1. 一日目・昼:百合山恭哉の日常
―明日香の戦いの半日前―
「なあ、百合山」
「なんだい」
「いい加減教えて欲しいんだけどさ、結局それ、何を見てるんだ?」
望遠鏡を覗き込む少年、
二人がいる屋上は普段は立入禁止で、掃除当番を除けば天文部などがたまに使うだけだが、入学早々に教師の信頼を得た恭哉は立入りと合鍵作成の許可を貰っていた。
以来数ヶ月、週の半分は屋上で隼志と二人きりで昼食を取っている。
それがこの一月ほど、昼食後に恭哉が望遠鏡を覗き込むようになっていた。隼志は当然何を見ているのか尋ねたが、恭哉ははぐらかすばかりだった。
まさか恭哉に限って女子の着替えを覗いたりなどはしていないだろうと放置していたが、最近は以前にもまして熱中しすぎていた。
前は五限の十分前には撤収していたのだが、予鈴を過ぎても動かないことがこの一週間で三度あった。隼志が声を掛けて体を揺すってようやく気付く始末だった。今、すんなりと返事があったのは休憩して空を見上げているタイミングだったからだ。
「それは……百合の花が開こうとするところさ」
「百合ぃ?」
今は十月下旬。野外で百合が咲く季節ではない。まあ恭哉が百合と言ったら、例え百合の咲く花壇の間近での発言でさえ、別の意味を指すのは明らかなのだが。
「ちょっと見ていいか?」
「一分だけだよ?」
隼志は、不承不承といった雰囲気を隠しもしない友人から望遠鏡を借りる。覗き込んでピントを合わせると、見知った顔が映った。
「あれは……雪町と……え、灰園さんか?」
同じ学年の灰園明日香と
物静かと言っても無口ではなく、二人共朔夜と話したことはある。資料本の貸し借りをしたり互いの作品を読んで感想を言ったりとそれなりには話す仲だった。それは文芸部員にとっての必要最低限の会話とも言えなくはなかったが。
「アイツ、あんなふうに笑うんだな」
朔夜たちは、食事を取りながら何やら楽しげに談笑している。流石に会話内容は読み取れないが冗談などを言い合っているようにも見える雰囲気だ。朔夜がいつも見せる笑顔は、何処か強張った作りものに見えていたが、比べると今はごく自然な笑顔に見える。
「ああ、もう結婚まで秒読みだね」
「お前の秒読みって何十万秒前から始まんの?」
「何事も早過ぎるってことはないよ」
「秒読みはせめて百秒切ってからだろ。それでいつだ?」
「式の日取り?」
「仮にそれが知りたかったとして、どうしてお前に聞くんだよ。いつからああなのかってことだよ」
「正確には分からないけど、夏休みの前後じゃないかな」
隼志も恭哉も、明日香や朔夜が友人と一緒にいるところを見たことがない。
夏休み明けに二人が今のように談笑していたのを、たまたま通りががりに目撃した恭哉はその場で仰天して腰を抜かした。
起き上がるのに二度失敗した後、思わず二度見どころか三度見して二人に気付かれると、泣きながらその場を走り去った。
転んだのが恥ずかしかった訳ではない。感涙だった。
「出来れば、二人が恋に落ちる瞬間を見届けたかった……!」
「それを言うなら友達になった瞬間じゃねぇの?」
百合。
それは女性同士の恋愛に対する俗称である。
恭哉は二人の関係性がそれだと捉えていた。
………だが隼志が見る限りでは、二人の関係はどう見ても友人である。万一恋に落ちるとしてもこれからだ。そういう意味では恭哉の望みもまだ叶う可能性はあるとも言える……のかも知れない。
いやどうかな。
ともあれ、準志が見ても美しい光景には違いない。覗き続けていると、背中から声が掛かった。
「そろそろ返しなさいよ」
「ああ。………あれ?」
望遠鏡の前から退いたところで、隼志は違和感に気づいた。望遠鏡は校舎の北を向いているが、望遠鏡に写っていた風景は思えば西側のそれだった。
困惑を上手く言語化出来ずに身振り手振りで示すと、恭哉が察して答えた。
「ああ、灰園さんは勘が良いからね。直接覗くと気付かれるから、壁や木に貼った鏡四枚を中継してるんだよ」
「そこまでする!?」
「直接覗き見たら、犯罪みたいじゃないか」
「直接見るよりヤバくね?」
望遠鏡などで他人を覗き見るのが犯罪になるのかは微妙なところだ。
室内を覗き見たり、無断で撮影や録画をしたら法に触れるだろうが、今は普通に屋外にいる二人を、特に撮影などせずに見ているだけではある。少なくとも肉眼で短時間なら、見てもまず許される範囲ではある。
