第二章 奔走

アルベール一族

 森を抜けた先に続いていた畦道を通り、ソフィアはユーティアスに到着した。

 その頃には既に日が沈みかけており、あと少しでも遅れていたら、彼女は暗闇が支配する森の中で右往左往していた事になる。それを想像したソフィアはぞっとして、肩を竦めた。


「(こんなに……静かだったかな……?)」

 目の前に広がる町並みが幼少期の記憶の中にあるものと一致せず、ソフィアはそれを怪訝に思いながらも、ひとまず町の中心にある噴水広場へと足を運ぶ。

 そこなら人が集まっているハズだと思っての判断であった。

 しかし、広場に到着したソフィアは、思わず目を細めた。

「(おかしいな……)」

 まばらに十人程の男女が居るには居たが、ソフィアが想像していた人混みには到底及ばぬ光景であった。

 ソフィアは側にあったベンチに腰を下ろし、辺りを見回す。そこで不意に、彼女は一月前に起きたヴァンパイア騒動の事を思い出した。

「(そっか、そのせいか……)」

 仄聞そくぶんしたに過ぎなかったソフィアは騒動の名残を目の当たりにして、それが改めて悲惨な出来事であったという事を思い知った。


 それからしばらくの間、ソフィアは広場の中心にある噴水を呆然と見つめていた。

 当然、ゆっくりしている場合ではないという意思もあったが、ここに辿り着くまでに募った疲労がその気持ちすらも押し伏せ、彼女の意識を朦朧とさせてしまっていた。

 しかし、ソフィアは不意に我に返り、慌てて立ち上がる。

「(――いけない、休んでる場合じゃなかった……)」

 ひとまず辺りに居る人達に話を聞いてみようと歩き出したその時――

「あれ? もしかして、ソフィア……?」

 という声が、背後から聞こえてきた。ソフィアは振り返り、声の主を確かめる。

「マリエル……?」

 そこに居たのは、ソフィアが通っていたリュミエール学園の同級生でありながら、あまり社交的ではないソフィアの数少ない友人の一人である、マリエルという名の少女であった。

「やっぱりそうだ! 久しぶりだね!」

 後ろ髪は残しつつ、頭の左右でそれぞれ二つに縛ってある金髪を靡かせながら、マリエルは人懐こい笑顔を浮かべてソフィアの元に歩いてくる。

「久しぶり。――あなた、ずっと学校休んでたけど、何かあったの?」

「えーとね……一月前にあった例の騒動で、ちょっと家族に色々あって……」

「そうだったんだ……。心配してたんだからね」

「ごめん……。でも、もう大丈夫だから。来月にはまた学校で会えると思うよ」

「それは良かった」

 小さく笑みを零すソフィア。そこで、彼女の顔に向けられていたマリエルの視線が、すっと下に落とされた。

「――ところで、何かあったの……? 怪我してるみたいだけど……」

「え? ――あ、これは……その……」

 ソフィアはマリエルの視線の先にあった膝の傷を慌てて隠したが、すぐにもう遅いという事を悟り、観念したような様子で答える。

「――ちょっと慌てて転んじゃってさ。私、人を探してるの」

「人を?」

「うん。シルビアって人なんだけど……」

 その名前を聞いたマリエルは、眉をひそめた。

「シルビア……? もしかして、シルビア・アルベールって銀髪の人?」

 ソフィアは驚いた様子で顔を上げた。

「し、知ってるの……?」

「うん。買い物ついでに、さっきその人に会ってきた所だよ」

「その人、何処に居るの?」

「えっと……あっちの通りを進んでいって、途中左側にある細い路地を曲がった所にバーがあるの。そこに居るよ」

「――ありがと!」

 ソフィアは一言礼を言って、マリエルが指差した方向へと突き動かされたように走り出した。

「ど、どうしたんだろ……?」

 一人その場に残されたマリエルは、怪訝な様子でソフィアの後ろ姿を見つめていた。


 マリエルから教えて貰った通りに道を進み、ソフィアは一件の小さなバーの前にやってきた。

「ここかな……?」

 入口の扉の横にある窓の元に行き、中の様子を覗き見る。

 カウンターに何人かの客が疎らに座っている事はわかったが、薄暗い照明のせいで顔までは確認できない。

 そんな中でハッキリと見えたのは、カウンターを隔てた先にある棚の中に並べられた、色とりどりの鮮やかな酒瓶の数々。それはお洒落なインテリアのようにも見え、ソフィアの心をときめかせた。

