18. 三日目・決戦前(1):友情の誕生、少女の狂騒
15:40。
「おや?」
両足を撃ち抜かれた雪町
職場からの帰路にいつも通る歩道橋を登り終える寸前、
当初は銃を突きつけるなどして無傷で拘束する予定だったが、部隊が全滅する恐れがあるとの予知を受けてこのような強行手段に打って出たのであった。
「いやいや、乱暴だなぁ。最近の第二の方舟はこんなやり口なのかい?」
魔術封印の手錠を掛けられた秋嘉は、ぼんやりとした口調で言った。
拘束と同時に止血は施されているがまだ鎮痛効果の術は掛けられていない。凄まじい激痛に襲われている筈だが、それを感じさせない暢気そうな声だった。だが痛みは確かにあるようで息は荒く全身に脂汗をかいている。
問いを掛けるべく助手席からB班の班長が顔を見せると、秋嘉が先手を取った。
「てっきり砂川くんが来てくれるのかと思っていたけど、君は知らない顔だね。私が抜けた後に来た人かな?」
「我々が来るのを分かっていたのか」
「そりゃあ、そうさ。『彼女』が戻るのはもうすぐだものね」
「?」
班長は砂川や秋嘉より十歳ほど若く、指摘の通り秋嘉が抜けた後に加入したメンバーである。それでも今の第二の方舟にとっては古参なのだが、その彼にも『彼女』が誰のことを意味をするのかは分からなかった。何かのはったりかとも思いつつも、先に聞くべきことを尋ねてみた。
「お前の娘、何か術を使えるのか?」
「私は特に何も教えていないよ。何処かで誰かに教わった可能性はあるかもね」
例の空間転移について知りたかったが、案の定はぐらかされた。ただ秋嘉の言葉に反して、空間転移は教わったからと言って誰でも使えるようなものではない。遺伝的・生得的な要素が強く関わる。娘が使えるのならば父親も使える可能性は高い。いきなり秋嘉を撃ち抜いたのも、痛みによって転移に必要な演算を阻害する意図もあった。
恭哉の偽朔夜作戦が生んだとばっちりでもある。
班長は一端前方を向く。声を潜めつつ、周囲の警戒に当たっているC班の砂川に連絡を取ると、得心した声が返ってきた。
『やはり、彼も準備していたか』
「それは我々に対して、ではなく……」
『支部に戻ったら話す。彼とは必要最小限以外の会話は止めたほうが良い。余計な情報を与えるだけだ』
「了解しました」
組織の秘密主義は機密保持のためには必要なことである。秋嘉に最大限の警戒を払えば良いとだけ分かっていれば充分だった。班長は納得して通信を切ると、改めて後ろを振り返った。秋嘉は足や首にも拘束具を掛けられた上でやっと鎮痛の術を施され、人心地ついたようだった。すやすやと安眠しているように見える。
「しかし、例の
「油断するな、彼の協力者や
「はい!」
秋嘉の聞き耳に注意しつつ班員たちに檄を飛ばす。予知によって先手を打ったとは言え、あまりにも呆気なく拘束できたことで彼らは拍子抜けしていた。
しかし翔子の予知が示したのは脅威の存在だけで、それが秋嘉本人だとは言及されてはいないのだ。油断はできない。班員たちは気を引き締め直し、秋嘉の監視を続けた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
―それは、四月の終わり頃のことだった。
明日香は
道中、バッグにつけていた御守りが落ちて人混みに飲まれたが、明日香は拾う暇を惜しんで任地へと急いだ。何しろ三十キロほど離れた山村が魔獣の群れに襲われ、既に死傷者が出ているというのだ。一秒の暇も惜しかった。友代たち護衛の者も連れて行くので彼らに拾って貰うわけにもいかない。
落とした御守りはごく普通のものだった。父に貰った大事なものではあるが、毎年年始に地元の神社で貰って翌年には焚き上げに出すものだ。人命より優先すべきものでは無い。明日香はこの時点でほぼ諦めていて、明日校内の拾得物コーナーへ行ってみようと決めた後は、車中で現地の情報収集を始めたこともありすっかり忘れてしまっていた。
その御守りを居合わせた朔夜が拾った。
朔夜は学校に預けずに直接灰園家に向かった。地元で名家として知られているので住所は調べるまでもなかった。
普通の家であればただ届けて終わるところだったろうが、あいにくと灰園家の周囲には結界が幾重にも張り巡らされている。招かれた者以外が近付こうとしても、いつの間にか来た道に戻される仕掛けだ。高台にあって遠くからも見える、見失うはずもない家にどうしても辿り着けないのである。
