Scene 18
奥に進んでしばらく歩いたが、追手が来る様子はない。
お酒の入っているらしい樽が道の脇に沢山置いてあったが、入口には掃除用具なども置いてある。
きっとここは召使いか何かの通る場所なのだろう。
光の届かない暗闇は怖かったが、まあ仕方がない。
足元と頭上に注意しながら、やがて地下にある台所につく。
誰もいないことを確認して、武器になりそうなものを探す。
油のような生モノは当然置いてないとして、何か射程距離の長い火かき棒のようなものをと思ったが、果たしてその辺の椅子を持って戦うのとどちらが強いだろう。
少し考えた末、狭い場所でも振り回せる小ぶりのフライパンを拝借する。
それから、小ぶりのナイフ。
奪われる危険性があったからとりあえず武器としては使わないことに決めてバスローブの大きなポケットにしまったけれど、何処かしらで役に立つだろうと勝手に決める。
元の道を引き返すのは嫌だったし、籠城するよりは逃げ道を探したい。
台所には換気口があったが、人が通れる大きさではない。
外気とカエルの声は入ってくる。
外は真っ黒だった。
私はため息をつく。
ミレから貰った鍵は無くしてしまっていた。
ヌゼッテ達を倒さないことにはここから外に出ることはできないのだろうか。
考えたくないけど、本当にそんなことは嫌だけど、人形は脆いだろうから、フライパンの角で頭を砕いてやれば倒せるだろうか。
相手はこちらを探すために兵力を分散させているはずで、気付かれないよう一体一体撃破していけば希望は見えなくもない。
けれど私は――私はそれよりも話し合いたかった。
夜の虫のような声がする。
私は覚悟を決めた。
暗い台所の戸が開いた。
人のような姿をした者が一人、おぼろな明かりを背に入ってくる。
笑い声が止まる。
その人影はしかし人ではなく、よく見れば人形と分かる関節を回して、腰をぎこちなく曲げ、腕を振って歩く。
「オニさんドチラ?」
地面に刺さっていたナイフを拾い上げようとする。
ナイフに写った光景から彼女の他に外に誰もいないことを確認した私はドアの後ろから人形に襲いかかり、私が頭に巻いていたタオルを被せた。
その後はがいじめにして暗闇に引き込んで、その辺にあった紐でぐるぐる巻きにした。
陶器の感触がガタガタと動くので、なんだか新鮮というか、奇妙な感じがする。
……本当はバスローブを被せた方が安全だったんだろうけど、流石に全裸で屋敷を歩くのは御免被りたい。
やっぱりさっきの用具入れから袋か何か見つけてこようか。
そう思ったとき、外で廊下を照らしていた光が消えた。
もがいていた人形の動きも止まる。
誰か気づいただろうか。
気づいてないことを祈るしかない。
さっきの一瞬で廊下の構造は把握したし、壁を伝って歩いていけば階上に出られるはず。
取り敢えずヌゼッテの周りは手薄だろうから、見つけて話し合いに持っていきたい。
それとも私を追って、あの本と椅子の部屋にいるだろうか。
音が鳴る水の靴は脱いだ。
フライパンは置いていくことにした。
私は裸足のまま目についた階段を登っていく。
地面はひやりとしていて、ぱさぱさ音が鳴る。
何も見えない。
ドアを開けた。
すぐさま上下左右を確認したが、誰もいない。
窓からまた入ってくる光に、何度目かのささやかな安堵を覚える。
食事をするための広間の近くに出るかと思ったら、小さな書斎がまず目に入った。
食べ物を運んでくる場所としては違和感がある。
私はそれで、ここがミュペの隠し部屋なんじゃないかと勝手に決めてかかり、置いてある本に何となく手をつけた。
暗闇に目を凝らせば、何やら異世界の不思議だとか、魔物の世といった単語が読み取れた。
私は最初、この世界の文字は読めないのではないかと思ったが、光が文字を読ませるよりも早く、文字は頭に入ってくるようだった。
それくらい、この世界の言葉というのが分かりやすかったのだ。
――異界。
――この世と重なり合うようにして存在する世。
――仏の住む世、すなわち死後の世界ではない。
――魔物の世、精霊の世、また誰かしか住むことの許されない世。
――
――それはこの本の預かり知る
その時、本は読めなくなった。
その原因を探ろうとして、はっと気がつく。
影が、さしていた。
顔を上げる。
そこに彼女達は立っていた。
窓の光を遮って、あの笑顔をたたえて立っていた。
気絶できたらどれだけいいだろう、と思った。
そう簡単にできないくらいには、今までの一連の流れで鍛えられてしまった。
私は意を決して言った。
「ヌゼッテのところへ連れてってくれない?
私、話がしたいから」
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