9. 二日目・?:脅威を剪る者


 ノルウェー某所。夕方。

 石造りの古城や民家が立ち並び、美しい湖と田園風景が広がる。

 日本で言う東京都の数区分の面積のこの土地は、世界地図には載っていない。自然界の魔力の歪みによって生まれた異界である。異界ではあるが複数箇所で緩やかに外部と繋がっているので、気候や動植物は外と大差はない。

 ノルウェーは日本と殆ど同じように四季があるが、緯度の分だけ寒く、十一月でも気温が日中で一桁の日も多い。夕方の今は氷点下一度になっていた。


 この土地は魔法犯罪者組織『剪定騎士団』の支配地域である。全ウォーロックの中でも組織規模は五指に入り、非戦闘員も含めた構成人数は二万人を超え、カテゴリー評価では9に入る。

 彼らの活動理念は『世界の脅威を剪つ』ことにある。魔法犯罪者や異界から迷い出る魔獣や大規模災害など人類を脅かす存在を討伐する、正義の集団としか思えない活動をしており、構成員の多さもこれが理由である。


 それが犯罪者扱いされている理由の第一はやり口の強引さである。


 例えば『触れた者を本人の意志に関わらず常に病気にしてしまう魔術師』がいたとして、魔術連合では基本的に拘束・隔離する。人道的配慮以上に、何処かで役立つ可能性もあるからだ。

 同じく未開の地に棲む有毒魔獣がいたとして、魔術連合は基本的には放置する。魔獣本体か毒がよほど兵器転用しやすければ別であるが、生物多様性の保持が可能な限り優先される。

 剪定騎士団にとってはこの例のどちらも討伐対象である。


『危険でも制御・隔離可能な限りは、生かしておく』魔術連合と、

『危険であれば事情を問わず倒す』剪定騎士団。

 考え方が根本で大きく対立しているのだった。


 第二は騎士団が採用するポイント制度である。騎士団では、人類の脅威を予知と情報収集で把握した上で、これにポイントを割り振り、討伐した者たちにポイントを与える。そのポイントによって騎士団内での地位や待遇、給金に差が出ていくため、皆ポイント稼ぎに躍起になる。

 その為、先に魔術連合が拘束や討伐をしようとした脅威を横合いから積極的に奪いに来ることも珍しくない。団員同士で争って被害を広げることも禁止行為にもかかわらずよく起こる。

 また偶発的に遭遇した未認定の脅威を事後報告でポイントに出来る制度があるのだが、これを悪用し団の基準でも討伐する間でもない人や魔獣を討伐して脅威だったと偽る不心得者も存在する。

 もっと悪質な場合では、常人の中から目覚めた覚醒者を密かに悪の道に導いたり、魔獣を育成して野に放つなど、脅威を育ててから狩る者すらいる始末だ。

 団の中でもこれを憂慮する者はいるが、改革や自浄には繋がっていない。


――――――――――――――――――――――――――――――


 騎士団の土地の中でも一際目立つ雄大な山と、その入口に設けられた巨大な石の門。高さ四十、幅六十メートルはあろうかという門の前には石の舞台と、そこから全方位への石段が設けられており、一度に数百人が駆け上がれるようになっている。

 世界各地へと瞬時に移動できる『ゲート』が多数存在する『門の神殿』である。

 団設立の遥か以前から存在するこの無数の門があるからこそ、剪定騎士団はこの地を根拠地に選んだのだった。


 そんな石門の中から一人の男が姿を表す。

 彼が現れるや否や、舞台上にいた二人の若者が駆け寄っていった。


「キリングス公!戻られましたか!」

「お疲れ様のところすみませんが、急いでお伝えしたいことがありまして!」


 先に口を開いた優男を押しのけるように、体格のいい男が前に出た。

 優男のほうはブライト・アーリー、筋肉質男は、トレイシー・マクレーン。どちらも小騎士団に属さないフリーの団員で、戦闘力はB級である。


 門から出てきたほうは剪定騎士団、総ポイント数第三位の『剪定公』アレクシス・キリングス。背中には剪定騎士団の代名詞でもある鋏剣はさみけんを背負っている。この剣には巨大な鋏を分離させて二本の剣にできるギミックがある。

