銀雪の灰色庭園〈アッシュガーデン〉
ヴォイド
1話:迫る戦乱の影~死蝶少女と百合少年
0. 一日目・夜:死蝶の使い手
闇夜の草原に黒衣の少女が立つ。
膝丈のワンピースの上に羽織ったコートと、短く揃った黒髪を夜風が揺らす。
秋にしては生ぬるい風に乗った死臭が少女の鼻をむわり、と突く。
少女、
彼女を取り囲む人型の四十体の影は人間ではない。
人間だった、ものだ。
人間を一度分解した上で無理に人型に再構成した醜悪な怪物。身長は二~三メートル。元の人の頭の名残が胸に、手が肩に、足が腰という具合の出鱈目な配置は、一体ごとに別のパターンになっている。
怪物たちを生み出した男は下卑た笑いを浮かべながら、一団の後ろで怪物が担ぐ玉座めいた座椅子に腰掛けていた。近くの別荘地の一つから持ち出したものだ。
今風のワイシャツやジーンズの上に羽織った毛皮のコートも同じく持ち出し品だが、下の服とは色や柄、品質がミスマッチを起こしている。下卑た笑みと相まって男の軽薄さを引き立てるだけであった。
明日香は握りしめた鞭の先端を地面に伸ばす。その醜悪な表情を見据え、毅然として口を開いた。
「最後の警告です。『彼ら』を解放して投降してください」
「いいぜ?お姉ちゃんが一枚一枚服を脱いで全裸になって見せてくれるってんなら考えてやるよ?」
「投降してください。貴方に対しては抹殺を優先するよう依頼されています……!」
「んー。無理やりされる方が好きかぁ?」
軽口を無視しての必死の訴えにも男には聞く耳が無い。
―――――――――――――――――――――――――――
男は半月ほど前まではただの大学生だった。
明日香のように代々続く魔術師の家ではなく、一般人が突如魔術の才に目覚めた『覚醒者』と呼ばれる存在だった。
彼らは平均的な魔術師よりも強力なことが多いが、何しろ力の使い方や隠し方を教育されていないので、能力を濫用して保護機関にすぐ発見されることが多い。
力を悪用する者も珍しくはないが、この男のように半月で無差別に数十名を犠牲にするのは特別凶悪な部類である。
男は周囲の気に入らない人間を殺害した後、この関東のとある小さな別荘地を襲撃した。管理人や宿泊者を殺害して怪物に変えると、ここを拠点として近くの町や村の人間を攫い、使役ないし陵辱、または怪物の材料とした。
魔術の隠匿と悪用の防止を旨とする魔術師たちも黙って見ていた訳ではないが、人員不足から初動対応が遅れた。
しかも男は賢かった。大学やバイト先での凶行の時点では、まだ振る舞いが軽率で痕跡の隠蔽も雑だったが、魔術師の捜査の手が迫る頃には慎重になり姿を消した。後から考えると、力の扱いに慣れて余裕が出来ると共に冷静になり、魔力の抑え方や気配の消し方をおそらく直感で覚えたのだと思われた。
探知魔術でもぱったりと気配を追えなくなり、次に気配を捉えたのが二日前の夜のこと。オフシーズンで別荘地の宿泊者が少なかったことと、男による拉致行為の被害者・約三十名が攫われた地点が半径数十キロの広範囲に及んでいたのが、一週間以上も足取りを捉えさせなかった原因であった。
そして今朝。周囲を封鎖した上で男の捕縛作戦が行われた。
直接男と戦った前線部隊の構成は、A級魔術師二名、B級四名、C級六名。
これは敵をA級上位かS級下位と想定した人員配置だった。敵が例えS級上位でも犠牲を出さずに討伐できるよう余裕を持たせた配置であり、非魔術師相手であれば国軍の二個小隊(百名前後)を正面から倒せるほどの戦力でもある。
それが一人も残らず全滅した。男は既にS級の一つ上、SS級に成長しており、生み出した怪物の数も五十体を超えていたのだった。
―――――――――――――――――――――――――――
これを受けて派遣されたのが、男と同じSS級の灰園明日香だった。
彼女が男のアジトを訪れると、男はすんなりと出てきた上でこの草原への移動を提案してきた。別荘地をなるべく破壊したくないのは明日香も同意するところだったので、敢えて言われるままに男の先導で近くの草原に同行して今に至る。
「今朝の連中の後で、しかも一人で来たってことはよ、お姉ちゃん強いんだろ?」
「投降はしてくれないようですね」
「でも、俺も結構強いんだぜ?」
