抗争の終結
屋上を目指し、シャルロットと共に二階へと上がってきたサクラであったが、ここでも彼女の足を止める事態が起きていた。
「……やれやれ。まるで意地を張り合う子供のようですね」
魔力を吸収されたにも関わらず、ノアとフランは未だに殴り合いを続けていた。
「しぶといね……そろそろ降参したらどうだい……?」
「そりゃこっちのセリフだ……いつまで粘るつもりだよ……?」
戦闘に一段落がついたのか、両者共に距離を開けて膝をつき、しばしの休憩を挟む。
しかしそれも束の間、二人はまたすぐに立ち上がり、お互いに歩み寄っていった。
見かねたサクラは、咳払いをしてから二人に声を掛ける。
「ご両人、そこまでにしておきなさい。今はそんな意地の張り合いをしている場合ではありませんよ」
「邪魔をするな、サクラ。こいつとの決着をつけないと気が済まないんだよ」
「そうだ。部外者はすっこんでな」
「……やれやれ」
こんな時ばかりは相性が良い二人に、サクラは呆れた様子で溜め息をついた。
それから、この二人に対しては並みの説得では効果がないと判断し、まずはノアに奥の手を使う事に。
「戦いは終わりました。一応は、我々の勝利です。とはいえ、一階に居るアリスさんが力の使いすぎで体調を悪くしているとの事ですよ。見に行った方がよろしいのでは?」
「何だと……?」
ぴたりと足を止め、振り返るノア。その表情には驚愕と焦りが張り付いている。彼女はそのままサクラの元まで強い足取りで歩いてきた。
「何故それを先に言わないんだ……! ボクは力を使い過ぎはしたが休めば問題は無いと聞いたぞ……!」
「さぁ? そんな話は知らぬ存ぜぬ――ですわ」
「畜生……! アリス様ーッ!」
ノアは血相を変えて、階段の元まで走っていった。
「ふう……単純な性格で助かりました」
サクラはおかしそうにくすくすと笑ってから、
「――さて、あとはあなただけですね」
フランに視線を移す。
「おい、戦いは終わった、我々の勝利だのと言っていたが、どういう事だ?」
「そのままの意味ですよ。残るヴァンパイアはあなただけ――他は灰になったか、降伏したかのどちらかです」
「……ラメールは?」
「後者の方です」
「あいつが降伏しただと? 信じられねぇ話だな」
「それなら実際にご自分の目で確かめてみると良いでしょう。彼女なら外に居ますよ」
「……」
サクラの様子を見て、フランは彼女の話が嘘ではないという事を察し、深い溜め息をついた。
「わかったわかった……計画は失敗、オレ達の負けってワケだな」
「いいえ、まだそうと決まったワケでもありません。あくまでも、この場での戦いは我々が制したという事でして」
「……お前何言ってんだ?」
「先程屋上に、闇の世界への入口と思われるものを見ました。恐らく、エヴァの仕業でしょう。つまり、そこまでは計画を遂行できたという事です」
それを聞いたフランは、苦々しい笑みを浮かべて呟く。
「あの野郎……オレ達を裏切って、自分だけはしっかり目的を果たしたって事かよ……ムカつくぜ」
「そこで、あなたはどうするのです? 既にエヴァの配下でない以上、我々と争う必要はないものだと思いますが」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。オレは誰が相手であろうが、最後には叩きのめすんだ。まずはてめぇからでも構わないぜ」
「……そうですか。しかし、戦うのは構いませんが、今はそれどころでは無いのですよ。お相手をするのは事が片付いてからでも良いですね?」
「おいおい、オレはそこまで聞き分けが良い性格じゃないぜ。今すぐだ。ノアの前にまずてめぇを燃えカスにしてやる」
「……ふふ。わかりました」
サクラはにっこりと笑うと、隣で話が終わるのを待っていたシャルロットに顔を向けた。
