15. 三日目・夕方(4):捕虜奪還交渉(前半)

「まずいな……」

「面白いことになってるわね」

「面白くはねぇだろ!」


 15:13。

 アレクシス騎士団(仮)の三名は、偽恭哉明日香とテラーピンクの交戦を、とあるビルの六階の喫茶店で観ていた。喫茶店は交戦地点の歩道から直線距離で二百メートル離れた位置にあるが、ビルの逆側の窓に面しており歩道を直視はできない。使い魔の烏に持たせたカメラの映像をタブレットで確認している。


 明け方、日本に到着したアレクシス一行は、まず疲弊したアレクシスを温浴施設に預けると現地の情報収集に走った。

 現地で接触したブライトの知り合いの騎士団員によれば、なんとか言う二人組ビビッドウイングスが先駆けの権を行使して、他の騎士団の展開を妨げているのだという。騎士団員たちは彼女たちと接触して交渉することで先駆けの権に相乗りして、他派閥を出し抜こうとしていたのだった。


 ブライトたち三人も彼らに習って二人組の捜索をしていたところ、偶然ピンクを発見したのだが、三人が動く前に彼女は明日香によって瞬殺されてしまっていた。

 トレイシーが不安げにブライトに尋ねる。


「あいつ生き返るんだよな?」

「その筈なんだが……問題は」

「あの子も気付いてそうなのよね」


 ブライトは先程の知り合いから二人組の蘇生能力についても聞いていたが、どうもあの少年明日香も気付いていそうな様子だった。ピンクの遺体の横でブーメランの端を持ちながら、何かを待つように立っている。情報源となりうる敵を問答無用で葬った上で、その場を動かないとなると蘇生能力に気付いている可能性は高い。


「あいつ、何なんだ?」

「少なくともS級以上の動きだったわよね」

「今、この町にいるS級以上は灰園明日香という少女だけの筈なんだが……」


 剪定騎士団の情報網で得られた星河町の魔術師の情報は、S級以上の魔術師の詳細のほか、A級B級のおよその人数程度である。あまり十分な情報とは言えなかったが、騎士団側も大人数である。灰園明日香にさえ注意を払えば負ける要素はないと思っていたところに『あの少年』である。

 彼こそがその明日香だと知る由もない三人にしてみれば思わぬ伏兵だった。


「で、どうすんだブライト。あいつ放っておいて良いのか?」

「どう考えてもそれはまずいだろうが……」

「三人で勝てるかしらね」


 まだ美春を信用しきってはいない二人だったが、連携のために互いの能力などの最低限の情報共有はしている。その上でS級以上の魔術師に挑むのはかなり分が悪いと三人とも判断していた。

 アレクシスならば充分に勝てる敵である(と三人は判断していた)が、彼の合流は17時の予定だった。今呼んだとしても流石に間に合わないだろう。

 かと言って放置すれば、星河町の魔術師に騎士団側の情報が漏れる恐れがある。あのピンク女が自決を選択するようには見えなかったし、町の魔術師たちがその気になれば不死身な分だけ容赦のない拷問も可能だ。


「いや、逆に奴を使って情報を流す手もあるか……?」

「何言ってんだお前?」

「そうね。あの娘が知っているのは先に来た騎士団の情報だけ。アレクシス様が来られたことはまだ知らないものね」

「あっそういうことか」


 トレイシーはポン、と手を打った。星河町に入り、騎士団本部に参戦報告をしたのはここにいる三名のみ。アレクシスの参戦はギリギリまで伏せるつもりだった。ピンクをいくら尋問しようが知らない情報は吐けない。


「でもよ……」


 トレイシーが見つめるタブレットの向こうでは、ちょうど復活したばかりのピンクに少年が顔を寄せて何やら話し掛けている。


「コイツ、大丈夫かな……酷ぇことされるんじゃ」

「それは……」

「この町の魔術師は体制側の人たちだから、大丈夫じゃないかしら?拷問は禁止されているし……建前ではね」


 美春はくすくすと笑った。


「笑い事じゃねぇだろ!?」

「ミズ時坂、貴女には何か考えが……」

「そんな畏まらなくていいわよ。そうね『みーちゃん』で良いわ」

「『ミーチャン』!何か作戦があんのかよ?」

「素直か!」

「フフフフ……!」


 三人はノルウェー語で会話していた。どうせ外国人二人と日本人の組み合わせは目立つ。ならば会話が伝わりにくいように日本語はやめようという配慮だった。一応、音声が伝わりにくくなる結界を周囲に張ってはいるが念の為だ。無音にも出来るが逆に目立つので人気のある場所でやる者はまずいない。