「仮に、私を倒せたとしても貴方に未来はありません。貴方を倒すまでもっと強い人が派遣されてくるだけです」
「……」
男の笑みが強張った。先遣隊から魔術師について引き出せた情報はごく僅か。全世界の魔術師の総数も、自分の強さがその中でどの位置なのかも知る由がない。
「多分、倒せないとは思いますが」
「気に入らねぇなぁ。可愛がってやろうかと思ったが、止めだ。お前がぐちゃぐちゃになるところを彼氏とか親に動画で送ってやるよ。……やれ」
『ァァァオオォォ……』
五、六体づつの集団が六つ、奇妙な唸りと共に明日香めがけて突進していく。
速度はおよそ時速六十キロ。常人ではとても逃げ切れなかっただろう。犠牲者のことを想いながら最初の一団に鞭を振るうのと同時、明日香の足元が揺れた。
地面を割って現れた怪物たちの手が、足首に掴み掛かる。
そして灰となった。
「んだと!?……なっ!?」
男の驚愕は二度続いた。完全に決まった筈の奇襲を防がれたばかりか、突進した一団も鞭の一閃で瞬時に灰となってボロボロと崩れ落ちた。
地面からは予め隠しておいた怪物たちが次々に現れ、続く疾走集団と交互に襲いかかるが、無意味だった。
明日香が一度鞭を振る度、密集隊形の怪物たちは数匹づつ灰となり、十秒と経たずに二十体が消えた。地面からの奇襲も完全に先を読まれている。むしろ出てこいと言わんばかりに怪物が潜む地点に跳んでいく始末で、着地直後の隙と見えたものさえも囮だった。
明日香が来た時点で怪物の数は合計八十弱。その半数を草原の地中に隠していた。
男は『新手』が来たら、最悪逃げるふりをしてでもこの草原に誘導するつもりだった。それが自分から素直に付いてきた時はしめたものものだと思ったが、こうも容易く蹴散らされたのは予想外だった。
朝の連中は二十体も倒せずに全滅したというのに……!
だがまだ策はあった。
「下がれ!」
言葉と共に魔力の波が放たれる。怪物たちへの指示だ。明日香には内容の解読は出来なかったが、意図はすぐに分かった。
怪物たちが明日香への包囲を解いて男を護るように陣形を変えていく。今度は二・三体を一団とし、集団ごとの間隔も広く開けている。
明日香はこれも敢えて何もせずに見守った。この陣形相手では一振りで倒せる数は半減するが、それでも一分で全滅させる予定が二分になっただけだ。
この男は邪悪だが、それが分からない馬鹿ではない筈だ。そうでなければ先遣隊が一人も逃げられずに全滅する筈がない。男の力が想定外だったとはいえ、一人や二人は撤退は出来ていい戦力差だった。よほど巧妙に立ち回られたのだろう。
『ァァァオァァァァ……』
今度は一体づつ時間をずらして突進してくる。
男の意図を測りかねつつも、明日香はなるべく二体以上を同時に倒せるように戦場を駆けて鞭を振るう。五体目を灰にした瞬間、鞭を振り抜いた右肩目掛けて『砲撃』が飛んできた。身を屈めて躱すと同時に左足を軸に回転し、新手を灰にする。
立ち上がろうとしたところへ、全方位から八枚の刃が同時に飛来する。体捌きで躱すと刃が追尾してくる。半数が一直線に並んだ瞬間、鞭を振るって破壊すると、残る四枚が追加のもう四枚と共に再び襲ってくる。
包囲されまいとする明日香が左へ向かう動きを見せると、行く先に砲撃が着弾した。
だがこれは明日香の読み通り。爆風を利用して逆方向へ跳躍すると、背後に迫っていた刃の間を縫って飛び、刃三枚を破壊し、怪物四体を灰にして着地する。
怪物の陣の間隙の四十メートルほど先、玉座を降りた男が二つの武器を持っているのが見えた。
左手に持つのはアリエスロッド。先端が砲状になった杖で、初級者から上級者まで扱える汎用性の高さが売りだ。催眠や幻惑などの基本的な魔術が一通り扱えるが、これは魔術師同士ではまず効かないので警戒の必要はない。むしろ先端から固有魔法を出せるのが問題だった。
男の能力、固有魔法は手で人体に触れることで発動するらしい。それが杖の先端で触れることでも同じ効果が得られる、ということだ。男がこの機能に気づいているかどうかは不明だが、警戒せねばならない。砲撃にまでこの効果は付与できない筈だが、どの道ダメージにはなるので避けるに越したことはない。
