14. 三日目・夕方(3):復活者(リザレクター)と複製者(イミテイター)

 15:17。

 絶命していたセイントブルーは、ゆっくりと身を起こした。装束に血の跡こそあるが、その肉体にはほぼ傷もない。


「危ない……ところだったな。まさか『ピンク向こう』も、とは」


 彼。女の能力は自己蘇生。蘇生条件は『ピンクと同時に死ぬか蘇生のための魔力が切れていない限り、何度でも復活可能』という強力かつ稀有なものだった。

 『百合山恭哉』や誠司と交戦して殺されたピンクは、ブルーが死ぬ数秒前に蘇生していた。ギリギリのタイミングだった。死自体には慣れているとはいえ、これは流石に焦った。


 深く息を吐くと左肩に痛みを感じた。『灰園明日香』の指が肉を抉っていた。死後硬直なのか指の第二関節の半ばまでが肉にしっかりと食い込んでおり、ここだけが再生できていなかった。指を切り落とせば引き剥がすのは容易いが、遺体を必要以上に損壊するのは気が咎めて、苦心しながら指を解いた。


「痛ぅ……何とか外れたか、ゴメンよ」


 ブルーが周囲に張った人払いの結界はそれほど強いものではない。出力が強すぎると町の魔術師に気付かれるからだ。交通量の少ない時間とはいえそろそろ車が来てもおかしくはない。ブルーは遺体をそっと歩道へと運ぶと、自分のマントを床に敷いてその上に横たえた。

 服はあちらこちらがボロボロながら、傷一つない綺麗な亡骸だった。


「さて、済まないが君の友達を追わなくてはね。すぐに天国で……っ!?」


 遺体の様子に疑念を抱いたのと、背後からの衝撃を覚えたのは殆ど同時だった。ブルーは振り向くよりも先に、自分の胸の間から生えてきた刃の切っ先を見て全てを悟った。


「まさか……君も……ゴボッ」


 ブルーは再び絶命した。『明日香』は手の血を拭うと息を切らせながら身を屈める。自分の為に敷かれたマントの上にブルーの死体を横たえた。


(いいえ、違うわ)


 『明日香』……に変装していた百合山恭哉の能力は『女性に触れている間、その能力をコピーすること』である。

 絶命の直前、ブルーがあたかも自分の復活を前提としているかのような発言をしていたため、恭哉は最後の賭けとして彼女に縋り付いたのだが、それが運良く幸を奏した形だった。二人が生き返ったのは殆ど同時だったが、恭哉は今の不意打ちの為に心肺を故意に止めていた。それもあって今はフルマラソン直後のように息も絶え絶えになっていた。

 ブルーは傷だらけだった筈の遺体が復元していたことを疑問に思うべきだったが、無理もない。たまたま遭遇した敵が自分と同じ蘇生能力なりコピー能力なりを持っている確率はそう高くもない。しかも蘇生直後は寝起きと同じで死の直前の記憶を思い出すのには時間が掛かるのだから。


(なんとか捕虜にしたいけど、どうしましょうか)


 呼吸を整えながら時計を見ると15:15、先の戦闘の直前から五分ほどが経っていた。戦闘は恐らく一分弱だった筈なので、蘇生には三分ほど掛かったと見るべきか。

 自己蘇生魔術は回数を重ねる度に回復の速度や精度が落ちるというが、傷は先程より浅い。早ければ二分で起きてくると思ったほうが良いだろう。


 恭哉は対魔術師用の首輪型拘束具を(女性に首輪を付けるのはためらわれたが)、ブルーの首に取り付けた。ただし肝心の魔術を封じる機能は切ったままである。蘇生が出来なくなるからだ。

 不意打ちで首輪を取り付けられれば面倒はなかったが、刺殺と比べて複雑な工程を、しかも床に倒れた状態から身長の高いブルーに仕掛けるのはリスクが高いので諦めるしかなかった。

 ブルーを安全に拘束するには蘇生した瞬間に機能をオンにするしかないが、二分待つ間に朔夜がどうなるかが心配だった。彼女にもインカムは渡してあるが、今の彼女はジャマーも使っているのでこちらからは状況が把握できない。


(取り敢えず『私』に連絡をしましょう)


