って軽く頭を下げると、おじさんはいやいやと手を振る。


「礼には及びません。私は商人として、きっちりと相手に利益をお返しすることを信条としているだけですから」


 そう言うと、おじさんはカバンを肩に掛けて立ち上がった。


「では私はこの辺りで。冒険者はかなり危ない仕事もあると思いますので、お気をつけて」


「ええ、そちらもでかい商談があるんですよね? 頑張ってください」


 おじさんが手を差し出して来たので、俺はそれをしっかりと握り返した。

 そうしてニコリと俺に笑いかけたのを最後に、おじさんはゆっくりとした足取りでギルドから去っていった。


(頑張るんやでおっちゃん。俺も頑張るぜ……!)


 その大きな背中をたっぷりと見送った後、俺は両手で軽く頬をパチンと叩き、気合を入れた。


「よし!」


 俺は立ち上がり、早速受付のお姉さんがいる窓口へと向かった。

 いつまでもハロワに苦手意識を持っていてもしょうがない。前へ進むのみだ。


「すみません、登録お願いします!」


 勢い込んでやって来た俺に目を見開く受付のお姉さん。しかしやはりプロなのか、彼女はすぐに気を取り直して言った。


「新規登録ですね、かしこまりました。では魔鋼紙の方にお名前をいただけますか」


「あ、はい」


 言われてつい今しがた買ったばかりの魔鋼紙の束をカウンターの上に置く。

 すると、公務員然として冷静に見えたお姉さんが、それを見て「わっ」と目を思いっきりまん丸にした。


「すごい数の魔鋼紙ですね。元商人さんか何かなんですか?」


「? 違いますけど……何でですか?」


 聞き返すと、お姉さんは「あれ?」と眉を上げる。


「これだけの魔鋼紙を持ち歩いている人はあまり見ないものですから。すごいですね。これは何に使われるんですか?」


「え? ギルドで使うって教わったので、こちらで全部使う予定ですけど」


 そう言うと、お姉さんがあからさまに怪訝な顔になる。

 

「ギルドで、ですか? こちらでは登録時に魔鋼紙に署名をいただいて、それを別の魔鋼紙に複写して控えさせていただくんですが、その魔鋼紙はこちらで用意いたしますし、そちらから提供いただかなくても大丈夫なんですけど……」


「え? でもそれだと報酬の管理ができないんじゃ? ギルドは魔鋼紙で複写をして、それをお互いに持つことで報酬を管理していると思ったんですが、違うんです?」


 その質問に、彼女は首を振った。


「いえ、違います。ギルドではこういった形で魔鋼紙を使います」


 お姉さんはそう言うと羽ペンと魔鋼紙を取り出し、そこに羽ペンを走らせた。

 さっきと同じように、光る文字が次第に紙へと定着していく。


 一体何を見せるつもりなのかと思いつつも黙ってそれを見ていると、お姉さんはその書いた文字の上を、手のひらを擦りつけるようにして強く撫でた。

 すると……、


「あっ!」


 そこには書かれていたはずの文字が消え去り、綺麗さっぱり無地となった魔鋼紙が!


「自分で魔鋼紙に書いたマナ文字なら、こうして自分で消すことができるんです。つまり、書いていただいた署名を依頼達成の後で消していただくという方法で、ギルドでは本人確認をしているのです」


「ええっ!?」


「ご本人がいれば書いていただいた内容は消せますので、魔鋼紙は使い回せます。つまり、冒険者の方からの魔鋼紙の提供は全く必要ない、ということです」


 何、だと……?

