第三章 焦燥
闇を斬る者
「えーと、サクラ――だっけ……?」
「はい、なんでしょう?」
ソフィアの呼び掛けに、サクラはあざとく首を傾げて見せる。
「どうして私の名前を知っているの? 初対面なハズだよね……?」
「えぇ。こうして顔を合わせるのは初めてですよ」
「じゃあ――」
「どうして名前を知っているのか――理由はあなたの御父様にありましてね」
「父さんに……?」
「はい。この島に存在している数々の不可思議な力に興味を持ち、調べていたら、中でも珍しい魔法を操る方がいらっしゃると知りまして。それがあなたの御父様――ケヴィン・メルセンヌだったのですよ」
サクラはソフィアの前まで歩いていき、彼女の左手をそっと持ち上げた。
「ちょっと失礼」
そして、中指に嵌められている指輪をまじまじと見始める。それから、一言呟く。
「――思ったよりも上品な見た目ですね」
「そ、そうかな……?」
「強大な力を宿した指輪ですから、もっと派手なものを想像していたのですが……まぁ、見た目は別段気にする事でもありませんね」
ソフィアの手をそっと離し、サクラは先程までシルビアが座っていた席に腰掛けた。
そこで、店の奥へとコーヒーを淹れに行っていたマリエルが戻ってきて、サクラの前とその向かいの席の前にコーヒーが注がれたカップを置く。
サクラはマリエルを見上げ、優しく微笑んだ。
「ありがとう、マリエルさん。――ごめんなさいね、こんな夜更けにお邪魔してしまって」
「いえそんな……私は大丈夫です。――それより、大事なお話の続きを」
「ふふ……そうですね」
サクラはコーヒーを一口啜ってから、向かいに着席したソフィアに向き直った。
「彼には双子の娘が居るという情報は前から知っていたのですが、こうしてお会いできるとは思ってもいませんでした」
「待って。私の身の回りの話をあなたがよく知っているって事はよくわかった。――今度はあなたの事を教えてよ」
ソフィアの言葉に、サクラは上目遣いで微笑を返す。
「わたくしの事――ですか?」
「そんな服装見た事ないし、それに――何となくだけど、この辺りの生まれの人とも思えない。あなたは一体誰なの?」
「……なるほど」
サクラはくすりと笑ってから、仕切り直すように話を始めた。
「わかりました。では、わたくしの身の上の話をさせて頂きましょう。――わたくしは日本生まれでしてね。このソレイユ島に来たのは、一月前にあった例の騒動の少し前になります」
「やっぱり、異国の人だったんだ……」
「えぇ。この服装を見た事が無いと仰っていましたが、無理もありません。これは日本の巫女装束というものです」
「巫女……?」
「日本におけるシスターのようなものだと認識して下されば結構です。国、呼び名は違えど、神に仕える存在という点は共通していると言えますでしょう」
「日本のシスター……ね。それで、どうして日本からこの島に?」
「わたくしの家系――神崎家は、神に仕える存在でありながら、現世の陰に潜む
「――言われています?」
サクラの言い方に違和感を抱き、ソフィアはおうむ返しに繰り返す。
サクラは小さく笑いながら答えた。
「ふふ……お恥ずかしながら、わたくしも先代である両親から仄聞したに過ぎない立場でして。その真偽はいざ知れず――なのですよ」
「そうなんだ……」
「ですが、厳格な家系である神崎家に生まれた以上、わたくしに選択肢はありませんでした。――尤も、その責務を受け継ぐ事に対しての不服などもありませんでしたが」
「どうして? 責務を強制させられる事に不服を持たないなんて……」
「それ以外、進むべき道を知らなかったから――と言った所でしょうか。暗中模索で生きていくよりは、用意された道を歩む方が楽だと思いましてね」
「……」
ソフィアは異論を訴えたそうな眼差しをサクラに向けた。
しかし、サクラは相変わらずニコニコと優しげに笑みを浮かべるだけで、この話題を広げようとはしなかった。
「ふふ……見解の相違についての討論はまた別の機会にしましょう。――話を戻します。神崎家の人間として責務を受け継いだわたくしは、現世の陰について調べました。日本だけでなく、世界各国のものも、隅々までね。そこで、この島に伝わる伝説を知ったのです」
「ヴァンパイア伝説の事?」
「はい。にわかには信じられない話ではありましたが、この島に来てフォートリエの人間と出会い、その力を身を持って知った事で、疑惑は消え去りました」
「――身を持って知った?」
「えぇ。情けない話ではありますが、挑んでみたは良いものの、手も足も出ずに返り討ちに遭いましてね。――そのお陰で、今の力があるワケですが」
「?」
「ふふ……その話も追々。以降、わたくしはフォートリエ家に仕えていました――が、その関係も一月前の騒動で主が居なくなった事で無くなり、今はこの島を気ままに放浪している自由な旅人となったワケです」