 自分を灰園明日香だと思いこんでいる恭哉は、自分に連絡をするという論理矛盾に気付くこともなくインカムの受信をオンにした。

 戦闘中もお互い相手への送信は常に続けていたが、本物の明日香と違って技量が低い偽物は、戦闘中に集中が乱れないように受信を切っていた。


『百合山くん!大丈夫!?』

「ゆ……?ええ、大丈夫よ。ギリギリだったけど勝ったわ。敵は一度倒したあと生き返ったけど、今はまた死んでいるわ」


 恭哉は自分が一度死んだことは伏せて状況を報告した。明日香も誠司を行かせたことと、その後でピンクが復活したことを手短に伝えた。


『まさか復活能力者のコンビだなんてね』

「ええ。出来れば復活させて拘束したいのだけど、どうすべきかしら?」

『私のほうだけ捕まえておけば良いわ。そちらは逃しましょう。貴女は早く雪町さんのところへ。三代くんが着いてしまうわ』

「そうね」

『ごめんなさい。折角の入れ替わりがバレてしまったかも。その……つい手加減を忘れて』

「そっちは近くに民家やマンションも多いでしょう?仕方ないわ。それにバレたらバレたで有効活用できるから何も問題ないわ」

「そうね」

 

 明日香がピンクを瞬殺してしまったのは、周囲の巻き添えを恐れて一先ずの決着を急いだのと、彼女の無謀な戦い方から過去に戦った敵との類似点を見出したからでもある。攻撃を無効化するか深手から再生・蘇生するだろうという予感があった。

 誠司に入れ替わりが露見したのは全く別の理由だとは気が付いていない。


『ところで、百合山くん……私との通信中くらい素で話したらどうかしら?』

「素で?………あ、ああ。ごめんなさいね。自分で恭哉灰園さんだと思い込んでいないと上手くいかないのよ」


 通信機の向こうから自分に似た声が自分の口調で話し掛けてくるのは、相手が男性という点を差し引いてもなお気分の良いものではない。明日香の要求も当然ではあったが、恭哉は明日香ほど『役』の切り替えが上手くはない。

 彼にとって変装自体は手慣れたものだったが、変装中は自己暗示によって対象に徹底的に成り切り、事前に設定した条件を満たすことでのみ元の恭哉に戻るという仕掛けをするのが常だった。

 むしろ初めての変装で半日恭哉を演じつつ、素の自分とも瞬時に切り替えられる明日香のほうこそどうかしているのだが、彼女のその高い能力を当て込んで、昨日の今日で入れ替わりを提案し実行させた恭哉としてはとても指摘は出来ない。


 恭哉の頭上で鉄道の通過する音が響き、遅れて足元では地下鉄の通過音が響いた。


『あっ!』

「灰園さん!?」


 電車に気を取られたのは一瞬、本物の明日香の背後で発砲音らしきものが聞こえた。緊張を高めた恭哉は自身の足元に違和感を感じ、咄嗟に小さく飛んだ。

 恭哉が飛び退いた位置でブルーの足払いが宙を切った。


(まだ一分半も経っていないのに……!)

「やれやれ。してやられたね。だが、君と戦っている余裕は無さそうだ」


 既に傷も服も完全に再生しているブルーはここではない何処かに顔を向けている。仮面越しでも焦りが見えるようだ。ピンクの危機に気付いたのだろうか。


「お友達のことも今は諦めるとしよう。今のうちにお別れを済ませておくと良い。じゃあ、またね。子猫ちゃん」


 ブルーは駆け足で去っていった。


「灰園さん、ごめんなさい。こっちのがそっちに向かうわ。大丈夫?」

『少し面倒なことになったわ……ひとまず雪町さんをお願い』

「ええ」


 通信の向こうの本物の明日香の声は緊張の混じった苦々しいものだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 15:13。

 某所。空中。地上から五十メートル。

 周囲は見慣れない高層ビル群だった。星河市には殆どない風景である。魔力を放出した反動で窓に飛込む手を一瞬考えたが、一番近くの六十メートル級のビルには飛び込みやすい位置に窓がなかった。

 落下していく透羽の袖口から金属の塊が飛び出す。レール状の武器射出機構によって現れたのは、何の変哲もない薄型の両口スパナだった。誠司が用意したスリーブガン機構を袖の中に仕込んでいたのだ。


「はぁっ!!」


 逆手に持った両口スパナを投げ槍を放つような姿勢で宙に向かって振り下ろす。だがスパナは透羽の手に握られたままである。スパナの先端から放たれたのは不可視の錨だった。空力制御を得意とする透羽の技の一つである。

 錨が空気のひと固まりを捕える。透羽はそこから宙にぶら下がる格好となり命を拾った。


(私で良かった……!)


