第3話「デブ氏、夢を思い出す」
マジで不安しかない。この世界のかってなんか全然わからないし、下手をしたら30日など待たずして死ぬ可能性だってある。
とりあえず宿か? いやそれより、『何者かになる』というミッションを達成するためにさっさと仕事を探しに行くべきだろうか。いやその前に、このソフィーリアなる人物について聞き込みしてみた方がいいか? 信用に値する人物なのかくらいは知っておきたいところだ。
「……ふむ」
通りの方に目を向けると、相変わらずいろんな姿をした人間達が右から左へ、左から右へと歩いているのが見えた。
正直あの中に入っていくのは少し怖いが、俺の見た目もそこそこ異世界仕様になってるので溶け込めないことはない、はず。
と、少し迷いながらも大通りの方へ一歩踏み出した時、通りから一人の幼女がこちらに入ってくるのが目に入った。
(お、ちょうどいいかも)
いきなり大人に話しかけるのはハードルが高いが、幼女ならちょっと俺がおかしなことを言ってもそんなに怪しんだりはしないだろう。最初に話を聞いてみるにはうってつけの人材だ。
「お~い幼女氏~。ちょっと聞きたいことがあるんだけど~!」
早速手を振りながら声をかけると、幼女が顔をこちらに向ける。
エプロンドレスのようなふりふりとした可愛らしい服を身にまとったその幼女は、だばだばと走ってくる俺を見て首を傾げるが、逃げる様子はない。
(お、これならいけそう!)
と、そう俺が思った時、しかしそれは起こった。
幼女の真上、2階建ての家の窓のところで植木鉢に水をやっていた女性が、誤って手を滑らせるのが目に入ったのである。
「──危ない!」
それが見えた瞬間、俺は猛ダッシュしていた。
距離はしかしまだ20メートルはある。間に合う訳がない。
それでも俺は止まれなかった。幼女の顔が歪むところは見たくない。幼女は幸せであるべきなのだ。絶対に。
俺は疾走した。アイドルイベントで最前列を取る時よりも疾走した。いよいよ植木鉢が幼女の真上に来てしまった時、俺はヘッドスライディングをかました。
「うおおおおおお!!」
なぜか体が軽い。そう思ったら、俺と幼女の距離はあと数メートルへと縮んでいた。
少し粗めの石畳が腹をゴリゴリと削るが、俺は幼女ただ一点を見据えていた。
あと2メートル、1メートル。俺は腕を伸ばし、幼女を抱きかかえる体勢を取る。
間に合った! と思ったその時、しかし予想だにしないことが起こった。
「きゃああ!?」
何と幼女が俺に抱きかかえられるより前に、ひょいと横に避けてしまったのである。
「はぶるぁ!?」
結果、植木鉢は見事に俺の後頭部に直撃し、そのまま俺は地面へと伏した。
「ぐぶふぅ……。まさかそう来るとは……」
まあデブがいきなり突進して来たらそら避けるわな。幼女氏が助かったんだから文句は言うまい。
植木鉢が割れて全身に飛び散ってしまった。やれやれと土を払い、その場であぐらをかきつつ頭をさすっていると、そこに上から差し迫った感じの声が降って来た。
「あ、あんた、大丈夫かい!?」
二階の窓から心配そうな顔を出すおばさんに、俺はひらひらと手を振った。
「大丈夫です! ちょっと後頭部にコブができたくらいなんで、お気になさらず!」
見れば土をあわせて1、2キロはありそうな植木鉢だったが、なぜか俺の頭にはほとんどダメージがなかった。
あっれぇ? 高さも結構あるし、これだともっとやばい怪我しててもいいよなあ。
て言うかなぜか言葉も通じてるな。向こうの言ってることもわかる。さっきの手紙みたいに何か不思議な力が働いてるのだろうか。
「お兄ちゃん……大丈夫?」
