握られた手
円石の広場にやってきたメルセンヌ姉妹は、そこに居た黒紫色の頭髪の女性と相対する。背を向けているので顔はまだ見えず、ソフィアはその後ろ姿に眉をひそめるだけ。
しかし、前述の頭髪に、修道服のような黒いローブという服装を見て、ルイズは違った反応を見せた。
「エヴァ……エヴァなのか……?」
崖の先に広がる海原を眺めていたその女性――エヴァはゆっくりと振り返り、ルイズを見て微笑を浮かべた。
ルイズは目の前に居る女性の顔と自分の記憶の中にある母親の顔が一致している事に驚愕し、息を呑む。そんなルイズに、ソフィアは怪訝な思いでこう訊く。
「ねぇ、ルイズ、この人が私達のお母さんなの?」
ルイズは曖昧に頷いて答える。
「――多分な」
「多分? なにそれ、どういう事? あんた達は母親を蘇らせたんでしょ?」
「身なりは私が知っているエヴァ――母さんと同じだ。しかし、中身はまだわからん」
「……そういえば、アリスがそんな話をしてたね。どうやって確かめるつもり?」
「知るか。話でもする他ないだろう」
「まぁ確かに、それが一番手っ取り早いか。でも、さっきからあの人一言も――」
そこで、ソフィアの言葉を遮るようにエヴァが話を始めた。
「大きくなったわね、ソフィア。ルイズも最後に見た時と比べて、良い目付きになったわ」
ソフィアにとっては、初めて聞いた母親の声。どこか懐かしさを感じる、優しい声であった。
「――ホントに、私達のお母さんなんだ。あまり似てないんだね。髪の色もちょっと違うし」
「ふふ……そうみたいね。でも、受け継ぐべきものはしっかりと受け継いでくれたみたいよ。二人共ね」
ソフィアはその言葉の意味を理解しかねたが、その後にルイズがエヴァに投げた質問により、遅まきながらも気付く事ができた。
「エヴァ、あんたの意中を聞きたい。ヴァンパイアとして、一月前の計画を再実行するつもりなのか?」
「勿論。そのつもりよ」
二人の会話を聞いていたソフィアは、光剣を生成して身構えた。
「勝手に話進めないでよ。そんな事させないからね」
「ソフィア、あなたは人間の味方をするの?」
ソフィアに視線を移すエヴァ。表情は笑顔のままであったが、彼女の視線を受けたソフィアは背筋をなぞられるような嫌な感覚に襲われた。
「人間の味方とか、そういう話じゃなくてさ……そもそも人類に敵対するなんて、おかしいよ」
「おかしい――というと?」
「確かに三百年前だかにヴァンパイアと人間は戦ったみたいだけど、そんなの昔の話だし、今になってそんな概念に従う事無いでしょ?」
「ふふ……おかしな事を。私の娘とは思えない発言ね」
「……は?」
基本的には怖いもの知らずで無鉄砲な性格であるソフィアは、まだどれ程の力を持っているのかもわからないエヴァを前にしても、強気な態度を崩さずにいる。
しかし、エヴァが表情から笑みを消すと、ソフィアの強情は易々と揺らぐ事になった。エヴァは続ける。
「あなたもアリス・フォートリエと同じ思想を掲げるのね。人類とヴァンパイアが共存する平和な世界をお望み?」
「し、思想とか、そんなのどうでもいい……ただ――」
「そんな考えはヴァンパイアの存在意義に反しているわ。私達は人類を滅ぼす為に生まれた存在なのだから」
「……あなただって、元は人間だと聞いたけど」
「今はヴァンパイアよ。――無論、あなた達もね」
エヴァはそう言って、にっこりと笑った。
そんな彼女を、ソフィアは威圧するように強く睨み付ける。身体を強張らせ、恐怖から来る震えを必死に抑えながら。
――僅かな沈黙が訪れた。しばらくしてそれを破ったのはルイズの声であった。
「あんたがそのつもりなら私も力を貸す。だがその前に、一つだけ聞かせて貰おう」
「何かしら?」
「ラメールとルイズは、あんたの従者なのか?」
「それを聞いてどうするつもり?」
「私は奴等に“用済み”と言われ、裏切られたものでな。一体どんな命令を下したんだ」
「あらそう……裏切られたのね……」
「質問に答えろ」
「私はただ、“私が死んだら蘇らせろ”と言っただけよ。“あなたを利用して、用済みになったら裏切ってしまえ”とは一言も言ってないわ」
「あんたの命令では無いという事か。ならば奴等に落とし前をつけさせても問題は無いな。腹に剣を突き刺された屈辱を水に流す事はできない」
「ふふ……恨みを晴らさずにはいられない性格なのね。それでこそ、私の子だわ……」
エヴァは愉快そうにくすくすと笑いながらそう言って、ルイズの元へと歩いていく。
「でも、それは困るわ。あの子達は私の大切な従者だから」
「ならばどうする。我慢しろと説教でもするつもりか?」
「えぇ、そうね。説教するのは親の務めですもの」
エヴァはルイズの前に立つと、にっこりと笑ったまま右手を引いた。
