ヴァンパイア・ナイト

「遅かったわね。寄り道でもしてたのかしら?」

「黙れ。貴様と話す事など何も無い。私を騙した所業、その命で償わせる」

「面白い……」

 エヴァは唇の端を微かに歪めると、足元で倒れているシルビアの身体をソフィアの元へと放り投げた。

「シルビア……!」

 ソフィアは慌てて駆け寄り、身体を抱き起こして呼び掛ける。シルビアは苦しそうに唸り声を上げながら、ゆっくりと目を開けた。

「なんとか……生きてるみたいよ……」

「だ、大丈夫なの……?」

「さぁね……折れたであろう胸骨が心臓に刺さらなければ大丈夫でしょう……」

「折れたって……それまずいんじゃ……」

 ソフィアはそこまで言って口をつぐみ、シルビアの腕を肩に回して立ち上がった。

「痛たたっ……! もう少しゆっくり立ちなさいよ……!」

「我慢して! こっちにはまだやる事があるんだから……!」

 ソフィアは彼女を運ぶ前に、今一度エヴァの様子を確認する。エヴァは現れたルイズと対峙しており、こちらを襲おうしている様子は無かった。

 一応の安全を確認した後は、道中でシルビアの祓魔銃を拾い、屋内への鉄扉の元まで行く。それから、扉を開けてその先にある階段の前の空間にシルビアを運ぶ。

 壁に寄り掛からせるようにシルビアの身体を下ろすと、ソフィアはふうっと一息ついた。

「ここなら外よりは安全だと思う。ここで休んでて」

 その言葉に、シルビアは自分自身に嘲笑を浮かべながら呟く。

「まさか自分が誰かの足を引っ張る事になるなんてね……。私もまだまだね」

 すると、ソフィアは優しく微笑みながらこう言った。

「私はあなたに何度も助けられた。やっと一つ、恩返しができたね」

「……そうね。ありがとう、ソフィア」

 シルビアは彼女の笑みにつられ、先程の嘲笑とは異なる照れ臭そうな微笑を浮かべた。

「――さてと、そろそろ行かなきゃ」

「くれぐれも気を付けなさいよね。奴はまだ何か策を持っているハズよ」

「大丈夫。私達ならきっと倒せる。それに、まだこの力があるもの。次は本気で戦うよ」

 ソフィアは深紅の目を指差しながら、自信に満ちた様子で言った。シルビアはしばしの間ソフィアを見つめた後、小さく笑って頷く。

「……そう。わかったわ、頑張りなさい」

 シルビアの言葉に、ソフィアは強く頷いて見せた後、踵を返して屋上へと戻っていった。

 ソフィアが居なくなった所で、シルビアは胸部の痛みを我慢しながら煙草を取り出し、一本を咥えて火を点ける。

 口の中に煙を溜め、胸部の痛みを考慮してそれを浅く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 それから、先程ソフィアが発したあるセリフを、小さな声で呟いた。

「“私達”ならきっと倒せる……か」


 屋上に戻ってきたソフィアは、エヴァと対峙しているルイズの隣へと光剣を生成しながら向かう。

 ソフィアが到着するなり、ルイズは視線をエヴァに結び付けたまま素早く剣を抜き、切っ先を彼女に向けた。

「てっきり尻尾を巻いて逃げたものだと思っていたがな」

「――何さ、今更ノコノコ出てきて主役気取り?」

 本心では先程の危機を救われた事への気持ちもあったが、ソフィアはやはりいつものように挑発的な態度を見せる。対するルイズも、突然剣を抜いて彼女に切っ先を向け、やはりいつものように高圧的な態度で返す。

「勘違いするなよ。奴を終えた後は貴様だ。情けない戦いにならぬよう、今の内に体力を戻しておく事だな」

 出端から両者譲らぬ険悪な雰囲気になったものの、今は共通している敵が目の前に居る。その思いが、二人の視線をお互いから引き剥がし、エヴァへと移させた。

「――何はともあれ、まずはあいつからだね」

 光剣の切っ先をエヴァに向けるソフィア。

「あぁ。母さんを騙る下劣な輩は貴様よりも優先するべき相手だ」

 ルイズは右手に持ったライフルを向ける。

 対峙しているエヴァは、上機嫌に笑い出した。それから、落ち着いた口調で話し始める。

「――現世に生きる全てのヴァンパイアが同じ場所に集った今宵、ついに扉が開かれるわ」

「……こいつの登場を待っていたの?」

 ソフィアがルイズを横目で見ながら訊く。エヴァはゆっくりと頷いて、ラメールから受け継ぎ、修道服の内側に隠し持っていた十字架を取り出しながら話を続けた。

「扉を開くにはかなりの魔力が必要でね。あなた達メルセンヌ姉妹に、私の従者二人、そしてフォートリエの当主と彼女の従者達――その全員のものを足して、ようやく足りる程なのよ」