普段なら警備の人間が気付いたかもしれないが、明日香のバックアップとして屋敷からも大勢が出払った上に、折悪しく明日香の父も別件で前日から遠出をしていて人員が平時の三割程度と少なく、敷地外の見回りは人数も頻度も大幅に減らされていた。
そのため、夕方の見回りで一度目撃されただけの無害そうな女子高生は気に留められなかった。
次に彼女の存在に気付いたのは、任務を終え友代たち護衛の者と共に戻ってきた明日香だったが、時刻は既に八時半を過ぎていた
夕食も食べずに四時間近くも延々灰園家を目指していた朔夜を明日香たちは当然の礼儀として屋敷に招待しようとしたが、固辞されたため、車で雪町家まで送っていくこととなった。
車中、明日香は感謝の中に僅かに忠告を込めて言った。
「ありがとう。雪町さん。でも明日で良かったのよ?」
「はい。でも、大事なものだったら、少しでも早く返して上げたくて。かえって迷惑を掛けてごめんなさい」
「そんなことないわ。大事なものなのは確かだしね。だけどそれで貴女が風邪でも引いてしまったら申し訳ないわ」
「!!……いえ、大丈夫です。平気、ですから……」
朔夜は何かを恐れるように大きく体を動かして健在さをアピールした。
しばらく沈黙が続いた。二人とも友人が少ない。クラスメイトとはいえ今までほとんど会話もなく、実質初対面と大差がない。一旦話題が途切れると会話が続かない。
一分ほど経って、朔夜が唐突に口を開いた。
「私も……御守り持ってるんです」
「え?」
「母の……思い出の品なんです」
朔夜がおもむろに手にとって明日香に見せたのは、涙型の青いペンダントだった。重量感のある金のベネチアンチェーンが鎖骨まで届く長さで、本体の装飾も重厚ながらも細やかで高級感があるものだった。
明日香は少し意外に感じた。
『御守り』と聞いて自分のものと同じ和風を連想したというのもあるが、それ以上に朔夜の雰囲気と少しミスマッチに思えたのだった。言い方は悪いが、大人びた雰囲気が浮いていてあまり似合っていないように感じた。
勿論、そんな失礼な発想は表情には出さない。明日香は町の防衛の一環として、全生徒の家族構成や簡単な経歴を暗記しているが、それによれば朔夜の母親は亡くなっていた筈である。形見であれば多少似合わなくてもそのまま付けることもあるのだろう、と自分を納得させた。
「私のはお父様が毎年神社から頂いてくるものなの」
「毎年……?じゃあ灰園さんの歳の数だけあるんですか?」
「え?」
「え?」
御守りを年末にお焚き上げに出すという風習を知らない人がいるのは明日香も知っていたが、そういう人々はまず頻繁に御守りを買わないと思っていたので、朔夜の発想は明日香には意外すぎて面食らってしまった。
しかも話を聞けば神社自体、学校行事以外で行ったことがないという。かといって他の宗教を信じているという訳でもなく、教会や寺も同じく行ったことがないという。一般に無宗教とも言われる日本人だが、ここまで宗教と無縁な家庭も珍しいのではないか。
「ごめんなさい、私……世間知らずで……」
「そんな、謝ることじゃないわ。うちは神社の人ともお付き合いがあるから知っていただけよ。それより、そのペンダントはお父様がお母様にプレゼントしたものだったりするのかしら?」
明日香は悪戯っぽい表情をしてみせた。敢えて立ち入ったことを聞いたのは、朔夜がペンダントをきっかけにして会話をしたがっていると感じたからだった。
「ええと、チェーンはその通りなんですけど、本体は代々受け継がれているものらしくて……ええと……」
朔夜は手にしていたペンダントを胸に戻して、自分の両肩の辺りをギュッと掴んだ。両目を強く瞑って考え込んでいる。何とか続く言葉を探そうと必死になっているようだ。何故そこまで必死になるのかと戸惑いながらも、明日香は助け舟を出した。
「あの、良かったら今日のお礼に私もチェーンをプレゼントしても良いかしら?」
「えっ!?……えっとそれはその……ごめんなさい、流石にそこまでして貰う訳には……痛っ」
「大丈夫!?」
「はい……」
勢いよく首を振るあまり、朔夜は車のサイドに頭をぶつけてしまった。ついでに助手席でもこちらを振り向こうとして頭をぶつけた少女がいたが、明日香は今は気にしないことにした。
「あ、あの灰園さん……代わりという訳ではないんですが、その……」
「何かしら?」
朔夜は三度黙り込んでしまった。顔を両手で覆ったり左右を所在無さげに見回したりしていたが、外の風景で自宅が近いことに気付いたらしく、意を決したように明日香に向き直った。明日香は少し気圧されつつも言葉を待った。