「だから、身体に教えてあげるわ……ルイズ……」
そして引いた右手を勢い良く突き出し、ルイズの胸部を貫こうとした。
しかし、ルイズはその手を掴んで止め、捩り上げながらエヴァを睨み付けた。
「説教ならお断りだ。今更教わる事は何もない」
エヴァは彼女に視線を合わせながら、口元を歪ませる。
「良い目をしてるわ、ルイズ。獲物を捉える獣のような目付き――でも、それは母親に向けるものではないわね」
「黙れ。――貴様は母親ではない」
「……なんですって?」
エヴァの表情から、すっと笑みが消える。
「母さんは……そんな目はしていなかった……!」
ルイズは吐き捨てるように言い放ち、エヴァの頬に右手の拳を勢い良く打ち付けた。
避けなかったのか避けられなかったのか、エヴァは品性に欠けたその大振りな殴打を素直に喰らう。
「母さんは――エヴァは厳しかった。でも、優しかった。だが貴様の目からは何も感じられない。ただただ冷たく、空虚だ」
エヴァは口から垂れてきた血を手の甲で拭い、呆れた様子で弱々しく笑う。
「ふふ……全く、私の娘達は揃いも揃って反抗期ってワケね……」
「貴様は母親ではない。三度は言わんぞ」
「――良いわ。それじゃあ、あなた達の成長をこの目で確かめるとしましょうか」
エヴァの目がすっと赤色に変わった。
強大な気配を察知し、ソフィアとルイズは身構える。
「どうすんの?」
「殺す」
「――わかり易」
ソフィアは光剣を生成し、ルイズは剣を抜く。それを受け、エヴァは得物を構えた娘達の元にゆっくりと歩き始めた。
「さぁ、おいで。まずはルイズかしら? それともソフィアから?」
挑発的な笑みに応えたのは、ルイズであった。彼女は自ら近付いていき、間合いに入った途端に剣を振り下ろす。
エヴァは振り下ろされた刃を右手の人差し指と親指だけで掴み、剣をまじまじと見始めた。
「良い剣だわ。でも、あなた手入れをおこたわっているでしょう。刃がボロボロよ」
「ッ――!」
振り払う為に剣を左右に動かそうとするが、指二本だけというにもかかわらず、エヴァの力の方が強かった。
「ダメよ、ルイズ。力だけで解決しようとするのは良くないわ」
「黙れ……!」
憤るルイズを嘲笑するかのように小さく笑い、エヴァは掴んでいる剣ごとルイズの身体を後方へと投げ飛ばした。
「次はあなたよ、ソフィア。来なさい」
「――わかってるよ」
光剣を今一度握り締め、ソフィアは重い足を一歩前へと運ぶ。
「何よ、その足取りは。そんなんじゃ敵は倒せないわよ?」
ソフィアが瞬きをした一瞬の間に、エヴァは目の前にまで来ていた。
「ッ――!」
ソフィアは慌てて反撃しようとしたが、動揺していた隙に光剣を取り上げられてしまう。そして腕を掴まれ、ルイズと同じように投げ飛ばされた。
「……危な」
二人共にあと数センチ遠くに投げられていれば崖から転落しており、ソフィアは思わずごくりと生唾を呑み込んだ。
「もう少し立派になっているかと思ってたけど、私の思い違いだったみたいね」
転がっている二人にそう言って、溜め息をついてみせるエヴァ。
「ねぇ、ルイズ……私達のお母様は一体どんな力を持ってるの……?」
「知るか……それと、二度と“お母様”なんて言葉を吐くんじゃない。次に言ったら先に貴様を殺すぞ」
「やってみろ、バーカ……」
「……後でな」
二人は立ち上がり、再びエヴァと対峙する。その時、獣道の方から二つの人影が現れる。
「儀式は無事に終わったらしいな……一安心だぜ」
「ねぇ、フラン。いい加減離してよ。痛いんだけど」
「正気に戻ったか?」
「あたしはいつだって正気だよ」
「……そうかい」
フランとラメールであった。更に、遅れて別の人物達もやってくる。
「エヴァ……!」
遅れて現れた内の一人、シルビアがその名前を呼んだ。
「――あら、意外と早かったわね」
エヴァは振り向かずに背を向けたままそう呟く。
「状況が変わったみたいだね。シルビア達が来たなら、もう――」
「私に勝ち目は無い――とでも?」
「……観念しなよ。お母様」
ニヤリと笑ってみせるソフィア。すると、エヴァも似たような笑みを浮かべ、こう返した。
「運が良かったら、また会いましょう。親愛なる娘達……」
「……は?」
ソフィアが意味を訊くよりも前に、エヴァは先程のように一瞬で距離を詰めた。そして、ソフィアとルイズの腹部を殴り付ける。
二人の身体は軽々と打ち上げられ、崖の下へと落下した。
――海に落とされたソフィアは、薄れ行く意識の中、誰かに手を握られる。
それが誰なのかはわからなかったが、彼女は意識が途絶える寸前で確かにそれを見る。
自分と同じ、菫色の頭髪を。
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