第2話 情報

 意外にも目覚めは良かった。昨夜のあの忌々しい出来事の後、僕はなんとか自宅に辿り着いたわけであるがその後の記憶が曖昧だった。それでもきちんと寝間着を着ているところからすると、一通りのことはきちんと行っていたとみえる。枕元にある目覚まし時計の方へ顔を無理やり向けて時刻を確認する。いつもより少し早いようだ。早く起きても特にすることのなかった僕はいつもの起床時刻になるまで布団の中でくつろいでいることにした。身体はまだ眠っているかのように上手く動かないが頭だけは起きてきた。そこで天井をぼんやりと見ながら考えてみた。主に昨日のことについてではあるが。僕は昨日初めて怪物を見た。この街に引っ越してくる時に母親から話はあった。最初聞いたときは遭遇したら怖いなと思う反面、そんなファンタジーみたいなことは起きるはずないとどこか冷めた感情を持っていたのである。しかし実際に目の前にしてみて思った、自分はいかに無力であるか。僕はあんな目に遭うかもしれないのにこの街に住み続けられるこの街の人の神経を疑った。しかしそこで新たな疑問が頭に浮かび上がった。どうして今まで一度たりとも怪物が出没した、という情報を聞いたことが無かったのだ、この驚異に対して何らかの策は無いのか、と。勿論僕が来てから一ヶ月間怪物が出没していないということも考えられた。しかし昨日実際に現れたのだ。僕が気絶したその後に怪物は移動した筈だ。だから何か目撃情報が出てきていてもいい、そうしたらこんな疑問に簡単に決着がつくはずだ。そんな淡い期待を抱きながらゆっくり布団から出た。

 本日も平日だ。だから学校がある。本当は休んでしまいたかったが、なんて言ったらいいか分からず、結局僕は登校することを決意した。昨夜の首の痛みは一晩でだいぶ回復したが、跡がひどく残っていた。指の跡も完全に消えておらず、明らかに不自然だった。幸い、僕の学校の制服は学ランだったので上まで閉めれば隠せるような感じであったから仕方なく詰め襟の部分を閉じた。それからすぐにリビングのテレビの前に陣取った。すでに父の姿は無かった。仕事はいつも朝早くからだった。だから僕と父はあまり話す機会が訪れることな無い。

「優一、テレビの前に朝ごはん食べちゃってー」

母がキッチンから声をこちらに投げてくる。適当な返事を返し、急いで地域のニュースをやっているチャンネルに合わせた。しかしいくら待っても昨夜の出来事は一切出てくることは無かった。

「いつまでテレビを見ているのかしら?」

少しドスが効いた声がすぐ後ろから聞こえちょっと驚いたがそれを悟られまいと平然を装いながら振り向いた。

「い、今行くから」

流石にこれ以上見続けていても意味がないと悟り、僕は急いで朝食が用意されているであろうテーブルへ向かった。すでにテレビの話題は天気予報へと変わっていた。


 「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

僕はいつものように母に見送られながら登校する。いつもすぎる。昨日僕があんな目に遭ったことを除くと本当にいつも通りの日常だった。ここで僕が昨日のことを話しても、夢でも見たのかと嘲笑されそうな勢いである。道中もこれといって変わったところもなく、勿論通学路の途中には僕が昨晩襲われた呪いの場所なるものもあるのだが壊れたりなどはしていなかった。

 結局、この短い時間ではどうしたらいいのか答えが出せずに学校へ着いてしまった。胸に不安を抱えながら教室へ入る。入っても皆はいつも通りだった。いつもの僕なら何とも思わないのに今日は少しだけ苛立った。どうして僕だけがこんな気持ちで今日という日を過ごさなければいけないのか、実に勝手ではあるが僕の心は不快感に包まれた。

「おはよう優一、今日はやけにどんよりしているな」

僕に一番に挨拶するやつなんて一人しかいない。この学校での唯一と言っていいくらいの友人だ。必死に隠しているつもりだったが、早速負のオーラを嗅ぎつけられてしまった。隼は一番窓際の席で僕の一つ前だった。隼は身体をひねりぐいっと身体を僕の方へ向けてきた。僕の机を肘おきのようにして座る態勢になった。

「おはよう隼。いやまあ、個人的に嫌なことがあってね」

彼はとても真摯に接してくれるし特に嫌なことをされたわけでもないから嘘は付きたくなかった。かといってありのままを話すのも面倒だしいきなり突拍子のない話をされても隼が困るだけだ。結果としてこんな曖昧な言い方になってしまった。

「それはもしかして、今日君が詰め襟をきちんと上まで閉めていることと関係あるのかな」

急に図星を突かれてどきっとする。目の付け所がまるで名探偵みたいだ。

「やっぱり隼には隠し事はできないなあ」

「え!マジで!?やったあ!」

素直に喜んでいる。自分の推理が当たっていたことがそんなに嬉しいのか。……嬉しいだろうな。そう思い、隼の顔を見ると早く僕に何があったのか知りたい、といった様子だった。目をキラキラと輝かせている。普段は僕の二、三個年上に見えるのに、この時ばかりは年相応の表情になっていた。僕の方もこの話を信じるかどうかは別として誰かに聞いてもらいたい気持ちの方が大きかった。