 そして剪定公とは、剪定騎士団内だけで通じる『爵位』の最上位である。

 総獲得ポイントランキングで百位以内に入ると、爵位と小騎士団を持つ資格が授与され、三十位以上ではこれに加えて国会と内閣に相当する議会メンバーにもなれる。これは剪定騎士団の外では権威はなく強さを示す指標にしかならないが、団内での待遇は飛躍的に上がる。

 アレクシスは騎士団でも異端中の異端で、爵位持ちにもかかわらず自分の騎士団を持っていない。彼以外の爵位持ちでソロなのは他に十位以下の議会メンバーで二人、三十位未満を合わせても二十人に満たない。

 普通は爵位を得たら、団を組んでポイントを効率よく集められ、一人の場合と比べて格段に楽に早く出世が出来る。出世より世界の安定を優先する高潔な(そして今では少数派の)騎士にとっても効率化は望ましいので普通は騎士団を持つ。

 単騎で狩りを行うのは、周りを巻き込むような強力な能力を持つなど、よほどの理由がある者たちばかりである。


 帰って早々に足止めを受けたアレクシスは若干の不快を覚えた。

 彼は今まで二週間連続で魔獣や犯罪者を討伐し続けてようやく帰還したところなのだ。交通機関も利用したが、徒歩だけでも四百キロは歩いた。常人で例えれば二徹か三徹並みの疲労度である。浄化の魔術で体は清潔にしてはいるが、次のクエストの前に流石に風呂に入って数時間は仮眠したいと思っていたからだ。

 だが何かは知らないが、下の者が頼ってきた以上は応えねばならない。


「何だ」

「ひっ……!」

「あ、あの……!ま、まずは休憩室へどうぞ。お疲れでしょう」

「今行くところだった」

「し、失礼を……!」


 アレクシスの名誉の為に言うが、心中の不快は完全に押し殺せていた。それでも素の反応だけでも、彼を慕う下級団員を震え上がらせるには充分だった。疲労によって若干の隈が出来ていたのも良くなかった。

 すぐ近くの休憩所に移動し、アレクシスが熱い茶と軽食を流し込むように摂るのを待ってから、ブライトが続けた。


「実は三時間前、巫女が新たな最優先クエストを託宣されまして……もう確認されましたか?」

「場所は」

「極東の日本です」

「なら見ていない」


 ここ数時間、アレクシスが見たのは先程までいたインド付近の案件だけだった。他の地域に気を払う余裕は流石になかった。

 ブライトは説明を続ける前に、自らのタブレットでクエストの内容を見せる。


「日本の星河市という地域を中心に、最低でも日本とその周辺数ヶ国が滅ぶ規模の大破壊が起こる、とのことです。にわかには信じ難いのですが……」

「これは、俺が出向く必要はあるのか?」


 アレクシスがこう言ったのは極限まで疲労していたからではない。リストには、クエストの難度や既に受注した人数も表示される。討伐難度SSに対して二百人ほどが受注をしている。世界の崩壊を防ぐには心許なく思える人数だが、中にはA級やS級も複数おり、今からアレクシスが出向いてもケリがついている可能性が高い。仮眠して戦闘力を回復する時間を考えればなおさらだ。


「ここを御覧ください」

「む……」


 ブライトが示したクエスト情報の更新履歴を見ると、難度は途中で修正されている。ほんの一時間ほど前にAからSSに跳ね上がっている。


「先に向かった団員も戦略を練り直している筈です」

「今なら間に合うっすよ!」


 簡単な任務だと思って出陣したら、現地での準備中にいきなり難易度が上がったことになる。平時なら引き返しても仕方のない上昇幅だった。難度AならA級騎士が数名いれば死傷者ゼロで攻略可能とされるくらいだが、これで難度SSに挑もうものならまず全滅する。


