日没、そして
ノアがマリエルのカフェから屋敷へと戻ってきた頃には、陽が山影に差し掛かり、空は晴天の青から夕焼けの茜色へと変わっていた。時刻は午後の五時になろうとしていた。
「(参ったな……夕暮れまでには帰るつもりだったけど……)」
苦い表情で玄関扉を押し開けるノア。その先にあるホールにて、洗濯をし終えたアルベール姉妹のスーツを手に丁度二階への階段を登ろうとしていたルナの姿を見かけた。
ルナも扉が開いた音でノアに気付き、階段から離れて彼女の元へと向かう。
「おかえり。遅かったね」
「すまないね。マリエル様と話していたら、こんな時間になった」
「姉様と? 何を話してたの?」
「……まぁ、色々だよ」
「ふーん……」
ルナは怪訝そうに上目遣いでノアを見つめたものの、やがて“まぁいいや”といった様子で踵を返して階段へと戻っていった。ノアもそれについていく。
「アリス様はどこに?」
「書斎。客間にはソフィアと酔っ払いが二人」
「待て。なんだ、酔っ払いって」
「行けばわかるよ。とりあえず先に、アリス様に戻ったって報告したら?」
「そのつもりだ」
階段を登った先の分かれ道にて、ノアは書斎へと続く右の道を、ルナは客間に向かう為に反対の道をそれぞれ別れて歩き出した。
「アリス様、ただいま戻りました」
書斎の前に到着し、扉越しに声を掛けて返事を待つノア。返事はすぐに返ってきた。
「ノア? おかえりなさい。入って」
「失礼します」
ノアが部屋に入ると、アリスは今まで読んでいた辞書のようにずっしりとした本をぱたんと閉じて、役目を果たしてきたノアに温かい視線を向けた。
「お疲れ様。ありがとう、ノア」
「いえ、遅くなってしまって申し訳ありません」
「謝るような事は何もないよ。――でも、確かにちょっと遅かったけど、何かあったの?」
「マリエル様にコーヒーをご馳走して頂きまして。そのついでに色々と話していたら、こんな時間に……」
ノアは申し訳なさそうに言ったが、アリスには怒るなどといった様子は微塵も無く、それよりもノアがマリエルと話をしたという意外な報告に興味を惹かれていた。
「ふふ……なんだか面白そうな話だね。聞かせてくれる?」
アリスは椅子から立ち上がってソファーへと移動し、ノアにも向かいに着席を勧める。
ルナに訊かれた際にははぐらかしたものの、主の希望とあってはそうはいかないと思い、ノアは「わかりました」と返してアリスの向かいに腰掛けた。
「それで、お姉ちゃんとどんな話を?」
ノアが座るなり、アリスは身を乗り出して話を催促する。主の無邪気なその様子に、ノアは答える前に思わず苦笑が漏れてしまう。
「あ、あの……そんなに気になります……?」
「気になるよ! だって、ノアっていつも自分からはあまり話そうとしないじゃない。だから私、なんだか嬉しくって」
「嬉しい……ですか?」
「うん。だからあなたももっと、リナとルナみたいに気楽に過ごしてほしいな」
「――あの二人に至っては、少々気を抜き過ぎているようにも思えますが……」
「ふふ……そんな事ないよ。やんちゃな妹達って感じで可愛いし、やる時はちゃんとやってくれるもの」
「はぁ……」
そんな会話を経た事でノアも幾分かは気が楽になり、そのままマリエルとの一件を話し始めた。
一方――
「ちょっと飲み過ぎたかしら……数時間前の記憶が無いわ……」
「全くだらしないわね。私を見習いなさい」
「煙草を逆に咥えて火を点けようとしていた人にとやかく言われたくはありません」
「……」
客間にてワインとブランデーを泥酔の一歩手前まで嗜んでいたアルベール姉妹の二人であったが、今は二人共に素面に戻っており、服装もまたバスローブではなくルナが洗濯してくれたスーツに戻っていた。
「にしても不思議ね……いくらなんでもこんなに早く酔いが醒めるだなんて」
そう呟いて、リナから渡されたペットボトルの水を一口飲むシャルロット。
「私は普段から酒癖が悪いワケではないから不思議には思わないけど、確かに気分が悪くないわ」