 トレイシーの素直な反応に腹を抱えていた美春は、ミルクティーを飲み干すと、こともなげに提案した。


「そうね。こっちも人質を取りましょうか」


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「さあ、起き給えよ。色々と聞かせてもらおうじゃあないか」


 明日香の恭哉のふりは下校途中までは完璧だった。

 昨夜借りたタブレットで、恭哉本人が要約した十万字に渡る『百合山恭哉なりきりマニュアル』に加えて、電子書籍の漫画三百冊に小説三十冊ほどを読み彼の人となりを把握していた。なによりリアルタイムで本人からの補足を得られるのもあって、今日接触した中で変装を見破った者は僅かに一人、怪しんだ者すら二人だけだった。

 だが戦闘となると、明日香は恭哉の戦いを見たことがない。運の悪いことに本人も同時に戦闘に突入してしまって補足を得られなくなり齟齬を隠しきれなくなった。それで誠司に正体が露見した(と明日香は考えていた)が、これはまだ想定内だ。


 二人が入れ替わった目的はいくつかある。

 偽恭哉=明日香の目的は、第二の箱舟を裏切った恭哉に来る刺客を逆に捕縛することだった。恭哉相手の刺客ならば強くともA級以下の筈であり、明日香が負ける道理はない。また第三勢力が現れた場合に、恭哉の姿で撃退することで『星河町には灰園明日香以外にも隠れた実力者がいる』と誤認させて牽制する意図もあった。

 ピンクが襲ってきたことで、前者の狙いは瓦解してしまったが、後者に関しては成功しつつある。

 

 一方の偽明日香=恭哉は、明日香の代わりをすることだけが目的……と明日香には説明してある。『朔夜』の力で第二の箱舟を始末するのが目的で、箱舟も第三勢力も明日香との戦いは避けたい筈だから自分は安全だと説明した。

 これは嘘ではない。だが裏の狙いとして、万一明日香を倒しうる敵がいた場合に自分が身代わりになって少しでも刺客の情報を残すことがあった。明日香もこれに薄々気付いて心配はしていたが、自分を倒すレベルの敵にはそうそう出くわさないだろうと見積もって入れ替わり作戦を了承した。


 明日香は『恭哉』の演技を捨てて、謎の強い少年を演じることにした。素の恭哉では、失礼だが些か迫力に欠ける。たまに女性風の喋り方も混ぜたほうが本物に近いが、今はリアリティは要らない。剪定騎士団は恭哉を知らないのだから。


「私に乱暴する気でしょ!このにわかレイプ魔!!!」

「人聞きが悪いね。今度は縦に切ろうか?」

「っ!」


 吐きかけられた唾をなんなく躱すと、明日香は奪った鋏剣の片方をピンクの額に突きつけた。ピンクは刺された、と感じたが、実際は切っ先は肌まで数ミクロンの距離を維持している。


「君はあと何回再生できるのかな?」

「このっ!!」


 ピンクは身を引くと剣を右足で蹴り飛ばつつ起き上がると、続けて左回し蹴りを放った。剣はこともなげにその左足をすり抜け、ピンクの腹を刺し貫いた。


「え」


 剣は続いてフェンシングよろしく腹や腰、胸など十箇所を一秒の間に次々に貫く。明日香が引き抜いた剣には返り血一つ無い。

 傷跡を庇おうとしたピンクは、自分の体を弄ったが……どこを探しても傷跡が無いことに愕然とした。体はおろか、服にすら何の跡もない。

 戸惑っていると明日香が数を数え始めた。


「5・4・3……」

「!?……な、なによ?」

「2・1……」

「なんだってのよ!」


 ピンクは手元に魔力をかき集めて、魔力弾を放とうと構えた。


「ゼロ」


 ピンクは右にバランスを崩して地面に倒れた。

 何かにつまずいたか攻撃を受けたのかと思って足元を見れば……右足が足首の所で切断されていた。その眼前で左足も同じように落ちる。続いて、先程攻撃を受けた胴体に激痛が襲ってきた。


「アアアアアァァッ!!!!!!」


 恐る恐る『傷跡』に再び目線を落とすが、傷は相変わらず見当たらなかった。血が滲んでいて然るべき装束には何の異常もない。

 ……信じがたいことだが、今の攻防の最初で痛みを負わせずに両足を切断し、服の繊維や毛細血管の隙間を縫って内蔵を直接刺した……ということになるらしい。右足に至っては切られた後で左回し蹴りのために思い切り踏み込んだ筈だが、今もって痛みがない。