「だが二百人もいればどうにかなるだろう」

「連携が取れれば、その通りでしょう。ですが向かったのは三つの騎士団が中心で、三つとも別の派閥に分かれています。連中が牽制しあっている間に破滅が起こらないとも限りません」

「それにっすよ、危険度が何で上がったんだか原因が分からねぇんですから、もっと上がる可能性だって……あ」


 ちょうど更新通知が来たのを確認したトレイシーは、自分のタブレットをスワイプして情報を更新した。推定危険度は依然としてSSのままではあったが、詳しい危険度を示す数値が上がっていた。

 無言のままトレイシーが二人にそれを見せると、アレクシスは頷いた。


「分かった。向かおう」

「お供します!!」

「勝手にしろ。だが俺は少し休んでから行く。三時間は欲しい」

「ですが、あの……日本行きの門が使えるのはあと三十分ほどなのですが……」

「日本に行ってから休んじゃどうでしょうか」

「だから、お前たちは行きたければ先にいけ」


 門はいつでも使えるという訳ではない。地球の自転や公転、星の配置や気象の影響を受けて安定度が変化する。

 安定度が下がった状態の門を無理に使うと、体や持ち物が破損、変形、もしくは消失したり、最悪移動中に行方不明になる危険性がある。

 安定度が90%以上であれば事故は一万回に一回程度で、事故の内容も掠り傷程度で済む。

 これが80%になると事故は百回に一回、70%ではほぼ確実に何かの事故が起こる。それ以下では事故の内容が悪化していき、しまいには門に入れずに弾き飛ばされるようになる。


 今から三時間休むと門の安定度が70%程度にまで落ちてしまう。基本的に門の利用許可が降りるのは90%以上の時だけである。星河市に最も近い門が再度90%に戻るのは、今から十二時間後になる。他の門を経由したり飛行機などを使ったとしても門の再開を待つのと所要時間に大差はない。

 世界の危機が迫っているのに現地に充分な戦力がいない、などの緊急時であるか、爵位持ちの強権を持ってすれば規則を曲げて低安定度の門に入ること自体はできるが、流石に物理法則までは曲がってくれない。


 ブライトたちにしてみれば、70%の門に入るのは高速道路を時速五百キロで走れと言われているようなもので、良いと言われてもとても生き残れる気がしない。

 アレクシスが軽率とも思われる発言をしたのは、彼にしてみれば、70%は余裕で通過できる門であるからだ。

 以前は40%の門をむりやり通過したこともある。その時は全身の数カ所に重度の骨折を負い、折れた骨が複数の臓器に刺さり、挙げ句の果てに鋏剣も超空間の藻屑と消えていた。

 その時戦った魔獣ライオンは年に数人を食い殺す程度の低い驚異度の割に戦闘力はSランクで、手負いのアレクシスにとっては死闘となった。そこまでしたにもかかわらず、鋏剣を無くして素手で絞め殺した上に、目撃者も他になく、映像記録を取ることもしなかったのでポイントは得られなかった。むしろ医療施設の利用と鋏剣の再発行で消費した分、かなりの赤字であった。

 流石のアレクシスも反省し、それ以来はよほどのことがなければ60%以上の門を使おうと決めていた。その60%でもA級以下の魔術師には充分命取りなのだが。SS級の魔術師なら死ぬことはないが、普通は入りたくはない。壊れかけで常に煙を吐いている中古車に乗れと言われているようなものだ。絶対死なないとしても好き好んで入るべきものではない。


「ど、どうする?先に俺たちで情報収集と拠点の確保だけでも……」

「だけど万一他の連中に先を越されては……」

「何故わざわざ俺を行かせたがる」


 しつこく食い下がる二人にアレクシスは不快よりも疑問を覚えた。今から自分を担ぎ上げて日本に向かっても二人が得られるポイントはたかが知れている。自分の休息を待つよりは二人で先に向かったほうが、『おこぼれ』に預かれる可能性はまだある筈だった。その計算ができない新人だろうか、とまで考えた。