シルビアもシャルロットと同じくアルコールによって乾いた喉を水で潤している。
「酒癖云々は聞かなかった事にしてあげるわ、お姉様。――やっぱり良いお酒は悪酔いしないものなのかしら」
「私の水のお陰だね」
部屋に入ってくるなり二人が持っている水を見ながらそう言ったのは、リナであった。
彼女の発言を聞き、シャルロットが鼻で笑う。
「私の水? 何言ってるのよ、あなた。こんなのただの水でしょう?」
「違う。それはただの水じゃない。私が錬成した特別な水」
「……はい?」
「あなた達の酔いを早く醒ます為に作ったの。――成分については、聞かない方が良いと思うよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべるリナ。アルベール姉妹の二人はきょとんとした顔を見合わせてから、ペットボトルに視線を戻し、それを静かに机の上に置いた。
「少しでも体調の悪化を感じたら、すぐにあなたの所へ行くとするわ」
「やっぱり人間って生き物はわからないな。泥酔こそ体調の悪化と言えるんじゃないの?」
「……否定はしないわ」
シャルロットは困ったように苦笑を浮かべてそう返した。
そして、それから一時間が経過した午後六時――
「……何かしら、この気配」
ソファーに腰掛け祓魔銃の動作確認をしていたシャルロットが、不意に顔を上げてそう呟いた。その言葉に、窓際でこっそりと喫煙に耽っていたシルビアが反応を見せた。
「お出ましよ」
客間に居た全員が所狭しとシルビアの元に集まり、彼女の視線を辿ってみる。
すると、山道の方からこちらに歩いてくるラメールとフランの姿が見えた。
「二人だけ? エヴァはどうしたのかしら」
シャルロットが呟く。その言葉には、勝手に彼女の背中にぶら下がりながら肩越しに窓の外を見ているルナが反応した。
「まだ休んでるんじゃないの? あの二人は前哨戦って事でさ」
「――なんでぶら下がってるの?」
「見えないから」
「……そう」
一同の視線を受ける中、二人は門の前までやってきた所で足を止める。そして、一同が集まっている窓を見上げた。
そこで客間の扉が開き、リナが急ぎ足で登場する。
「来たよ。準備して」
「準備はできてるわ。行きましょう」
即答し、祓魔銃を手に客間を出ていくシルビア。
「私達も行きましょうか。――あなたはいい加減降りなさい」
「このまま運んでってよ」
「お断りよ」
「けち」
ルナは渋々シャルロットの背中から飛び降り、リナの元へと歩いて行った。シャルロットもそれに続こうとしたが、まだ窓際に残っている一人に気付き、足を止める。
「……ソフィア?」
ソフィアは窓の向こうを見つめ、何かを探しているように見えた。彼女が何を探しているのかを察したシャルロットは、安心させようと優しい声調で言う。
「大丈夫よ。その内ひょっこり現れるでしょう」
「そうかな……あいつ、どこに居るんだろう……」
「エヴァが居ないってのも気になるわ。もしかしたら、サクラと合流して――いや、それは無いか。あの二人が一緒に行動してる絵は想像すらできないわ」
「だとしても、あいつ一人でエヴァに挑んでるって可能性はあるよね……」
「それを心配してるの?」
「……あいつ一人でどうにかなる相手じゃないもの」
「まぁ……確かに無鉄砲な所がある子だから、一言に大丈夫でしょうとは言えないわね」
ルイズの性格を思い出し、苦笑いを浮かべるシャルロット。それから、こう付け足した。
「その為にも、早くあの二人を撃退しちゃいましょう。そうすれば、悩みの種であるルイズを早く探しに行く事ができるでしょう?」
「……そうだね」
何とか元気づけようとしてくれているシャルロットの優しさに、ソフィアは微笑を浮かべて応えてみせた。
客間を出てホールに到着すると、既にアリスとノアの二人がそこで待っていた。
「お待たせ、アリス。それで、お客様はどちらに?」
冗談混じりにそう訊いてきたシャルロットに、アリスは苦笑を浮かべながら答える。