そして右手に持つのはサターンソード。西洋風の両手剣だが、剣に入ったカッターナイフのような切れ込み線で分割させて、無数の刃を宙に飛ばして攻撃できる。
どちらも先遣部隊が使用していた武器のリストの中にあったものだ。しかしロッドはまだしもソードは玄人向きの武器で、普通は使いこなすのに数ヶ月は掛かる。半日程度で、怪物やロッド砲撃とこうも連携させてくるのは驚嘆すべき才能ではある。後で報告書を読んだ者は、男が悪に染まらないでくれていればとさぞ嘆くことだろう。
「どうだこいつは!?」
今度は砲撃と同時に十枚の刃が放たれた。ソードが制御できる刃は一度に十二枚だが、失った分は予備を使えば補充できる。先遣隊は百枚ほど持っていた筈なので、しばらく『刃切れ』はない。
明日香は鞭の一振りで、刃の五枚を砕き怪物一体を灰にした。残りの刃と次の怪物を迎撃しようとしたところへ砲撃がやってくる。砲撃は頭上で拡散して明日香の足元を狙った。これも短時間で覚えられる技ではない。明日香は心中の驚きを感じさせない、ただの無造作な八歩の前進でこれを回避した。
「舐めるな!」
十二枚の刃と拡散弾が同時に降り注ぐ。今度の弾は一つ一つが先程までの砲撃と同じ大きさだった。怪物も五体動時に殺到してくる。明日香は二体の怪物を灰にすると、返す鞭で刃を迎撃する。
生き物のように動く鞭が、全身の五箇所に二枚づつ迫る刃を、頭、右肩、左肩、左腰、背中と順に弾き飛ばして、続く弾幕にぶち当てる。
次いで足元に迫る二枚を蹴り壊して跳び、瞬く間に怪物三体と弾丸を処理する。
だが最後の弾だけは破壊される寸前に分裂して、明日香を包囲し……細かく動かした鞭で全て弾かれた。
(追尾弾……!)
男が続けて放った砲撃は明日香の頭上で炸裂し、細かい雨のような弾となって振り注ぐ。怪物十体と新たな十二枚の刃も同時だ。
明日香は弾を最小の動きで躱しながら、怪物と刃を処理していく。だが、今度の弾は最初から明日香を追尾してくる。
動じずに怪物の周りを急旋回すると、その動きに巻き取られるかのように弾が一塊になる。そこを怪物を灰にした鞭でまとめて破壊した。続けてうなじに迫っていた刃をすっと躱すと、これを鞭で強く弾き、はるか後ろの男のロッドを破壊した。
「うおっ!?……っのアマァッ!」
ロッドを打ち捨てると男は新たに持ち替えた銃を発砲した。明日香は危うけなぐ実弾を消し去る。男は次々武器を持ち替えて攻撃し、明日香はそれをいなしつつ怪物を確実に減らしていく。
―五分後。
怪物は残り十体となり、草原のそこかしこに小クレーターと灰の塊だけが無数に残されていた。男が持つ武器は三本目のアリエスロッド。背後にはまだ武器があるが、遠隔攻撃できるものはもう無いらしい。ロッド一本を両手で持っているのが証拠だ。これが正しい持ち方ではあるのだが。
男まで十メートルにまで迫った明日香が五分ぶりに口を開いた。
「もう一度言います。投降、して下さい」
「女の……分際でぇ……馬鹿にっ……すんじゃ、ねぇ!!」
先ほどと同じ調子で冷静に言葉を紡ぐ明日香に対し、男の息は上がっていた。さんざん走り回っていた明日香に対し、男はその場を殆ど動いていないのに、である。魔力を使うのにも体力は要るが、魔力を使っていたのは明日香も同じこと。いたくプライドが傷つけられた。
明日香が一気に間合いを詰めるべく、姿勢を落とす。
「やれっ!」
残る怪物は六体が前に出て、四体がその後ろに並び、更に背後の男を護る陣形となっていた。
合図を受け、前列両脇の二体がそれぞれ炎弾と雷撃を放つ。
回避しようとした明日香の足首を、なんと足元の草が動いて締め付けに掛かる!
だが足首に触れるが早いか草は灰となり、明日香は攻撃を跳んで躱す。
着地しようとした先の地面が漣の如く蠢き、明日香の足を掬おうとする。明日香は宙を……いや宙にある何かを蹴ってこれを躱した。
「何だと!?」
(ここまでやるなんて……!)
不意打ちを完全に捌いたはずの明日香の方も驚愕していた。
炎弾と雷撃、植物操作、地面の流動化、いずれも犠牲になった先遣隊の得意とする魔術だった。既に材料にした魔術師の能力を怪物に反映させられるようになっている。
……万に一つ自分が取り込まれたら、最早SS級魔術師では歯が立たなくなる!
