17. 三日目・夕方(6):誠司vs恭哉

 15:19。


「無事だったのね。雪町さん」


 ブルーが去るのを見届けた恭哉は、明日香の状況を町内会側に伝えてから朔夜の元へと駆けつけた。持たせたジャマーのせいで状況が分からなかったが、どうやら予定通り透羽と翔子を排除できたようだ。


「ええ。でも六合さんったらしぶとく生き残りましたわ。ダメ元で龍神さんをぶつけて見たけど、レズラッキースケベが発動しただけでしたし」

「ゆ、雪町さん……?」


 『朔夜』はらしくない下衆な物言いをしつつ、両手を上へ開いて大げさに首を横に振ってみせた。恭哉は一瞬戸惑ったが、すぐに思い出した。

 彼女は風夜姉妹の妹、来音だった。登校直後の本物の朔夜を拘束して入れ替わっていた。昼休みに透羽に叩かれたのも来音だった。本物は今も校内で匿われている。後で偽物の行動とのすり合わせができるよう映像を生中継で見せられている筈だ。


「風夜さん、だったわね。ごめんなさい。殺せなかったのは仕方ないわ。それも想定の範囲だものね」

「あの……貴方は誰です?」

「何を言ってるの?私は…………」


 恭哉の動きが止まった。録画映像の一時停止かのように不自然に止まり……数秒して動き出した。


「僕は、百合山恭哉だ。そうだった……」

「駄目だコイツ。早くなんとかしませんとですわ」


 明日香はごく普通に恭哉を演じていただけだったが、恭哉は深い自己暗示によって自分を明日香だと思い込んでいた。敵は勿論、自分にさえ疑われないようにすることで読心系の魔術に対抗する為でもあった。


「今、早くしなきゃいけないのは君の処理だよ」

「そうですけど、そのセリフ私が消されるみたいですわね。まあ、ある意味消されるんですけど」


 意味深に笑った来音の手の中に突如として荷物が出現した。来音はそれを地面に置くと手を伸ばし、恭哉はコピー能力を使うべくそれを握った。


 風夜姉妹は『触れているものを姉妹の片割れの元に瞬時に転送する能力』を持つ。

 人間一人程度なら数千キロの距離も一瞬で転移させることができる。距離・速度・精度などにおいて空間転移系でも最高ランクに該当する能力である。欠点といえば本人が転移できないことくらいだが、他者を飛ばすことだけに特化した転移能力は珍しくないので、特に価値を損なうほどでもない。


 二者間で成立するこの能力を恭哉がコピーした場合、本来存在しない『三人目』として認識される。その結果、恭哉を転送元として、来音は来瀬の元へと即座に転送された。二人だけでは起き得ない現象だった。

 恭哉も転移できれば苦労はないが、来音と同時に能力を使っても一瞬でも早く使ったほうの力が優先されるので一人しか転移は出来ない。

 ブルーたちの乱入こそ予定外だったが、透羽たちを飛ばして恭哉が現場に残るところまで、下校の約束の時点で決めていたことだった。


「さて、急がないとね」


 恭哉は荷物を手早く荷解きし、次なる敵に備えた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 15:13。


六合ピジョン121龍神ピジョン38が!?」

『ああ、君たちのほうに出現した者の仲間らしき剪定騎士団の襲撃を受けて、直後に通信途絶した。我々D班と君とで現場に向かう』

「C班は動かせないのですか?」

目標甲雪町秋嘉が早引きして自宅に向かっている。加えて第三勢力として剪定騎士団が介入してきた以上、奴の確保も急ぐ必要がある。C班はそちらに向かわせる』

「俺が甲のほうへ向かったほうが……いや、そうか。すみません」


 位置的にはD班と誠司が透羽たちのいた地下道に近く、C班は既に秋嘉担当のB班に協力して雪町家周辺に展開している。何者かが近くに潜みつつも行動を起こそうとしないことを訝しんでいたのだが、それが剪定騎士団と知って合点がいった。ブルーとピンクが先駆けの権を行使しているので、手が出せずにいるのだと第二の方舟アークセカンドサイドも理解した。

 

