一時の休息

 シルビアと共にバーを出たソフィアは、何処に行くかもわからぬまま彼女の後についていく。

 饒舌じょうぜつな妹とは反対にシルビアは寡黙であり、店を出てから二人の間に会話というものは一切無かった。

 しかし、噴水広場に面している大きなホテルの前までやってきた所で、シルビアが口を開いた。

「ひとまず、今日は休みなさい。動くのは明日からよ」

「え……?」

 ソフィアは耳を疑った。

 ――休んでいる暇など無い。こうしている間にもルイズは着々と目的を成し遂げる為に行動してるハズ。それにシャルロットだって――

 それらの焦燥を言葉にして訴えようとソフィアが口を開いた瞬間、彼女の心中を察したシルビアがこう言った。

「気持ちはわかるわ。でも、何の手掛かりも無い状況で、一体何をどうするつもりなの?」

「そ、それは……」

 これといった考えなど無く、口ごもってしまうソフィア。シルビアは更に詰め寄る。

「それに、仮に今すぐ行動に移ったとして、そんなボロボロの身体で何ができるって言うのよ。ヴァンパイアにでも遭遇してご覧なさい。一瞬で殺されるわよ」

 煽り立てるような彼女の口調に、ソフィアは思わず向きになって反論する。

「あんな奴等になんて負けないよ! 例え疲れてたって楽勝だもん……!」

 それを聞いたシルビアは、“ほう”という表情になって腕を組み、ソフィアを見下ろす。

「ただの学生にしか見えない子供のあんたが、どう戦うっていうのかしら? 銃でも隠し持ってるの?」

「だからさっき言ったじゃん……! 私には魔法が――」

 と言い掛けてから、論より証拠だと思い、ソフィアは指輪を掲げる。そしていつものように光剣を作り出し、それをシルビアに見せ付けた。

「わかった? 私にはこの力があるの。だから――」

「だから――何よ」

「……え?」

 ソフィアはきょとんとなって、シルビアを見上げた。シルビアは彼女の手から光剣を取り上げて、まじまじと見ながら話し始める。

「この力があれば大丈夫、とでも? じゃあなんでルイズとやらに負けたのよ」

「ッ……」

 返答に詰まり、一度は目を逸らしたが、ソフィアは再び視線を戻してシルビアをじっと睨み付け、精一杯の虚勢を張って対抗した。

 シルビアの痛烈な反駁はんばくは続く。

「それと、あんたがメティス村で戦ったヴァンパイアってのは恐らく下級の連中――言わば雑魚よ。あんた、青髪の奴とは戦ってないんでしょう?」

「そ、それが何……?」

「シャルとまともに渡り合ってたという話からすると、そいつは比べ物にならない力を持った上級ヴァンパイアよ。そいつと戦ったと言うのならいざ知れず、戦ってもいないのに“ヴァンパイアなんて疲れてても楽勝”ですって? 自惚れも大概にしておきなさい」

