10. 三日目・昼:トワの後悔無き選択

 昼、一年A組教室。


 一年A組は、雪町朔夜と灰園明日香、そして六合透羽りくごう とわが通う教室である。

 透羽が二人と同じ教室なのは偶然ではないが、町内会の内通者や箱舟アーク側の工作によるものでも無い。クラス割り程度で介入して余計な痕跡を残すリスクは避けたかったが、出来るなら透羽たち三人の誰か一人以上は朔夜と同じ教室のほうが都合が良いのも確かだった。

 そこで透羽の発案で、翔子の占いを利用しての『縁結び』のまじないをすることにしたのだった。ただ、そこからは想定以上に厄介だった。何事にもポジティブな翔子が、始める前からげんなりとしていた時点で止めておけば良かった……と終わってから後悔したくらいだ。


 翔子が指示した行動の一例としては……職員室に忍び込んで、国語教師のパソコンの時計を五分進めたかと思えば、壁掛け時計を五分遅らせたり、数学教師の赤ボールペンを上下逆にしてみたかと思えば、化学教師が使うハンコの並びをずらしたりする……のは、まだ良かった。

 校長の実家の隣家の庭に花の種を植えたり、教頭の自宅の新聞受けに差さった新聞を抜いて、チラシの折り目を逆にしてから新聞を戻したりするのもまだ良かった。

 しまいには、半日掛けて町のゴミ掃除をしたかと思いきや、民家の壁に落書きをさせられたり……というゲームの乱数調整の如き訳の分からない行動を三人で延々繰り返す羽目になった。

 どの行動が何にどう影響するのかなど、占った翔子本人にすらまるで分からない有様だった。分からないと言っているのにしつこく尋ねられたものだから、最後の頃にはあの翔子が泣きながら半ギレする始末だった。これはどちらかと言うと、二時間で二人合わせて三十回以上も同じことを尋ねた透羽と誠司が悪い。暴力に訴えなかった翔子を称えるべきである。流石に二人並んで土下座で謝った。

 

 その甲斐あってか、透羽はどうにか朔夜と同じ教室になることが出来た。……というか努力が無関係だったらあまりにも嫌すぎるが、検証のしようもないので甲斐があったと思うことにしている。


 ただし問題が二つあった。

 一つは、どう運命に介入しても透羽と朔夜が同じ教室になると、必ず明日香まで付いてきてしまうことだった。

 これはクラス割りは学力が均等になるように割り振られるのも一因と思われた。透羽が、目立たないように試験で合格ラインの範囲内で凡庸な成績を取ったのに対して、明日香はトップ合格だった。透羽が全力で点を取りに行っていたら、少なくとも明日香とは別のクラスになった可能性が高い。

 クラス割り介入作戦を考えたのが受験終了後だったため、この点はもうどうにもならなかった。文句を言ったら逆に翔子に怒られたのも無理はない。明日香が付いてくる点は妥協して先程の運命介入乱数調整に挑む羽目になった。


 そしてもう一つの問題は朔夜と同じクラスになった明日香が彼女と親しくなってしまったことだった。二人共友人がいないタイプだったからと完全に油断していた透羽たちの失態だった。

 別に明日香が同じクラスになろうが朔夜と友人になろうが、作戦が失敗すると決まったわけではないが、難易度が上がったのは言うまでもない。


 透羽たちも何もしていなかった訳ではない。まずクラスメイトと時間を拘束されすぎず、かつ付き合いが悪いと思われない程度の交友関係を築きつつ、そこに朔夜を巻き込もうとした。しかしどうやっても拒まれてしまっていた。積極的に近づけば近づくほど逆効果のようだった。誰とでも気さくに接することが出来る翔子にも協力してもらったが、朔夜は頑なだった。せめて自分ではなく、翔子がA組になるべきだったのではとも思ったが、翔子はそれでも難しかっただろうと否定した。

 仕方なく根気強く毎日話し掛けつつ、迂闊に踏み込みすぎないようにして慎重に距離を詰める作戦に出た。困りごとがあれば助けたり、時には密かに筆記具を隠しておいて自分のものを貸すような卑怯な工作も行った。

 それでも何の成果も得られないまま、気付けば明日香と朔夜が友人になっていた。未だにどうすべきだったのか正解が分からずにいた。支部長たちは責めはしなかった。元々彼らは同じ学校で監視さえできれば良しとしていたからだが、透羽は逆に無力感に苛まれた。


