忌まわしき記憶

 ソフィアが気を失ってから、二十分程が経過した。

 ソフィアはお世辞にも寝心地が良いとは言えない硬いベッドの上で不意に目を覚まし、まだ朦朧としている意識の中、状況を確認しようと辺りを見回す。

 すぐに例の平屋の中である事を認識し、それと同時に、一緒にやってきたハズであるシャルロットの姿が見当たらない事にも気付いた。

「シャルロット……?」

 不安を滲ませた声で名前を呼ぶが、返答は無い。ソフィアは彼女を探そうと、ベッドから出る。

 その時、出入口の扉が軋む音が聞こえた。

「良かった。目が覚めたのね」

 現れたシャルロットがソフィアの姿を見て、安堵の笑みを浮かべた。

「何処に行ってたの……?」

「ちょっと村の中を歩き回ってたのよ。誰か居るかと思ってね」

 シャルロットの言葉を聞いて、ソフィアはベッドの端に腰掛けてから、溜め息混じりにこう呟いた。

「この村には誰も居ないよ」

「――どういう事なの?」

 眉をひそめるシャルロット。ソフィアは続ける。

「私と、お父さんしか住んでなかったの。一年前までは他にも居たんだけど、みんな別の場所に移住しちゃったから」

「そのお父さんは今どこに?」

 シャルロットがその質問をした途端、ソフィアの顔色がすっと暗いものになった。

 彼女は俯き、一呼吸挟んでから、押し出したような小さな声で答える。

「――殺された」

「……え?」

 シャルロットは耳を疑い、ソフィアの顔を見つめた。それから訊き直す。

「今、なんて……」

「殺されたの。ここで」

 今度ははっきりと、ソフィアは言った。そして、ぎりっと歯軋りをしてから続ける。

「――昨日、ルイズに」

 シャルロットはついに言葉を失い、ソフィアを見つめたまま黙り込んでしまった。


 ――二人の間に沈黙が訪れた。

 それは三十秒程の空白であったが、シャルロットの感覚ではそれ以上の時間に思えた。それ所か、彼女は時間が止まってしまったとすら思っていた。

「――お父さんの写真を見た瞬間、忘れていた記憶が一気に頭の中に雪崩なだれ込んできた」

 シャルロットがもどかしさすら覚え始めたその直後、ソフィアが重々しく口を開いて話し始める。止まった時間の歯車が、再び動き始めた。

「ルイズが何をしようとしているのかも、昨晩私が奴と戦っていた理由も。――奴がお父さんを殺した事も、全部……」

「何故、彼女はそんな事を……?」

「奴は死んだお母さんを蘇らせようとしてる。その為には、お父さんが持っていた書物が必要だったの。――でも、お父さんはそれを拒絶した。“彼女は蘇らせるべきじゃない”って言って」

「蘇らせるべきじゃない……?」

 シャルロットはおうむ返しにそう呟き、その言葉に違和感を抱いて眉をひそめた。

「確かに人体錬成は禁忌きんきとされているわ。でも、亡くなった自分の妻に対する言葉としては、ちょっと辛辣しんらつ過ぎる気がするんだけど……」

「――その答えは、私の身体に流れている血が物語ってる」

「……ヴァンパイアの血の事?」

「そう。これは昨日ルイズが言ってた。私達双子は、人間の父とヴァンパイアの母の間に生まれた存在」

「ヴァンパイアの……母……?」

 シャルロットが詳しく訊こうとするが、先にソフィアが首を横に振った。

「何度かお父さんに訊いた事があったの。私のお母さんはどんな人なのか、何て名前なのか――でも、お父さんは名前すら教えてくれなかった」

「教えてくれなかったって……それじゃまるで――」

「うん。知らなかった」

 ソフィアはシャルロットの言葉の続きを予測して、彼女が言い切る前に答えた。

「私達が三歳ぐらいの時に、奴を――ルイズを連れて村を出たって事だけは聞いてた。私はこの村でお父さんに育てられて、奴はどこか別の場所で、お母さんに育てられた。だから、私はお母さんの顔も知らないの」

「そんな……顔も知らないだなんて……」

「でも、その事を気に病んだ事は無かった。お父さんはとっても優しかったし、昔この村に居た人達も、私に良くしてくれたから」

 ソフィアの声調は決して明るいものではなかったが、シャルロットは机の上の写真立てに父と共に映っている彼女の笑顔を見て、それが強がりから出た嘘ではないという事を悟った。