朔夜は大きく息を吸い込んで口を開き、一呼吸で言い切った。
「私と友達になって貰えませんか!!」
殆ど叫ぶような声に明日香は目を丸くし、運転手は身を強張らせ、助手席の少女の額が前面のダッシュボードに吸い込まれた。幸い赤信号だったので何もなかったが、朔夜は青くなって謝った。落ち着くのを待ってから明日香は答えた。
「ええ、勿論よ」
ガシャン!と助手席のガラスが砕け散る音がしたが、明日香は敢えて無視して続けた。
「ただ、家業の関係で今日みたいに急に下校することもあるし、下手をすると危険なことに巻き込んでしまうかも知れないの。だからあまり一緒にはいられないかも知れないけど……それでも良いかしら」
「はい!それで……よろしくお願いします、灰園さん!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「………それを切っ掛けにお二人の交際が始まりました。あの時の衝撃とガラスを突き破った痛みは今でも覚えています」
「頭大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。もう半年前ですので問題ありません」
煽りにも聞こえる恭哉の問いだったが、その含意は字義通り物理的な損傷だけを心配するものであり、友代もそう受け取って返事をした。
「雪町様のお父様からお母様への贈り物であるチェーンを自分でも贈ろうなどというお嬢様の大胆なプロポーズ!それに対する雪町様の勇気を振り絞られた返答!」
「分かります!」
「あまりの尊さにショック死しなかっただけ私を褒めて頂きたい!」
「凄いです!」
「ありがとうございます。……そうしてご婚約なされたお二人は数ヶ月掛けて距離を縮めていかれました。その後夏休み中に一緒にお出かけをする様子が無かった時はどうなるかと思いましたが、SNS上で交流は続いていたようで、二学期には都合の付く限りは毎日昼食を共にされるようになったのです」
「その……その間は何もされなかったんですか」
「おっしゃりたいことは分かります!一緒に遊びに行くように促すべきかではないかと私も考えましたが、余計な干渉をして関係を壊してしまうことが怖くて……!!」
「分かります!……うぐっ……!……僕なんか女性同士の関係を取り持とうとしたら、訳のわからないうちに二人から僕に同時に告白されたことが何度かあります……どうしてあんなことに……」
「「自虐風自慢乙ですわ」」
15:50。
後部座席には既に回収された来瀬と来音が座っていた。
その傍らには変装に使ったウィッグや詰め物などが二式分置かれていた。透羽たちと共にいた『転送元』の来音だけでなく、『転送先』の来瀬も朔夜に変装していたのだ。戦略的には無意味であるどころか、うっかり透羽たちに目撃されるとせっかくの偽装が台無しである。風夜姉妹は能力こそ割れていないが、双子の魔術師で恭哉に近しいことは知られている。同じ格好の二人を見て、片方が本物の朔夜と考えるよりはどちらも風夜姉妹との変装と見抜かれる可能性は高いだろう。
では何故こうなのかと言えば、『半日もの長い間、二人で別々の格好をするのは嫌だ』と姉妹が駄々を捏ねたので、変装の上から白いローブを被ることでどうにか妥協させたのだった。
姉妹を交えたことで『女性と二人切り』でなくなった恭哉は呪いから解放され、その解放感もあって百合談義にいっそうの熱を込めていた。
姉妹はそれをぐったりとした表情で聞き流していた。最初は二人の会話にツッコミを入れたりもしていたのだが、友代が恭哉と同レベルかそれ以上の狂人と悟ってからは段々面倒になってきたのであった。
「事情は違えど長く人と関わることを避けてきた二人が!」
「偶然の出来事をきっかけに、手探りで距離を縮め!」
「そして!!!」
「結ばれる!!!」
興奮が最高潮に達した二人は、打ち合わせたかのように対称的な動きで同時に涙ぐんで両手で顔を抑えた。
……なお、今は星河町に戻るべく高速道路を時速七十キロで進行中である。
「「前!前!」」
不貞寝をしようとしていた風夜姉妹は、妙な蛇行に目を開くや悲鳴を上げる羽目になった。隣車線にはみ出しつつあった車体を友代がすっと元に戻した。交通量がまばらだから良かったが、渋滞中なら確実に他の車に擦っていただろう。
「……失礼しました」
「危うく百合に殺されるところでしたわね。恐ろしいですわ」
「それは百合に失礼ですわ。アホに殺されかけただけですわ」