――――――――――――――――――――――――――――――


 昼食を終えた透羽は友人たちと談笑していた。今日の午後は血液検査後、部活動も休止で全員下校することになっている。


「あーあ、血液検査とか参るよね、いたそー」

「いや、よりマシでしょ」

「いやいや、あの針が来るのに動けないのが嫌なんでしょうが」

「何言ってんの、早く帰れていいじゃんよ」

「でもどうせどっかで補修でしょ?マジ困るよね、検査のミスだか知らないけどさ」

「いいじゃん、先のことは、ね?透羽」

「そうね、これで急なバイトがなければ良かったんだけどね」

「バックレちゃえば?」

「そうもいかないのよ。ウチの家計ギリギリだから遊ぶお金は自分で稼がないといけないし……」

「あーゴメンそうだったわ」

「本当に残念だわ」


 透羽の口から出た言葉はあながち嘘ではなかった。価値観や倫理観、知能や知識のレベルの差に目眩がする時も多いが、友人たちとの時間は嫌というほどではない。おそらく今日を最後に会えなくなるのかと思うと……思うと?


「……だ、大丈夫?透羽?」

「え、ええ?」

「今日は久々に顔色良いかと思ってたけど、やっぱ調子悪い?」

「そんなことないわよ?」

 

 昨夜はしゃぶしゃぶパーティーの後、翔子の提案でゲーム大会となった。一時間だけのつもりだったが、気付けば二時間半も色々なゲームで遊んでいた。一時間でゲームを止めるなどむしろ不健全なのかも知れなかった。

 ともかく遊び疲れのためか、久々に自力でよく眠れた。睡眠導入剤を使わずに済んだのは二週間ぶりくらいだろうか。常用する精神安定剤に加えて、最近は吐き気止めもたまに使っているため、薬を減らせるならそれに越したことはない。


「でも……ちょっと震えてない?」

「え?」

「採血大丈夫?マジで」

 

 思わず手を見ると、知らぬ間に震えていた。薬の副作用だとかいうわけでも勿論寒いわけでもない。どうしようもない恐怖、あるいは心細さのためだろう。組織の医者にはそう言われていた。


「大丈夫よ、スマホが震えてたみたい」

「店から?」

「例のカレシじゃない?」

「そんなのじゃないからぁ」


 透羽はスマホを取り出しつつ友人たちを笑いながらあしらった。雑にもほどがある誤魔化し方ではあるが、本人にこう言い切られては中々重い空気には戻しにくいものである。

 友人の一人が透羽のスマホに付いたうさぎのストラップに気付いた。


「あ、そのストラップ久々!」

「ええ。貴女が取ってくれたものだったわよね」

「も~。何回か付けてたの見たけどそれっきりだったからさ、私だけハブられてるのかと思ったぁ~」

「ちょっとつかさ、透羽っち取ろうとしないでよ?私の嫁よ?」

「いやいや、私の私の。ていうかつかさ、それヤンデレとかイジメっぽい」

「え~ひっどぉい!」

「ごめんね。つかささん。ほら、ストラップのここ弱くなってるみたいで……」

「あ、本当だ」

「直そう直そうと思ってたのに、夏休み挟んじゃってそのままになってたの。ごめんなさいね」

「ううん。気にしないで」


 透羽はストラップのボールチェーンの接続部が弱っているのを友人たちに見せた。


「どこで売ってるのかしらねコレ」

「ええと百円ショップかな?」


 友人たちがストラップに注目している間に、透羽は離れた席の朔夜たちの様子を伺った。今日の二人は各々自分の席で食事を取っていた。食べ始めたタイミングは透羽たちと変わらなかった筈だが、談笑しながらの透羽たちがほぼ全員食べ終えているというのに、二人はもう少し掛かりそうであった。


――――――――――――――――――――――――――――――


 食事を終えた明日香が外に出るのを見た透羽は、友人たちに断って中座し後を追った。百合山恭哉が敵の可能性がある以上、引き離しは自分がやらなければならない。灰園明日香が彼と結託していた場合、最悪灰にされる危険もあるが、それならば余計に自分がやる必要がある。

 自分は三人のリーダーではあるものの、それは一番替えの利く存在だからでもあると考えていた。第二の方舟アークセカンドは他の二人の能力を失うわけにはいかない。上手く引き離すための何らかの約束を取り付けられれば、支部長も作戦の変更を承認してくれるだろう。