話し終えたサクラはふうっと小さく息を吐き出し、コーヒーカップを口元に運ぶ。
しばしの間を挟んでから、
「――ねぇ、一つ良いかな」
と、ソフィアが切り出した。
「なんでしょう?」
「私のお母さんの事は知ってるの?」
コーヒーカップを机の上に置こうとしていたサクラの手が、ぴたりと止まった。
「……どうしたの?」
「――いえ、なんでもありません」
サクラは咳払いをする。それから、話し始めようと口を開いた、その時――
「こんばんは。コーヒーを一杯くださいな」
出入り口の扉が開き、一人の少女が現れた。
三人の内、ソフィアだけはその声を知っていたので、素早く立ち上がって身構える。
「ラメール……!」
「ふふ……思ったよりも早い再会になったね……」
ラメールは軽快な足取りで、ソフィアに歩み寄っていった。
「……何の用? こんな所で始める気?」
ラメールをきっと睨み付けるソフィア。ラメールは一切怯まずに、ソフィアの目の前にまでやってくる。吐息がかかる程の距離であった。
「いいよ、あなたがやりたいと言うのであれば、遊んであげる。でも、あなたにあたしの相手が務まるのかな?」
「ッ……」
瞳の奥を覗き込まれるような感覚に襲われたソフィアは、思わず目を逸らした。
「ふふ……強がっちゃって……可愛いなぁ……」
「な、何の用だって訊いてんの……」
「ルイズに命じられたの。手筈は整ったから、後はその時が来るまでの時間稼ぎが必要だって」
「時間稼ぎ……?」
「まぁ、あなたは殺しちゃっても構わないんだけどね。ただ、シルビアだけは生かしておかないと」
「どうして?」
「ふふ……教えてあげない」
ラメールがニヤリと笑ってソフィアの首を両手で掴もうとした、その時――
「失礼」
サクラが立ち上がった。
「ソフィアさんのお知り合いですか? いずれにせよあまり好ましい関係には思えませんが」
「――あなた誰?」
「通りすがりの放浪者ですよ」
「そう。なら邪魔しないで。じゃないと痛い目に遭うよ?」
「痛い目に遭う? それは面白い。丁度身体を動かしたいと思っていた所です。お相手しましょう」
「……」
ラメールはサクラに身体を向け、
「ヴァンパイアでは無さそうだね。でも、ただの人間でも無さそう」
「ふふ……それは正直、わたくし自身にもわからない事なので。答えかねます」
サクラは空になったコーヒーカップを持ち、事態が飲み込めずにおろおろしているマリエルの元に行く。
「御馳走でした。あなたはここで待っていてくださいな。すぐに戻ってきます」
「あ、あの……そちらの方は……?」
マリエルはラメールを横目で見ながら訊く。その質問には答えずに、サクラはにこっと笑い掛けるだけ。そしてそのまま出口の扉へと向かう。
「青髪の方、ついてきなさい」
「……ホントに死ぬよ?」
「さぁ、どうでしょう?」
「……」
ラメールはふっと笑みを消し、サクラに続いて店を後にした。
始まろうとしている二人の戦いを見届ける為、ソフィアも続こうとする。
「ソフィア……!」
慌てて、マリエルが呼び止める。マリエルは不安げな表情でこう訊いた。
「だ、大丈夫なの……? あの青髪の子……」
「……え?」
そっちを心配するのか――と、ソフィアは眉をひそめる。その様子を見て、マリエルは言葉を付け足す。
「だってサクラさん、凄く強い人なんだよ……?」
「でも、あの人はヴァンパイアでもなんでも無いんでしょう? 対してあの青髪は、ヴァンパイアそのものだからね」
「サクラさんは……ヴァンパイアじゃない――って言うのかな……?」
「それ、どういう――」
訊き返そうとしたその時、ソフィアは強大なヴァンパイアの気配を察知した。
「(今のは……!)」
少し前までは鈍感であったソフィアも、ヴァンパイアとの度重なる遭遇によって気配を察知できるようになっていた。
気配を感じたのは外からであり、十中八九ラメールのものだろうと判断する。
「ちょっと見てくる。あんたはここに居て」
「う、うん……気を付けてね……」
マリエルの視線を背に受けながら、ソフィアは急ぎ足で店を出ていった。
店を出て一番初めに視界に入ったのは、ラメールの後ろ姿であった。
ソフィアはサクラの援護に入る為、光剣を生成しようとする。
しかし、サクラがそれを止めた。
「結構ですよ、ソフィアさん」
「でも……」
「ふふ……まぁ見ていて下さい。すぐに終わらせます」
サクラはそう言って、腰に携えてある得物に手を伸ばす。
「――変わった剣だね」
ラメールが呟いた。
「神崎家に代々伝わる日本刀――銘は“神楽”と言いましてね」
「日本刀……あ、侍って奴でしょ? 聞いた事あるよ」
「わたくしは侍では無いのですが……まぁ良いでしょう。それより、どうするのです? あなたから来ないと言うのであれば、わたくしが先制させて頂きますが」
