闇の世界
迷いを捨てて裂け目の中に足を踏み入れたものの、出端の一歩目からソフィアの足に地面を踏みしめる感覚は伝わってこなかった。
「ッ――!?」
そのまま体勢を崩してしまい、為す術も無く暗闇の中に呑み込まれるソフィア。それからは、ただひたすらに落下していく。
しかし、ただ真っ直ぐ下に落ちているというワケではなく、何かの力によって正面に引っ張られているような感覚もあった。
そしてその感覚は、徐々に明瞭なものになっていった。最後には落ちている感覚が完全に無くなり、後者の不思議な感覚だけが残る。ソフィアは暗闇の中を浮遊して進んでいるような錯覚に陥った。
しばらくその状態が続いた後、暗闇に支配されていた視界の中に、一筋の微かな光のようなものが映り込んだ。ソフィアの身体は、その光の元へと運ばれていく。
本人には光が近付いてきているのか、もしくは自分がそちらへ運ばれているのかはわからなかったが、光が徐々に大きくなっていくのを見て、確実に距離が縮まっているという事だけはわかった。
そして目の前にまで到着した所で、ソフィアはそれが光ではないという事に気付く。一筋の微かな光に見えたそれは、屋敷の屋上に現れた裂け目と同じものであった。
裂け目を通過した所で、ソフィアの身体を支配していた力がすっと消えた。
「わぁっ……!」
突然消えた力の慣性に抗えず、ソフィアは裂け目の外に出ると同時に投げ出されてしまう。高低差はなく勢いも大したものでは無かったが、投げ出された先は固い地面の上であった。
「痛た……そんないきなり投げ出さなくても……」
最後まで面倒を見てくれはしなかった不可思議な力に嘆息を漏らしてから、億劫そうに立ち上がるソフィア。そして、目の前に広がる光景を見て、思わず息を呑む。
「何……ここ……」
褐色の岩石のみで創られている荒廃した大地。先程の暗闇をそのまま貼り付けたような、不気味なまでに真っ黒な空。そしてその暗闇にぼんやりと浮かんでいるのは、今にも落ちてきそうな程異様なまでに大きく、血のように紅い満月。
ソフィアは言葉を失い、その光景を見渡していた。
その時――
「いつまで呆然としているつもりだ」
という声が、背後から聞こえてきた。ソフィアは慌てて振り返る。
そこには、肩越しにこちらを睨み付けているルイズが立っていた。
「ね、ねぇ……ここは一体――」
何なの――と、訊こうとした瞬間、ソフィアはルイズの向こう側にもう一人誰かが立っている事に気付く。
「ここは三百年前に封印されたヴァンパイア達が眠る闇の世界。ようこそ、ソフィア。歓迎するわ」
その一人――エヴァは、不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
「ヴァンパイア達が眠る――闇の世界……?」
「えぇ、そうよ。この石碑の中に、彼女達は眠っているわ」
エヴァは自分の背後を指差しながら答える。そこには、彼女の背丈の倍程である大きさの石碑が疎らに佇んでいた。
長方形であるそれらの石碑には何やらびっしりと文字が彫られているようだが、遠目からでは何が書いてあるのかはわからない。それでも、何もない空間にずっしりと佇み、それらが不穏な雰囲気を醸し出しているという事は感じ取れた。
「あなた達には感謝してるわ。今回のお膳立ては、全てあなた達に懸かっていたんだから」
「貴様の為に動いたつもりはない」
エヴァの言葉に、ルイズは吐き捨てるようにそう返答する。エヴァはくすくすと笑ってから、続ける。
「ふふ……フォートリエの手元から十字架を奪うのは容易では無い事――あなたはその為に一躍してくれたわ。そして何より、実の父親を殺してソフィアをも巻き込んでくれた。それが一番大きな活躍と言えるでしょう」
「……こいつが何をした?」
ルイズは眉をひそめて、隣に居るソフィアを横目で見遣った。ソフィア本人も自分がエヴァの計画にどう役立ったのかなどは見当がつかず、ただ困惑している。そんな二人に、エヴァは笑みを浮かべたまま答える。
