夜は、窮屈で嫌いだった。

 走りたいと思い立っても両親は外へ出るのを許してはくれないし、暇潰しになりそうなリビングのテレビもバラエティ好きの母が占領していて、今日もモノマネ番組なんかを楽しそうに見ている。私はこの、モノマネ番組というのが苦手だった。特に素人のそっくりさんなんかが出るコーナーになると共感性羞恥がひどくてダメ。

 自分を有名人に似ているんだと自薦して、あるいは他薦されてその気になって出てくる顔が明らかになる、あの瞬間。自分のことのように恥ずかしくて胸をかきむしりたくなる。頑張って視界に入れないようにしても、似ている有名人のネタなんか振られて素人らしく反応が遅れるのが聴こえた日にはもう、私の居場所はリビングには失くなる。

 今日も、ほらきた。高らかに、そっくりさんコーナーへの移行を告げる声がした。


「どうしたの?」

「今日はちょっと疲れたから。先に上がる」

「そう、電気ちゃんと消すのよ」


 母は自分が好きなものを否定された時には途端に機嫌が悪くなるから、私は家の中で嘘をつくことを学んだ。疲れているという言葉に反応もせずに、数十円にもならないだろう電気代の心配をするところを見ると、やはり親なのだと実感する。好きなテレビの趣味は合わないのに、そういうところばっかりが似ている。嘘なのだから心配されても困るけど、なんだか寂しい。

 ……寂しい、なんて。本当に疲れてるかもしれない。

 階段の上がり際、モノマネ審査員のちょっと笑いを狙った批評が聴こえた。それが私に今日の出来事を思い出させる。わざとらしい、口を無理くりに開いた、ばか笑い。

 二段飛ばし。駆け上がって、閉じこもる。音のない部屋に安心して、でも当たり前のように寂しさが増した。

 それでも耳に残る音を消し去りたいと、ベッドの上に倒れ込んで枕に顔を埋める。寂しさの増長を対価に情報を遮断した。


「うぅう、ぅうぁ」


 唸り声と、一緒に出た吐息の生温かさで自らを囲っていく。ぱたぱたと足を動かして、音でも。足りなくて、どふどふとベッドを拳で叩くと弾力で跳ね返った拳が枕からはみ出した耳に当たった。枕を両手で上へ折りたたんで、自らを包む。一生こうしていたいのに、私の身体はもう酸素を欲している。枕越しに何度か大きく息を吸ってみて、でも足りないから仕方なく枕を離して横を向いた。脱力しても違和感のない、右向き。左向きは首が変な感じがして嫌だった。

 視界にはベッド脇に置かれた小さな本棚。もう通り過ぎた過去の教科書たちや中学の卒業文集。その横には去年のプリントを挟んだ、ピンクのバインダー。ずれた数学のプリントが小さく顔を出して自己主張していたから、なんとなしに飛び出たはぐれ紙を引っ張った。すると、横に入っていた本が雪崩れるように連なって出てきた。

 それは、数ページしか書いてない、高校一年生になった時に買った日記帳。




2019年 9月26日


 名前は覚えてないけど、有名なスポーツ選手の真似をして始めたのを覚えてる。

 まず、状況から書いてしまおう。

 本棚の隅で冷たく潰されていた日記帳を引っ張りだして、書いてる。

 理由は……頭の整理をするため。

 思考の整理をするために、日記をつける。

 インタビューではそんなことを言ってた。日記帳の最初のページに大きな字で将来の目標を書いて、次に今日その目標を叶えるためにした出来事を書いて、小さな目標を書いていく。

 この日記帳の最初のページにも今にして思えば身の程を知らないような、それこそ思ってもないようなことが書かれている。覚えてないけど多分、強がって書いた。

 ちなみにこの前の日付は去年の4月26日。久しぶりに開いたのが同じ日なのになんだか変な偶然を感じて、また書いてみようと思う。

 でも過去の目標を掲げる勇気はないから、ここからが最初の一ページ目。


 私は、変わりたい。


 幼稚な反抗期をやめて、どこかで折り合いをつけて、そうして。

 大人になりたい。

 たとえなれなくても、変わって前へ進みたい。でもどこが前なんだろう。まるで暗やみの中にいるようで、少し走っている時の感覚に似ている。苦しい中でもがく、あの感じ。

 逃げたくないけれど、立ち止まるわけにはいかない。私は砂にもなりたくないから。

 逃げるのをやめた今の私に待っているのはどうせ渇いた学校生活だ。爪先立ちでエセ大人になったって、劣等感の前にあっという間に倒れて、砂になって崩れてしまうに違いなかった。

 支えがなくては立ってはいられないから。走ることをやめるためには『なにか』で心を満たす必要がある。

 たとえばなんだろう、それこそ……『青春』とか。

 青春。うん、いい。……欲しい。


 整理が出来てきた。

 小さな目標は青春にしよう!

 両親や親戚、大人の誰もが在りし日の自分の話をする。その時に直接の言葉で、あるいは言葉の端々で彼らの青春を感じた。人は青春を過去にして初めて大人になれるのかもしれない。だから私は変わるための前提として、青春が欲しいんだ!

 私は、周りに負けないくらいの青春が欲しい。

 早速『青春』をスマ―トフォンで調べてみた。

 若い時代。主に十代頃から続く、人生の春にたとえられる時期。

 なら若いだけで青春なのかな。

 ……それは、違う気がする。他ならない私自身がそれを証明してしまっている。陸上で時間を塗り潰す生活を送っても、得られた感覚はなかった。

 私にない、なにか。白河サキは『青春』を得るために足りないものを探す必要がある。

 足りないもの探しの旅。それが目標のために、私がしなければいけないこと。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る