幻光実体化魔法
絶え間なく降り注ぐ温水を浴びながら、
「ルイズ……」
壁に取り付けられているシャワーヘッドを呆然と見つめながら、ソフィアはその名前を呟いた。
昨晩の曖昧な記憶の中で唯一鮮明に覚えているのは、自分と瓜二つであるルイズの顔。
彼女の顔を思い出すと同時に、剣を突き刺された腹部が疼くような感覚を覚える。
しかし今は、傷痕すらも見当たらない。そっとその箇所を指でなぞってみても、何も無い。
シャルロットが言った通り、自分はヴァンパイアなのか――そう思ったと同時に、ある事を思い出した。先程“ヴァンパイア伝説”という単語を聞いた時に、左手に付けている指輪が紫色の光を放った事を。
ソフィアは指輪を見つめる。
その時、記憶を遮っていた何かがすっと無くなるような感覚を覚え、失われていた記憶の一部が蘇った。
「魔法――そうだ、魔法だ……!」
魔法の力によって生み出した光を実体化させる能力。自分が持つその力を思い出したソフィアは、指輪を掲げ、静かに念じる。
すると、指輪がゆっくりと光を放ち始めた。その光はソフィアがイメージしていた正方形に
力の確認を終えたソフィアは手を下ろし、光を消す。
ソフィアの頭に、再び温水が降り注いだ。
それからもうしばらく身体を洗い流した後、ソフィアはシャワールームを出る。
「あら、早かったわね」
丁度着替えのワイシャツとバスタオルを届けに来たシャルロットと鉢合わせ、ソフィアは慌てて扉に隠れる。
「い、居るなら一言いってよ……!」
「ふふ……そんなに恥ずかしがる事無いじゃない。女同士でしょ?」
「いいから出てってよ……!」
「はーいはい……」
シャルロットの愉快そうな笑い声が遠のいたのを確認してから、ソフィアは恐る恐る扉から出た。
身支度を済ませ、リビングに戻るソフィア。
すると、シャルロットがソファーに腰掛け、すらりと伸びた
その姿を見て、ソフィアは自分には無い大人の女性の魅力というものを感じ、謂れのない劣等感に
「――お待たせ」
嫉妬とも取れるようなその感情は、心ならずも声調に表れてしまう。
そんなソフィアの傷心など知る由も無いシャルロットは、愛想の良い笑顔を返した。
「良かった。ワイシャツのサイズ、大丈夫そうね。私が学生の時に着てたものなんだけど、合って良かったわ」
「ちょっと大きいけど、大丈夫。――ありがとう」
「どういたしまして。本当は一式で用意してあげたかったんだけど、サイズがあるからね」
シャルロットはそう言って、いつの間にか着替えていた白いジャケットの襟を掴んでひらひらとして見せた。
ソフィアは彼女の服装が変わっている事に先程鉢合わせた際は気付いていなかったので、改めてまじまじと見つめ始めた。
白いジャケットに白いスラックス。中に着ている黒いシャツは胸元を大胆に開けており、首から下げているネックレスにくくりつけられた赤いブローチがそこで輝いている。更に耳元には銀色のピアスまで付いている。
修道服を着ていた時の清純なイメージとは打って変わり、ソフィアの目には、今の彼女は高潔ながらもどこか妖艶な雰囲気を思わせるように映っていた。
「あら、どうしたの? もしかして見とれちゃってる?」
いたずらっぽく笑うシャルロット。見とれていたソフィアは正直には答えずに、慌てて視線を背ける。
「――別に」
「ふふ……それじゃ、行きましょうか」
シャルロットは銀色の拳銃をジャケットの内側に隠してあるショルダーホルスターに納め、ソファーから立ち上がった。
教会を出てロコン村を後にした二人は、崖沿いの道を歩いてメティス村へと向かう。
地形が悪く歩きづらかったものの、その道を選んだ事には理由があった。それは、
「崖沿いを歩いていれば、あなたの記憶にある光景と一致する場所が見つかるかもしれないわ」
というシャルロットの、ソフィアが言っていた“崖から落ちた”という言葉を考慮した上での提案であった。
崖沿いは海を見渡す事ができ、加えて気持ちのいい潮風が吹いている。前述した地形の悪ささえ無ければ、歩くには絶好の環境であるとも言えた。
「それで――」
歩き始めて五分程、ロコン村が見えなくなり始めた所で、シャルロットが不意に口を開く。
「どう? 何か思い出せたかしら?」
ソフィアは左手を軽く上げて指輪を見せながら答える。
「この指輪の事を思い出した」
「指輪? ――そう言えばあなたの気配が強まった時、光ってたわね」
「見てて」
両手を突き出し、左の手の甲を右の手の平で覆うようにして、目を閉じながら念じるソフィア。
すると、彼女の行動に応えるかのように、指輪が光を放ち始めた。
ソフィアはそのまま両手をゆっくりと水平に動かし、光を伸ばしていく。
七十センチ程伸びた所で光は両刃の剣の形になり、そのまま実体化してソフィアの右手に握られた。
「魔法……かしら?」
目の前で起きた不可思議な現象に、シャルロットは目を丸くしながら訊く。
――尚、魔法や錬金術の類いはソレイユ島の中では決して珍しいものでは無く、シャルロットも過去に様々な種類の不可思議なる力を目にしてきた。
しかし、ソフィアが今見せた、光を実体化させる魔法は初めて見るものであった。
「私は“
「凄いわね……。銃とかも作れるの?」
「残念だけど、そういう複雑な構造のものは作れない。飛び道具は、せいぜい小さな剣を作って飛ばすぐらい」
「なるほど。それにつけても感服だわ」
「――でも」
ソフィアは作り出した剣を光に戻して消し、溜め息混じりに嘆く。