「シャルロットさん、先に屋上へ向かって下さいな。わたくしもすぐに追い付きますので」
「そ、それは良いんだけど……大丈夫なの……?」
「はて、何がです? まさか、わたくしが彼女に遅れを取るとでも?」
「いやそうじゃなくて……あなた今、顔が凄く怖いわよ……」
「……はい?」
にっこり笑った表情のまま、あざとく首を傾げるサクラ。その笑顔の裏にどす黒い感情が隠れている事を見抜いたシャルロットは、苦々しい表情でごくりと生唾を呑み込み、「なんでもないわ」と一言返して歩き出した。
フランの横を通り過ぎる際、シャルロットはサクラには聞こえぬように、ぼそりとフランに囁く。
「……ご愁傷様」
「あ?」
訊き返されたものの、シャルロットは答えずにそそくさとその場を後にした。
「ちっ……何だってんだ。まぁいい、ほら、さっさと始め――」
「やるからには、徹底的にやらせて頂きますよ」
「……え?」
この屋敷に居るヴァンパイア達は皆、力を吸収されたばかり――にも関わらず、フランは強大な力の気配を感じ取った。そして同時に、それが目の前に居るサクラから発せられているものだという事にも気付く。
「お、お前……なんで力が残ってんだよ……! この屋敷に居た奴等は全員残らず力を吸収されたハズじゃ……」
「確かにわたくしも吸収されましたが……まぁ、あなたを相手にするだけの僅かな力なら既に戻っています」
「はぁ!? ついさっきの事じゃねぇか! なんでそんなに早いんだよ!」
「それは……そうですね、きっと力の差というものではありませんか?」
「適当言うな!」
「ふふ……お喋りはこれくらいにして、始めましょうか。――わたくしはあまり暇では無いのでね」
それまでにっこりと目を閉じたままであったサクラが、すっと目を開ける。
「ッ――!」
深紅に変わったその瞳を見て、フランは背筋をなぞられたような嫌な感覚に襲われた。それでも、虚勢を維持して身構える。
「か、かかって来いよ……返り討ちにしてやるからな……」
「どうしました? 声が震えていますよ?」
「うるせぇ……!」
声を張り上げ、心身を支配しようとしてくる恐怖を振り切ろうとするフラン。
しかし、彼女がそれ以上の恐怖を感じる前に、戦いは終わった。
「……え?」
突然姿が消えたと思ったその時には、サクラはフランの背後に立っていた。慌てて振り返ったフランが見たのは、いつの間にか抜いていた刀を華麗な動作で鞘に納めている姿。
今、何が起きたのか――フランは狐に摘ままれたような気持ちでサクラを見つめる。その時、彼女が身に着けている深紅のマントが、不意にぱさりと地面に落ちた。
それと同時に、刀を納刀し終えたサクラがゆっくりと振り返る。彼女はにこやかな笑顔で言った。
「次は召し物ではなく、両腕を斬り落としますよ。フランさん」
「……嘘だろ?」
何をされたのかを理解し、ひきつった笑みを浮かべるフラン。
サクラは目にも留まらぬ速さで、首元にあったマントの結び目だけを斬り落としていた。肉体には勿論、結び目に触れていたシャツにも傷一つすらついていない。
「……畜生」
見事な剣技を目の当たりにしたフランは、力無く笑って崩れ落ちた。
「あら、どうされました?」
「オレの負けだ。殺せよ」
一転して、潔いまでの敗北宣言。サクラは小さく笑い、すっと目を閉じて力を鎮めてから、彼女の元へと歩いていく。
そして、右手を差し伸べた。
「ほら、お立ちになって? 命は粗末にするものではありませんよ」
「何言ってやがる……さっきまで“両腕を斬り落とす”だの物騒な事言ってた奴がよ……」
「ふふ……臨機応変というヤツです」
「ちぇっ……調子良いや……」
ぶつくさ文句を言いつつも、フランはサクラの手を取った。