「ここに来る前に話したでしょう? 闇の世界への入口を作るには、大量の魔力が必要だって。あなたは魔力の供給に欠かせない存在だったのよ」
「わ、私が……?」
「魔力は使用を重ねれば重ねる程、より強力に成長するの。あなたはルイズと違って、魔力を多用する戦い方――短期間で成長を遂げる事は読めていたわ」
そこまで言ってから、エヴァは一度話を区切り、溜め息をついてからこう続けた。
「でも、あなたはこの計画に関わると同時に、厄介な存在も巻き込んでくれたわ。アルベール姉妹と、東洋の巫女よ」
「待って。シルビア達の事はわかるけど、東洋の巫女って、サクラの事? そうだとしたら、矛盾してる気がするんだけど……」
「矛盾? どういう事かしら」
ソフィアの意外な切り出しに、エヴァは思わず訊き返した。
「だって、サクラも魔力を持っている一人なんだから、元より巻き込まないと計画は進まないんじゃ?」
その質問に、エヴァは“その事か”という表情を見せる。
「計算上、彼女の魔力は必要なかったのよ。アリス・フォートリエと五人のヴァンパイア達、そしてあなた達――以上の八人のもので、足りるハズだったの。彼女は寧ろ、未だ捉え切れない力を持っているという事を考慮して、最も関わらせたくない存在だったと言えるわ」
「――だが、奴の登場という異常事態が発生しても、計画はこうして実現されたというワケか」
忌々しそうに舌打ちをするルイズ。
「ふふ……正直、不安な点はいくつかあったわ。ラメール達が私を復活させる事ができなければそれまでだし、それが成功したって、最後の関門である闇の世界への入口の生成に感付かれたら、打つ手は無かったもの」
エヴァはそう言って、安堵するように溜め息を漏らした。そして、「さて――」と切り出し、十字架を取り出して石碑の方に向き直る。
「後は彼女達を呼び覚まし、向こうの世界へと戻るだけ。それで計画は完遂よ」
そこで、ルイズが右手に持っているライフル銃を構え、エヴァの背中に狙いを付けながら言った。
「既に勝利を確信しているようだが、貴様は最後の最後で大きな失敗を犯した」
「――というと?」
「私を連れてきてしまった事だ。貴様の計画の是非なんぞに興味は無いが、母を
エヴァはニヤリと笑い、踵を返して再びメルセンヌ姉妹と向き合った。
「ふふ……健気ね。まだ吸収された力は戻っていないハズ。その上で、私に勝てるとでも?」
「愚問だな。それは貴様も同じ事だろう」
「そう……。なら、どこまでやれるのか、試してあげるわ」
後ろ髪に手櫛を通し、悠然とした態度でルイズの宣戦を受けるエヴァ。ルイズは目を細め、その態度に嫌悪感を示す。
「今に見てろ……私がその余裕を崩してやる……」
すると、そんな彼女にソフィアが腕を組みながらこう訊いた。
「手伝ってあげよっか? あんた一人じゃ勝てないでしょ」
その言葉に、ルイズは鼻で笑って答える。
「……足手纏いを自ら引き入れるような愚行はしない。貴様は引っ込んでいろ」
「強がんないでよ。素直にお願いしますって言えば?」
「戯言を……。貴様なぞ何の役にも立たぬ足手纏いだと言っているんだ」
「はぁ? あんた私より弱いでしょ。何言っちゃってんの?」
「貴様……いい加減にしろよ。奴より先に殺されたいのか」
「やれるもんならやってみなよ。恥掻くよ」
「良いだろう……私を愚弄した事を後悔させてやる」
敵を前に、いつもの調子で舌戦を繰り広げる二人。それを見ていたエヴァは、上機嫌に笑ってこう言った。
「仲が良いのね、あなた達。折角だし、二人纏めてかかってきなさい。――あなた達がどれだけ成長したのか、見定めてあげるわ。親としてね」
「――何度も言わせるな、貴様は私の母親ではない」
「ふふ……娘への折檻も、親の仕事ね」
エヴァは不敵な笑みを浮かべ、二人に向かって歩き出す。それを受け、ソフィアは光剣を生成し、ルイズは左手で剣を抜いて臨戦態勢を取った。
その頃――