「失礼だよ、二人共」
「アホの片割れはお黙りなさいな、恭哉様」
「アホに百合を語らう資格はありませんわ」
「う……それは……」
「だいたい、隣の車に百合カップルが乗っていたらどうしますの」
「しかも、こちらにも百合カップルは乗っていると言いますのに」
「しまった!……僕としたことが……!」
「申し訳ございません。かくなる上は」
自責の念で死にそうな顔の恭哉の横で、友代は運転席の端に置いていた日本刀を取り出して、鞘を捨てる形で抜刀した。両手で逆手に構えると、何とその切っ先を自分の腹に向けた。
「この腹を切らせて頂きます!」
「止めてください!」
慌てて恭哉は剣と腹の間に手を差し出したが、その時、当然というべきか車体が大きく揺れた。恭哉の手が友代の下腹部に触れる。恭哉は思わず声を上げた。
「ギャーッ!!!!?」
「「だから!前!!」」
「申し訳ありません!」
恭哉が勢いよく手を引き戻すのと、友代が刀を放り捨てるようにしてハンドルを握り直すのとがほぼ同時、次の瞬間には恭哉の手が偶然に空中の刀身を払いのけ、さらに次の瞬間、刀が風夜姉妹の間に勢いよく突き刺さった。
後部座席の背でビーン、と日本刀が揺れる。
「「ギャーッ!!!?」」
「も、申し訳ありません!かくなる上は首を切ってお詫びを!」
友代は今度は懐から
「このおバカ!学習能力ゼロですの!?」
「いえ、今度はハンドル握ってますわ!」
「いや、死んだら同じことでしょうに!」
「せめて後で一人で死んでくださいな!」
恭哉はやむを得ずシートベルトを外し、運転席側に身を乗り出して必死で友代の右手を抑え込む。
「止めてください!貴女が死んだら灰園さんが悲しみますよ!」
「お二人の間に私は不要です!」
「
「その概念を理解しているからこそ、私は余計に不要なんです!この際消してしまったほうが!良い!」
「ギャーッ!!!?」
友代は左手で恭哉を振り払った。その過程で左胸が恭哉の頬を打ち、ハンドルから手が離れたことで車体が揺れる。友代が慌てて両手でハンドルを握り直すと、手元を離れた匕首が、席と右の壁の隙間を通って後部座席へ飛んだ!
「ひゃん!?」
右後部に座っていた来音の耳元を匕首が掠めて、座席に突き刺さった。
「申し訳ありません!ご無事ですか!?」
「やってくれましたわね、この駄メイド」
「やってくれましたわね、この××××」
ごく浅くだが来音の右耳に傷ができた。血が薄っすらと滲んでいる。幸い魔術を使わずとも全治数日程度の軽傷ではある。
「「来音にだけ傷ができてしまったではありませんの!」」
「え……?」
『だけ』という言葉を聞き違えかと友代が疑っている間に、来音は剣呑な目つきで匕首を椅子の背から抜いた。運転席を睨みつけてから、匕首をすっと振って来瀬の右耳を切った。
「な、何を!?」
「ちょっと切りすぎですわよ、来音」
「あら本当。難しいですわね、来瀬」
「今度は私がやりますわね。これで終われるように今度はゆっくり切りましょう」
「そうですわね。考えてみれば、切る速度まで合わせなくても良かったですわね」
その宣言通り、来瀬は匕首をゆっくりと使い、来音の掠り傷がちょうど自分の傷と同じ大きさになるように調整して、傷口を広げた。
「な、何故、そんなことを……」
「これも姉妹百合ですよ、青木さん!」
「なるほど……!」
「「ぶち殺すぞ百合クレイジー共」」
「ごめん……」
「申し訳ありません……かくなる上はこの銃で!」
「「やめろ!!!」」
匕首を運転席のヘッドレストの後ろに投擲して、四度目の暴走行為はどうにか未然に封じた。
先程の回想の中で、明日香が何故友代を放置したのか、友代が自分のことなので語らなかっただけなのか……と姉妹は疑問に思っていたのだが謎が解けた。
この青木友代という少女は一度謝り出すと、謝罪からの暴走と、暴走への謝罪とが延々とループするのだ。最悪、死ぬまで。
怒るのは馬鹿馬鹿しいどころか危険である。
「もう良いから、黙って進んでくださいな」
「車道が広いではないか……行け、ですわ」
「「はい……」」
風夜姉妹は改めてぐったりと座席に体を預けた。寝てしまいたいが、アホ共を放置するのが怖くてとても眠れなかった。
既に星河町に入るインターの標識が見えており、この後十五分ほどで学校に到着することになるのだが、姉妹には緊張感からその三倍以上の時間にも感じられたのだった。
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