Scene 2

「ドラゴン」というのは四本足に二枚の翼があるものらしい。二本足なのは「ワイバーン」なのだという。


私は息を潜めながら、茂みの中に座っていた。


獰猛な気配が、鉤爪の鉄の微かに擦れ合う音と、それに呼応して落ち葉を掻き分ける音だけを連れて、背後を通り抜ける。


指を舐めた。風は私の背中の方から流れている。


自分が風下にいるという事実が、どれほどの気休めになるのか分からなかったけれど。


だんだんと過ぎ去っていく音に、安堵すべき時なのか、そうでないのか迷いながら。






どれだけ時間が経っただろう。


気がついたらこの森にいた。


記憶がない。


まずは高い所へ登って、外へ出る方法を(今となっては、そんなものがあるのかどうか怪しいが)知ろうとしていた。


先程開けた場所に出た。


二枚の翼で地に降り立ち、口から赤黒い液体を滴らせるあの獣を見て、ここが人の世でないことを知る。



何かの罰なのではないか、という考えが、不意に浮かんだ。


私は何か罪を犯して死んで、その償いのためにここに居るのではないかと。


あるいは、私はここで何かを試されている。


そんな考えを私はすぐ振り払おうとした。






風向きが変わった。


私は音を立てないように歩き出し、気がつくと駆け出していた。


緑の広葉樹は青く霧がかかって、十メートルも先の薄明かりは、濁って、暗い。


肩にかけた学生鞄がずり落ちそうになるのを都度直しながら、木々の幹の間、道無き道に、制服の擦れる音が、寒々しいほどはためいて、落ち葉の匂いも、跳ね上げるたびに鼻を冷やす。


嫌な汗が出る。


それともこれは霧から結露したものかもしれない。


体にまとわりついて、心底気分が悪い。


帰れるものなら早く帰りたい。


落ち葉を掻き分ける音が、心なしか強くなった気がした。


程なくして、鉄を摺り合わせるような音。


背筋せすじから這入り込んだそれが声帯を揺らして外へそうになるのを必死で堪えながら、ただ、前を見て走った。


ここは森だから、巨体が空を飛ぶことは難しい。


空を飛ぶ動物は、走るのはきっと得意ではない。


少し距離を歩いた。走ってくるなら、スタミナの消耗も激しい筈だ。


全ては楽観的な考えだった。


信じるしかなかった。


音がすぐ後ろから聞こえた。



その時だった。


目の前の茂みが揺れて、その子は“出て”きた。


まるで、出てくるために隠れていたとでも言うように。


そして言った。


「烏がわが手に戻るように、霧は水に還る。夜が我が身に染み入るように、水は木々に消える。自然の摂理よ蘇れ。先程まで濁っていた蛍よ、集まりて、炎の石槍となれ。【聖雷槍ブレイズジャベリン】!」


その時、にわかに霧が晴れた。


背後で何かが勢いよく燃え上がるような音がした。


「えっ……?」


私は走ってきた勢いでその子とぶつかった。


「間に合ってよかった。


よく頑張ったね。


話したいこともあるだろうけど、今はここを離れよう」


相手は私を抱きしめながら、そういうようなことを言った。


ただ気が動転していたから、何を言われたのかその時はよく分かっていなかった。


「何が、起こって……?」


おそるおそる振り返ると、一対の脚と翼とをもつ獣の焼死体が、落ち葉の間に真っ黒な影のようにこびりつくようにして倒れていた。


それらは首の切断面を中心にめらめらと青い炎を灯していた。


「この火は私たちやこの竜の体の中で燃え、酒樽の中で燃える火と違って、一時的なもの。


霧が戻れば消えてしまう。


火が消えれば、竜は蘇るだろう。


キミは触らない方がいい」


その子は私の横を抜けて、竜の残骸へと歩み寄り、その背中に触れた。


それを見ているうちに私はある程度頭の中が整理できて、


「貴方は誰?

ここはどこ?

何が起こったの?

それは何?

どうやったら帰れるの?」


と、思いつくままを口に出していた。


すると、何処からか一杯の水と、大きな棒のついた飴のようなものを次々渡してきた。


「テーブルはないけど、お菓子でも食べて落ち着いて。


だいぶ怖い目に遭ったんだね。


ちょっと待ってて。


私の家まで送るから」


そう言って、私の頭を撫でてくる。


私とミュペとの出会いは、そういうものだった。

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