 ひとまずの安全を確保した透羽は、恐怖や困惑よりも安堵からの溜息を吐いた。

 多くの魔術師は空を飛ぶのに専用の魔道具を必要とするが、地上での市街地戦を想定していた透羽たちにその備えはなかった。翔子や誠司の能力では、どう対処しても良くて大怪我だった筈だ。

 透羽は急いで通信を繋いだ。このままでは翔子が二の舞になる!ここが何処かは不明だが、恐らく朔夜の力で最低でも数キロ離れた場所に飛ばされたと見るべきだ。監視の目を欺いていつの間にこんな芸当を習得したのかは不明だが、その考察は後だ。


「司令部!応答願います!」


 耳のインカムからは雑音が返ってくるばかりだった。故障か、通信妨害か?後者だとしたら近くに敵がいるのでは?だとすれば無作為に飛ばされたわけでない?透羽がそれに気付いたまさにその瞬間、視界の端に何かが落下してくるのが映った。


「っ!?」


 それがマラカス型の手榴弾だと気付いた透羽は、空いている右手で魔力障壁を張ろうとして逡巡した。


(こんな都市部の上空で私を殺せるほどの爆発を起こす?)


 そのような無茶を、おそらくは朔夜ないし星河町の関係者であろう何者かがするだろうか?


「ピジョン121!緊急着装!」


 掛け声に反応して、戦闘用の装束が半自動的に透羽に装着されていく。鳥を思わせるバイザーと迷彩効果のマント、白を基調とした軍服型の装束である。

 約0.5秒での装着が終わるが早いかバイザーの遮光機能と防音機能を全開にして目を瞑り、右手で両耳を守った。

 一瞬後、透羽の至近で小さな破裂音に続いて光と音が炸裂した。閃光発音筒スタングレネードの一種だが、敵一人だけを狙うべく効果を小範囲に制限したタイプのようだった。敵味方が入り乱れる戦場でも使いやすいように開発されたものだ。これなら衆目もあまり集まらないことだろう。


「くっ……」


 物理防御を優先していたなら目と耳をやられて墜落していたかも知れない。咄嗟に両方同時に防げるほど透羽は器用ではなかった。今度こそ恐怖からの溜息を吐いた。


 だがこれで確信した。

 一つは、朔夜の転移能力はかなり正確に転移先の座標を決定できること。

 もう一つは、このビルの上から閃光弾を投げてきた者がいるということだ。


 朔夜が閃光弾も飛ばしてきたというのは流石に考えづらい。そこまで正確に狙うのは朔夜にこちら側が見えているとしてもまず無理だ。そこまで高精度の転移が出来るのなら、こちらに飛ばされた時点で透羽はもう生きてはいない。例えば処刑装置を用意してその中に飛ばせば良かった話だ。

 それにだ。混乱する記憶を整理して思い返せば、空中に出た瞬間に人の気配があった気がする。

 単に透羽に確実に止めを刺すための要員かも知れないが、空間転移の目印の役目を兼ねている可能性も高い。空間転移は高度な魔術なので、転移先に観測者を置くのは珍しいことでもない。


(追いかけないと……!)


 透羽の額を汗が伝った。翔子や誠司が飛ばされる前に攻撃者を捕らえるかせめて連絡をしなければならない。近くのビルにジャマーが設置されている可能性もある。

 透羽は錨を引き戻して、自分が落とされてきたと思われる六十メートル級のビルの屋上に降り立った。商社の自社ビルのようだが、人の気配はない。全身の迷彩機能を発動し、少なくとも非魔術師には見えないようにはしながら、小走りで屋上の四方を駆ける。一瞬、東側に人影が見えた。


 透羽は再びスパナで錨を天に放ち、体を大きく後ろに降って勢いをつけて跳び、空中で錨を切り離す。前方に振り切る直前に再び錨を放つ。これを繰り返してビル群を移動する。

 

(誘われている?このまま追い続けるべきでしょうか?)