 ポイント効率の計算がアレクシスより苦手な者は、少なくとも爵位持ちには片手の指が余る程度しかいないのだが、そこは完全に棚に上げての発想だった。


「世界の危機だからというのもありますが……貴方にもっと上に行って頂きたいからです!」

「二位はまだしも一位の野郎にデカい顔させといていいんすか!」


 二位は世界の安定への使命感が感じられ、部下の団員たちの士気も高い。一方の一位は前述したような後ろ暗い手を使って今の地位に上がったという噂が絶えない食わせ者で、他所の騎士団員に対する態度も横柄、慕っているのは直属の部下たちばかりという有様だった。

 とは言え野郎呼ばわりはまずい。ブライトは一応周囲を見回したが、今は誰もいなかった。ほっと胸をなでおろして言葉を続ける。アレクシスは菓子パンと二杯目の茶を食べていた。


「剪定騎士団の一位と二位とは高潔なるキリングス公とウィード公のお二人で争われるべきです。腐敗した剪定騎士団をお二人を中心に正していただきたいのです!」

「三位程度で満足してないで一位を狙ってくださいよ!」

「馬鹿!程度とか言うな失礼だろ!」

「あ!申し訳ありません!」

「……三位?」


 口が空になったアレクシスがぽつり、と呟いた。


「も、申し訳ありません!コイツほんと馬鹿で……」

「俺のことか?」

「「え」」

「五位くらいだと思っていたが」

「いつのお話ですか!?」

「前々回の更新までのお話じゃないっすか!……ですか!」


 思わず付け焼き刃の敬語を忘れかけたトレイシーはタブレットで当時の写真を見せた。議場の前に張り出された議会メンバーの当時の最新序列表が写っていた。一年と少し前のものだった。

 剪定騎士団のポイントランキングは月ごとに更新されるが、爵位持ちの序列は下位の者は三ヶ月、議会メンバーは半年ごとに更新される。

 要するにアレクシスは最低でも一年は自分の序列をよく認識していなかったことになる。これはオリンピック選手が自分が一つだけ獲得したメダルの色を忘れるくらいあり得ないことだった。数年会っていない自分の子供の顔を忘れるほうが現実的なくらいだ。

「そうだ!一位取ってずっとその椅子をキープしてれば良いんですよ!そうすりゃ忘れません!」

「別に忘れても困ることは……」


 言いかけたアレクシスの脳裏に、先程見た序列更新の時期の記憶が蘇った。

 議場では序列によって席の位置が決まっている。序列の更新に伴って席替えが起こる訳だが、更新後の序列を失念したアレクシスは取り敢えずそれっぽい位置に着席した。その直後、議場整備の担当が名と序列の書かれた札を持ってきた。この担当の名誉のために言うと遅刻ではない。アレクシスが早すぎたのだ。彼が議会に来る時は遅刻ギリギリか誰よりも早いかのどちらかだったが、この時は後者だった。しかもここで言う誰よりもとは、整備担当よりもという意味である。

 既に持参した枕で熟睡していたアレクシスを起こさぬよう、担当は素早くそっと札を配置してすごすごと去っていき、二人目の議員が来る前に退出した。


 新五位が複雑な表情でアレクシスを起こしたのは議会開始五分前のことだった。


「……困ることはない」

「あったんですね」

「ない」

「失礼しました」


 アレクシスは席を立った。


「お待ちを!」

「どちらへ!」

「風呂だ」


 日本の脅威は気になるが、休まなければ今の自分では戦力にならない。A級魔獣の数匹程度ならすぐに捻る力は残っているが、S級魔獣相手には刺し違えそうなほど弱っている。早く城の薬草サウナに入ってから眠りたいというのが率直な気持ちだった。いや城まで歩くのも面倒だ。僅かに近い共同浴場でも良い。設備の質は半減するがこの際……。


「あら、目的地は日本ですのよ?」


 アレクシスの眼前に女の胸が現れた。いや、ふらふらと前傾姿勢で歩いていたせいだ。身を起こして剣を突き付ける。それを見ていた三人にもいつ抜いたのか分からない早業だった。本人も無意識だった。極度の眠気のせいだった。もう少し眠ければうっかり斬っていた。茶を飲んで眠気が和らいだ後だったのは幸いだった。

 

「誰だ?」

「時坂美春と申します」

「ちょうど良い。そっちの二人と先に行け」


 恐らく日本人だろうから現地案内には良いだろう。アレクシスはまた無意識に剣を収めると休憩所の出口に体を向け……また視界を胸に阻まれた。わざと突き出してはいないか?