ソフィア達が闇の世界へ入った少し後に、屋敷の屋上に存在していた裂け目は忽然と姿を消していた。
その存在に気付いていたのは屋敷の外にてラメールと交戦していたサクラのみであり、戦闘を終えた彼女は早速屋上へと足を運ぼうとする。
しかしホールに到着した所で、サクラは苦しむ双子とそれを介抱しているシャルロットの姿を見つけた。
見過ごすワケにはいかないと、サクラはシャルロットに声を掛ける。
「お二人の具合はどうですか?」
シャルロットは突然声を掛けられた事に少々驚いたものの、すぐに安堵したかのように溜め息をついた。それは、サクラならば自分よりヴァンパイアに詳しいであろう故に、この事態の原因の見当がついているハズだと思っての安堵であった。
「わからないわよ……突然ヴァンパイア達が消えたと思ったら、この子達まで苦しみ始めて……」
「……アリスさんは?」
「この奥に居るわ。ソフィア曰く、力を使いすぎたみたいで休んでるらしいの」
その言葉に、サクラは眉をひそめて訊き返した。
「力を使いすぎた……ですって?」
「え、えぇ……そう言ってたわ」
そこに食い付くと思っていなかったシャルロットは、困惑気味に頷く。
すると、目を閉じながらも二人の話を聞いていたリナが口を開いた。
「ねぇ、サクラ。一体何が起きたの?」
「あら、起きていましたか。具合はどうです?」
「良くは無いけど……それより、教えてよ」
サクラはリナの側にしゃがみ込んでから、話を続ける。
「わたくしも明確な答えを知っているワケではありません。ですが、これは恐らくエヴァが
「魔力の吸収……? 何の為に……」
「その件について、わたくしからもあなたに訊きたい事がありましてね。――闇の世界への入口というものを知っていますか?」
訊かれたリナは曖昧な口調で「知ってるけど……」と答えてから、はっとなって訊き返した。
「まさか、奴は入口の生成を……?」
「先程屋上に、それらしきものを見ました。まだ残っているかはわかりませんが、これから確認に行こうかと思っていた所です」
「そう……。それが奴の目的だったんだ……」
そこで、話についていけずに黙って聞く事しかできなかったシャルロットが、痺れを切らして口を挟んだ。
「ねぇ、一体何の話なのよ? 魔力の吸収とか、闇の世界とか……」
サクラはシャルロットの顔を一瞥してから、立ち上がって階段の方へと歩き出した。
「実際に見て貰った方が早いと思われます。――まだ残っていればの話ですが」
「はぁ? 何言って――ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
シャルロットは慌ててサクラを追い掛けようとしたが、リナとルナを置いていって良いものかと逡巡し、足を止めた。
しかし、リナがまだ目を覚ましていないルナの元へと移動し、シャルロットに言う。
「行って。ルナは私が見てるから」
「でも、そういうあなたはもう大丈夫なの……?」
「もうヴァンパイアの気配は無い。――外から感じるのはラメールのものだと思うけど、気配から察するに相当弱ってるハズ。だから大丈夫、気にしないで行って」
「そ、そう……わかったわ……」
戸惑いは残っていたものの、シャルロットはサクラの元へと向かおうとする。
「――シャルロット」
彼女が踵を返した所で、再び呼び止めるリナ。
「……どうしたの?」
「もう一回言っておく。――ありがと」
リナは優しい微笑を浮かべながら言った。
その言葉に何と返答するべきかを迷い、またもたじろいでしまうシャルロットであったが、彼女は不意に表情を綻ばせ、最後には何も言わずにウィンクをして、その場を後にした。
残ったリナは、ルナの側にしゃがみ込み、彼女の頭を膝の上に乗せてそっと髪を撫でる。
「――ヴァンパイアハンターなのに、私達の心配をするなんて。やっぱり変な人だね、ルナ」
ルナはすうすうと、穏やかに寝息を立てていた。
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