 予め食事中に精神安定剤を飲んでおいたので、じきに効いてくるだろう。そっと深呼吸をしてから明日香に話し掛ける。


「灰園さん、ちょっと良いかしら?」

「あなたは……六合、透羽さん?ええ、少しなら」

「なにかあったのかと思って」

「なにかって、なにかしら」

「雪町さんよ。最近ずっと一緒だったのに。喧嘩でもしたの?」

「そういう訳じゃないのよ。違うの」

「もし嫌じゃなかったら相談に乗るわ」

「いえ、大丈夫よ。心配いらないわ」

「でも!私……その……」


 言葉に詰まる。迂闊に近付きすぎないようにしていたのが仇となった。これ以上踏み入るのは不自然すぎる。


「ありがとう。優しいのね。でも大丈夫よ。帰りに文芸部の人に相談に乗ってもらうことになってるから」

「文芸部!?……誰?」

「百合山くんよ?知ってるかしら」

「え、ええ。生徒会長の弟だし」

 

 思わず声を荒げてしまったことに透羽は焦ったが、幸い明日香は反応しなかった。まあ、あまり人と関わらないようにしていた彼女がいきなり朔夜以外の文芸部員と会う、などと言ったら自分でなくとも似た反応をするだろう。透羽は自分にそう言い聞かせた。

 それよりも、これは百合山恭哉が予定通り引き離し工作を行っていると見て良いのだろうか?それともそう思わせる為のフェイクか。誠司と違って恭哉には良くも悪くも感情を抱いていなかった透羽は、昨夜の占いがなければ恐らく素直に彼を信じていただろう。しかし今は疑わないわけにはいかない。


「六合さん?大丈夫?……検査、無理そうなら休んだほうが良いわよ」

「ええ。平気よ?あなたこそ優しいのね。……私、そんなに具合悪そうに見える?」

「そうね。失礼だけど、今にも倒れそうに見えるわ」

「……平気、なんだけどね」

「大丈夫なら、私行くわね?検査の前にも少し話しておきたくて」

「大丈夫よ。引き止めてごめんなさい」


 明日香は上の階へと上がっていった。百合山恭哉のB組や文芸部のある部室棟とも違う方向なのだが、どこで待ち合わせるというのだろうか。

 後を追いたい気持ちはあったが、SS級魔術師を相手では感知されないわけがない。それよりも……。


「雪町さん?」

「はっはい!」


 A組の教室の影からこちらを伺っていた朔夜に声を掛けた。昼食中に考えていた予定とは違ってしまうが彼女を連れ出せるのならばそのほうがずっと都合が良い。透羽は改めてゆっくりと深呼吸をする。今度は瞬殺されるかも知れないという死の恐怖がないだけずっと気楽で済む筈だ。


「あの……六合、さんはあす……灰園さんと仲は良いん、ですか?」

「いいえ。振られちゃったわ。私より男の子が良いみたいね。……冗談よ?」

「分かってます……」


 それきり朔夜の言葉が途切れたので、透羽は食堂への移動を促した。もう昼休みは十五分ほどしかないので、人も減っているだろうとの判断は当たり、テーブル席にお茶を並べて座った。透羽から話を切り出す。


「喧嘩しちゃったの?」

「私のせいなんです」

「怒らせたのかしら。あなたがそんなことをするとは思えないし、誤解されただけじゃあ……」

「違うんです!!」

「ひっ!?」


 周囲の目がこちらに向いた。朔夜の声も大きかったが、透羽の悲鳴もかなりのものだった。自分の声に驚き遅ればせながら手で口を塞ぎ、無意味なのですぐに止めた。


「ごめんなさい……」

「いえ、私こそ。それで、何があったの?」

「私、今日で最後なんです」

「………最後って?」

「学校を辞めるんです。部活も、昨日辞めました」

「!!?」

『!?』


 先程の明日香との会話の前からオンにしてあった超小型インカム越しに、司令部の無言の驚きが伝わってきた。

 当然だ。最近は体調が優れないようだと透羽も気付いていたし、恭哉の報告にもあったが、学校を辞める話は聞いていない。このタイミングでとなると、彼女の父、秋嘉はこちらの動きに気が付いているということか?それ以上に部活が問題だ。同じ部の恭哉から辞める報告は入っていない。裏切りはやはり確定である。となると先程の明日香の動きは……。