いろいろと考えを巡らせていると、そばで俺をじっと見ていた幼女氏がおずおずとしながら話しかけて来た。
お兄ちゃん。素敵な響きである。これが聞けただけでもコブを作ったかいがあるというものだ。
「すごい顔して走ってくるからビックリしたけど、私を助けてくれようとしたんだよね? ありがとう、お兄ちゃん」
ニコリと笑う顔が眩しい。
何と聡い子だろうか。見たところまだ7、8歳くらいなのに、この状況を見てきっちりと自分が助けられたのだということを認識している。素晴らしい。
「でゅふ……ちゃんとお礼を言えるなんていい子だねえ。なでなでしてあげよう」
と、なでてしまってから「あ、これ事案じゃん」とビビったが、幼女氏はそれを特に気にせずに受け入れてくれた。
「えへへ。じゃあお兄ちゃんにはお礼にキスしてあげる!」
「うぇ!? や、いいよいいよ気持ちだけで!」
なでなでだけでも相当事案じみてるのに、この上さらにキスまでされたらもう言い訳ができなくなってしまう。どこに誰の目があるかわからない。俺は捕まる訳にはいかないのだ。
「ええっとええっと…………あ、そうだ! お兄ちゃん知りたいことがあったんだった! ソフィーリアっていう人のことを知りたいんだけど、お嬢ちゃん知ってる?」
「ソフィーリア?」
「うん、ソフィーリア・ネティス・ファルンレシアっていう人なんだけど。どうかな? 知ってる?」
話をそらそうと半ば無理やり振ってみたのだが、何と幼女氏はこれに元気よく頷いた。
「うん! 知ってるよ!」
「え、マジで?」
こんな幼女でも知ってるってことは、やっぱり相当有名な人ってことか?
と、早速幼女氏に詳しい話を聞きかけた時、遠くの方から鐘のような音が聞こえ始める。
時間のお知らせかな? とその涼し気な音色に耳を傾けていると、ふいに幼女氏が俺の手を取り走り出そうとする。
「あ、ちょうどお歌の時間だよ! お兄ちゃんこっち!」
「え? え? 何? ちょっと幼女氏? どこに行くのーーーー??」
意外に力強い幼女氏に引かれ、あれよあれよと言う間に、大通りへと引っ張り出されてしまう。
濁流のように忙しなく歩いていく異世界の人間達の間を、幼女氏はするすると縫うように抜けていく。
商店街のようなところから、威勢のいい声がそこかしこから上がる市場へ入り、今度はその乱立する露天の間を駆ける、駆ける。
「ちょ……ちょっと待っ……ヴォえ!」
このままだと心不全で死にかねんと思うくらいに走らされた後、幼女氏の足がようやく止まる。
「ここならよく見えるよ!」
俺は膝から崩れ落ちながら、彼女の指す先を見た。
「あ……うぇ?」
一本の大通りの先、その遠景にそれはあった。
天を衝く摩天楼。巨大な三叉槍のような建築物が、快晴の青をバックに威容を誇っていた。
何あれ……サグラダ・ファミリア? にしてはちょっと意味がわからないくらいにでかい。この距離であんだけでかく見えるってことは相当だぞ。塔らしきもの一つ見ても東京タワーくらいはありそうなでかさに見える。
「ありゃ一体……。それにあのグニャグニャした物体は?」
気づくと広場の上空に、四角い何かが浮かんでいた。陽光が反射してきらめいているところを見ると、液体のように見える。
「あの遠くにあるでっかいのはお城だよ! それでね、それでね、あのおっきな平べったい水にはね! 女王様が映るんだよ!」
「女王様?」
「うん、見てて!」
彼女が得意そうにそう胸を張ると、程なくしてその平べったい水に変化が起こる。
揺らめいていた面が固くなったように平らになり、まるでテレビのようにそこに一人の女性が映し出された。
(え!?)