『不安なのは分かるが、だからこそ君は目標乙雪町朔夜の元へ向かわなければならない』

「……了解しました」


 秋嘉の確保で死傷者が出るという予知はどうにも不安だったが、最優先は娘の朔夜だ。誠司の心情的には透羽……たちが心配なのは確かであり、こちらを助けに行けるのは渡りに船の指示ではあった。しかし任務上の優先度を言い訳にB・C班の危険を放置することへの罪悪感が誠司の心を暗くしていた。

 自分の力を過信しているつもりはないが、秋嘉がどんな力を持っていようが対処できる筈だった。しかし、だからこそ誠司の能力は朔夜への対抗手段に使う必要があった。



 15:17。


 誠司は地下道から二百メートル南のビルの屋上に辿り着いた。遠目には大きな異常はなさそうだが妙に人気がない。広範囲に出力を抑えた人払いの結界を張っているのだろうと推測できた。

 北側にD班が到着するのを待って同時に突入する手筈だったが、彼らは少し遅れていた。車に乗ったD班は町内会や剪定騎士団に気付かれないよう、交通法規に従って移動していたからである。であれば、身体強化を使いつつ信号に関係なく動いた誠司のほうが早い。人目を避けるべく多少遠回りして路地裏や建物の屋上を移動した分を考慮してもである。

 D班到着の連絡を待っていた誠司のもとに、彼らからのよりも待ち望んでいた連絡が届いた。


『司令部!誠司さんクロウ132!聞こえますか!』

六合ピジョン121!」

『私もいるよっ!』

「(……ちっ)お前も生きていたか」

『ひどっ!』


 わざとらしい小さな舌打ちに翔子は抗議した。


 通信障害を脱した透羽(と翔子)の報告で、『朔夜』が転移能力を使ったことが第二の方舟側に伝わった。

 当然、いつの間にそんな能力を覚えたのかという疑念と、偽物ではないかという疑惑も浮上したが、それも含めて確認の必要がある。何より転移能力なら朔夜自身を飛ばせる可能性もある。急がねばならない。

 D班は目立つリスクを覚悟で車を時速七十キロに加速させた。地下道まではあとは直線で二百メートルほどだった。すぐに地下道の入口が運転手の視界に入り、フロントガラスにヒビが入った。

 急ブレーキと衝撃、悲鳴と高音が通信機越しに誠司の耳に届いた。


「どうしました!?」

『狙撃だ』

「なんですって!?」

『近くのビルの屋上か……場所を移動しながら次々に発砲してきている。暫くは動けそうもない。やむを得ん。誠司くんクロウ132は我々がここを脱するまで……』

「その間に、目標乙に逃げられてしまいます!あの男にも!」


 誠司は命令違反を承知で駆け出した。敵に……百合山恭哉に完全に手玉に取られている。これ以上後手に回るわけにはいかない。


『………分かった。だが無理はするなよ。危険を感じたら引き返せ』

「はい!」


 雪町朔夜は既にいないかも知れない。だが、あの男はおそらく待ち構えているだろうという予感があった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


―そして、予想通りに百合山恭哉は地下道の南側で待っていた。

 正確に言えば、灰園明日香の姿をした『推定百合山恭哉』だったが。

 地下道に近づくと同時に無線が効かなくなった。支部長たちも数分は来られないだろう。慎重に接近する誠司に『明日香』のほうから話し掛けてきた。


「三代くん……よね?こんなところでどうしたの?」

「茶番はよせ。百合山恭哉」

「私と百合山くんってそんなに似ているかしら?」


 誠司は訝しげな表情の『明日香』に銃を向けた。


「しらばっくれるな。本物だと言うのなら、蝶を出してみたらどうだ」

「何を言っているのかしら?」

「どういう意味だ!」

「だって……」


 銃を構え直す誠司に『明日香』は妖しく微笑んだ。


「もう出してるのに」

「ッ!」


 目線を向けられた左肩を意識すると、そこに黒い影が見えた。息が詰まり、冷や汗が流れる。

 灰園明日香が偽物だとしても蝶もそうだとは限らない。

 明日香の蝶は触れた者を灰にすることで有名ではあったが、それ以外の特性……蝶の自己判断能力の有無や移動速度、持続時間などについては殆ど知られていない。蝶の具現化を一時間以上保てるのであれば、二人が入れ替わる際に何匹かの蝶を借り受けている可能性は高い。


(いや、それならあの青い女を殺している筈か?)