基本的には誰に対しても高圧的な態度を取り、唯我独尊を貫くフランであったが、実力を認めた相手には敬意を払うといった殊勝な面も持ち合わせていた。
「――わかったよ。事が片付くまでは、あんたに協力してやる。だが終わったらもう一度、万全な状態で手合わせして貰うぜ」
「えぇ。約束しましょう」
「忘れんじゃねぇぞ?」
「ふふ……寧ろ忘れてしまった方が、あなたの為にもなるとは思いますがね……」
サクラはいたずらっぽく微笑を浮かべてそう言うと、返答を待たずに踵を返して歩き始めた。その言葉の意味にしばらく経ってから気付いたフランは、赤面した顔で彼女を追い掛けた。
「この野郎……おちょくりやがって……! 今に見てろよ!」
一方――
サクラに促され、先に屋上へと向かったシャルロット。
二階の通路の最奥にある階段を登り、鉄扉を開けて屋上に到着した所で、壁に背を預けて座り込み、煙草をふかしているシルビアの姿を見つけた。
「やっぱり……中まで臭ってきてたわ」
「あんたも吸う?」
「私が“吸う”って言うと思う?」
「有り得ないわね」
「……だったら訊かないで頂戴」
「悪かったわね」
シルビアは吸っていた煙草を灰皿で始末してから立ち上がる。その際に胸部の痛みで彼女が表情を歪ませた事を、シャルロットは見逃さなかった。
「――何よ、怪我でもしたの?」
「大した事ないわ。大丈夫よ」
「本当に? あなた、銃で撃たれてもそう言うじゃない」
「流石にそれは――」
“言い過ぎだ”と言おうとした所で、シルビアは昨晩肩の銃創をヴェロニクに指摘された際に同じセリフを言った事を思い出し、苦笑いを浮かべた。
「――悔しいけど、確かにその通りかも」
「でしょ? それで、どこをどう痛めたの?」
「胸元蹴られて、ここの骨にヒビ入ったか折れたかのどっちかよ。今も割と笑えないぐらいには痛いわ」
シルビアは患部を指差しながら、世間話でもするかのような軽い声調で答える。それを聞いたシャルロットの顔が、みるみる内に青ざめていった。
「お、折れた……? どうしてそんな重傷を隠してたのよ……!」
「別に隠してたつもりはないけど……」
「あなたってばいつもそう! 重要な事を言わないで、後になってさらっと教えてくるんだから! そんな所の骨が折れたなんて、下手したら死ぬわよ!」
「うるさいわね……あんたの大声は骨に響いて痛いのよ……」
「何よその言い種! 私は心配してやってるのよ!」
「あぁはいはい……私が悪かったわよ……」
シャルロットの性格を知悉しているシルビアは、下手に立ち向かうよりも受け流してしまった方が早く済むと判断し、自ずと引き下がる。
しかし、それでもまだシャルロットの小言は終わらなかったが、その時鉄扉がゆっくりと開いた事で、ようやく彼女の興奮は治まった。
「なにやら賑やかですね、ご両人。楽しい事でもありましたか?」
くすくすと笑いながら二人の前に姿を現すサクラ。
「……どういう風の吹き回し?」
彼女と共にやってきたフランを見て、眉をひそめるシルビア。フランは答えようとせず、つんと横を向いてしまう。そんな彼女に代わり、サクラが答えた。
「一時的な和解ですよ。事が片付くまでは、協力して頂けるそうです」
「――じゃあ、事が片付いたらまた暴れ回ってくれるってワケ?」
「そうではありません。――まぁ、ヴァンパイアハンターのお手を煩わせるような事にはなりませんよ。その点はご安心くださいな」
「……よくわからないけど、良いわ。あんたに任せる。それより、あんたに訊きたい事がいくつかあってね」
「その前に――」
サクラはシルビアの話を聞く前に、辺りを見回す。――裂け目は跡形も無く消えてしまっていた。
「やはり、無くなっていますね……」
「ねぇ、サクラ。そろそろ説明してくれないかしら? 闇の世界の入口って何なのよ?」
