軋轢

 一方その頃――

「ソフィア、まだ屋上に居るのかしら?」

 赤いワインが注がれたグラスを片手に、客間のソファーに深く座り込んで寛いでいるシャルロットが不意にそう呟いた。

「考え事は一人の方が捗るものよ。そっとしておいてあげましょう」

 同じくソファーに身体を預け、ブランデーを嗜んでいるシルビアがそう答える。

 尚、二人は客間に来る前に屋敷のシャワーを勝手に借りて汗を流し、これもまた勝手に拝借したバスローブに身を包んでいた。――完全に寛いでおり、これから戦おうという者達の態度には到底見えなかった。

 しばらくした所で客間に現れたソフィアも、二人の様子を見て思わず怪訝な表情を浮かべた。

「な、何してんの……?」

「あら、ソフィア。考え事は纏まったの?」

 シャルロットの少し赤らんでいる顔と手元にあるグラスを交互に見て、ソフィアは呆れたように溜め息をつく。

「何でお酒なんか飲んでるの……日が暮れれば戦いが始まるんだよ……?」

「大丈夫よ」

 いつになく上機嫌なシルビアが答える。

「日が暮れる頃には醒めるわ」

「シルビアまで……全く、もう知らないからね」

 ソフィアはぷいっと顔を背けて、二人とは離れた場所にある窓際のソファーに腰掛ける。そこで、機嫌を損ねた彼女を可愛く思ったシャルロットが、いたずらっぽい笑みを浮かべてすっと立ち上がった。そして背後からそろりそろりと忍び寄り、突然ソフィアに抱き付く。