 ここへの道中、仲間の元へと駆けていくブルーを目撃したが、蝶に襲われた痕跡はなかった。偽恭哉が明日香ならば敵が二人になっても勝てるだろうが、だからといって合流させるメリットはない筈だ。偽物の蝶や恭哉自身の力ではブルーを倒せなかったので敢えて深追いせずに明日香に任せた……のだと誠司は判断した。

 誠司たちはブルーの蘇生能力を把握していなかったので、この正解に自然に辿り着いた。知っていればブルーが灰から再生した可能性を考えてしまっただろう。


 しかし誠司は蝶を振り払おうとした手を止めた。借り物の貴重な蝶をイレギュラーだったブルーなどには使わず、本命の誠司相手に温存した可能性はあるのではないか?


(俺の力を……使うべきか?)


 誠司の能力なら蝶は簡単に無力化できるが、ここで見せてしまって良いものか。


「どうして俺を灰にしない?できないんじゃないのか?」

「逆に尋ねたいんだけれど、どうしてそんなことをしないといけないの?その蝶はさっき敵に襲われた時に出したときの残りよ。灰化能力はないから安心していいわ。それよりも何の御用かしら」

「あくまでしらを切るのか?見苦しいぞ……雪町朔夜は何処だ!」

「さあ、どこかしらね?」


 くすり、と明日香の顔で笑う恭哉に誠司の堪忍袋の尾が切れた。左手で懐からもう一丁の銃をから取り出して恭哉に向け、元から持っていた右の銃で左肩の蝶をはたき落とす。そして二丁の銃で正面に発砲しようと動きかけた矢先、落とした蝶が爆ぜた。


「!?」

 

 『蝶型ドローン』から粘着液が飛び散り、右の銃が壁や床と接着された。これによって身体が引っ張られて後ろに転び掛けるのを誠司は堪えて、左の銃を発砲した。恭哉が後ろに逃れる。誠司は右の銃を捨て、体にまとわりつく粘着成分を無理やり引きちぎって追う。気付けば周囲には煙幕が立ち込めていた。蝶が爆ぜるのに合わせて撒いたのだろうか。


「逃がすか!」


 走りつつ撃ち続ける。恭哉はジグザグに走って攻撃を躱し地下道の真ん中まで逃れていく。それを睨みながらカートリッジを交換しようとしたタイミングで灯が全て消えた。


「無駄だ!ピジョン132、装着!」


 瞬時に具現化された戦闘服を身に纏う。視界を暗視に切り替えるが、煙幕の効果か状況が変わらず、即座に熱源感知に切り替える。人型の熱源がすぐに見つかった。


「そこだ!」


 確実に仕留めるべく戦闘服に付属する短刀で突進すると、熱源の方からこちらに向かってきた。誠司は姿勢を落として腹を狙う。ドン、という衝撃と共に傷口から液体が溢れ出す。煙幕が問題にならない距離まで近づいたことで相手の顔が見えた。


「雪町……朔夜!?」


 確保すべき対象を刺してしまったことに動揺して短刀から手を離すと、眼前の少女が誠司にもたれ掛かり抱きついて来た。


(いや、違う!)


 温度や重み、柔らかさこそ人間の少女のそれだが生気を感じない。瞳に光がないのは今刺された為ではない。人形……いやロボットだ。

 大まかな見た目を朔夜に寄せることだけを優先したのか、歩行は不安定でパワーも常人に劣る程度のようだ。こんな暗闇でなければ本物と間違うことはない雑な作りのようだった。

 簡単に振りほどけるかと思いきや、刺された腹や腕などから粘着液が出ていて剥がしづらい。しかもどうやら蝶の時よりも液の量が多いのは勿論、粘着力も強いらしく全力を出しても引き剥がせない。朔夜人形の体こそバラバラにはなったが、パーツ単位で戦闘服に接着されてかえって剥がしづらくなった。


「ふざ、けるな!」


 この状態で攻撃を食らっては一溜まりもない。剥がすのを後回しにして、人形の上半身を盾にしつつ恭哉を探すが熱源が見当たらない。既に逃げてしまったのか?


(何故だ?)


 既に第二の方舟に対する裏切りは明白。ならば何故追撃をしてこないのか?誠司が来る前に逃げられた筈なのに、そうせずに待ち構えておきながら何故中途半端な攻撃だけをしてくるのか?