思わず叫びそうになったが、その名前はすんでのところで喉元に引っかかって止まった。
(びっくりした……さやちゃんかと思った……)
そこには、妹と瓜二つの女の子がいた。
大きな目に小ぶりの鼻、口。そしてまだ幼さの残る丸みのある顔のライン。パーツや造形は我が妹の織部さやそのものだったが、しかし同時に全く似ても似つかないところもあり、何とか判別することができた。
まず瞳が、日本人には絶対にいない綺麗な蒼色をしている。加えて頭もおかしい。見たところ妹と同じくらいの年だろうに、白髪なのだ。
ただ、真っ白という訳ではない。光をよく反射する艷やかなそのロングヘアは、角度を変えると、美しい陶器のような青白磁色がほんのりとのっていた。
(これは……アイドルとかそういうレベルじゃないな。次元が違う……)
彼女と同じくらい綺麗な子はいるだろう。現に俺の妹も同じくらいに可愛い。
しかし、雰囲気が普通の女の子とは全く違う。ただそこにあるだけで膝をつきたくなってしまう、凛とした空気をその身に纏っている。
(しかしまあ何と綺麗な……)
その羽衣のような淡い水色のドレス姿は、まるで妖精の王のようだった。
首元が大胆にさらけ出されているが、しかしあくまでも全体は上品にまとめられている。シルクのような光沢を放つそのドレスは、彼女の青白磁色の髪と白い肌とが相まって、よく画面に映えていた。
彼女の姿が映し出されてから、あれだけ騒がしかった周囲から音が消えていた。気づけば皆歩みを止め、彼女を見つめながら祈るように手を合わせている。
彼女は、それを待っていたかのように動き始めた。
目を瞑り、細い肩をゆっくりと上下させるようにして深呼吸。
そうして慎重に紡ぎ出された彼女の歌声は、アイドルの歌を散々聞いてきたはずの俺の予想を、はるかに超えるものだった。
(何だこれ……)
俺がドルオタとして今まで聞いて来たものはなんだったのかという程に、鮮烈な歌声だった。
力強さがありつつも、優しい。加えて春風を運んでくるかのような清涼さも兼ね備えたその声が、俺の耳をひたすらにくすぐっていく。
「きれいな歌声でしょ?」
しばらくの間その声に魅了され、俺は幼女氏の言葉に反応してあげることができなかった。
「ほんとは少しもくとーしなきゃいけないんだけど、私はソフィーリア様の歌ってるところが好きで、いつもずっと見てるの」
その気持ちはよくわかる。
特別な言語なのか何を言っているのかはわからないが、彼女の歌っている姿は、なんというかこう……クるものがある。
寂しさとか悲しさとか、彼女の気持ちがその透き通ったソプラノの声に載り、直接心の中に染み込んでくるかのようだ。
「あの子がソフィーリア……」
ひと目見ただけでわかった。あの子は、人を騙すような子じゃない。あの手紙に書いてあることは、全て事実だと考えるべきだ。
(偉い人かなあとは思っていたけど、まさか女王様だとは……)
やたらとタイミングよくイベントが起こったような感じにも思えるが、たぶんこれはそうじゃないんだろう。
確認のため、一応幼女氏に聞いてみる。
「ねえお嬢ちゃん。このお歌って、いつもやってるの?」
すると幼女氏は、予想通りふるふると首を振った。
「んーん。今日はししゃ? を慰めるために女王様が歌ってくれる日なんだよ。一年に一回だけの」
「ほっほお、なるほどお」
やっぱりだ。彼女はおそらく、自分がどこの誰なのかを俺に伝えるために、わざわざ今日のこの時間を選んで俺を喚んだのだ。
俺とのコンタクトに手紙を選んだという時点で、直接会って話すことができない事情があるのだろう。だからこれはきっと、彼女なりの自己紹介なのだ。
(……ゴールが決まったな)
いまいちこの世界での目標が見えていなかったが、彼女が歌う姿を見ていたら、あっさりと決まってしまった。
ドルオタなら一度は志す夢。アイドルのプロデューサー。向こうでは半ば諦めかけていたが、俺はその夢を彼女と叶えたい。彼女と一緒なら、向こうではただの穀潰しだった俺も何者かになれる。そんな気がした。
(せっかくこんなにファンタジーな世界に来れたんだもんな。どうせなら夢を持って生きていきたいわ……)
それにもし女王様のプロデューサーになることができたら、彼女の言う『何者かになる』というミッションは完全にクリアだろう。さすがにそこまでの人間になれれば、俺の命はそこで安泰のはずだ。
「お兄ちゃん何だか嬉しそう。どうかしたの?」
そうして女王様を熱心に見つめていたら、ふいに幼女氏の方から声が掛かる。
不思議そうに見上げて来る幼女氏の頭を、俺は優しくなでてやった。
目標ができて、やる気も出た。どうしようもない不安感も、彼女の歌のおかげでいくらかマシになった。
これで動けなきゃ男じゃない。早速、行動開始だ。
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