青髪のヴァンパイア

「――見るからに怪しいものがあるけど、あれは何なのかしら?」

 何かを見つけ、眉をひそめるシャルロット。

 その何かとは、地面に埋め込まれている、難解な模様が描かれた石材の大きな円であった。

「わからない……それはわからないけど……」

 ソフィアはゆっくりと歩き始め、その円の中心に立ち、今一度辺りを見回す。

「あなたが昨晩来た場所は、ここで間違いないのね?」

 シャルロットもやってきて、彼女の視線の先を一緒になって見始める。

「うん、間違いない。そして、私はあそこから――」

 言葉を切り、ソフィアは円から離れて広場の奥へと歩いていく。

 彼女が向かった先を見て、シャルロットは眉をひそめる。地面が途切れているように見えたからだ。

 そしてそれは見間違いでは無かった。

「――私はここから、ルイズに落とされた」

 ソフィアは、五十メートル程の高さである断崖の端に立って真下を覗き込み、海波かいはが崖に打ち付けられる様子を見ながらそう言った。

「こ、こんな高さから……?」

 恐る恐るソフィアの隣に立ち、その高さに苦笑を浮かべるシャルロット。ソフィアは小さく頷く。

「落ちて、波に飲まれた時にはまだ意識があった。沈んでいく時に、少しずつ意識が遠のいていって……」

 断片的ではあるものの、曖昧だった記憶が鮮明に蘇っていく。

 しかし、肝心な部分が思い出せず、ソフィアはもどかしさを覚える。

「ルイズは何をしようとしていたの……? 私はどうして、ここで彼女と戦っていたの……?」

 自分の頭を両手で抱えてうずくまり、抜け落ちている記憶を必死に呼び覚まそうとする。

「ソフィア……」

 苦しんでいるようにも見える彼女の姿を見かねたシャルロットが呼び掛けるが、声は届かない。

 肩を叩こうとしたその時、

「……!」

 シャルロットの動きがピタリと止まった。そして次の瞬間、空気が重く、冷たくなったような感覚を覚える。その感覚は彼女にとって、忌々しくも懐かしいものであった。

 シャルロットは反射的にショルダーホルスターから銀の拳銃――祓魔ふつま銃を抜き、自分達がやってきた獣道の方に向ける。

 そこには、一人の少女が立っていた。

 菫色の頭髪に、黒いロングコート。腰元には鞘に納められた剣を携えている。

 シャルロットはその少女の顔を見て、息を呑む。少女はソフィアと瓜二つの顔であった。

 そして、遅まきながら顔を上げたソフィアが少女を捉えるなり強く睨み付け、その名前を呼んだ。

「ルイズ……!」


「――生きていたか」

 現れたルイズはソフィアを睨み返しながら、二人の元に歩いていく。

「彼女が……ルイズなの……?」

 シャルロットが銃を下ろし、怪訝な表情でルイズを見たままソフィアに訊く。

 ソフィアもルイズを睨んだまま、小さく頷き、その場から歩き始めた。

「昨晩はどうもありがとう。楽しい海水浴を楽しめたよ」

「それは良かった。楽しんで貰えたのなら光栄だ」

 嫌味を嫌味で返され、ソフィアはむっとした表情になって歩を早める。それから彼女は、指輪を掲げた。

「――お礼をしなきゃね」

 指輪が光を放ち始め、ゆっくりと剣の形に形成されていく。

 その様子を見ていたルイズが、眉をひそめた。

「どうした。稚拙ちせつな魔法が更に退化しているようだが」

「……うるさいな」

 ソフィアは舌打ちをすると同時に走り出し、生成した光剣をルイズに振り下ろした。

 ルイズは素早く腰元の剣を抜き、斬撃を防ぐ。鍔迫り合いとなり、二人は再び睨み合う。


 ――その傍ら、シャルロットは二人の戦いには目もくれずに、辺りを見回していた。

「(この気配……彼女のものでは無いわ……。別の何かの――)」

 その時、シャルロットの背後――崖の下から、何かがさっと飛び出した。

 気を張り詰めていたシャルロットは即座に察知し、その場から飛び退いて退避する。それから、銃を構え直して飛び出してきたものの正体を確認する。

 そこに居たのは、一人の少女であった。

 背後に広がる海のような紺碧色の頭髪。腰の辺りまで伸びた長く美しいその髪は、首の後ろで一つに纏められ、潮風になびいている。

 背丈はシャルロットよりも一回り小さいくらいであり、栗色のブラウスに、フリルがついた黒いスカートという服装をしていた。

 シャルロットは少女を見て、どこかの育ちの良い令嬢といったような印象を抱く。

 しかし、少女から感じる強大な気配が、その好印象をすぐにかき消した。

「――忌々しい気配の正体はあなただったのね」

 シャルロットが確認するようにそう呟く。

「へぇ、あたしに気付いてたんだ。流石はヴァンパイアハンターと言った所かな」

 少女はシャルロットを見て、愉快そうに唇の端に笑いを浮かべた。

「白いスーツって事は……妹の方? 今日は二人じゃないんだ」

「あの馬鹿なら三日前に飲みに出たきり帰ってきてないわ。――それで、あなた誰? 私に何か用?」

「あたしの名前はラメール。ルイズに仕えるヴァンパイアの一人――」

 ラメールと名乗った少女はそこで突然、姿を消した。

「よろしくね……シャルロット」

 ラメールはシャルロットの背後に現れ、彼女に後ろから抱き付いて耳元で妖しく囁いた。

「ッ――!」

 シャルロットは背負い投げの要領でラメールを前方に投げ飛ばし、ヴァンパイアハンターの最大の武器である祓魔の力を宿した銀の銃弾をお見舞いした。

 ラメールは空中で体勢を整え、着地と同時に側転をして銃弾を避ける。

 立て続けにもう一発銃弾が撃ち込まれたが、ラメールは地面を滑るように動いて銃弾を避けながら、シャルロットに接近する。

 接近を許してしまったシャルロットは、体術で迎撃しようと身構える。そして、真正面から飛び掛かってきたラメールに、右足によるハイキックを放った。

 しかし、攻撃が命中する寸前でラメールはまたしても忽然と姿を消した。

 そして再び、ラメールはシャルロットの背後に現れ、彼女の首に両腕を巻き付けるようにして抱き付いた。

「捕まえた……」

 ラメールが耳元で囁く。

「――どうかしら」

 一連の行動を予測していたシャルロットは、一切動揺を見せなかった。そのまま見もせずにラメールの顎に銃を突き付け、引き金を引く。

 射出された銀の銃弾は、下顎から侵入して内部を無慈悲に破壊した後、頭頂部から突き抜け虚空へと消えていった。

 シャルロットの首に巻き付いていたラメールの細い腕が、するりと抜ける。

 シャルロットが撃破を確信した、その時だった。

「――なーんてね」

 ラメールの無邪気な声と同時に、再び彼女の腕がシャルロットの首に絡み付く。

「なっ――!」

 どんなに生命力に長けたヴァンパイアであったとしても、頭部に銀の銃弾を受ければひとたまりも無く、すぐには動く事ができないハズ――その思い込みが、シャルロットに動揺を生じさせた。