「公に何の用だ」

「気をつけて下さい!コイツ外様とざまっす……ですよ!」


 ここで言う外様とは『他の組織から転向してきた』という意味である。外様と本部にいる東洋人はどちらも珍しく、あまつさえ妖艶な美貌も持ち合わせているので、この時坂美春という女は下手な爵位持ちより有名だった。本部には食べて寝るためと議会のためだけに来るアレクシスにとっては別だったが。

 美春は、首元が鎖骨が見えるほどにV字に開いた黒のカーディガンの下に黒のロングスカートを合わせ、その上から白のマフラーとベージュ色の厚手のコートを纏っている。カーディガンのボタンと、鎖骨と胸の間で緩やかに交差させた長いマフラーによって嫌味にならない程度に胸が強調されて見え、若い二人は警戒しつつも直視しづらかった。

 美春は二人に構わず話を続ける。


「アレクシス様。日本はこの北欧と並ぶ……温泉大国ですわよ」

「なんだと」

「件の星河市に近い温泉施設をいくつかピックアップしておきました。こちらなど貸し切りの岩盤浴が会って宜しいかと」

 

 美春はタブレットでカスタム地図を見せた。


「お前も現地に行ってから休めというのか」

「お城のお風呂には勿論及びませんが、たまには新鮮な施設も良いのではありませんか?日本はあまり向かわれたことはございませんでしょう?」

「ああ」


 ブライトは美春の言葉に疑問を抱いた。それを問い質そうとする寸前にトレイシーが動いた。


「待て待て待て!貴様何故それを知っている!」

「そうだトレイス!」

「公が日本にあまり行ったことがないことを!」

「そっちじゃない!」

「アレクシス様の行動はよく存じていますわ。それに存じ上げなかったとしても推測はできるわ。アレクシス様は、他の者が割に合わないからと放置しがちなクエストばかりを受注されているわね。しかしそういうクエストは勤勉な日本人が自分たちで早々にケリを付けてしまうのか、それとも地域性の問題か、ともかく日本ではあまり残らないのよ」

「そういうことだったのか」


 と呟いたのはアレクシス当人である。温泉大国日本の風呂にはクエストのついでに寄りたいと常々思ってはいたが、中々その機会が回ってこないことを不思議に思っていたが、ようやく納得がいった。

 彼は自分に『ついで』か、極度に疲労した時以外の娯楽を許していない。従って休暇で日本に行くだとか、そのうち誰かが受けそうな日本の任務を自分が先に受けるだとかいう発想は無いのだった。


「そうじゃない!何故公の行き先を知っているんだ。何時から聞いていた?」

「あと名前で呼ぶな!失礼だぞ!」

「そうだけど!ちょっと黙ってくれ」

「それは神殿に行けば分かるわ。貴方方も付いて来る?」

「付いて来るのはお前の方だ……じゃない!付いてくるな!」

「ん?公は何処へ?」

「いつの間に!?」

「今話している間に出られたわよ?」


 二人が休憩所から出るとアレクシスは既に門の神殿へととんぼ返りしつつあった。慌てて二人はそれを追う。


「お待ち下さい!」

「俺たちも参ります!」

「あら、忘れ物があるわよ」

「あっ!」


 休憩所に置いたままの大きなリュックに気付き、二人はさらに慌てて取りに戻る。その間に美春は旅行カートを押して先に行ってしまった。二人が再度休憩所を出ると、三十メートルは先の美春が振り返ってくすりと微笑んだ。