隼志からすると鏡を仕掛けて何日も継続的に見ているのは、どうにも法に触れそうに思われるが、恭哉のほうは鏡を噛ませることで距離を多く取っているので、犯罪性が薄れていると解釈しているらしい。
「そうかなぁ。まあ気付かれたら潔く……」
「謝るんだよな?」
「切腹するけど」
「そんな覚悟重いんなら最初からすんな」
とはいえ共犯になってしまった以上、迂闊な行動は出来ない。知りませんでしたと言えば、実際知らなかった訳であるし言い逃れ出来そうなものだが、社会的信用は残念ながら恭哉のほうが高い。恭哉が何もせずとも何故か隼志が主犯認定される恐れが大だ。取り敢えず放置するしかない。
「ところでさ……」
「分かってるよ。読んだよ、新作」
再び望遠鏡を覗き始めた恭哉は、その姿勢のまま答えた。
文芸部に所属している二人は、毎月数百字から数千字程度の作品を最低一・二本は執筆している。
ただ、ここでいう新作は文芸部用の作品ではなく、小説サイトに公開している趣味の作品だった。昨夜隼志が投稿したのは、小説原作から最近アニメ化もした『世界魔法少女戦モモカ』の二次創作で、原作で死んでいくキャラが生き残る、いわゆる『生存if』などと呼ばれるタイプの作品だった。
「モモカを庇って死んだカンフー魔法少女シャオ・リーを、まさかブードゥー魔法少女サンディ・バロネスが落としたステッキのコアを使って助けるとか完全に盲点だったよ!どうしてそう原作の間隙を突くのが上手いんだ君は!しかもシャオを殺した当の
感極まった恭哉は望遠鏡から離れた。目を押さえた右手の隙間から涙が溢れている。望遠鏡が覗けなくなったので仕方なく離れたようだ。
「落ち着け!!原作は『そう』ならないようにしたからだろ!褒め過ぎだ!あと『しかも』が多すぎる!」
「どうしてくれるのよ!今度原作見たら、『どうしてああならなかった』って悲しみが二倍になるじゃないのさ!二倍だよ二倍!悲しみで涙が枯れ果てた僕の目がパッサパサだよ、隼ちゃん!!」
恭哉は凄絶な泣き顔の横に、『二倍』の意味で指を二本立てた。
涙を流しながらピースサインをしている面白い光景にも見えて吹き出し掛けたが、何とか堪えた。そんな雰囲気ではない。二次創作とは言え自分の作品でこんなに感情を動かしてくれているのだ。勢い余ってか、名前で呼ぶ段階を飛ばして家族と同じ
「どうしてくれるんだよ!畜生殺してやる!ありがとうございます!」
「どっちなんだよ!……まあ、ありがとうな。あ、あとこの前の一次創作の方は」
「あれはない」
ぱた、と泣き止んだ恭哉は涙を拭いながら真顔でそっけなく返した。
隼志が先週末に投稿したオリジナルのハーレム系バトルラブコメは既に四十万字を超えるシリーズものであるが、こちらは恭哉の趣味ではなかった。そもそも男中心ハーレムの時点で彼には地雷だった。対戦車地雷だった。隼志の作品でなければ金を積まれても読むまい。
「どうしてそう反応の差が極端なんだよ……」
「星の差いくつだっけ?」
「言うなよ」
ここで言う星とは読者からの応援ポイントのことだ。
具体的な数字は避けるが、四十万字のハーレムラブコメが二年で稼いだ星の一割を、三万字の百合二次創作が半日で稼いでいた。
過去作の傾向から考えて、恐らく二週間以内には後者が上回るだろう。恭哉の反応が極端なのは確かだが、隼志の作品は百合二次創作ばかりが人気なのは客観的な事実でもあった。
恭哉が彼の月間100万PVの百合作品紹介ブログでこちらだけを応援・宣伝している影響もあるのだが、それを差し引いても評価は低い。
何しろハ―レム小説の閲覧数は星の少なさの割には悪くない。百合のほうから読者が流れているのは明らかだった。客層の違いを考慮してもなお純粋にオリジナルの力が弱かった。
「なんでオリジナルだとダメなんだろうな」
「さあ。百合で書いてみたら?」
恭哉はそっけなく返した。本当はいくつか指摘できる点もあったが、百合に専念して欲しいのでわざわざ言いはしない。
「オリジナルだと百合がうまく書けないんだよな」
「別に良いでしょうよ。僕なんか二次も一次もロクに上手くいかないんだからさ」
「お前のは男へのヘイト創作になっちゃてるんだって、俺も先輩たちも毎回言ってるよね?」
「しょうがないでしょうが。男は存在するだけで罪なんだから」