「大丈夫ですか?」

「ひっ……!……いえ、大丈夫よ」

「でも凄い汗ですよ、少し震えてましたし」

「平気よ……っ」


 知らず後ずさっていた椅子を元に戻しハンカチで汗を拭く。

 取り敢えずダメ元で逃亡先のヒントでも聞けないかを試してみる。


「それで?辞めるって転校ってことかしら?」

「いえ、辞めるだけです」

「……就職でもするの?この時期に?お家の事情かしら」

「私、実は……その……」


 朔夜は言葉を探しているようで、きょろきょろと辺りを見回した。何処かに答えが落ちていたりはしないか、冗談ではなく壁新聞か掲示物にでも偶然良い単語でもないか探しているようだった。

 そうして何か言葉を見つけたのか、それとも閃いたのか。たっぷり三分ほど迷ってから朔夜は意を決したように姿勢を正し、顔を近づけてきた。

 透羽も顔を近づけ……途中で気付いた震えを堪えながら更に近づけた。互いの顔は拳二つ分ほどの距離だった。

 怒っているわけでもなく、むしろ泣きそうにも見えるごく普通の少女の顔だと言うのに凄まじいプレッシャーを感じた。


 当然だ。

 震えて当然だ。

 相手は歩く核弾頭の山なのだから。


 それを再認識した瞬間、悲鳴を上げて逃げ出しそうになったのを透羽は自分の右足を左で踏みつけ、右手の皮を引き千切る勢いで左手で捻じりあげ、その痛みで以って堪えた。


「私、もうすぐ死んじゃうんです」 


 朔夜は小さな声で、ごく当たり前のことのように語った。


「………え?」

「だから、明日香ちゃんを悲しませないように、友達を辞めて死ぬのを知られないようと思っ」


 雪町朔夜は、気付けば天井を見ていた。頭と頬に痛みがじわじわとやってくる。周囲の人間が徐々に寄ってくるのを見ても事態が飲み込めない。ゆっくりと立ち上がって、柱についている鏡を見て、頬の腫れを見てもまだ飲み込めない。六合透羽が呆然とした顔で自分の右手を見ているのを見て、ようやく叩かれたのだとぼんやり認識した。


 六合透羽は、気付けば自分の手を見ていた。手に痛みがずきずきとやってくる。周囲の人間が徐々に寄ってくるのを見ても事態が飲み込めない。倒れている朔夜を見ても、彼女がゆっくりと起き上がって鏡を見つめているのを見ても、自分の右手を見つめても飲み込めない。雪町朔夜と目が合って、ようやく叩いたのだとおぼろげに認識できてきた。


「「なんで……」」 


 二人の声が完全に重なった。周囲の人間が騒いでいるらしいのは分かるが内容が認識できない。透羽の耳には司令部の声が届いているが、それも認識できなかった。透羽は音量をゼロにした。通信は生きているが向こうの指示だけ聞こえない状態である。今から言う内容は支部長たちに筒抜けである。



 六合透羽は、雪町朔夜の首を締め上げた。

 周囲からでは一瞬、そう見えた。

 朔夜自身にも一瞬、そう感じられた。

 透羽自身でさえも、そう誤認した。


 実際には両肩に手を置いただけである。

 そこから顔をぐっと寄せた。角度によっては喉笛に食らいついたか唇でも奪ったかのように見えたが、今の透羽にそんなことに注意を払う余裕は皆無だった。


「ふざけないでください!!!それで灰園さんに気を使ったつもりですか!そんな……そんな……!本当にそれであなたは後悔しないっていうんですか!最後なんですよ!?そんなに、そんなに死にたいのならいっそ彼女の前で死んでみせなさい!馬鹿者っ!」

「っ……!」

「今日は何で学校に来たんですか!昨日で辞めたのなら今日来る意味もないでしょう!」

「違っ……今日は一応お父さんが行っておけって」

「お父さんは関係ないでしょう!自分の問題でしょう!本当は会いたかったんでしょうに!言い訳をっ!するな!もう一度灰園さんと合って話してきなさい!馬鹿ぁぁぁぁああっ!」


 透羽の手は今度はしっかりと拳を握り込み、それを朔夜の顔目掛けて……。


「馬鹿!何やってる六合!」

「離して下さ………誠司、さん」


 透羽の歯がガタガタと揺れ始めた。ギャラリーの顔が見えてくる。まずい。うっかり魔術のことを漏らしてしまってはいないか?実際には最後の理性がそうさせたか、魔術関連のことは全く話していなかったことにも気が付かず、透羽は震えだした。体を掻き抱いても今度は止まらない。