 それと同時に、シャルロットの表情が少しだけ緩む。

 しかし、次のソフィアの一言で、シャルロットの弛緩しかんした表情は再び緊張感を含ませたものに戻った。

「――だから許せない」

 シャルロットは何も言わずに、ソフィアの怒りを滲ませた表情を見つめる。

「お父さんを殺したあいつの事だけは、絶対に許せない。だから私は昨晩、お父さんを殺して書物を奪い、立ち去ったあいつを追い掛けた」

「そして、あの円石の広場にて彼女と戦った――ってワケね」

 ソフィアは静かに頷いた。それから、左手の指輪を掲げて見せながら続ける。

「小さい頃からお父さんに教えて貰ってたこの魔法があったから、奴に負けるなんて微塵も思ってなかった」

 ソフィアは手を降ろし、小さく溜め息をつく。

「――でも、奴は私以上に力を付けていた。魔法の力じゃない、自分自身の力を」

「それは母親から授かった力――なのかしら?」

「……恐らく」

 ソフィアは曖昧に頷いた。


「――大方の経緯は理解したわ」

 会話に一段落がつき、シャルロットが話を纏める。

「昨晩、あなたの姉であるルイズがここにやってきて、父親から書物を奪った。そしてそれを使って死んだ母親を蘇らせようとしている。でも、父親の言葉から察すると、それは好ましくない事だから阻止しなければいけないってワケね」

「そういう事。どうしてお母さんを蘇らせるとマズいのか、それはわからないけど……」

「それは追々判明するでしょう。――とにかく、今は彼女の行方を調べましょう。仕えていたヴァンパイアの事も気になるし」

「あの青髪の?」

「えぇ。一月前の騒動では見なかったから、恐らくルイズが自分で召喚したんだと思うわ」

「――ヴァンパイアって、簡単に召喚できるものなの?」

「知識と材料さえあれば、誰でもできるとのことよ」

「材料って?」

「人間よ」

 ソフィアの表情にかげりが差した。

「人……間……?」

「つまり、生け贄って事。それと、怪しげで大掛かりな魔方陣があれば、詠唱一つで簡単に完成しちゃうらしいわ」

 淡々と話すシャルロットのその様子は、非道な行為に対して湧き上がってきた怒りを吐き捨てているようにも見えた。

 一方のソフィアは話の旨にショックを受けているらしく、俯いたまま呆然としている。

 しかししばらくして、彼女は機械のように冷たい声調で、ぼそりと言った。

「――奴も生け贄と称して、罪の無い人間の命を奪ったって事だよね」

 シャルロットは思わず先程の声調のまま「そうよ」と言いそうになったが、寸前で出そうになった声を飲み込み、声調を変えて変換してからソフィアに伝えた。

「――そうかもね。でも、私が知らないってだけで、生け贄を用意する必要が無い別の方法があるかもしれないわ」

「そんな方法が……?」

「可能性の話よ。私はその手の分野にはからっきしでね。――まぁ、その事については詳しい知人が居るから、ルイズの行方を探すついでに訊きに行きましょう」

「――わかった」

 ソフィアはベッドから出て、シャルロットと共に部屋を立ち去ろうとする。

 玄関までやってきた所で、ソフィアは不意に立ち止まって振り返り、部屋の中を今一度懐かしむように見回した。

 最後に視線が行き着いたのは、机の上の写真立て。それを見ながら、小さな声で呟く。

「……さようなら、お父さん」

 昨晩言えなかった別れの挨拶を済ませたソフィアは、名残を振り切るように強い足取りで再び歩き出し、部屋を後にした。


「奴の行方を探すのは良いけど、情報の当てはあるの?」

 外に出て、ソフィアがシャルロットに訊く。

「ひとまずユーティアスに行きましょう。ヴァンパイアが現れた以上、皆に話をしておかないと」

「ユーティアスか……」

 ソフィアはその名前を聞き、幼い頃父にそこへ連れていって貰った時の記憶を思い浮かべた。

 ――ユーティアスとは、ソレイユ島の中心であるサチュルヌ地方に位置する大きな町であり、島の中で最も多くの人々が集まっている場所であった。

 しかし、一ヶ月前に起きたヴァンパイアによる騒動の被害を最も大きく受けた場所でもあり、現在のユーティアスはソフィアの記憶の中にある町並みよりは少し寂れてしまっている。