「実はな、今日首を隠しているのもこれのせい、なんだ」

言い終わるか終わらないかで僕は詰め襟の一番上のホックを外した。朝にちらっと見たくらいだから今はどうなっているか分からないが、隼が僕の首を見たなりかなり驚いた表情になっているのを見るとまだ跡ははっきりと残っているようだ。

「……どうしたんだこれ!大丈夫か!」

まさかここまで大きな反応が返ってくるとは思わなかった。咄嗟に僕はホックを閉め直し人差し指を口に当てて小さくシーッとジェスチャーをした。

「あ、悪い悪い。でもこんなのって普通の生活じゃつかないよな。ましてや優一みたいな……」

 突然、ホームルーム開始のチャイムによって僕達の会話は遮断された。チャイムが鳴り終わらないうちに担任の先生が無造作に教室の扉を開けて入ってきた。連絡は僕には関係のないことだったので適当に聞き流しておいた。ホームルームが終わって最初に気になったのはチャイムが鳴る直前に隼が言いかけていたことだ。何か引っかかる物言いだったので直ぐに問いただしてみた。するとこんな返事が返ってきた。

「いやさ、こんな怪我をするのって大抵アレ絡みじゃん?でも優一みたいな普通の人は絶対負わないはずなんだけどって思ってね。一応この街のことについて話しておかないといけないかもしれないしさ、今日の放課後空いてる?そこで詳しく話すよ」

なんだかトントン拍子で話が進んでしまった。これでいいのか僕は。でも、この街のことについて何も知らなさすぎるし聞けるときに聞いておかないと損をしそうだと判断した。

 結果、授業が全て終わるまで頭の中は放課後のことでいっぱいになり授業内容は覚えていなかった。


 授業が終わるや否や僕と隼はすぐに学校を出発した。これはグズグズしていると隼が部活の先輩に誘拐されるからだ。そうして街の中心にある喫茶店へ入った。店の中は明るい雰囲気で木を基調としたものだった。山奥にあるのがふさわしいとさえ感じた。店の一番奥にある席を見つけ、そこに座った。すぐに店員さんが来て注文を聞いてきたので、メニューを一通りざっと確認してから僕はコーラを頼んだ。隼は何も見ないでコーヒーを選んでいた。どうやらここの店に来ることには慣れているようだった。

「ここにはよく来るのか?」

「ん、まあ部活の時とか皆でよく来るけど」

「あれ、隼は運動部じゃなかったけ?そんな暇あるのか?」

詳しくは聞いていなかったが、いつも体育会系の先輩に連れて行かれていく様子を見ていたからか、勝手にそうだと思っていたが。

「え?まあ、その話も追々な!」

 注文した物が来たことによってその後の僕の問い詰めは遮られることになった。本題を話し始める頃には話の主導権は自然と隼の方に移っていた。

「まず優一はさ、この街について何を知っている?」

とても大雑把な質問が飛び出してきたもんだ。どう答えればいいのか困っていると名前とか、噂とか具体例を挙げてくれた。

「名前は弐詰市、たしか親の世代だと市じゃなくて町だったよな。で最近になって、隣町と合併して市になった。あとは、たまに人とは違う異形の者が現れるっていう噂は引っ越す前に聞いたな。あ、あと、その異形の者と戦う力を持つ人達が沢山いるって。名前は獣石飼い。……このくらいかな」

とりあえず僕の知っていることを大まかに話した。それを隼は表情一つ崩さないで聞いている。普段は表情豊かであるのに今は何を考えているのかまるで分からない。しかし直ぐに笑顔になった。

「……本当に大体だね、住んで一ヶ月だとこんなものなのかな?でも言っていることは正しくもあるよ、小さい頃にでも住んでたの?」

「母親が小さい頃に住んでいたみたいで。だから弐詰市の事は全部母親からの知識になっちゃうんだ」

隼はなるほど、といった感じだった。一口、コーヒーを飲むと講師のように語り始めた。

「まずこの街に怪物、一応名前があってイレースというんだ。恐らく君はもう遭ったんだろうね。……怖かっただろうに。あいつらは能力を持っている人を狙って襲ってくる。でもそいつらに好きにされるだけじゃあないんだ。その能力を持っている人達、すなわち獣石飼いと呼ばれる人達がいる。僕もその一人だ。まず獣石飼いには属性とランクがある。火を操るF、水を操るW、風を操るB。ランクも1〜5まである。5は何の能力も持っていない人達で数字が小さいほうが力は強い。そしてその人の属性とランクはひと目で分かるようにしてあるんだ。獣石飼いの皆は獣石という特別な石を身に着けなきゃいけないんだ。属性ごとに赤、青、緑。ランクごとには5は何もなし、4は指、3は手首、2は首、1は耳という感じだ。俺を見てみ。赤いピアスをしてるだろう?だから俺はF−1、ということだ!簡単に言うとこんな感じだな、どうだ少しは分かっただろう?」