 いや、震えの原因は他にある。せっかく引き離せそうだった朔夜たちをわざわざ近付けるようなことを言ってしまった。何故だ。


 この作戦に失敗すれば新天地が迎えられる人間の数が大きく変わる。失敗は間接的に数十万か数百万の人間を死なせてしまうことと同義であるのだ。

 床に膝から崩れ落ちて力の抜けた透羽を、誠司がそっと抱いて支える。


「あ、ああ、ああああ、あああ」

「落ち着け!落ち着け!」

「さあさあ、皆さん、落ち着いてぇ。これは演劇のゲリラライブで~す」

「お前も落ち着け!」


 明らかに修羅場と思われる空気に突如割って入ってきたアホそうなギャルに周囲も戸惑いを隠せなかった。


「演劇なのかライブなのかどっちなんだよ」

「てか、六合さんは料理部でしょ」

「雪町さんは……何だっけ?」

「文芸部」

「ああ、それよ」

「そう!料理部と文芸部の合同演劇ライブです」

「何だそりゃ?」

「文化祭の出し物だよぉ?」

「終わったばっかじゃん!」

「来年のだよ」


 翔子が無いこと無いことを生徒たちに風潮して回っていると、教師がやってきた。


「学校の許可は取ったのか?」

「取ってませーん、ゲリラライブなんだから取るわけ無いじゃんすーちゃん先生」

「なるほど……いや納得するわけ無いだろう。だいたい演目は何だ?」

「エンモク……いや、食堂で煙はまずいでしょ」

「暴力沙汰のほうがまずいし、俺が言ったのは演目!何を演じたのかってことだ」

「やだな、すーちゃん、最初からそー言ってよ」

「言ってたよ!」


 いつの間にか翔子に翻弄されている教師の鈴木に、誠司は憐れみの目線を送った。恐らくだが翔子はあれを天然でやっているらしい。だから怖いのだが、今だけは頼もしかった。


「エンマクは……ロミオとジュリエットでーす!」

「だから演目だって……いや、ジュリエット二人いなかったか?」

「漸進でしょう~?」

「斬新な。たしかに今の時代LGBTとかへの配慮は必要……か?古典だぞ。あとロミオはどうなるんだ?」

「いやいやいるじゃん」

「え……はい、ロミオでございます」


 誠司は自分が思う高貴な仕草で頭を下げた。ここは合わせるしか無い。よく考えたらロミオはそんなことは言わない気がするが、実際の劇は数年前に見たきりだから仕方がなかった。鈴木先生は意外にも興味深そうに尋ねてきた。


「え、じゃあどういうあらすじなんだ?」

「途中までは原作と同じなんだけど、ジュリエットが毒薬を飲んだら、あら不思議!二人になっちゃいました~。そして意気投合して愛し合うようになったダブジュリは、『やっぱロミオないわ』としつこくハーレム展開を希望するロミオを短剣で一刀両断してめでたしめでたし~……ってお話でーす」


 よくぞそこまで即興でデタラメを吐けるものだと、誠司は皮肉でなく感心した。このデタラメをみんなが信じるかは別だが、毒薬というアイテムのことを忘れていた時点でロミジュリに関しては翔子のほうが上だ。何も口出しする資格はない。


「………まあロミオ、周りの人間も含めて結構アレだしなぁ」

(通った!?)

「ともかく、こういう騒ぎは困る。今回は私が取りなしてやるが、次はないぞ」

「はーい」

「はい。すみません……」

「ご迷惑をお掛けしました」

「ロミオも三又とか掛けるんじゃないぞぉ?」


 場を和ませるためか、鈴木先生は故意に下品な口調と表情を作ってそう言った。翔子が温めておいた空気のせいか、周囲から笑いが漏れ出した。まもなく休みが終わることもあってギャラリーはそのまま解散していった。


「三?」

「なぁに?」

「いや」


 二人はダブジュリとして三人目を誰だと思われたのかを考えると、今すぐ服毒したい気分だったが今は死んでいる場合ではない。


「龍神。雪町朔夜はどうした?」

「え?こっそりあーちゃんのところに行かせたよ。そうしたかったんでしょ、りっちゃん」

「あ、ああ……あああ」

「おい、あーちゃんってのはもしかしなくても……」

「灰明日香ちゃん」

「灰園明日香だ……」


 誠司は頭を抱え、透羽はそれこそ服毒したかのごとく青くなっていた。

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