 一分の追跡で一キロほど移動したが、先程感じた気配はまだ前方にある。姿ははっきりとは見えないが、どうも透羽を振り切らないようにわざと加減をしているように思われた。

 その証拠に移動中に小型のドローンや式神化した折り紙の動物の攻撃で移動を邪魔こそされるものの、それ以上の追撃が全くないのだ。空中に放り出しても殺せなかった敵のために、この先にキルゾーンでも用意しているのではないだろうか。


 それ以上の問題として通信障害がまだ続いている。道中、僅かに見えた建物内や、町中では人々が通信障害で混乱している様子は無かった。

 透羽だけの障害となると、敵がジャマーを持っている可能性は高い。本部に連絡を取るのなら追跡を止めて敵から離れて通信を試み、それで駄目なら適当な建物に駆け込んで固定電話を借りるなり強奪するなりすれば良い。

 しかしその間にあの敵を目印として、翔子や彼女の元に援軍に来るであろう誠司が飛ばされてきたらと考えると離脱も躊躇われた。

 唯一の救いはここがどうやら星河町から西に十キロほどの地点で、敵が今のところ星河町へ向かおうとしているらしいことだった。GPSも阻害されているが、装束のカメラのズームなどで看板の文字などを読み取って分かったことだ。

 ただこれすらも透羽に追跡を続けさせるための、敵の誘導と思われてならなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


15:14。地下道・学校側の出口。


「ゆんちゃん!?りっちゃんはどこ!?」

「わ、分かりません!」

「りっちゃん!応答して!りっちゃんてば!支部長かっちゃん!あれ!?」


 朔夜にとって都合が良いことに翔子は透羽が飛ばされる瞬間を見ておらず透羽の不在に動揺していた。朔夜の前だと言うのに大声で透羽や司令部に連絡を試みるが通信障害が起きておりさらに混乱している。


「一瞬、目を離したらどこにもいなくなっていて……」

「な、何で?」


 翔子はキョロキョロと辺りを見回す。ここは周囲を六階~八階建てのマンションなどの高層ビルに囲まれた、バス停のあるロータリーだった。駅の降り口から百メートルほど離れており、この時間は元から人気は少ないのだが、今は全くの皆無だった。そもそも先程学校からの道中でここを通った時には見える範囲だけでも十数名はいた筈だった。流石に妙だった。


(さっきの奴の仕業……じゃないよね?)


 人払いの結界を広範囲に張っていると考えれば、無人なのも結界の存在を感じないのもおかしくはないが、あのブルーの仕業にしては妙だった。彼女がこちら側に結界を仕掛けるのならば地下からの出口を封じる結界を仕掛けるのが自然だ。


(まさか!)


 翔子は昨日急遽もらったスリーブガン機構で、袖口からタロットカードのケースを取り出した。いや、取り出したというよりは飛び出した。というかケースから中身がばらまかれた。


「うわ!」

「ど、どうしたんですか!?」

「うーわ……ちょっと待って待って」


 誠司が『基本的な占い道具の一つも携帯しろ』と言うので、どうせならばと貰ったスリーブガンだったが、ぶっつけ本番で使ったのと、ケースの閉めが甘かったせいでカードはブロック上の歩道の上にばらまかれてしまった。あたかも地面の上で占いをしようとしたかのようだった。


「うわわ。えっと……どれだろ」


 今取り出すつもりだったカードを見失ってしまった以上はやり直すしかない。しかし拾い集めて占い直す間も惜しいので、そのまま歩道の上でかき混ぜて一枚を手元に引いた。


「『月』……予期せぬ脅威、裏切り……?」

「え?龍神たつがみ……さん?」

 

 翔子はゆっくりと朔夜の方を振り向く。朔夜は翔子が纏う空気に気圧されて後退った。


「ねえ、ゆんちゃん。りっちゃんは……どこ?」

「分かりません……」


 朔夜は震えながら大きく二歩後退った。翔子は距離を詰める。


「もう一回だけ聞くよ?りっちゃんは……危ない!!」

「きゃっ!」


 翔子は眼前の朔夜を突き飛ばして覆い被さった。そうしてから振り向くと背後の地面から煙が立ち昇っていた。弾痕である。歩道に散らばったままのカードとのいち関係を見るに撃たれたのは二人がいた中間地点辺りに見える。


「(絶対ゆんちゃん狙いだと思ったけど、もしかして私狙い?どっち?)……ゆんちゃん、怪我ない?大丈」


 歩道に倒されたままの朔夜は、深く息を吐くと翔子に触れた右手を胸元に戻した。そっと起き上がる途中で、少し迷ってから足元のカードを埃を払いながら拾い集めた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