なんという情報量だ。一気に新しいことが頭に流れ込んできて軽くパニックを起こしそうだ。能力だの石だの突拍子のない話を聞かされた僕はしばらく固まってしまった。

「……お、おう?なるほどね?うん」

これは何かの設定なのか、と疑わずにはいられない。

「まあ、すぐに理解しろ、というわけじゃないさ。ていうか驚くよな、こんな話。ただ、知識として頭の中に入れておいてほしいだけなんだ」

渋々納得してもうすでに中身の無くなったグラスのストローに口をつける。吸い込んでもただ味のない氷の溶けた水が入り込んでくるだけだ。しかし今日は頭が冴えているようだ。すぐに頭の片隅にふとした疑問が湧き上がってくる。

「ん?でもさ、ならなんで僕が襲われたのさ。僕はその、力なんて持ってないんだけど」

すると隼はそこなんだよなあ、とでも言いたそうに首をかしげた。

「そう、朝に言いたかったことはそこなんだよ、今まで一般の人が襲われたことなんて報告されてないからなあ。うーん、これは調査する必要があるのかも」

「ちょ、調査?」

「ふふ、ここで俺の部活の出番ってことだよ!」

そういえば勿体付けて話してくれなかったな、ようやく聞けるのか。心なしか隼はウキウキしている。

「それで?ここまで延ばしておくんだから普通の部活じゃないんだろうな、とは思っていたけど、一体何なんだい?隼の部活って」

「そう、俺が所属している部活は……能力研究部、略して能研だ」

「初耳な部活だな」

本当に初めて聞いた名前だ。申し訳ないが名前を聞いた瞬間の僕の顔はマヌケ、の一言がふさわしかっただろう。それを察したのか隼は先程とは打って変わってがっくりと肩を落とした。

「いや、みなまで言うな。自分でもマイナーなことくらい分かってるよ。あんまり公に活動していないからね、僕達は。しかも、今となっては存在意義すら危うい部活だし。でも国の人が決めたことだから仕方ないだろ?少なくとも俺は楽しくやってるよ」

隼も思うところがあったみたいだなあ。

「い、いや。僕は何も知らないわけだし。それって何をする部活なの?気になるなあ、それに国の人が決めるんだ。たかが一学校の部活だろうに」

「昔はそれはそれは活躍した部活だったらしいよ。元々はイレースと戦うために組織されたものだったらしいんだよ。でも今じゃ獣石飼いの数は増え続ける一方。特にありがたみの無くなった能研は日夜不可解なことを調査する探偵みたいなことをしているんだ。部員も自分から入りたいから入れるわけでもない。決められるんだ。何の基準でそうなるのかは分からないけど」

「だから聞いたことも無かったのか、調査するってことは何なのか調べてくれるの?僕が襲われた原因を!」

「一回襲われて次いつまた襲われるか分からないしな、それに最近何もすることなかったから。明日にでも部長にかけあってみるよ」

「ありがとう、期待してるよー」


 外は暗くなり出そうとしていた。そろそろ出ようか、ということで会計を済ませ、店を出た。隼とは途中まで道が同じだったので、そこまで二人で話しながら歩く。帰りの道は何とも無かった。

「じゃあ、俺はこの辺で。それじゃあまた明日な!」

「明日なー」

颯爽と歩いていく背中を見送り、僕も家の方向へ歩みを進めた。家の前が見えてきた。明かりが付いている。その明かりに安堵しながら近づくと、家の前に一台の黒い車が停まっていることに気づいた。お客さんでも来ているのかと思っていると人影がこちらに近づいてきた。

「時坂優一さん、ですね?」

女性の声だった。優しい声だったが、少なからず僕を緊張させた。背は僕よりも少し小さいくらいだ。

「はい、僕ですけど。ウチに何か御用ですか?」

「家、というよりも君に用があるの」

僕に用があるなんて、恐怖を感じて後ろに下がろうとするが、いつの間にか後ろに人が回り込まれていたようで板挟みになってしまった。

「これから君には来てほしい所があるの、いい?勿論ご両親には許可はとってあるわ」

突然僕は後ろの人達にわきを抱えられて車の中に押し込められた。大人二人分の力ではどうやっても僕一人では勝てっこない。そうしてすぐに発車した。どこに連れて行かれるのか分からない。僕は心の中でこれまでにした悪行を思い返していた。なにかしたバチだというのなら僕は一体、何をやらかしたんだ。

もう街は闇に覆われ、車は闇に紛れながらただ疾走していく。

                                                         

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