シャルロットが訊く。サクラは屋上の中央へと歩き出しながら、話を始めた。
「わたくしも仄聞したに過ぎませんが、闇の世界とは、ヴァンパイア達が眠る場所との事です。現世で命を落としたヴァンパイアは皆そこへ戻され、再び召喚されるその時まで石碑の中に封印されるとか」
「じゃあエヴァは、その世界へ行く為の入口を作ったって事? 一体何の為に……」
シャルロットの疑問に、サクラは即答する。
「恐らくそこで今も眠っているヴァンパイア達を復活させる為でしょう。こちらと違って、あちらの世界では儀式の手順が簡略化されるそうですから」
「随分と詳しいわね。仄聞したって言ってたけど、そんな世界の話、一体誰から聞いたのよ?」
今度はシルビアが口を開く。サクラは振り返って彼女の顔を見ながら答えた。
「エヴァですよ。一応、一月前までは同じ主に仕えていた間柄ですので。ちなみに、それを聞いた時にはまだ魔力の供給源が足らず、実行に移す事はできなかったそうです」
「そう……。良いわ、闇の世界についてはそれぐらいで十分よ。私が訊きたいのは、その入口はどうやって作るのかって事よ」
「あら、何故そのような事を?」
訊き返されたシルビアは、少々気まずそうに答える。
「……情けない話だけど、私はエヴァにやられて途中で退場しちゃってね。少し楽になって戻ってきた時には、三人共居なくなってた。恐らく揃ってその闇の世界とやらに行ったんでしょう」
「やはり、そうでしたか……。しかし、それでは困りましたね……」
腕を組んで何かを考え込む素振りを見せるサクラ。そんな彼女に、シャルロットが歩み寄る。
「向こうからこっちに戻ってくる方法は? 何かあるのよね?」
「向こうからでもこちらからでも、行き来する方法は一つしかありません。エヴァが為した、大量の魔力を消費する入口の生成のみです」
「私達で作るのは……流石に難しいわよね……?」
「魔力が足りるかどうか――それが一番の問題です。しかし、一つ引っ掛かっている事がありましてね」
「引っ掛かっている事?」
「エヴァはここに集まった全てのヴァンパイアから力を吸収し、入口を生成した。ですが、一人だけその吸収から免れた人物が居ます。それは――」
その時、サクラの言葉を遮るように、鉄扉が開いた。現れたのは、アリスとノアと、双子の四人。
サクラは先頭に居るアリスに視線を結び付け、微笑を浮かべた。
「――彼女です。事が起きる前に力を使い過ぎた事が幸いし、彼女には吸収されるだけの力が残っていなかったのですよ」
その話に、アリス本人も頷いてみせる。
「状況はリナから聞いた。――でも、どうして私の魔力を吸収できなかったのに、入口の生成ができたのかな……?」
「代わりの吸収先として考えられるのは一人だけ――エヴァ自身で間違いないでしょう。そのお陰で、彼女は今万全の状態では無いハズです。彼女と共に闇の世界へと迷い込んだメルセンヌ姉妹にとって、それは不幸中の幸いと言えますでしょう」
と言ってから、サクラは「残る問題は――」と切り出す。
すると、現れた四人の誰のものでもない、しかし聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「魔力は恐らく足りるハズだよ。あなたの言う通り、全員のものを合わせればね」
「――全員というのは、あなたも含めてという意味ですか?」
サクラは疑うような目で、四人とは遅れて姿を現した人物を見つめる。
「その通り。この中の一人でも欠けたら、恐らく足りなくなると思うな」
サクラの視線を受け、ラメールは意味深に笑みを浮かべて見せた。
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