 しばらく惚けてしまっていたが、視界の端に映っていた客の一人がおもむろに立ち上がり、ソフィアの意識を引き戻させる。

 すると、ソフィアからは死角になっていて見えなかったカウンターの奥から、長い銀髪を首の後ろ辺りで纏めている女性が現れた。

「(銀髪……!)」

 シャルロットが言った、“シルビアという銀髪の女を探せ”という言葉を思い出すソフィア。

 白いワイシャツに黒ベスト――バーテンダーと思われる格好をしたその女性は立ち上がった客から紙幣を受け取り、一言二言の挨拶を交わしてから、見送る為にカウンターから出る。向かう先は、ソフィアの真隣にある出入り口の扉の元。

 女性が扉を開けて出てくると知ったソフィアは、悪い事など何もしていなかったが、無意識の内に身を隠そうと狼狽する。

 しかし、彼女がその場から離る前に、銀髪の女性は扉を開けて客と共に出てきてしまった。

「ほら、たまには早く帰って、奥さんの相手をしてあげなさい。それじゃあね」

 帰っていく客の男性にからかうようにそう言って見送りを済ませてから、銀髪の女性は再び店内に戻ろうとする。

「――あら?」

 こちらに背を向けて申し訳なさそうに立っているソフィアに気付き、銀髪の女性は躊躇う事なく彼女の元に歩いていった。

「学生さんかしら? こんな所でなにしてるの?」

「――え、えーと……」

 ソフィアはゆっくりと振り返り、気恥ずかしそうにもじもじしながら答える。

「いきなりで失礼なんだけどさ……あなた、シルビア・アルベールなの……?」

「シルビア?」

 その名前を聞き、銀髪の女性はちらっと窓から店内を一目見た後、再びソフィアに視線を戻してにっこりと笑った。

「残念だけど、私はシルビアじゃないわ。ここの店主のヴェロニクという者よ」

「ヴェロニク……?」

「入りなさい。お酒はダメだけど、ジュースの一杯くらいならご馳走してあげるわ」

「でも……」

「シルビアに会いたいんでしょ?」

「……え?」

 ヴェロニクはソフィアを見て、再びにっこりと笑う。

 その笑みは、少し前まで一緒に居たシャルロットの優しいそれと、良く似ていた。


 ヴェロニクに連れられ、店内へと入るソフィア。

 外から見た時はわからなかったが、カウンターの他にも四人掛けのテーブル席が五つあり、そこは全て満席になっていた。

 客層はお世辞にも良いとは言えず、腕や胸元、はたまた顔にまで、様々な模様や難解な絵が彫ってある体格の良い男達が大半を占めていた。

 彼等はヴェロニクと共に現れた健気な闖入者ちんにゅうしゃを、まるで煙たがるような視線でじろりと見る。

 ソフィアは餓狼に睨まれた子羊のような気持ちで、ヴェロニクにぴったりとくっついて歩いていた。

「ここに座りなさい。オレンジジュースで良いかしら? それとも、レモネードでも作ってあげましょうか?」

「オ、オレンジで……」

 ソフィアは背丈に合わぬ高い椅子によじ登るように座り、震えた声で答える。

 声だけではなく、身体も本人の意思を無視して小刻みに震えており、それを見たヴェロニクは思わず吹き出すように笑い出した。

「大丈夫よ。あなたを取って食おうとするような人間は、ここには居ないわ」

 ヴェロニクの話を聞いたソフィアは、“そうは思えない”という意を感じさせる苦々しい表情になって、肩を竦める。

「――ま、無理もないか」

 ヴェロニクは改めて店内を見回し、自分の店の客層に苦笑を漏らした。それから、オレンジジュースを注いだコップをソフィアの前に置く。

「はい、どうぞ。おかわりは有料だからね?」

「――いただきます……」

 ソフィアは緊張で忘れていた喉の渇きを思い出し、ジュースを一口で飲み干した。

「あら、良い飲みっぷりね。よっぽど喉が渇いてたのかしら?」

 微笑ましそうにくすくすと笑うヴェロニク。ソフィアは赤面した顔を隠すように俯く。

「ご、ご馳走様でした……」

「ふふ……気に入ったわ。もう一杯サービスしてあげる」

 ヴェロニクはウィンクをしながらそう言って、コップに手を伸ばした。

 ソフィアはジュースが注がれていく様を眺めながら、どのようにして本題に入ろうかという事を考えていた。

「――あ、あの……!」

 満たされたコップが再び自分の前に置かれた所で、ソフィアは逡巡を捨てて口を開いた。

「それで……シルビアって人は……」

 ヴェロニクはニヤリと笑い、カウンターの端の席を顎でしゃくって見せる。

 そこには、シャルロット、ヴェロニクと同じである長い銀髪を、頭の後ろで縛って纏めてある女性の姿が見えた。

 背格好はシャルロットにそっくりで、服装は白いワイシャツと黒いスラックス。そして彼女が座っている椅子の背もたれには、黒いジャケットが掛けられているのが見える。

 その組み合わせはシャルロットと全く同じであり、色だけを反転させたものになっていた。更に、耳元で輝いている金色のピアスも、シャルロットの銀色のものとは対象的であった。