「ッ――!」

 ソフィアは歯を食い縛り、ぎりっと軋ませた。更に、その音が引き金になったかのように、彼女の目が見る見る内に潤んでいく。

 ――二人の間に漂う剣呑な空気。それはもはや収集がつかなくなっているようにも思えた。

 しかし、ソフィアの目元に溜まった涙が粒になり、すうっと頬に流れ落ちたその時、シルビアの終始厳しいものであった表情が微かに緩んだ。

 彼女は光剣をソフィアに返しながら、「とにかく――」と切り出して、改まった調子で話し始める。

「今日はもう休みなさい。明日の朝には何かしら手掛かりが掴めるハズだから、効率的にもその方が良いわ。“夜は助言を運ぶ”って言うでしょう?」

「――何さ、急に……」

 ソフィアはシルビアの声調が変わった事を怪訝に思いながら光剣を消し、目元の涙を拭う。

 すると、シルビアはソフィアの頭をぽんぽんと軽く叩きながら言った。

「悪かったわね、少し言い過ぎたわ」

「……え?」

 ソフィアは驚愕が貼り付いた表情で、シルビアを見上げた。シルビアは彼女の頭をがさつな手付きでくしゃくしゃと撫で回しながら続ける。

「私はシャルと違って口下手でね。わかっちゃいるけど、困った事に治らないのよ。堪忍して貰えると助かるわ」

「な、なにそれ……」

 煮えたぎるような感情はすっかり消え去り、どんな顔をすれば良いのかがわからなくなったソフィアは気まずそうに俯いた。

 その様子を見たシルビアは小さく笑みを零してから、ホテルの入口へと向かう。

「ほら、行くわよ」

「……」

 ソフィアはむすっとした表情を作り、シルビアに続いて歩き出した。


 二人が入ったホテルは特別高級なワケではなかったが、フロントだけは一晩何十万とするような場所に劣らぬ立派な造りになっていた。

 その豪華絢爛ごうかけんらんな内装を、ソフィアはきらきらした目で見回す。

 そこに、受付を済ませたシルビアが鍵を片手に戻ってくる。彼女はソフィアの様子に気付き、微笑ましそうにくすくすと笑う。

「もしかして、こういう場所は初めて?」

「うん……。こんなに綺麗な場所、初めて見た……」

「二流ホテルのフロントでそこまで感動できるなんて羨ましいわ」

「……え、二流?」

「高級な造りはフロントだけ。部屋は至って普通よ。まぁ、その分値段は手頃だし、ベッドの寝心地もそこそこだから悪くはないけど」

「そうなんだ……」

 返事はしたものの、よっぽど気に入ったのかソフィアの視線は天井から吊り下げられたシャンデリアに釘付けのまま。

「――やれやれ……」

 シルビアはその視線を見て、呆れたようにふっと小さく鼻で笑った。それから、踵を返して受付カウンターの元へ歩いていく。

 彼女は従業員と何かを話した後、持っていた鍵を返却して、別の鍵を受け取った。そして、ソフィアの元に戻ってくる。

「ほら、いつまで見てるのよ。そろそろ行くわよ」

「――あ、ごめん……」

 ソフィアは最後に今一度その光景を目に焼き付けてから、エレベーターに向かって歩き出したシルビアを追い掛け、その場を後にする。

 エレベーターに乗って三階に来た二人は、シルビアが先導する形で、L字になっている通路を進んでいく。

 一定の間隔で配置されている各部屋を通り過ぎていくと、通路の突き当たりに両開きの扉が見えた。

「……なんであそこだけ扉が違うの?」

 他の部屋は全て片開きであり、その相違に気付いたソフィアがシルビアに訊く。シルビアは顔を正面に向けたまま答える。

「各階に一つしか無い特別な部屋よ。俗に言う所のスイートルームみたいなものかしら」

「へぇ……」

 自分には無縁な世界の話か、と肩を竦めるソフィア。

 しかし、その無縁と思われた部屋の扉に、シルビアが持っていた鍵を差し込んだ。

「こ、ここに泊まるの……?」

 ソフィアの声は驚愕で震えていた。シルビアは堪えていたのか、吹き出すように笑い出す。

「感謝しなさいよね。二流ホテルのクセに、この部屋の値段だけは一流なんだから」

「あ、ありがとう……。でも、どうして……?」

「入ればわかるわ」

 シルビアは扉を開けて、“どうぞ”とソフィアを見遣る。

 ソフィアは心を躍らせながら、早足で部屋へと入っていく。一番先に彼女の目に飛び込んできたものは、窓の先で煌めいている大きなシャンデリアであった。

「そっちの窓からは無駄に金掛けた例のフロントが一望できて、もう一つの窓からはうら寂しい外の景色が見れるわよ。――景色と言っても、噴水ぐらいしか見えないけどね」

 斜に構えたシルビアの説明を聞きながら、ソフィアはフロント側の窓の元へと歩いていく。

 高い場所から見るその光景はまた一味違い、再びソフィアの心を奪った。

「気に入った?」

「――とても」

「……それは良かった」

 シルビアは小さく笑い、一人掛けのソファーに腰を下ろして煙草を取り出す。

「ねぇ、いつもこんな部屋に泊まってるの?」

 視線を窓の外に向けたまま、ソフィアが訊く。シルビアは咥えた煙草に火を点けてから答える。