15:16。空中。


「え、お?うわあああ!?」

「翔子さん!?」


 透羽が見上げた頭上から落ちてきたのは敵の攻撃では無かった。いや、ある意味攻撃ではある。透羽は迎撃に放とうと構えていたミニスパナを核とする空気の矢を解除すると、右腕で翔子を受け止めようと試み……、

 

「わぷっ!!!?」

「あんっ」


 顔面で翔子の胸を受け止めてしまった。自由落下と錨を巻き戻す動きが重なったことでその衝撃は自動車事故に匹敵するものとなった。常人なら双方首の骨と肋が折れ、最悪死んでいた。

 A級魔術師の二人にとっては痛い程度で済んだのだが、透羽は首への負荷と一瞬の無呼吸状態によって、意識が僅かに飛び、錨を消滅させてしまった。


「ちょっえっ!りっちゃん!起きて起きて!」

(っ!?すみま……見えな……ずれて!)

「あっ……胸の中で喋らないで……」


 翔子はむず痒さに反射的にのけ沿った。透羽の視界が僅かに開け呼吸も確保できた。急いで錨を投擲し、空気を捕らえて固定すると衝撃で二人の体がドン、と大きく揺れた。再び透羽に密着した翔子の胸が、透羽の首から腹へ擦れていき、透羽はなんとも言い難いくすぐったさに身悶えた。

 姿勢が安定すると、数秒間気まずい沈黙が流れた。


「……ごめんね」

「いいえ……すみませんでした」


 互いの通信機が使えないことを確認すると、二人は攻撃者の予測進路から逸れつつ手頃な建物へ進んだ。既に襲撃者の気配は感じない。翔子を文字通りぶつけた隙に撤退を図ったのだろう。透羽たちの始末には固執していないと見るべきか。

 ならばこちらも急いで司令部と誠司に連絡を取るべきだと、近くの駅ビルに向かっているところだった。道中でジャミング範囲から脱せれば良し。駄目でも装束を解いて一般客として電話を借りれば良い。


「とにかく、無事で良かったよ」

「ええ、まさか彼女にこんな力があるとは……」

「やっぱゆんちゃんの仕業なの!?……友達だと思ってたのに、どうして……」

「え?いや、それは身を守るためでは……」

「ところでりっちゃん。こんな髪留めしてた?」

「今はそんな場合では……え?」

「ワンポイントにしても髪と同じ色だと目立たなくない?」


 透羽は髪を後ろで短く二本に纏めているが、頭頂部には何も付けてはいない。式神やドローンの攻撃で何か付けられたのだろうか?

 透羽は自分の髪をまさぐった。


「ど、どれです?」

「ほらコレ」

「待って!あっ……」


 仮に爆弾か何かだった場合を考えて自分で取るつもりだったが、警告する間もなく翔子が取ってしまった。幸い爆発はなかった。


「見せて下さい!……これは」

「なんか変な機械ついてない?」

「ジャマーです」

「まあ、邪魔なだけだよね」

「ええっ!」

「あ、壊さなくても!」


 おそらくは飛ばされる直前に透羽に付けられていたのだろう。いくら移動しても障害が続く筈だ。普通なら動き回っているうちに障害の強さがもっと変化してしかるべきなのに、一瞬たりとも通信ができない時点で気付くべきだった。

 だが壊してもまだ通信が回復しなかった。透羽は駅ビルの二つ手前、無人の屋上に降りて、今度は翔子の髪を弄った。


「やっぱり……」

「え、私こんなの付けてた?」


 茶色のヘアピン型のジャマーを握り潰すと、果たして司令部との通信は回復した。

 透羽は手短に誠司への警告とこれまでの経緯を報告すると、タクシーでの星河町への帰還を命ぜられた。速度は多少落ちるが、公共交通機関ならば攻撃される危険は少ないからだ。

 通信を終えると、錨を利用してまずはビルの谷間に翔子と共に降りていく。


「りっちゃん、ゆんちゃんのこと怒ってるの?」

「いない、と言えば嘘になりますが……」

「……」

「……私たちに、その資格はないでしょう」


 そうだ。裏切られて殺されたとしても仕方のないことをしているのだ。

 六合透羽わたしは人殺しなのだから。



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