「彼女がシルビアよ」

 ヴェロニクが言う。それはソフィアの視線の先に居る女性――シルビアにも聞こえたらしく、彼女は僅かに顔をこちらに向けて、横目でソフィアを見遣った。

 シルビアは迷わず美人と呼べる端整な顔立ちをしていたが、目付きが鋭く、峻厳しゅんげんで近寄り難い雰囲気を感じさせた。

 向けられたその視線にソフィアは思わず竦んでしまい、彼女から目を逸らす。

「こら、シルビア。年下の女の子を怖がらせちゃダメでしょうが」

 ヴェロニクの叱りの言葉に、シルビアは鼻で笑って答える。

「――怖がらせたつもりは無いわ。見ただけよ」

「あんたはただでさえ目付きが怖いんだから、横目なんかで見られたら尚更よ」

「失礼な指摘ね……」

 シルビアは小さく溜め息をついてから億劫そうに椅子を回転させて、ソフィアと正面から向き合う。

「私に何か用?」

 彼女の炯々けいけいたる目付きは正面から見ても劣る事は無かったが、ソフィアは勇気を振り絞って再び視線を合わせる。

「力を貸してほしいの。ヴァンパイアハンターであるあなたに」

 その瞬間、店内が水を打ったように静まり返った。同時に、その場に居るシルビアを除いた全員の視線がソフィアに集まる。

 シルビアはゆっくりとした動作でカウンターの上に置いてある小さな紙箱を手に取り、中から一本の煙草を取り出して咥える。

 それから、併せて置いてあった金色のオイルライターで火を点け、煙を胸一杯に吸い込む。そして、溜め息をつくようにその煙を吐き出してから、ソフィアを睨み据えた。

「――私がヴァンパイアハンターだって、どうして知ってるの?」

「あなたの妹から聞いた」

「シャルから……?」

 シルビアは眉をひそめる。

 ソフィアはこくりと頷いてから、自分の素性とメティス村での出来事、そしてルイズの目論見についてを話し始めた。


 ――ソフィアの話は十分程続いた。

 ソフィアが話し終えた事を確認するなり、静聴に徹していた一同はあれやこれやとソフィアの話に対する各々の意見を側に居る者同士で話し始める。

「――つまり、あんたの姉がヴァンパイアである母を蘇らせようと躍起になってるから、それを止めてほしいってワケね」

 シルビアは聞いた話を搔い摘んで纏めるようにそう言い、手に持ったグラスを口元で傾けて琥珀色の液体を一口飲んだ。

 酒など一度も口にした事が無いソフィアはその様子を見て、“一体どんな味がするんだろう”などと思いながら、シルビアの次の言葉を待つ。

 シルビアはコースターの上にグラスを置き、ソフィアの視線に応える。

「大方の話は理解したわ。――ただ、一つだけ教えて頂戴」

「なに……?」

「シャルは青髪のヴァンパイアと戦った――と言っていたわね。そいつに何かされたのかしら?」

 シルビアの質問に、ソフィアは円石の広場に居た時の記憶を思い浮かべる。

 しかし、その時のシャルロットに関する事は何も覚えておらず、ソフィアは静かに首を横に振った。

「――ごめん、わからない。私もルイズと戦ってて必死だったから……」

「……そう」

 シルビアは身体の向きをカウンターの方に戻し、グラスの中身を一気に飲み干す。

 それからおもむろに立ち上がり、椅子に掛けておいたジャケットを羽織りながらヴェロニクに言った。

「連中に情報を集めさせておいて頂戴。明日の朝までにね」

「あら、それはまた難しい注文ね」

「――やりなさい。良いわね?」

「ふふ……わかってるわよ、尽力するわ」

 ヴェロニクは子供をあやすような優しい口調で言った。

 それを受けたシルビアは面白くも無さそうに鼻で笑い、最後に小さく「ご馳走様」と言って、出口へと歩いていく。

 一人カウンターにぽつんと残されたソフィアは、どうしていいのかわからず困ったようにシルビアの背中を見つめる。

「――何やってんのよ。さっさとついてきなさい」

 シルビアが背を向けたまま言ったその言葉が自分に向けられたものだという事に、ソフィアは少し遅れてから気付く。彼女は慌てて椅子から降りた。

 そのままシルビアの元へ駆け付けようとしたが、ヴェロニクへの礼を言ってなかった事を思い出し、彼女に向き直る。

「シルビアの事、教えてくれてありがとう。――それと、ご馳走様でした」

 ソフィアの殊勝な態度を見て、ヴェロニクはにっこりと笑う。

「ふふ……また来てね。待ってるわ」

 その笑顔を見て、ソフィアは照れたような微笑を浮かべる。それから、先に出ていったシルビアに続いて店を後にした。

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