 おいおい商人のおっさん、話が違うじゃねえか。何で俺に50枚も売りつけたんだよ。いらねえじゃんよこれ……。


 もしかして:騙された。

 最初に会った幼女がいい子だったので油断していた。まんまとしてやられてしまった。

 でもまあ破産する程ぼったくられた訳ではないし、勉強代だと思えば別にいいか。こっちにはまだ青銀貨が2枚アルヨー。コレユーリデース(古)。


 と、多少落胆しつつもまだまだ余裕綽々の俺だったが、しかしそこにお姉さんが衝撃の事実を叩き込んできた。


「あの……もしかしてですが、こちらの魔鋼紙、このギルド内で買われましたか?」


「え? ええ。さっきまであの辺りに座っていたんですけど、相席になったのが商人をやっている人で、その人から買いました」


「それ、おいくらでした?」


「金貨1枚ですけど……」


 答えると、お姉さんがああ、と首を振りながら力なく頭を垂れた。


「高価ではありますが、魔鋼紙はさすがにそんなに高くはありません。これくらいの束でも、大体青銀貨2枚もあれば十分に買えます」


「えっ、青銀貨2枚? それって高くないです??」


 ん? このお姉さんは何を言っているんだ? 金貨より青銀貨の方が高いんでしょ? ってことは俺、安く買えてるじゃん。

 しかし俺のその言葉を受けてのお姉さんの表情は、「あ、間違ってました、てへっ」みたいな顔じゃなく、ただただ呆気にとられた顔だった。


 それを見て俺はある可能性に思い至り、頭から血の気がさーっと引いていった。


「ま、まさか……普通に金貨の方が価値が上、なの?」


 お姉さんは呆れたように目を瞑り、深く嘆息した。


「当たり前じゃないですか。あなた、一体どこから出て来た方なんです」


「う、うわああああああああああ!!」


 あのくそオヤジ! 温和そうな顔してやることエグすぎだろ!

 膝が折れそうになったが、何とか耐えた。今は落ち込んでいる場合じゃない。あのくそ野郎を早々に捕まえないと!


 俺は猛然と入り口にダッシュし、半ば体当たりする勢いでドアを乱暴に開け、外に転がり出た。


「はあ……はあ……」


 すぐに周囲を見渡してみたが、やはりもうすでにくそオヤジの姿はない。

 やたらと落ち着いて出て行ったが、ギルドから出た途端に走り去ったのだろうか。それともどこか横道に逃れたか……。


「くっそどこだ! ついさっきだしまだ遠くへは…………ってぐお!?」


 な、何だ? 急に体が……!?

 ちょうど走り出そうとしたその時、突如体ががっちりと固まって動けなくなる。顔から上は動くが、そこから下が全く動かない。


「な、なん、だ……コレ……」


 体の感覚がないのに、俺の足は勝手に動いて再びギルド内へと入っていく。そしてそのままロボットみたいなぎこちない動きで、窓口のお姉さんのところへと向かう。


「? どうされました?」


「い、いや……何か体が勝手に動いて……」


 不思議そうな顔で俺を見るお姉さん。

 それとなぜかさっきのアレ、吟遊詩人の彼もそこにいて、何だかやたらと嬉しそうな顔で俺を見ていた。


「……? な、なんすか?」


 怪訝に見つめ返していると、彼は俺がそう言った瞬間、何を思ったか突然くしゃりと顔を歪ませた。

 

「僕は今、猛烈に感動しています!」


 彼は急にそうして涙をぶわっと流し始めたかと思うと、力強く俺を抱きしめつつおいおいと泣く。


「あなたが初めてです! 僕の歌を最後まで聞いてくれたのは!」


「え、なになに? なんなの? なんなのコレ!?」


 状況が分からなくて慌てふためく俺だったが、俺と吟遊詩人の男を見比べていたお姉さんが、ははあんと手を打った。


「もしかして、こちらの方の歌をずっとそばで聞かれてました?」


「え?」


「吟遊詩人の方の中には、歌の神ミューゼ様から与えられた加護、“戒言”を持っている人がいます。戒言は言葉によって人を縛る力ですが、吟遊詩人さん達の場合は、近くで歌を聞いていた人にきちんとお代を払うように強いる力になるんです。ですからお代を払わないとどこへも行けませんよ?」


「な、なん……だと……!?」


 お姉さんの言った通り、体は俺の意志を無視して、巾着袋から金を取り出そうとしている。力を込めようとしてみたが、やはり体はビクともしない。


(ぐぬぬ……)


 ファンタジーの世界、恐るべし。

 こうなっては仕方がない。歌を近くで聞いていたのは事実だし、払うのはもうやぶさかではない。

 やぶさかではないが、せめてちょい金ではあって欲しい……。


 そうして某ファンタジー映画のように青銀貨は嫌だ、青銀貨は嫌だ、と念じてみたものの、結局俺の手がつまみ出したのは、


「いやだあああああああああ!!」


「ありがとうございますありがとうございます!」


 案の定、青銀貨だった……。

 俺の指はその青銀貨を、神様から賜るように彼から差し出された両手のひらの上に、ぽとりと落とした。


「あ……あああ……ぁ……」


 これで俺の総資産は、期せずして青銀貨1枚と、それ以下の小銭だけとなってしまった。

 まだ仕事も決まっていないというのに、何と俺はせっかく女王様からもらった結構なお金を、ものの数十分でほとんどなくしてしまったのである!


 ああああああああああああああああああんんんんんんんんんん!!!!

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