「置いていくわよ?」

「ま、待て!」

「取ってくれりゃ良いだろ!ずるいぞ!」


――――――――――――――――――――――――――――――


 アレクシスにとっては二十分ぶり、ブライトたちにとっては二週間ぶりの門の神殿内部。天井は高いところでは百メートル以上にもなる石造りの広大な空間である。

 遠目には仏教などの石窟寺院を彷彿とさせる装飾や複雑な構造物もあるが、よく見れば仏教どころか有名な世界宗教のどれにもあまり似ていない。同じく有名な魔術のモチーフも殆ど見られない。

 誰がいつ作ったのか、考古学に造詣のあるブライトには興味を惹かれるところであったが、剪定騎士団内部では門と神殿の状態という実用面に問題がなければ由来にはあまり関心が無いというのが大勢で、歴史学・考古学的調査はあまり行われてはいなかった。

 下位団員では内部に入るだけでも面倒な手続きが必要で、調査となると爵位持ちですらさらに面倒な手続きと一年単位以上の根回しが必要と思われた。『思われた』というのは、実際に実用面以外での大規模調査が行われたのは過去数百年でも、片手の指が余る程度の回数しか無かったらしいからである。

 何しろ調査中は一部の門を封鎖かそれに近い状態に置くことになる。各方面からの反発は必至だった。

 ブライトが出世を目指す理由の一つはこの神殿の本格調査でもあった。興味からだけではない。このような無数の門を擁する古代の建造物は世界的にも殆どなく、それを調べることでこの神殿の製作者たちがどうなったのかを解き明かし、未知の脅威にも対処できるのではないかと期待しているからでもある。



 世界中に繋がる数十の門は、どれも神殿内の関所を最低でも二箇所以上の通って向かう作りになっている。だが爵位持ち、特に議席持ちであれば一声掛けるだけでほぼ素通りできる。幸い直属の部下でないブライトたち三人もアレクシスの権威の恩恵に預かれた。

 星河市行きの最後の関所を通り、門の前に来た。黒く、しかし輪郭は白く光っている日食を彷彿とさせる球体、これが門である。

 その前で一人の男が門を守るように悠然と立っていた。


「第二位……!?」

「ウィード公?……何故こちらに?」

「俺が門当番だからだ」


 トレイシーたちの驚きに平然と答えたのは、剪定騎士団第二位。

 『神斬り』ラグナ・ウィード。

 身長二メートル近い大男で、背負う大剣は刃渡り部分だけで一メートルを超す。片側だけの鋏を模した大剣である。これを羽ペンのごとく軽く細やかに、防風を巻き起こす速度と破壊力で振るうラグナは、個人戦闘力でアレクシスを上回るとされ、剪定騎士団最強の呼び声も高かった。

 そして門当番とは、巫女の神殿と並ぶ最重要拠点であるこの門の神殿を守る当番の俗称である。最強の男であっても……いやだからこそこの任務は免れない。実際は、小騎士団の概ね一・二団が合同で担当することになっているだけで、小騎士団長まで番に加わる必要は全く無いのだが、ラグナは可能な限り担当中は神殿にいるようにする生真面目な男として知られていた。

 だがそれにしても……。


「あの、失礼ですが何故ピンポイントでこの門の前に、という意味でして」

「俺にいられては困るのか」

「いえ、そんなことは!」

「キリングス、例の日本のSS級任務へ彼らを連れて行くのか」


 自分で振った問いへの反応を無視してラグナは尋ねた。アレクシスは若干鬱陶しげに返した。

 