「思い出したばかりで上手くできないの。本当はもっと早く、イメージしただけで作れるんだけど……」
「感覚は直に戻ってくるハズよ。きっとね」
シャルロットはソフィアを励まそうと、優しく微笑む。
その笑みを見たソフィアは何とは無しに照れ臭くなり、赤面した顔をぷいっと背けた。
それからしばらく進んだ所で、再びシャルロットが話を始める。
「ルイズ――って言ったかしら?」
「――!」
その名前がシャルロットの口から出るとは思っていなかったソフィアは、驚いた様子で隣を歩く彼女の横顔に視線を向けた。
シャルロットはその視線を面白がるようにふっと小さく笑い、続ける。
「どんな子なの? 双子って言ってたけど、あなたに似てるのかしら?」
「――まさか」
ソフィアは嘲笑のような弱い笑みを浮かべた。
「見た目は同じかもしれないけど、中身は全然似てないよ。喋り方も、考え方も」
「あら、ルイズって子については、色々と覚えてるみたいね」
「まぁ……でも、昨日どうして戦っていたのか、その理由は……」
「――まだ思い出せない?」
「……うん。その事だけ、すっぽりと頭の中から抜け落ちちゃったみたいに、思い出せない」
「そう……。――まぁ、無理に思い出そうとしたってどうにもならないわ。メティス村が記憶を取り戻すキッカケになる事を祈りましょう」
ルイズについての話はそこで終えて、また別の話題を考えるシャルロット。
すると、初めてソフィアが自分から話を切り出した。
「ねぇ、あなたには居ないの? 兄弟姉妹」
訊かれるとは思っていなかったシャルロットは、少し驚いた様子で返答する。
「私? 居るわよ。奇遇な事に、双子の姉がね」
「――どうなの?」
「どうって?」
「……仲良いの?」
「うーん……そうね……」
シャルロットは顎に手を当て、考えるような素振りを見せながら答えた。
「たまに蹴り殺したくなる事はあるけど、悪くは無いと思うわよ?」
「け、蹴り殺したくなる……?」
「理不尽な事を言い始める時があってね。“さっきと言ってる事違くない?”みたいな。それを指摘すると、またぶすっと機嫌悪くなるし。それに、私の前で平然と煙草吸うのよ? 服に臭いがつくからやめてって言っても、“それは困ったわね”って言いながら吸うのやめないし。――思い出したらイライラしてきたわ。あのろくでなし飲んだくれ女……!」
「ちょ、ちょっと待って。お姉さんはシスターじゃないの?」
「いいえ、シスターよ」
「でも、煙草とか、飲んだくれとか……」
困惑気味のソフィアに、シャルロットは“あぁ、その事か”という表情で答える。
「私もだけど、シスターってのは名前だけなの」
「名前だけ?」
「由緒正しき伝統ってヤツよ。私の家系は代々ヴァンパイアハンターであると同時に、アルミス教会のシスターも務めていたの。だから特にそれらしい事はしてないけど、一応形だけって事でやらせて貰ってるわ」
「そんなんで大丈夫なの……? シスターって、神様に仕えるお仕事でしょ?」
「あら、意外と信心深いのね、あなた」
「――そういう本を読むのが趣味だったりするの」
「へぇ……
「……からかわないでよ」
「とんでもない。褒めてるのよ」
「……ふーん」
褒められるという事に慣れておらず、素っ気ない態度を取ってしまうソフィア。
相手の事を知るのが好きで堪らないシャルロットは、もっともっとと言わんばかりに次の話題に持ち込む。
「ところで、あなたいくつなの? その制服は確か、高等部のものだった気がしたけど」
「合ってる。私は三年生、今年で――十六になるのかな」
「十六か……良いわね、若いって。羨ましいわ」
「――そう言うあなただって、そこまで歳を取ってそうには見えないけど」
「ふふ……二十代前半と答えておこうかしら」
「……前半ね」
意味深なその言葉に、ソフィアは小さく鼻で笑った。
お互いの話に華を咲かせていた二人は、知らぬ間にジュピテール地方とメルキュール地方を隔てるように位置している森林地帯、テールの森に足を踏み入れていた。
「結構歩いたわね。こっちの方には滅多に来ないから、何だか新鮮な気分になるわ」
木々の間から射し込んでくる暖かな木漏れ日を受け、眩しそうに目を細めながらも穏やかな表情のシャルロット。傍ら、隣を歩くソフィアは忙しない様子で辺りを見回していた。
その様子に気付いたシャルロットが、怪訝そうに声を掛ける。
「――どうしたの?」
「ここ……見覚えがある……」
「見覚え?」
「私、昨晩この森に来た気がする。この森に来て、それから――」
そこで何かを見つけ、ソフィアは言葉を切る。そして突然、側にあった獣道に向かって走り始めた。
シャルロットはワケもわからないまま、慌てて彼女を追い掛ける。
「ちょ、ちょっと待ちなさい……!」
シャルロットが呼び掛けるが、ソフィアに立ち止まる様子は無い。
しばらく走り続けた所で獣道が突然途切れ、二人はその付近だけ不自然に木々が無い開けた場所に出た。
「もう……いきなりどうしちゃったのよ……?」
そこでようやく立ち止まったソフィアに追い付き、シャルロットはソフィアの肩に手を置きながら呼吸を整える。
「間違いない……私は昨晩、ここでルイズと戦った……」
ソフィアは自分自身に確認するようにゆっくりとした口調でそう呟いた。
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