「戯言を。貴様の為に魔力を捧げるワケが無いだろう」

 今度はルイズが口を挟む。すると、エヴァは取り出した十字架を掲げ、不敵な笑みを浮かべてみせた。

「その点については問題無いわ。――まぁ、論より証拠ね」

 その時、ソフィアとルイズは突然身体が重くなるような感覚を覚えた。更に息苦しさも混じり、表情を苦痛に歪ませる。

「な、何なの……これ……」

 その感覚に耐えかね、へたり込んでしまうソフィア。ルイズは剣を杖代わりにして何とか立ってはいられたものの、やはりそれ以上の抵抗はできなかった。

 いつ治まるのか、そして突然起きたこの現象の原因は何なのか――ふと、ルイズはエヴァの様子を確認してみる。すると、彼女もまた同じ現象に襲われているらしく、表情に苦痛が表れていた。

 更にしばらく経つと、ソフィアにある変化が訪れた。彼女が持っていた光剣が、自分の意思とは関係無く自ら光へ戻って消えていった。

 ソフィアは怪訝に思い、再び光剣を生成しようと指輪に意識を集める。

 しかし、指輪は何の反応も見せなかった。

「どうして……?」

「――恐らく魔力を吸収されているんだ」

 ソフィアの様子を見ていたルイズがそう言った。

「ま、魔力を……?」

「詳しい方法などはわからん。だが奴は、この屋敷に居る全てのヴァンパイアから魔力を吸収するつもりだろう。――扉とやらを開ける為に」

 ルイズは忌々しそうにエヴァを睨み付ける。彼女の推測は的中しており、他の場所にてそれぞれ交戦しているヴァンパイア達にも、やはり同じ現象が起きていた――


「なんだ……急に力が……」

「エヴァの奴め……話が違うじゃねぇか……!」

 二階通路にて一騎討ちをしていたノアとフランは、両者共に突然膝をついてしまう。

「どういう事だ、一体何が起きてる?」

「扉だよ。そいつを開く為にはかなりの魔力が必要なんだ。だが奴は、充分な魔力は確保できたから、オレ達からは取らねぇと言ってたんだよ。ありゃ出任せだったのか、畜生め……」