 それでも、島の中で最も人口が多い場所という事は今でも間違いなく、一ヶ月という月日を経た事により、失われた活気も徐々に戻りつつあった。

「――懐かしいな。昔お父さんに無理言って、連れてって貰った事があったっけ」

「あら、最近は行ってなかったの?」

「うん。学校の友達に誘われた事もあったけど、行く理由も無かったし、遊ぶお金だって沢山持ってたワケじゃなかったから」

「そう……。それじゃ、ご無沙汰のユーティアスってワケね」

「……だね」

 二人はメティス村を出て、ユーティアスへと歩き始めた。


 来た道を戻っていき、二人は再びテールの森に足を踏み入れる。

 そこまで来た所で、ソフィアはふと、とある違和感を覚えた。

 その違和感の正体が何なのかはすぐにわかり、ソフィアは自分の少し後ろを歩いているシャルロットに顔を向ける。

 やかましいとすら思えてくる程に話し掛けてくるハズの彼女が、妙に静かであった。

 彼女はソフィアの視線にも気付かず、気もそぞろで心ここにあらずといった様子で森の奥深い場所を見つめながら、散歩でもしているようなゆったりとした足取りで歩いている。

「……シャルロット?」

 ソフィアが呼び掛けてみても、反応は無い。ソフィアはむすっとして、彼女の前に立ち止まった。

「シャルロット!」

「――え!? な、何? どうかしたの……?」

 目を丸くして、ソフィアの顔を見つめるシャルロット。

 ソフィアは腰に両手をあてがい、怪訝な視線を向けながら訊く。

「それはこっちのセリフだよ。さっきからぼーっとしちゃって、どうしたの?」

 すると、シャルロットは誤魔化すように苦笑を浮かべながら答えた。

「――なんでもないわよ。ちょっと疲れが出てきたみたいでね」

 その返答を聞いたソフィアは、前にも同じような会話をした事を思い出す。それはメティス村に向かっていた最中、ルイズとラメールの二人と円石の広場にて交戦した後に、シャルロットの額が汗ばんでいた事を指摘した時の話であった。