(俺を、いや俺たちを殺す気はないのか?)


 先程も恭哉はわざわざ蝶の存在を教えてきた。粘着液を当てた後も動きを止めておきながら攻撃がなかった。

 透羽と翔子の時もよく考えればおかしい。人間を空中に転移させるのは、常識的に考えれば殺意しかない行為だが、A級魔術師を殺すには不確実である。透羽のように落下を防ぐ手段がないにしろ、防御力を強化するなどして悪くても重傷で済む者が多いだろう。B級相当の誠司ですらどうにか死なない自信はあった。

 よく考えれば二人が飛ばされたのと同じ此処から二十キロ圏内には、火力発電所や製鉄所などもあった筈だ。そちらに落としたほうがまだ確実だろう。毒ガスの只中や地雷原などもっと確実なキルゾーンを作っても良い。


(俺たちの能力を見極めようとしている?……いや、何故だ?)


 恭哉たちは既に透羽と翔子の能力の一端を見ているだろう。その上で、明日香や朔夜に対抗しうる能力を持つのは誠司だと判断して探りを入れるのはおかしくない。

 だが誠司を殺す機会を逃してまで能力を暴くことに何の意味があるのかが理解できなかった。この後に及んで裏切っていないなどとは思わないが、それにしてはやり口が中途半端で意味不明だった。


「お前!何をしたいんだ!」

〈自爆まであと五秒〉

「っ!?」


 誠司に答えるかのようなタイミングで人形が告げた。口は動いていない。喉のあたりにスピーカーがあるらしい。人形内部で魔力が高まっているのを戦闘服のセンサーが警告してくるが、言われるまでもなく誠司自身でも感じられるほどの魔力だった。火薬ではなく魔力による爆発ならば誠司の能力で対処はできるが……。


〈3…2…1……〉

(だが……)

〈0〉


 爆発。

 誠司は床に吹き飛ばされて倒れた。十秒ほどしてから、ゆっくりと身を起こす。爆風で煙幕は吹き飛んだが、代わりに爆煙が立ち込めており視界は相変わらず悪い。


 誠司は能力を使わなかった。

 そもそも、ここは鉄道も通る高架下だ。結界で多少強度が上がっているかも知れないが、あまり強い爆弾を使えば鉄道に影響が出ないとしても騒ぎか起きる。町側の人間としてはそんな真似はできない。

 従って爆弾の威力は全力を防御に回せば耐えられる程度の筈……という誠司の読みは当たったようだった。


 しかし、戦闘服はボロボロになり中の誠司もダメージを負っている。緩和しきれなかった衝撃で全身が激しく痛み、歩くたびにぐらつく。魔力も八割型使ってしまった。銃と短刀は紛失し、残った武器は袖に隠した二丁の銃くらいである。

 消耗した誠司は恭哉と同じC級魔術師以下にまで力が落ちていた。仮にもう罠がないとしても苦戦は免れないだろうし、ここまで用意周到な恭哉がもうネタ切れとは思えなかった。ましてや空間転移能力が味方にいるのだ。最早、勝ち目など無い。


(仕方がない、ここは……ッ!?)


 撤退を決断した途端に、正面から駆け寄ってくる足音が聞こえた。故障したセンサーの代わりに知覚強化でおよその距離を探る。十メートル、八メートル、六メートル……。


「百合山恭哉ぁっ!」


 誠司は両腕を正面に突き出す。袖からスライド展開した機構から銃が飛び出し、誠司はそれを握って正面に発砲した。

 カカカン!という甲高い金属音が響く。盾のようなもので防いだのが煙の向こうに朧気に見えた。正面の標的を見据えたままカートリッジを排出して手早くリロードを行う。再度の攻撃を行おうとした直前、誠司は足に当たる感触に気がついた。

 手榴弾だった。


「ちっ!」


 大きく後方に飛び退き、両目を強く閉じた上で左腕で庇った。透羽が食らったのと同じ閃光弾を警戒したからだ。右腕で耳も塞ごうとしたところへ風を切る音が聞こえ、右の銃でその銃弾を弾く。同時、足元の閃光弾が炸裂した。