「ふふ……綺麗な首筋……」

 ラメールはシャルロットの後ろ髪を掻き分け、現れた彼女の首筋を恍惚こうこつとした表情で見つめる。

 そして口を開いて鋭利な牙を露にし、そこに咬み付いた。

「ッぁ――!?」

 苦痛と驚愕が入り混じった悲鳴を上げるシャルロット。ラメールは傷口から溢れ出てきた鮮血を口に含み、再び表情を蕩けさせる。

「美味しい……もっと飲ませて……?」

「ふざけてんじゃ……ないわよ……!」

 シャルロットは肩を後ろに突き出すようにして、ラメールを振りほどいた。

「痛いわね……! 何考えてんのよ……!」

 咬まれた首筋を手で抑えながら、ラメールを睨み付けるシャルロット。

 ラメールは座り込んだまま、口の周りに付いている血を舌で舐め取り、なまめかしい笑みを浮かべていた。

「ふふ……ずっと気になってたの、アルベールの血の味。――予想通り、とっても美味しかった……」

「――もうちょっとマシな趣味持つのを勧めるわ」

 シャルロットは苦笑と共にそう言って、再び銃を構えた。

 向けられた銃口を見て、ラメールはゆっくりと立ち上がり、スカートについた土埃を手で払う。それから、シャルロットに向き直ってこう言った。

「もう少しあなたと戯れていたい気持ちはあるんだけど、今回はこれくらいにしておこうかな。あたし達には用事があるの」

「――用事?」

「ふふ……また会おうね、シャルロット」

 ラメールはにっこりと笑いかけてから、ルイズとソフィアの元へと歩いていく。

 当然それをシャルロットが黙って見逃すハズも無く、彼女はラメールの足元に発砲し、威嚇した。

「待ちなさい。話を聞かせて貰うわ」

 ラメールは地面に作られた銃痕を一目見てから、きょとんとした表情でシャルロットに顔を向ける。

「そんなに、あたしと一緒に遊びたいの……?」

「――語弊がある言い方はやめて頂戴」

「良かった、あたしの事気に入ってくれたんだ。あたしも好きだよ、あなたの事」

「だから――」

 話が噛み合わず、思わず苦笑が漏れるシャルロット。

 しかし次の瞬間、ラメールからおぞましい殺気を突然感じ取り、シャルロットは表情を引き締めた。

「それじゃあ遊ぼっか。どっちかが壊れるまで……」


 一方――

 再会と同時に剣を交わらせ、鍔迫り合いを始めたソフィアとルイズ。

 戦況はすぐに一方的なものになり、魔法の力を最大限まで発揮できていないソフィアが押され続けていた。

 しかしソフィアは諦めず、致命傷だけは負わないよう慎重に立ち回りながら、ルイズに挑み続ける。

 ソフィアが五度目の転倒から立ち上がった所で、不意にルイズが剣を納めた。

「……何のつもり?」

 蹴りつけられた腹部を手で抑えながら、眉をひそめるソフィア。

「用は済んだ。お前と遊んでいる時間は無い」

「用?」

「――貴様には関係の無い話だ」

 ルイズの視線が、離れた所でシャルロットと交戦しているラメールに向けられる。

 それから、ルイズはソフィアを無視して彼女の元へと歩き出した。

「待ってよ……!」

 ソフィアは光剣を生成し、六度目の剣劇を挑もうとする。

 しかし、生成と同時にルイズが銃を取り出し、たった今作り出された光剣を一発で撃ち壊した。

 ガラスが割れるような音と共に碎け散る光剣。その破片が消えていく様を、ソフィアは唖然とした様子で見届ける。

 光剣の強度はソフィアの魔力に比例している。光剣がたった一発の銃弾によって破壊されたという事実は、ソフィアの魔力がもう尽きかけている事を物語っていた。

 ルイズはつまらなさそうに鼻で笑って銃をしまい、ラメールの元へ。――行こうとしたが、ソフィアはまだ諦めていなかった。