「知らん。付いてきた」

「そ、そんな殺生な!」

「邪魔なら置いていってはどうだ」

「何を仰るのですか!」

「邪魔かどうかは分からん」

「キリングス公……!」

「邪魔なら向こうに置いていく」

「キリングス公……」


 アレクシスとブライトたちのやり取りを見ていたラグナの口元が微かに緩んだのを美春は見逃さなかった。


「時坂、苦労するだろうがめげるなよ」

「いえ、予定より楽しそうですわ」

「時坂……あんたは、いや貴女はウィード騎士団の?」

「いいえ、少し良くしていただいただけよ」


 ブライトの問いに美春は妖しく微笑んだ。ラグナは少しげんなりとしてぼやく。


「妙な言い回しはやめろ。『仲介』しただけだ。先を越されたようだが」

「先を……もしや」

「どういうことだブライト?」

「ええ。私も貴方たち二人と同じよ。キリングス騎士団に入れていただくつもりで来たら、貴方たちに先手を取られたの」


 美春は苦笑し、アレクシスは顔を顰めた。


「そんな騎士団はない」

「ですから!結成しましょう!」

「そうです!改革と革命を!」

「革命は語弊が出るわよ?」

「お前たち……俺に騎士団を作らせたかったのか?」

「「お気付きでなかったのですか!?」」


 男二人は絶望的な表情であんぐりと口を開き、美春は不敬にも全身で笑いを堪え、ラグナの額には青筋が一つ浮かんだ。

 実際、ブライトたちは『キリングス騎士団を作って下さい』とも、そこに入れて下さいとも確かに一言も言っていない。

 だが普通なら話の流れで分かりそうなものだ。


「騎士団など邪魔なだけだ。実際一人で何とかなっている」

「なっとらんわ!!!」

「うわぁ!」

「お待ち下さい第二位!!」


 ラグナは背の大剣に手を伸ばした。慌てて男二人が止めに入る。門の神殿内で防衛戦闘以外での武器使用は固く禁じられている。ましてや門の前だ。


「貴様、毎回毎回ウチの経理を借りておいてどうしてそんな口を叩ける」

「お前が勝手に貸してくるだけだ」

「キリングス公!」


 ブライトが悲鳴を上げた。


「貴様、毎回毎回ポイント精算を適当に済ませて……今まで期限切れで何ポイント失効させた?」

「知らん。どうでもいい」

「公!!」


 トレイシーが悲鳴を上げた。


「貴様、そうやって失効させたポイントを加算していれば今頃第何位になっていると思う」

「四位か?」

「「公!!!」」


 二人の悲鳴が重なった。


「………下がる訳があるか!!!どう少なく見積もってお前が真の第二位だ馬鹿者!!」

「冗談だ」

「こ……ふふふ……ふっ……痛っ……」


 笑いを堪え過ぎた美春の腹筋が限界に達した。回復魔法を掛け始める。


「むしろ一位の可能性もあるわ!どうせ現一位は多少なり粉飾しているだろうからなぁ!!」

「「ウィード公!!」」


 その憶測は当たっているのかも知れないが、門の神殿には今、ウィード騎士団以外もいる筈だ。余計な発言はまずい。


「な、なるほど。そこまで……フフ……おおらかで……いらしたとは。それで先程までご自分の……」

「待て」


 美春の次の言葉を察したアレクシスは少し顔色を変えて発言を制したが遅かった。


「……今の序列を五位くらいと、勘違いされていたのですね。納得くく……ですわ」

「なんで言うんだ時坂ぁっ!!?」

「聞いてたのか外様ぁっ!!!?」


 怒鳴りつける二人だが、その時点で美春の発言を肯定してしまったことに気が付いた。だがもう遅かった。

 『神斬り』が大剣を抜いた。


「ほぉう」

「ま、待った!お待ち下さい!まずいですよ!」

「ど、どうかストップ!!」

「急ぐぞ。門ごと斬られる」

「門ごと!?あ……」


 アレクシスは脱兎のごとく門へと飛び込んだ。


「え、あ、ちょ!」

「行きましょ?……フフフフッ」


 腹を擦りながら美春も駆けていく。仕方なく、ブライトとトレイシーも続いた。


「お待ち下さい!」

「ま、待って下さい!」 


 呆れ返りながら大剣を収めるラグナ・ウィードの口角は僅かに上がっていた。


「キリングースッ!『何も得ず』戻ってきたらその時こそ叩き切ってくれるから心しておけっ!!」


 景色が歪む門内の異空間にすらよく響いたその声に、ブライトたちは震え上がり、美春はくすくすと笑い、アレクシス・キリングスはただ走る速度を早めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る