「ぁぁぁあああっ!?」


 辺りを凄まじい光と音が包む。

 重点的に守った目はどうにか無事だったが、物理防御を崩された耳は魔術防御では守りきれず、誠司は殴り飛ばされたかのような衝撃とともに聴覚を失ってしまった。恭哉のいる方向を睨めつけるが改めて煙幕が放たれたらしく、せっかく守った目が全く役に立たなかった。


(しばらくは無理か!……奴が煙幕を使っている時点で耳を優先して守るべきだったか……?だが、俺の能力は……)


 誠司の能力はいわゆる魔眼の一種である。誠司にとっての目は手足よりも、場合によっては心臓よりも優先して守らなければならない器官だった。日頃から目を優先して守る訓練をしていたことが仇となり、耳を守りきれなかった。

 次の攻撃を防ぐべく壁際に走ろうとすると、前方を銃弾が通過した。煙幕を張る以上、向こうも熱源感知センサーなどを持っていて然るべきだ。あまりに不利すぎる。

 やはりこの場は諦めて撤退するしか無い。誠司は恭哉に背を向ける格好で走り出した。目と耳が役に立たない今、どうせ射撃には対応できない。戦闘服の無事な部分に当たることを祈るしか無い。幸い、煙幕の中でも来た側の出口の明かりだけは充分に見えた。

 全力で走り出した誠司だが、警戒していた射撃は全く来ない。来ないまま出口まであと十メートルほどになった。そのタイミングで僅かな違和感を感じて後ろを振り返る。自動車が迫っていた。


「はっ!?」


 黒い自動車は誠司を眼前に捉えても止まることはなかった。運転手の女……誠司が化けた明日香とは別人のようだ……はむしろアクセルを全開に踏み込んだ!


「がっ……!」


 誠司は地下道から飛び出して街路樹に身体の前面を叩きつけられた。激突の瞬間に樹へ四肢を伸ばして受け身を取ったがダメージは大きい。樹から滑り落ち、力なく地面に崩れ落ちた。

 耳は少し回復し始めたが今度は体が動かない。最早これまでかと思われたが、自動車は誠司に興味を失ったかのように南へと去っていった。後部座席に見えた『明日香』が一度だけこちらを振り返ったが、その表情は伺い知れなかった。


「何を……何がしたいんだ……百合山、恭哉……ッ!!」


 卑劣な罠を使われたとはいえ、それも彼の実力のうちである。完全に敗北した上に止めを刺されすらしなかった誠司は、唯一まともに動かせた口で叫び、歯噛みした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「お待たせしました百合山様。仲間が駆け付けましたので、方舟の残りは彼らに任せて参りました」


 誠司を跳ね飛ばした少女、青木友代は業務的な口調で後部座席の恭哉に告げた。昨夜、明日香の身代わりをしていた灰園家の使用人にして明日香の警備担当の一人である。ハーフアップの黒髪でメイド服を着用しているが、そのフリルは黒く、メイドというよりはむしろ忍者を思わせる仕様だった。

 友代には「エサ」に釣られてきた第二の方舟の援軍の足止めを頼んでいた。ブルーの乱入や方舟司令部の直接参戦は予想外だったが、事態が予定より大きくなったことで灰園家警備の仲間を援軍として呼び寄せ、こうして恭哉自身を回収して貰ったのだった。恭哉はウィッグを外しながら、謝意を告げる。


「ありがとうございます。でも折角敵の援軍を足止めしてもらったのに、彼の能力を特定しきれませんでした。すみません」

「それは仕方ありませんが、本当に殺さなくてよかったのですか?」


 恭哉と明日香が入れ替わってまで企てた作戦は、第二の方舟を学校から引き剥がして『時間稼ぎ』をしつつ敵の情報を集めるためのものだった。友代もそれは聞かされていたので、敵を倒すことには拘らなかったのだが、敵を倒す機会をわざと逃してまで分析を優先する理由までは聞かされていなかった。