「普段は普通の部屋よ。ここに泊まるのは私も初めてなの」

「だ、大丈夫なの……?」

「金の心配? それなら大丈夫よ。アルベール家の人間は代々働き者だったから、今もそれなりの蓄えがあるの」

「――あなたとシャルロットも働き者?」

「とんでもない。少なくとも、私は怠け者よ」

「……」

 シルビアの“何が悪い“と言わんばかりの涼しい表情を見て、ソフィアは苦笑いを浮かべた。


「さて――」

 半分程吸った煙草を灰皿で揉み消し、おもむろに立ち上がるシルビア。

「ソフィア、夕食に行くわよ」

「夕食? どこに行くの?」

「ホテルに併設されてる二流レストランよ。特別美味くは無いけど、不味くもないわ。どちらかと言われれば不味いけど」

「――ホテルに対して辛辣すぎない?」

「真実を述べてるまでよ」

「そ、そっか……」

 二人は部屋を出てエレベーターに乗り、最上階である八階へと向かう。

「――そういえばさ、あのヴェロニクって人とはどんな関係なの?」

 上昇するエレベーターの中で、ソフィアが思い出したようにそう訊いた。

「お袋の妹――つまり叔母おばよ」

 シルビアの返答を聞き、ソフィアはヴェロニクの若々しい見た目を思い出して眉をひそめる。

「叔母……? そんな歳には見えなかったけど……」

「本人に言ってやりなさい。ジュース飲み放題にしてくれるわよ」

「そんなつもりじゃ……」

「――まぁ、確かに歳よりは若く見えるかもね。私も久々に会った時、全然変わってなくて驚いたわ」

「久々って事は、会ってなかったの?」

「えぇ。彼女があの店を開いたのは最近の話でね。それより前に会ったのは――確か八年前、お袋の葬式の時だったかしら」

「そうなんだ……」

 そこで、エレベーターが八階に到着して扉が開いた事で、会話が一旦中断された。

 ウェイターに案内され、二人はテーブルを隔てて向かい合うように席に着く。

「あ、あのさ……一つ訊いてもいいかな……」

 先程のシルビアの話に出てきたある言葉がずっと引っ掛かっていたソフィアは、おずおずと遠慮気味に話を切り出した。

「何?」

 シルビアは手元のメニューに視線を落としたまま、話の続きを促す。

「さっき、葬式って言葉が出てきたけど……お母さん、もう亡くなってるの……?」

 その質問に、シルビアは上目でちらっとソフィアの顔を見遣った。それから、再び視線を落として答える。

「病気だったわ。最後の方はもう寝た切りになっちゃって、私とシャルで看病してたんだけど……まぁ、やっぱり人の生き死にの運命ってのは変えられないもんよね」

「あ、あの……ごめん……。やっぱり訊かない方が良かったよね……」

「気にしないで。昔の話よ」

 シルビアはそう言って、ジャケットの内ポケットから小さなケースを取り出す。それから、その中に入っていた眼鏡を掛けて、再びメニューを見始めた。

「――目、悪いの?」

 話を変えて空気を挽回しようと試みるソフィア。

 しかし、相手は天の邪鬼な性格のシルビアである。

「少しね。死んだお袋譲りのものよ」

「……」

 試みが裏目に出てしまい、更に気まずくなったソフィアは、ついに何事も無かったかのようにしれっとメニューに手を伸ばし、いたたまれない雰囲気から逃走した。


「母親の顔を見た事が無い、と言っていたわね」

 注文をし終えて料理の到着を待っている間、シルビアが煙草をふかしながらそう訊いた。

「――うん。物心ついた時には、もうルイズと一緒に居なくなっちゃってたから」

「写真も無かったの?」

「一枚も。どんな人だったのか、そういう話も一切しなかった。――いや、訊いてみた事はあったけど、教えてくれなかった」

「そう……」

 シルビアは煙草を灰皿に押し付けて消し、先に運ばれてきた赤ワインを一口含む。それから、視線をソフィアの頭髪に移し、質問を続ける。

「その髪の色は、父親譲りのもの? それとも母親かしら?」

「多分、お母さんの方だと思う。お父さんは黒だったから」

 シルビアの目が、すっと細くなった。

「――ヴァンパイアである母親は、その色の頭髪ってワケね」

「う、うん……。それがどうしたの……?」

「何でもないわ。ちょっと気になっただけよ」

「……」

 はぐらかしたシルビアを、ソフィアは怪訝な目付きで見つめる。

 しかし、シルビアは気にもせずに二本目の煙草を咥え、悠々と火を点けた。ソフィアの視線が“それ”に移る。

「――なんでそんなもの吸うの?」

「吸いたいからよ」

「……身体に悪いんでしょ?」

「そうみたいね」

「……やめれば?」

「そうね、その方が健康の為だし考えてみるわ」

 と棒読みで答えてから、シルビアは煙を胸一杯に吸い込み、天井に向かって満足げに吐き出す。

 その様子を見て、ソフィアは説得を諦めて小さく溜め息をつく。

 そこで注文した料理が届き、二人は会話を中断して各々食事に取り掛かった。

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