 しかもこの男明日香は傷と痛みが顕在化するタイミングも把握していた。遠隔発動型の術を仕込まれた可能性もあるが、どの道絶技には違いない。


 この程度の傷は数分もあれば治る。

 ……治るが、だから何だというのか。ピンクが掻き抱いた体からは力が抜けていった。


「た、たすけて……」

「いいよ。大人しくしていればね」


 戦場となった歩道の周囲・半径百メートル圏内にはピンク自身が張った人払いに加えて認識阻害の結界も張られている。

 例えば三十メートルほど離れたカフェの二階席からこちらを見ている男性がいるが、『学ランの少年がコスプレ少女を締め上げている』という非日常の光景に気が付いた様子はない。

 だがこの結界もいつまで持つかは分からない。ここまで追い込まれても解除しないところを見ると、遠隔での解除はできないタイプの結界なのだろうが、時間経過で効果が切れる可能性は高い。

 仮に効果が長く続いたとしても、そもそも町中で人払いを使うこと自体が海を二つに割って道を作るような力技であり、そのうち人々が予定などの必要に駆られて表に出てくる。観測者が増え距離も近づくほど認識阻害は破れやすくなる。

 明日香は今のうちにピンクを人目につかない場所に引きずっていこうと、服の首元に手を伸ばし……その動作を中断した。


 鋏剣を振るい、彼方から亜音速で飛来した魔力弾を両断した。弾が空中で霧散するが早いか、明日香は姿勢を深く落として鋏剣を弾の来た方角へと思いきり投擲した。

 続いてピンクを攻撃した。


「ふっ!」

「ぎゃっ!」


 明日香が投擲動作を取った隙に、足を無理やり繋いだテラーピンクが逃走を図ったのだが、数歩走ったところで次に踏み出そうとした場所に残る片方の鋏剣の投擲を食らった。明日香がビルへの投擲の勢いを殺さず、足元に置いておいた剣を蹴ったものだった。

 ピンクの動体視力と反射神経で躱せるギリギリのタイミングだった。それゆえにピンクには引っ込めた足のバランスを取る余裕はなく、無様に転ぶ羽目になった。

 明日香はそちらには目もくれず、屋上に反響する音に耳を澄ませた。


(二十代くらいの男性と女性が一人づつ。二人ともA級以下。人型の幻獣が十二体。多分男の人の呼んだ幻獣ね。全員が狙撃銃や弓を持っていて……)


 幻獣とは魔術師が魔力によって具現化する疑似生命の総称で、人型だろうと広義には幻獣と呼ぶ。男が極度の集中状態にあり、幻獣へ魔力を流していることを感じれば、術者が彼の方だと見抜くことは難しくない。

 これらの情報を正確に読めた明日香であるから、敵の次の行動とその意図も正確に理解できた。人型幻獣の弓から放たれた矢を剣でそっと弾くと、布で結わえ付けられていた通信機が外れて明日香の手にすっと収まった。

 

『こんにちはボウヤ。少しお話良いかしら?』

「先約があるので手短にお願いしたいね」


 通信機の向こうの屋上の女の声は蠱惑的にも聞こえたが、隠そうともしない嘲笑の響きもあった。負けずに強気な態度で返す。


『単刀直入に言うわね。その子を置いてここから去りなさい。さもないとここから全方位に無差別に攻撃をするわ』

「そんなことができるのかな?たった二人と十二体の幻獣だけで……ああ、あともう一人隠れているね」

『邪魔する自信があるのね。その自信、いえ過信のせいで罪もない人が犠牲にならないと良いけど』

「できるのかって言ったのは能力的な意味だけじゃあ無いよ。正義を標榜する剪定騎士団がそんなことをしてもいいのかって意味でもあるんだけどね。分からなかったかな?」

『ごめんなさい。それは分からなかったわ。だって正義のためなら多少の犠牲はやむを得ないとするのが、私たちの正義だもの。知らなかったかしら?』

「それは知らなかったね。なら殺すのに何の躊躇も無くて助かるかな」


 表面上の口調こそ穏やかだったが、飛び交うのは交渉事において避けるべき煽り合いだった。明日香は交渉術の経験こそ無いものの知識はあったが、この女性はどうやら理知的でありながらも、敵に対してはこういった剣呑なやり取りを好むようだと判断した。小手先の交渉術も通じないだろう。『謎の強気な少年』を演じつつ落とし所と付け入る隙を探していくしか無い。


 二人の間で静かに緊張が高まっていった。


 

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