「わぁっ! な、何するの……!」

「ふふ……あなたの怒り顔、ホントに可愛いわぁ……ほれほれー」

「やめてってば……! ――っていうか酒臭い! だから顔近付けないで!」

「なーによ、私だってホントは飲もうとなんて思ってなかったのよぉ? ただ、シルビアが上物のワインを見つけてきちゃったからぁ……」

 嫌がるソフィアに無理やり頬を擦り付け続けるシャルロット。シルビアは助けるどころか気にもせずに空になったグラスに悠々とブランデーを注いでいる。

 その時扉がゆっくりと開き、透明な液体が入っている二本の大きなペットボトルを抱えたリナが現れた。

「これ飲んで。酔っ払い共」

 リナはそう言って一本をシルビアに投げ渡し、もう一本はシャルロットに押し付けるように持たせる。

「何よこれ、ウォッカ?」

 受け取ったペットボトルを掲げてまじまじと見ながら訊くシルビア。リナは溜め息混じりに答える。

「そんなワケないでしょ。酔い覚ましの水だよ」

「酔い覚ましの水ですって? そんなもの必要ないわよ、私はまだまだ全然酔っ払ってなんかいないもの」

「煙草を逆に咥えながら言われても説得力無いから」

「……これはちょっとしたジョークよ」

「だと良いけど……」

 慌てて煙草を反転させたシルビアに対し、リナは肩を竦めてみせた。


「ねぇ、アリスはどうしてるの?」

 リナから貰った水を飲んで気分を落ち着けたシャルロットが再びソファーに座りながら訊く。

「アリス様なら、書斎に居る。ヴァンパイア伝説の書物にラメール達の情報が無いかを探してる」

「あなたの片割れは?」

「片割れって言わないで。――ルナなら、勝手にシャワーを使った誰かさん達の服を洗濯してる」

「あら、悪いわね。別にそのままで良かったのに」

「私の妹は優しいの」

「心優しいヴァンパイアってワケね。素敵な話だわ」

「嫌味?」

「とんでもない。本心よ」

「……あっそ」

 リナは最後に溜め息を一つ残し、部屋から出ていく。彼女の姿が無くなってから、ソフィアはふと気になった事をアルベール姉妹に訊ねた。

「そういえばあなた達って、以前はいがみ合ってた仲なんだよね? その割には随分と砕けた間柄に見えるんだけど……」

「それについては……まぁ色々あったんだけど、一番の影響はアリスよ。彼女が主になって人間への敵対をやめてくれたから、私達も連中を憎む必要が無くなったのよ」

 答えたのはシルビア。ソフィアはただ一言「そうなんだ」と返し、その話を終わらせる。

 しかし、シャルロットがネックレスの先にくくりつけられているブローチを手に取り、寂しげな表情でぼそりとこう呟いた。

「――微塵も憎んでいないかと言えば、そうでも無いんだけどね」

「……え?」

 思わず訊き返すソフィア。シャルロットは笑顔を作って「なんでもないわ」と返し、誤魔化すようにペットボトルを口元に運ぶ。

 当然何でもないようには見えなかったソフィアは追求をしようと口を開きかけたが、シャルロットを見つめるシルビアの表情に気付き、慌てて口を閉じた。

「(訊かない方が良さそうだな……)」

 シルビアもまた、寂しげな表情を浮かべていた。



 一方――

 マリエルの護衛と荷物持ちを任せられたノアは、丁度目的地に到着した所であった。

「ごめんね、ノアちゃん。荷物まで持って貰っちゃって」

 荷物を店の奥にあるキッチンへ運び終えたノアに、マリエルは申し訳なさそうに苦笑を浮かべてみせる。

「お気になさらず。――それでは、ボクはこれで」

 役目を果たしたノアはそれだけ言って帰路につこうとしたが、マリエルがそれを止めた。

「あ、ちょっと待って。お礼にコーヒーをご馳走させてくれないかな?」

「そんな、お礼だなんて……。ボクはただ――」

 思わず困惑してしまうノア。しかし、

「(――いや、他ならぬ姉様あねさまのお誘いだしな。無下に断るのも失礼か……)」

 と思い直し、ノアは慣れない愛想笑いを浮かべながら「いえ、頂きます」と返答を改めた。

「良かった! ノアちゃんは、座って待っててね」

「ボクも手伝いますよ」

「ダメ! ノアちゃんは楽にしてて!」

 マリエルはノアの背中を押して彼女を強引に椅子に座らせ、嬉しそうににこにこと笑いながらキッチンへと向かう。

 彼女の無邪気な笑顔を見たノアは、思わず釣られて表情を綻ばせた。それから、肩の力を抜いてふうっと一つ溜め息を漏らす。――ヴァンパイアである彼女に疲労感というものは無いが、主の姉であるマリエルと二人っきりという状況は気楽なものではない。

 しかし、気さくな彼女の振舞いに、ノアの緊張は徐々に解け始めていた。

「(明朗な方だな……)」

 そこで、マリエルがぱたぱたと忙しない様子で戻ってきた。

「ノアちゃん、お砂糖とミルクは入れる?」

「いえ、結構です」

 反射的にぴしりと姿勢を正すノア。そんな彼女を見て、マリエルは苦笑を浮かべる。

「そんなに固くならなくて良いよ。私はあなたの主じゃないんだしさ」

「そうはいきません。あなたは主の姉様であられる方、失礼な態度は――」

 と言いかけて、ノアは以前アリスからも似たような指摘を受けた事を思い出し、口を噤んだ。それから、苦笑混じりにこう訊き返す。

「――やっぱり、ボクって固すぎますか? 以前アリス様にもそのように言われた事がありまして……」

 それを受け、マリエルはくすくすと小さく笑って答えた。

「ノアちゃんの誠実な態度は、素直に嬉しいって思うけどね。私、今までそんな扱いを受けた事は無かったし。でも、私も、きっとアリスも、そこまで固くなられちゃうと寧ろ申し訳ないと思っちゃうよ」