「――しつこいぞ」

 走り様に殴りかかってきたソフィアの右手を容易に受け止め、そのまま捻り上げるルイズ。

 関節を極められたソフィアは耐え難い痛みに唸るような悲鳴を上げながらも、もう片方の手でルイズの肩に掴みかかる。

 そして、ルイズを睨み付けながらこう訊いた。

「あんた……何をしようとしてんの……?」

「……何だと?」

 ルイズにとってその質問は予想外だったらしく、彼女は怪訝な表情になる。

 “どういう事だ”と訊き返そうと口を開きかけた所で、ルイズは抱いていたとある違和感の事を思い出した。そして一瞬の思案の末に、ルイズは一つの真実を導き出した。

「……貴様、記憶を失ったのか」

「私の質問に答えてよ……ルイズ……!」

 尚も食い下がるソフィアであったが、ルイズは答えずに嘲笑だけを返す。

「貴様など元々脅威では無かったが、忘れてくれたのなら都合が良い」

 それから、掴んでいた手を離し、ソフィアの胸部を強く蹴り付ける。

 寸前まで関節を極められていたソフィアは動く事ができず、その攻撃を諸に受けて転倒した。

 強い衝撃を受けた事によって呼吸がままならなくなり、しばらくの間、彼女は立ち上がる事すらできずに悶え苦しむ。

 その姿に、ルイズは憐憫れんびんの眼差しを向けた。

「憐れな姿だな、ソフィア。――だが、弱者が奮い起った所で、その先に待つのは無意味な死だけだ。貴様はそうやって一生地面を這っているが良い」

 罵倒を受けても、いさかいを起こす気力などはもう残っていない。

 ルイズはついに興味を失ったかのように小さく溜め息をつき、ソフィアの元から立ち去った。


「ラメール、いつまで遊んでいるんだ」

 ルイズがラメールの元に行き、彼女に呼び掛ける。

 シャルロットと交戦していたラメールは、寂しそうな顔をルイズに向けた。

「もう帰るの……?」

「目的は果たしただろう。ヴァンパイアハンターと戦うのは時期尚早だ」

「うーん……せめてもう一口――」

「ダメだ。行くぞ」

 ルイズに鋭く睨み付けられたラメールは、叱られた子供のようにしゅんとなって、小さく頷いた。

「……わかったよ」

 シャルロットを残念そうに一瞥してから、ラメールは歩き出したルイズと共にその場を後にしようとする。

「待ちなさい」

 シャルロットがルイズを呼び止め、彼女に銃口を向ける。

「ヴァンパイアを引き連れて、一体何を企んでるの? ロクでも無いような事ってのはわかるけど、詳しく教えなさい」

「知ってどうする」

「話によっては身命を賭してでも阻止させて貰うわ」

「……」

 ルイズは微かな間を挟んだ後、シャルロットを睨み据えながら答えた。

「これは復讐だ」

「――復讐? なんの復讐よ?」

「自分の胸に訊いてみると良い」

 そう言って、ルイズはコートの内側から何かを取り出し、それをシャルロットの足元に投げる。

「(これは……!)」

 シャルロットが足元のそれを見た次の瞬間、耳をつんざく程の爆発音が鳴り響いた。更に、それと同時に生じた強い閃光が彼女の視界を奪う。

 ルイズが投げたものは、強い光と音を生じさせて敵を無力化する兵器、閃光発音筒スタングレネードであった。

 シャルロットは何とか起爆の寸前で顔を背けて直視は免れる事ができたものの、しばらくの間は視覚と聴覚を奪われ行動不能に陥る。

 十秒程で耳鳴りが治まり始め、シャルロットは恐る恐る目を開けた。

「……逃げられちゃったか」

 確認する前からわかってはいたものの、ルイズとラメールの姿は既に無くなった。

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