「……百合作品内に限った話だよな?それにしても歪んでるけど」
恭哉も隼志と同じサイトに作品を投稿してはいるが、閲覧数も星も彼に大きく劣っていた。閲覧数に対する評価度で言えば、隼志のハーレム小説よりよっぽど酷い。
恭哉の作品は言うまでもなく百合作品で、主に一次創作を中心にしていた。
しかし女性同士の美しく切ない恋愛模様を描こうとしている努力……痕跡は見られるものの、男への罵倒が無駄に多い。
確かに百合作品に男を出すと読者受けが悪くなる場合が多い。特に女性カップルに割り込もうとする男などはやられ役や当て馬として出てくるだけでも嫌だという意見も多い。だが恭哉のそれは極端に過ぎた。
「四月くらいに書いてたオリジナルの短編だったか?……五百字くらい掛けてイチャイチャしてた二人が、いきなり昔付き合ってた男への罵倒を始めて三千字くらい使ったりとか」
「筆が乗っちゃって……でも汚い男と綺麗な女性の比較は必要でしょ?」
「十万字くらいの小説ならギリギリ有りだったかもな。でもアレ全部で五千字ちょっとだったろ。全体の六割!イチャイチャの六倍!そんだけ男ヘイトで埋めてたら、最早百合じゃねぇんだよ!ただの男へのヘイトスピーチ!」
「ヘ、ヘイトスピーチ……?」
「不思議そうな顔すんな!」
隼志は深く息を吐いた。なまじ恭哉は地頭が良く文章力も高い。その筆力を持って男嫌いを強烈にアピールしてしまうことで、逆に作品全体の質を下げてしまっているのだ。書きたくもないものに文面を割いてどうする。
「それを指摘した後で五月に書いた奴はもっと酷かったな……改良しろよ」
「したよ。わざわざ男出したじゃないのよ」
「アレ、出したっていうのか?今度は全文の五千字丸々使って、入浴中の百合カップルの可愛い会話書いてたなぁ、と感心してたら……最後の最後で二人で元カレの死体を解体してる最中だったって何だよ!百合じゃなくてホラーだよ!」
「百合ホラーってジャンルもあるし……二人の初めての共同作業だよ」
恭哉は心外そうにきょとん、と言ってのけた。
「あんな悍まじいケーキカットがあるか!それに百合ホラーってその……アレだ、そうじゃねぇだろ……。妙に刃物だの血だの言うなぁとは思ってたけど、巧みな描写力で女性特有の……生……アレかと誤解させるミスリードしやがって!」
「男のそういう目線がいやらしいんだよね……」
「書いたお前が言うな」
「恭ちゃん」
「で、だ。更にそれを受けて六月に書いた奴は男は出てこなかったな」
「うん」
「ていうか絶滅してたな」
「ああ!」
「得意げに言うなよ」
設定上、男が存在する筈なのに作中に全く出てこない作品は割とある。それを揶揄して『男が絶滅した世界』などと呼ぶことがあるが、本当に絶滅している例は少ない。単純に、舞台設定を考えるのが厄介だからだ。
やるなら男抜きでどうやって社会体制を維持しているのかまで考察し、それを話の根幹に持ってくるほどの覚悟が必要だろう。
ところがこの百合山恭哉という男、百合に挟まろうとする男を生まれる前に消し去りたいが為だけに、冒頭一行でこの設定を押し通しそれ以上の説明を省いた。一歩間違えればギャグになりかねない力技だがそれはこの際どうでも良い。
なんかもう些事だ。
「せっかく力技で男を絶滅させたのにさ……ちゃんと女の子の会話とかは良かったけどさ……」
「でしょう?」
「冒頭で地の文が四千字くらい掛けて男へのヘイト撒き散らしてるんじゃねーよ!」
「え、でも全体で一万字くらいだったよね?」
「改良したみたいに言うな。ヘイト以前に作中に出てこない存在の説明に尺を割くなよ!全体の四割も!二行くらいで済ませろよ!」
「恭ちゃん」
例えるなら野球漫画の冒頭でさんざんサッカーを罵倒した上で、本編にはサッカーが影も形も出てこないくらい意味不明だ。
「いない者の話はよせ!」
「それ言いたかっただけだよね」
「……うん」
隼志は目を逸らした。何がとは言わないが、文芸部員は00年代や90年代以前の作品もそれなりに読んでいる。
「ツッコミの最中にボケないでよね」
「ツッコまれてる、つまり間違ってる自覚はあるんだな」
「人にツッコミをされただけで間違いになるなら世の中言った者勝ちじゃないのよ。割とそうだけどさ」
「恭ちゃん!」