「そういう……ものでしょうか……?」

「ふふ……私はもっと、ノアちゃんと気楽に話せるようになりたいな。主の姉だとか、そんなの気にしないでさ」

「気楽にですか……」

 ノアはううんと唸り、考え込む素振りを見せてからこう続けた。

「しかし、いきなり砕けた態度に変えるというのは、やはり抵抗がありますので……」

「じゃあ、せめて名前で呼んで? 姉様って呼ばれるのは中々慣れないんだ」

「名前……それならまぁ、なんとか……」

「ふふ……じゃあ決まり! 今後は姉様じゃなくて、マリエルって呼んでね?」

「わかりました。マリエル様」

「様はつけなくて――っと、まぁ仕方ないよね。いつかは呼び捨てで呼ぶようになってね?」

「……努力はしてみます」

 苦笑を浮かべるノア。マリエルはにっこりと笑い、コーヒーを淹れる為にキッチンへと戻っていった。


 それからしばらくして、マリエルは二人分のコーヒーを持ってノアの元へと戻ってきた。

「お待たせ。はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 ノアはコーヒーを受け取り、一口啜る。

「美味しい?」

「えぇ、とても」

「ふふ……良かった。それにしても、お砂糖もミルクも入れないで飲むだなんて、ノアちゃんって大人なんだね」

「そうでしょうか? 単に好みの話なのでは」

「ううん、私は無糖のコーヒーなんて苦すぎて飲めないもん。舌がお子様なのかな……あはは……」

 マリエルはそう言って、少し照れ臭そうに笑いながら自分のコーヒーに砂糖を入れる。

「気にする事ではありませんよ。姉さ――えーと……マリエル……様」

 ぎこちない口調に隠された“無理をしている”という思いは当然見抜かれ、マリエルは顔を上げて苦笑いを作った。

「やっぱり慣れないかな……? いきなり呼び方を変えるのって」

「なんというか……その……照れ臭いというか……」

「ふふ……本当に、私なんかに気なんて遣わなくて良いんだよ? ほら、ノアちゃんって、アルベール姉妹のお二人とは普通に話せてるでしょ? 私にもあんな感じで話してくれれば良いんだよ」

「な、何を仰いますか! あんな連中とマリエル様を同列に考えて接するなどもってのほかです!」

「あ、あはは……“あんな連中”って……」

 苦笑を浮かべたマリエルを見て、ノアは恥ずかしそうに咳払いをする。

「――失礼しました。少々不適切な言葉を使ってしまったようで」

 マリエルはくすりと笑ってこう言った。

「改めて考えてみると、あなた達って不思議な関係だよね」

「不思議――と、仰いますと?」

「だって、あの二人はヴァンパイアハンターで、あなた達はヴァンパイアなのに、今はいがみ合う事なく共存できてるじゃない」

「……」

 ノアはゆっくりとした動作でコーヒーを机の上に置いた。

「――ノアちゃん?」

「いがみ合っていないのは、あくまでもアリス様が中立してくれているからです」

「……え?」

「連中がボクを許しているワケがありません。だって、ボクはロコン村の住民を皆殺しにした張本人なんですから」

 そう語ったノアの表情は、どこか悲しそうに見えた。

「……後悔してるの?」

「わかりません。ボクには善や悪などと言ったものはよくわからない。主の命令だけが絶対だと思っている。殺せと言われれば誰であろうと殺すし、死ねと言われれば喜んで死ぬ。ボクにとって、そこに善や悪は存在しない」

 ノアはそこまで言って再びコーヒーを手に持ち、「でも――」と続ける。

「アリス様に仕えるようになってから、それはおかしな事なんじゃないかと思えるようになってきて……自分でもよくわからないんです」

「その話、アリスには話した事はあるの?」

「少し前に。そしたらアリス様は、“もっと自分の意思を尊重するべき”と仰いました。――それも、いまいち意味がわからなくて。ボクの意思なんて誰の得にもならないものなんだから」

「それは違うよ」

 マリエルは優しい声調で言った。ノアは顔を上げ、マリエルを見つめる。

「違う……?」

「仕える主が居て、その存在は自分の命を捧げる程に絶対なもの――それって、誰が決めた事なのかな?」

「それは……」

 答えようとしたノアであったが、そこから先の言葉は何も出てこなかった。

 そんな彼女の様子を見て、マリエルは優しく微笑む。

「あなたの思い込みなんじゃないかな。少なくとも、アリスはそんな風には思ってないハズだよ」

「どういう事です?」

「多分アリスは手下とかっていうより、あなたを一人の大切な友人として見てるんだと思う。だから絶対的な忠誠よりも、もっと自分の意思を大切にしてほしいと思ったんじゃないかな。私はそう思うよ」

「友人……? ボクが……アリス様の?」

「うん。何も不思議な事は無いよ」

 にっこりと笑ってみせるマリエルであったが、ノアは半信半疑と言った様子で渋面を浮かべている。主従関係のみが全てと考え、友人などというものは過去に一度も気にした事すら無い彼女にとって、それは想像もできないような話であった。

「だから、アルベール姉妹のお二人にもあなた自身の意見を伝えてみたらどうかな? 確かにあなたがあの二人にしてしまった事は、簡単に許されるような事じゃない。でも、あなたがどう思っているのか、それを知ったら少しは変わるんじゃないのかな」

「そう……でしょうか……?」

「少なくとも、私は知ってるもん。あなたがとても誠実で、勇敢で、そして優しい子だって事」

「……」

 先程からずっと浮かない顔をしていたノアであったが、マリエルの優しい言葉を受け、ようやく破顔してこう言った。

「……ありがとう、マリエル様」

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