「さっきも出た言葉だが、扉というのは一体何の話なんだ?」

「……」

 フランは逡巡したが、こうなってしまえばもう隠す必要もあるまいと思い、ノアの質問に答えた。

「……オレ達ヴァンパイアの故郷に繋がる扉さ」


 一方で、ホールにて大量のヴァンパイアを食い止めていたシャルロットと双子達にも異常は訪れた。

「これは……何が起きてるの……?」

 ヴァンパイア達が突然ばたりと倒れ、次々と灰になっていくという異様な光景に、眉をひそめるシャルロット。

 そして、彼女と共闘していたリナとルナも苦しそうな様子でうずくまり、呻き声を上げ始めた。シャルロットは慌てて二人の元に駆け寄る。

「ちょ、ちょっとあなた達……どうしたのよ……!?」

「わからない……でも、魔力が無くなってく……」

 今にも消え入りそうな弱々しい声で、リナが答える。ルナはもはや声を発する事もできなくなっていた。

「ああもう……何が起きてるってのよ……」

 突然の不可思議な現象に、シャルロットはただ狼狽する事しかできなかった。


 そして一連の現象は、屋敷の外で激戦を繰り広げていたサクラとラメールにもやはり起きていた。

「(この感覚は……)」

 半人半ヴァンパイアであるという点はメルセンヌ姉妹と共通しているが、二人よりも強い魔力を有しているサクラは、すぐに動けなくなるというような事は無かった。

 それでも、身体の中から徐々に魔力が消えていく感覚は確かに感じていた。

 一方で彼女と対峙していたラメールは純粋なヴァンパイア。急激な魔力の消耗は命にも関わる問題であり、サクラとは比べ物にならぬ程苦しんでいる。

 また、彼女の配下達も、ホールにて突然灰と化したヴァンパイア達と同じ結末に見舞われていた。

「そっか……エヴァ、あたし達を裏切ったんだ……。許さない……絶対に許さない……」

 その場に崩れ落ち、肩で息をしながら怨嗟の言葉を呟き続けるラメール。そこへ、抜き身の刀を手にしたままのサクラが歩いてきた。

「随分と苦しそうですね。介錯ならいつでもお引き受け致しますが、その前に何が起きているのかを説明して頂けますか?」

 サクラのにこやかな表情を見上げ、ラメールは怪訝そうに訊き返す。

「あなた……苦しくないの……?」

「“微塵も”と言えば嘘になりますが、あなた程ではありません。わたくしは純粋なヴァンパイアではありませぬ故、魔力を失っても死ぬ事は無いのですよ」

「……そっか」

 ラメールは残念そうに目を伏せ、覚悟を決めたように悲しげな微笑を浮かべた。

「流石のあたしでも、魔力を失っちゃったらもう打つ手は無いよ。殺したいなら、早く殺して」

「その前に、この現象についてのお話を」

「話した後にどうせ殺されるんだもん。言う必要なんか無いでしょ」

「おや、そう来ましたか。でしたら、これ以上の会話は必要ありませんね」

 サクラはそう言って、ラメールの首に刀の刃身をそっと添える。冷たい感触に驚いたのか、はたまた死というものに怯えているのか、ラメールの身体がびくんと跳ねた。

 彼女の反応を意外に思ったサクラは、振り上げようとした手を一旦止める。

「……怖いのですか?」

「早くやってよ……変な間を空けないで」

 ラメールの声はか弱く、震えていた。サクラは手を止めたまま、彼女を見つめる。

 すると、いつまで待っても刀が振り下ろされない事を不審に思ったラメールが、恐る恐る顔を上げてサクラを見上げた。

「どうしたの……やらないの……?」

 そこで更に、彼女の目元に涙が溜まっているのを見て、サクラは苦笑を浮かべる。

「少々当惑してしまいましてね。あなたの今の表情は、わたくしが抱いていた印象には随分似つかわしくないものですから」

「……?」

「死を恐れるような方だとは思っていなかった――という事です」

 それを聞き、今度はラメールが苦々しく笑う。

「怖いに決まってるでしょ……あたし達ヴァンパイアは、死んだらまたあそこに戻される。……あんな場所に戻るだなんて、想像したくもない」

「――あんな場所?」

「あたし達ヴァンパイアが眠る――故郷とも言える場所。……そこは暗くて、静かで、何も無いの」

「……」

 ラメールの話を聞き、何かを考え込むサクラ。それから、不意に屋敷の屋上へと視線を移す。

「……なるほど、そういう事でしたか」

 あるものが視界に入った瞬間、サクラは小さく笑みを零して呟いた。それから、ラメールの首から刀をすっと離し、器用にくるりと回転させてから鞘に納める。

 その際に、ラメールは刀の刃身が月明かりを反射して煌めいたのを見て恐怖に駆られ、再び反射的に身体がびくんと動いてしまったものの、彼女に処刑の意思が無いという事にはすぐに気付いた。

「殺さないの……?」

「ふふ……その涙に免じて、今回の所は見逃しましょう。ですが、次はありませんよ? また何か良からぬ事を企んだ際には、必ずわたくしがあなたの首を刎ね落としに行きますので、そのおつもりで……」

 にっこりと笑ってそう言うと、サクラは踵を返して屋敷の方へと歩き始めた。

 一人その場に残されたラメールは、地べたに座り込んだままサクラの後ろ姿を見えなくなるまで見つめる。

 そして彼女が屋敷に入った所で、ラメールは堪えていたものが溢れ出たかのように、声を上げて泣き始めた。

 それは死への恐怖から解放された事による安堵か、もしくはサクラに敗北を喫した事による悔恨から生まれた激情なのかは、本人にもわからなかった。


 一連の現象が始まってからおよそ五分が経過した所で、力の吸収は完了した。

 事の発端の場所である屋上にて、エヴァは乱れた息を整えながら怪しく微笑を浮かべていた。

「ふふ……やっと終わったみたいね……」

 エヴァの背後の空間が歪み、そこに裂け目のようなものが現れている。その中は暗闇に支配されており、先を見通す事ができない。

 その裂け目の中に、エヴァは躊躇う事なく足を踏み入れた。

「逃がすか……!」

 体調は万全ではなかったものの、ルイズはエヴァを追い掛ける為に何とか立ち上がり、裂け目の元に向かう。

「ま、待ってよ……!」

 ルイズが裂け目の中に入っていったのを見て、ソフィアも慌ててそれを追い掛ける。

 裂け目の前に到着した所で、その暗闇を目の当たりにしたソフィアは思わず足を止めてしまった。これは一体どこに繋がっているのか、そして、入ってしまったら二度と戻れなくなるのではないか――

 しかし、先に入っていったルイズの存在が、その逡巡を断ち切らせた。

「……よし」

 意を決したソフィアは、強い足取りで裂け目の中に足を踏み入れた。

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