「嫌なこと言うなよ……ともかくさ、お前は男憎しでせっかくの素材を台無しにしてるんだよ……俺も先輩たちもいつも言ってるけど全然直りゃしねぇしさ……」
「そんなこと言われてもさぁ……」
「恭ちゃんってば!」
「うぉっ!?」
背後からの声に隼志はギョッとして振り向く。
恭哉のほうは仕方無し、といった風で望遠鏡から離れる。
「さっきからどうしたのさ、あかり姉さん」
「気付いてたんなら返事してよ……」
「したよ?」
「あれ?そう……だったかしら。ゴメンね」
「気にしないでいいよ。嘘だから」
「なぁんだ……って酷い!?」
二人の後ろにいたのは長い黒髪に赤いフレームの
「わざわざこんなところまでどうしたのさ」
「そもそも屋上を私物化してるのもどうなのかしら」
「(鍵の)許可は貰ってるよ?」
「そうだったかしら……あれ?紺野くん、まだいたの?」
「まだ!?」
美少女からのあんまりな暴言に隼志は衝撃を受け、恭哉は苦笑した。
「姉さん、別に人払いしてないでしょう」
「またまたぁ。何度も騙されないわよ」
「いや、俺出てけって言われてないですから」
「友達まで使ってからかわないでよぉ」
「使ってないよ。本当だって。録音してた会話聴く?」
「嘘……!?」
これは会話を録音されていたことへの驚きではない。
それは今更だ。去年の春頃には睡眠の質を管理するといって、寝息を二週間も勝手に録音されていたこともあった。その時は自分の為にしてくれたことなので良しとして、その後二週間分の録音の継続も許可した。
いや良しとするな。
「とにかく、僕と二人で話したいってことで良いのかな?」
「何で分かったの!?」
「何で分からないと思ったすんか会長さん!?ア……」
『アホなんすか?』と言いかけた隼志は両手で口を抑えてしゃがみ込んだ。前に似た状況で恭哉に無理心中を図られた強烈な記憶がフラッシュバックしたのだ。
それで正解だった。
恭哉をちらりと見ると、体こそあかりに向けているが手元では何か尖ったものを投擲せんとする構えを見せていた。隼志の目線に気付くと、その何かは引っ込められた。
ちなみに前回の時に、何故自分まで死のうとするのかと聞いたら、『君の(百合)作品を読めない世界でダラダラと生きていても仕方がないでしょうが!』と愛の告白じみたキレ方をされたのが鮮烈な印象を残している。
じゃあ殺そうとしないで欲しい。
「僕に姉さんのことで分からないことなんて、深層意識の中くらいだよ」
「う、うん……」
つまり表層意識までは手に取るように分かるという意味だが、前に現在の体温や前日の総歩数、髪の毛の歩数を即答したこともある義弟の発言だ。おそらく本当なのだろう。いや、その数値が正解だったのかなど自分でも知る由もないのだが。
「てことだから悪いけど」
「ああ、先行っとくぜ。遅れんなよ」
「ごめんなさいね」
隼志は特に事情を聞くでもなく、ドアを開けて屋上を降りていった。休みは残り十五分。恭哉が進学と同時に家を出てからは二人が一緒に居られる時間は随分減った筈なので、少しでも二人きりにさせてやろうという判断だ。
その辺にいる微妙な仲の姉弟ならまだしも、二人は客観的に見て(重度の)ブラコンとシスコンであるし、少なくともあかりのほうはそれ以上の感情を抱えているように隼志には見えていた。
百合山恭哉という男は『男が女性と結ばれることで、百合カップルが生まれる可能性が一つ消える』ことを嫌うが、ここでいう『男』には自分も含まれる。これが他の男ならばわざわざ交際の邪魔まではしないのだが、自分が女性と結ばれることだけは徹底的に拒否していた。
隼志が把握しているだけでも、高校に入ってから交際を断った回数は両手足の指で足りない筈だ。交際だけなら好みの問題もあるので良いが、女性と一対一での遊びや同席すら拒絶する始末だ。男女混合でさえ滅多に無い。
そんな恭哉に唯一拒絶されずに近付けるのがこの義姉だった。多少世間体は悪いかも知れないが、いっそあかりが頑張って恭哉と結ばれてくれれば、と隼志は密かに願っていた。
そんな気遣いと思惑を半分しか気付かない二人は、隼志の姿が消えて数秒ほどして会話を再開した。
「それであかり姉さん、何の用?」
「ええとね……町の大爆発に協力して!」
「………テロの相談かな?」
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