「多分外で待ってるハズだよ。準備は大丈夫?」
「バッチリよ。任せなさい」
祓魔銃を片手にウィンクをしてみせるシャルロット。彼女を筆頭に、他の一同もそれぞれの得物を準備する。
その時、玄関扉がゆっくりと開いた。
「お邪魔しまーす」
わざとらしい明るい声調――ラメールは満面の笑みを作って一同の前に現れた。
「さぁ、どいつからだ。纏めてかかってきても構わねぇぜ」
ラメールと共に現れたフランは、既に右手に炎を纏わせていた。
「ちょっと待ってよ。どうやって門を開けたの?」
鉄門を魔法の力で閉ざしていた張本人であるリナが、ラメールに対して不思議そうに訊く。
「ふふ……あれ、あなたの魔法だったんだ。へぇ……そうだったんだ……」
「……何その含ませた物言い」
「あれくらいの魔法じゃ、足止めにもならないよ? よくあれで閉ざしている気になれるね。あたしびっくりしちゃった」
「……」
静かながらもふつふつと怒りの炎を燃やすリナ。彼女の肩にルナがそっと手を置いて宥める。
「リナ、落ち着いて」
「あいつは許さない」
「それは同感。でも落ち着いて」
傍ら、シルビアが辺りを見回しながら二人に訊いた。
「ご主人様はどうしたの? やっぱり怖くなってまたあの世に帰ったの?」
「そんなワケないでしょ。エヴァなら今頃、あなたの叔母さんに会いに行ってると思うよ」
ラメールは世間話でもするかのように、軽い声調でそう言った。反面、一同――特にアルベール姉妹の二人は耳を疑い、ラメールを睨み付ける。
「今の、冗談じゃなさそうね」
シャルロットがいつになく鋭い声でそう確認する。その途端に、ラメールの笑顔に翳りが差した。
「ホントかどうか、見に行ってみたら? 変わり果てた姿を見る事になると思うけど……」
「このッ……!」
湧き上がってきた怒りに身を任せ、足を踏み出そうとしたシャルロットをシルビアが片手で制した。
「シャル、落ち着きなさい。私達を分散させる為のはったりという可能性だってあるわ」
「でも、そうじゃなかったらどうするのよ……! ヴェロニクが――」
「わかってる。でも今は、こいつらを片付けるのが最優先よ。――それに、あまり奴を頼りたくはないけど、サクラだって動いているわ。本当にエヴァがユーティアスに向かったというのなら、気配で気付いて奴もそっちに向かうハズよ」
「……」
滔々と説得を続けるシルビアに、シャルロットの昂りも徐々に落ち着いていく。
しかし、そこでラメールが更に事態を混乱させる言葉を投げた。
「勿論、エヴァだけじゃないよ? あなた達から貰った十字架で、それなりに“数”も揃えさせて貰ったの。正直、あたし達だけじゃあなた達全員を相手にするのは骨が折れると思うからね」
「その割には、こっちはあんた達二人だけなのね。まさか全てユーティアスの襲撃に割いたとでも?」
シルビアの指摘に、ラメールはくすくすと可笑しそうに笑ってみせる。
「ふふ……まさか、あたし達はそこまで自信家じゃないよ。ちゃんと半分に分けて連れてきたよ」
「半分ね。良いわ、さっさと呼びなさい。片っ端から灰にしてやるわ」
「まぁそう焦んないでよ。今呼んであげるから……」
そう言って、ラメールは右手をすっと挙げる。すると、彼女の背後からヴァンパイア達が続々と現れ始めた。
十体、二十体、三十体――ヴァンパイアは次々と現れ、ラメールとフランの元に集結していく。その様子を見ていたシャルロットが、思わずこう呟いた。
「……半分って言ったわよね?」
最終的に集まった数は、百体を越えていた。
「ふふ……これだけ居れば、あなた達も退屈しないでしょう? あたしの心遣い、喜んでくれると嬉しいな……」
「ここまでしてくれるなんてね、泣けてくるわ」
溜め息混じりにそう返答するシルビア。
ラメールが口元を歪ませ、挙げていた片手をすっと下ろすと、それが開戦の合図となりヴァンパイア達は一斉に攻撃を始めた。
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