 そしてよく見てみると、今回も彼女の額に汗が滲んでいる。

「――嘘つかないでよ」

 ソフィアは眉をひそめてそう言った。

 しかし、シャルロットは相変わらず困ったように笑うだけであり、話に向き合おうとしない。

「嘘なんてついてどうするのよ。――ほら、行くわよ」

 ソフィアの頭を軽くぽんぽんと叩き、シャルロットは再び歩き出す。

 ソフィアはその手を掴んで引っ張り、彼女を引き止めた。

「シャルロット……なんか変だよ……?」

「ふふ……何言って――」

 言葉を言い切る前に、シャルロットの身体からすっと力が抜け、彼女は倒れそうになった所をソフィアに受け止められる。

「ちょ、ちょっと……!」

「ごめんなさい、急に立ち眩みが……」

「――本当にどうしちゃったの……?」

 シャルロットは何も答えずに、ソフィアから離れて再び歩き出す。

 彼女の挙動がおかしい事は明らかであるが、本人が教えてくれぬ以上ソフィアにはその原因がわからない。

 ただ一つ、先程メティス村にて遭遇したヴァンパイア達と同じ禍々しい気配を、彼女から感じ取っていた。

 それは最初は気のせいと思う程微かなものであったが、彼女の容態の悪化が顕著に出始めた今となっては、確信を持てる程に強まっていた。

 しかし、その出所を知る術は無い。ソフィアはもどかしい気持ちを抱きながら、シャルロットの後を歩き続ける。

 ――テールの森を抜けた所で、事は起きた。


「ねぇ……ソフィア……」

 シャルロットが側にあった木にもたれかかり、苦しそうに肩で息をしながらソフィアを呼んだ。

「シャルロット……? どうしたの……?」

「私……ちょっと寄る所があるのよ……。先にユーティアスへ行ってて頂戴……」

「寄る所……?」

「この近くに知り合いが住んでる家があってね……。ヴァンパイアが現れた事を伝えてくるわ……」

「じゃあ私も行くよ。そんな状態じゃとても一人でなんて――」

「大丈夫よ……。すぐに追い付くから、心配しないで?」

 シャルロットは笑顔を作って見せ、ソフィアを安心させようとする。

 しかし、ソフィアの堪忍袋の尾は既に切れていた。

「嘘言わないで! 立ってるのも辛そうじゃない……!」

「大丈夫……だから……」

「休みたいなら言ってくれれば、少しくらい――」

 そこで突然、シャルロットはソフィアの身体を突き飛ばした。

「――!」

 ソフィアは尻餅をつく形で倒れ、驚愕が貼り付いた表情でシャルロットを見上げる。

「ユーティアスに着いたら……シルビアという女を探しなさい……。私と同じ銀髪だから……すぐにわかるハズよ……」

 頭を抱え、シャルロットは押し出したような声でソフィアに教える。その様相は、何かに耐えているようにも見えた。

 ソフィアはシャルロットから一瞬たりとも視線を外さずに立ち上がり、再び彼女の元へ駆け寄ろうとする。

「――早く行きなさいッ!」

 シャルロットはソフィアを睨み付けながら、彼女に怒号を放った。

「シャル……ロット……?」

 怯えた表情でシャルロットを見つめるソフィア。

「早く……はや……く……」

 哀願するような、弱々しい声。

 ソフィアは踵を返し、その場から逃げ出すように走り出した。

「――頑張ってね、ソフィア……」

 届かぬ声援を小さく漏らし、シャルロットは唇の端に優しげな笑みを浮かべる。

 直後、聞き覚えのある忌々しい笑い声が、彼女の脳内に響いた。

「ッ――!」

 それと同時に、込み上がってきたものを地面に吐き出す。胃液の中に混じっていた赤い液体を見て、シャルロットはぎりっと歯軋りをした。

「なんだってのよ……ムカつく奴ね……!」

 額を木に打ち付け、脳内に鳴り響く声を掻き消そうとする。

 しかし、それを嘲笑うかのように、笑い声は徐々に大きくなっていく。

 体調の悪化も止まらず、ついには立っていられなくなり、シャルロットは膝から崩れ落ちた。

「も、もう……ダメ……」

 遠のいていく意識の中、シャルロットが最後に聞いたのは、愉悦に満ちたラメールの笑い声であった。



 一方――

 シャルロットと別れたソフィアは、一度も振り返る事なくユーティアスに向かってひたすら走り続けていた。

 道標などはなく、方向感覚だけを頼りに名も無き森の獣道を疾走する。

 既に身体は限界を告げていたが、一度でも足を止めたら最後、その時はシャルロットの元に引き返してしまいそうになるのではないかと恐れていた。

 しかし、ソフィアは無意識の内に考えてしまう――彼女は一体、どうなってしまったのか。ひょっとしたら、死んでしまったのではないか。だとすれば、自分は彼女を見捨てたという事になる――心の中で自問自答を繰り返し、その度に自責の念に苛まれてしまう。

 それを振り払うように、ソフィアは更に足を速めていった。


 正面に森の出口が見えてきた所で、ソフィアは少し気が緩んでしまったのか、剥き出しになっていた木の根に足を取られて転倒してしまった。

 満身創痍であるソフィアはしばらく立ち上がる事ができず、地面に倒れたまま激しい呼吸を繰り返す。

 渇れている喉を少しでも潤わせようと唾を飲み込むが、焼け石に水に過ぎず、むしろ咳き込んでしまい、より一層苦しくなるだけであった。

 それでも何とか呼吸を整え、ソフィアはふらつきながらゆっくりと立ち上がる。そして、覚束ない足取りで歩き始めた。

 忘れていた感覚が徐々に蘇っていき、転倒した時に擦りむいた膝の傷が痛覚を刺激し始める。

 目元にはいつの間にか涙が浮かんでいた。それが痛みによるものなのか、シャルロットの安否を腐心しての不安から出たものなのかは、本人にもわからなかった。

 頬を伝って零れ落ちた涙を服の袖で拭い、正面に見える森の出口を目指して、ソフィアは悲鳴を上げている両足を無理矢理に動かし続ける。

 そして森を抜けた所でついに、ずっと待ち望んでいた光景がソフィアの視界に映り込んだ。

「やっと……見えてきた……」

 遠くに見えるユーティアスの町並みを見て、ソフィアは小さく呟いた。

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