「……いや、あたしが行くよ」
煽られたラメールは直ぐ様、無表情のままサクラに向かって走り出した。そして、サクラに飛び付こうとする。
しかし、ラメールの手が触れようとしたその瞬間、サクラの姿は忽然と消えた。
何が起きたのか理解できず、ラメールは狐に摘ままれたような心境で辺りを見回す。
「こちらですよ」
その声は背後から聞こえてきた。
「ッ……!」
ラメールは振り返り様に呪文を詠唱しながら右手を横に払い、サクラに水球を飛ばす。
不可思議な現象を目の当たりにしたにもかかわらず、サクラは動揺するどころかニヤリと不敵に笑って見せる。そして日本刀を素早く抜き、抜刀斬りでその水球を両断した。
「な……!」
サクラが為した神業に、ラメールは思わず目を疑った。
「過去より不可思議な力と戦ってきたからか、神崎家には――特にこの刀には、少々不思議な力がありましてね」
サクラは抜刀した刀を再び鞘に納めながら話し始める。
「あなたが今使ったような不可思議な力は、この刀には効きませんよ。それに加えて――」
サクラは言葉を切って、すっと目を閉じる。
次に開けた時、その瞳の色は深紅に変わっていた。
「実はわたくしにも、ヴァンパイアの血が流れていましてね……」
その発言にラメールが喫驚をするよりも早く、サクラは再び刀を抜いて一文字に振る。すると、振られた刀の刃身から白い光のような真空の刃が放たれた。
動揺していたものの、ラメールはそれを間一髪で避ける。
そして、ニヤリと口元を歪ませて言った。
「なるほど……これは予想外だったよ」
「どうします? 今なら許してあげない事もないかもしれませんよ」
嘲笑的な笑みを浮かべながら、サクラが言う。すると、ラメールは小さく溜め息をついてから、その言葉に答えた。
「じゃあ、そうさせて貰おうかな。ごめんなさい」
「あら、それはまた随分と……」
「予想外の事態に遭遇しちゃったからね。計画を変更した方が良さそうだもの」
「計画とは?」
「内緒。――またね、お侍さん」
最後ににっこりと笑い、ラメールは踵を返して森の暗闇の中へと消えていった。
「……侍では無いのですがね」
サクラはぼそっと呟き、刀をくるりと器用に回して納刀する。それから、自分に怖いものでも見るかのような目を向けているソフィアに、にこっと優しく微笑んで見せた。
「お待たせしました。すみませんね、一撃で仕留めるつもりだったのですが、少々手間取ってしまって」
「い、いや別に……それは良いんだけど……」
こちらに歩いてくるサクラに、ソフィアは無意識の内に後ずさってしまう。
その様子を見たサクラは、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「あら、わたくしが怖くなりましたか?」
「ち、違う――そうじゃなくて……ごめん……」
下がった先には木があった。背中からぶつかってしまい、そのまま退路を塞がれる。正面からは尚もサクラが迫ってきている。
サクラは妖しく艶然とした笑みを浮かべていた。
「ふふ……どうして謝るのです? 何か悪い事でも?」
「ちょ、ちょっと……」
美しく整った端麗な顔を目の前にまで近付けてくるサクラ。ソフィアはワケがわからず、紅潮した顔を必死に背ける。
お互いの鼻先が触れそうになった所で、サクラはようやく身体を離した。
「ふふ……すみません、少々悪戯が過ぎました」
「悪戯って、あなたね……」
激しくなっている動悸を見抜かれまいと呆れた様子で溜め息をついて見せ、平静を装うソフィア。サクラはそれを見抜き、微笑ましくは思いながらも、あえて口にはせずにくすくすと笑うだけであった。
その事にソフィアが気付いて羞恥を増してしまう前に、サクラは話題を変える。
「さて、一度マリエルさんの元に戻りましょうか。先程の彼女が何者なのか――まぁ大方の見当はつきますが、その話などをお聞かせ願えますか?」
「わ、わかった……」
「ふふ……では、参りましょう……」
サクラは先程の悪戯の際に見せた妖しい笑みを作り、ソフィアに手を差し伸べる。
「からかわないでよ……!」
ソフィアはまたも赤面した顔をぷいっと背けて、そのままマリエルが待つカフェへと歩き始める。
その後ろ姿を見つめながら、サクラはすっと目を細めた。
「(伝説的な力を持っていた魔法使いの娘。……しかしその中身は、年相応の普遍的な少女――なのかもしれませんね。とはいえ秘められた力はまだ計り知れず。決め付けるには時期尚早と言えますでしょう……)」
サクラは小さく笑い、歩き出す。
「(興味深い……しばらく付き合わせて頂きますよ……)」
それは底知れぬ闇のようなものを感じさせる、怪しい笑みにも見えた。
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