「ええ、彼はまだ『使える』かも知れないので」

「剪定騎士団にぶつけるつもりですか?」

「そう上手く行けばいいんですがね。僕が期待しているのはその先の話ですよ」

「先?……百合山様、貴方は……」


 『先』とは何時のことなのか?友代の訝しげな表情を見た恭哉は話題を逸らした。


「青木さん。僕に『様』は要りませんよ」

「それこそ私に敬語など不要ですよ。同級生ですし」

「だからこそ様は要らないでしょう」

「私は灰園家の者としてきておりますので」

「それを言うなら僕も……うっ!」


 恭哉は胸を苦しげに抑えた。


「どうしました?」

「気にしないで下さい。ただの呪いです」

「あの男ですか?戻って轢き殺しましょうか?」

 

 友代はUターンすべく右のウインカーを出したが、恭哉はそれを制した。


「いえ、自分で自分に掛けたものですからご心配なく」

「自分で?」


 恭哉が自身に掛けたのは『親族を除く女性と一対一の状態が一分以上続くと、全身を苦痛が襲う』という呪いだった。昨日今日掛けたものではなく、中学の頃から定期的に掛け続けているものである。ちなみに昨夜の明日香の時は他に二人が同席していて、先程のブルーの時は互いが死んでいたので呪いは発動しなかった。

 当然、普段から女性との同席を避けるようにしていたので久々に味わう痛みだった。慌ただしさから完全に油断していた。

 呪いの説明を聞いた友代は当然首を傾げた。


「何故そのような真似を?」

「まかり間違っても、女性との親密度を上げないためですよ……っ……!」


 恭哉は脂汗をかきながらアームレストを握って痛みに耐える。寿命が縮むような重いデメリットはないのだが、フルマラソン終盤の如く全身がとにかく苦しいのがこの呪いの症状だった。


「上げるとまずいのですか?」

「僕が女性と結ばれてしまったら、この地上から百合カップルが一組消滅するんですよ!?許されるわけがないでしょ……つぅ!……!」

「大丈夫ですか?」

「ええ、すみません。喋りすぎました」 


 友代は恭哉の頭ではなく様態を心配して声を掛けた。一方の恭哉は心配をかけたことよりは痛みのあまりつい隠しておくべき本音を話しすぎたことについて謝った。


「しかし、そうですか。まさか貴方が同士だったとは」

「えっ!?……え?え?」

「明日香お嬢様と雪町様……いいですよね」

「あ、貴女は……まさか……!?」

「今はまた友人関係なれどもいずれ恋愛感情へと発展していくのは時間の問題かと思われます」


 友代はバックミラー越しに恭哉に微笑みかけた。

 恭哉はシートベルトを引きちぎらんばかりに前に身を乗り出した。


「貴女から見てもそう思いますか!……うぐっっっっ!!!!!」

「百合山様!?」


 恭哉の呪いは女性に近付くほど効力を増す。近付く速度が速いとなお強まる。この瞬間に恭哉が受けたダメージは、先程の戦いで誠司に与えたそれを既に上回っていた。車を運転していたのが恭哉であれば二人まとめて死んでいたところだ。

 シートベルトに身体を引き戻された恭哉は、ばったりと仰け反った。


「もう、思い残すことはありません……」

「まだ戦いは前哨戦ですよ!?ここで離脱しているようでは、お二人を見守れませんよ?」

「はっ!?……すみま、せん……!その通りでした……!!」


 恭哉は激痛に耐えながら、姿勢を正した。


「頑張ってください。風夜様方と合流するまで、お二人の馴れ初めをお話致しますので」

「良いんですか!?……ゴフッ!そんなの男の僕が聞いて良いようなものでは……」

「問題ありません。灰園家の警備の者であれば男性も含めて殆どの者が知っていることですから」

「それならば……お願い………します……!!……ウッ」

「しっかり!」


 急に体を動かしたことで全身が攣った恭哉は凄まじい形相で痛みに耐えた。足が攣る痛みは大抵の方が覚えがあると思うが、あれが全身を襲っていると考えて貰って良い。

 友代はそんな苦痛と戦う恭哉を励ましながら、明日香と朔夜について話し始めた。



 二人の頭は、同好の士を見つけた喜びと興味があれども触れ難かった明日香たちの秘密を知ることができる感激とで満たされていた。

 そのせいで、呪いを一時停止させようとか恭哉を一度降ろそうだとかいう考えは二人の頭からは完全に抜け落ちていた。

 よって恭哉は無駄な苦しみに十五分ほど苛まれることになるのだが、当の本人があまり気にしていないようなので、問題なかったのだろう。多分。







 

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