警戒レベルを一気に上げた明日香に、男と怪物が無数の攻撃を同時に放つ。
拡散弾、追尾弾、衝撃波、炎弾、雷弾、氷礫、風の刃が四方八方から少女を襲う。これに一拍遅れて、後列中央の怪物二体の足元で爆風が起きた。身体強化魔術による跳躍の衝撃だ。大岩のような肉塊がロケットのごとく飛ぶ。
明日香は低く構え、鞭を四度振るう。空を裂く音と共に弾幕が消滅した。鞭の軌跡に引きずり込まれたかのような動きだった。
そこへ二体の怪物が肉薄する。左からは組み合わせた拳の振り下ろし、右からはアッパーが迫る。既に鞭を振り抜くには距離が近すぎる。
明日香はただ、くるりと一回転半周る。弾幕と二体の突進で起きた風。その流れに乗るように、怪物が自ら避けたかのように二体の隙間に入り込み、怪物の腰にそっと両手を当てた。
二体が静止するより早く、残る八体の中央へ跳ぶと、着地の衝撃で鞭を振るい、
二体の灰が地面に落ちるより早く男のロッドを縦に切り裂いた。
「は……?」
「本当に、最後の警告です。降伏、して下さい」
そのまま男に振り下ろされるかと思われた鞭は、地面に向けてそっと降ろされた。明日香の背後で八体の怪物が灰となって崩れていく。
男の軍団は全滅した。
伏兵が隠れていなければ、の話だが、それはもう無いだろうと明日香は判断した。
「降伏……ッ!」
男は急に目の前の少女が何か巨大なもののように感じられた。いや実際、少女の顔をずいぶんと上の位置に感じる。当たり前だ。知らぬ前に地面にへたり込んでいた。
いや、地面の上ではない。尻の下に硬いものが無数にある。
「わ、分かった!降伏する!た、助けてくれ!」
「本当ですか」
「あ、あああ!本当だ……よっ!」
地面すれすれを薙ぐ男の一撃を、明日香はぴょんと跳んで躱した。男が咄嗟に拾った武器は全長が男の身長ほどもある戦闘槌だった。
メテオハンマー、樽ほどもあるヘッド部分の片側が魔力ブースターになっており、超音速の打撃を繰り出せる。SS級の魔力で振るえば、戦車の装甲をも容易く粉砕できるが、当たらなければ意味はない。男は灰にされた魔術師怪物の塊に突っ込んでいた。
「痛ってぇな!……で、避けたつもりかテメェ?甘ぇんだよ。避けさせてやったんだ!」
あんな破れかぶれが通じるとは流石に思ってはいなかった。躱される前提で作戦を立てた。
灰にされた怪物たちをよく観察すれば『燃え残り』が随分と残っていた。それで充分だった。最初は人体を怪物に変えるだけだった能力は徐々に成長し、今では動植物どころから有機物であれば土すら材料に出来る。土だけでは無理だが、半分以上が生体材料なら残りが土でも問題ない。
拉致した人間の倍以上の数の怪物を用意できたのもそういう訳である。今度は魔術師の死体を一纏めにした巨大な怪物にするべく、灰の塊に手を突っ込んだ。
「見やがれ、コイツが俺の!」
いや、突っ込もうとしたが出来なかった。
両手は既になかった。
「は?」
ゆっくりと迫る少女。その背後にハンマーを握ったままの二本の手が落ちているのが見えた。恐る恐る傷口を見る。焼け焦げていて血は出ていないが……何度見ても両手がない。
「あ、あ、ぎゃあああああ!!痛っ痛い痛い痛い!痛!!!!!」
傷口を見て始めて脳が痛みを認識した。いや、錯覚である。
まだ手首の方は切られた事に気がついていない。脳だけが状況を認識して起きた幻肢痛の一種であった。
「答えて下さい」
「ぎゃあっ!」
「怪物にされた人はこれで全部ですか?人質はあの家にいた人で全部ですか?」
鞭の先端が顔の横の地面を貫き、男が我に返ると明日香が尋ねた。
「や、止めろ!人質は他にもいる!俺の軍団も側にいるぞ!それに俺を殺したら化け物は元に戻せなくなるぞ!」
「そうですか……」
「そうだ!テメェはまだ助けられる人間を百人も殺したんだよ!人殺し!!!」
「残念です」
それは男の言葉を真に受けての言葉ではなかった。質問も情報を聞き出す為のものではなく、本当に本当の最後の降伏勧告だった。
明日香が男を連れ出すと同時に、アジト内の怪物は『遠隔攻撃』で全滅させた。こちらの戦いの間に後援部隊が人質の生き残りを全員救助したという連絡は耳に付けたインカムで受けている。事前・事後の調査で怪物はもういないだろうことも看破済みだ。
何より、犠牲者は怪物化した時点でもう完全に死んでいるのも分かっている。
明日香が鞭を強く振るう。その軌跡に黒い蝶が二十匹ほど現れた。
黒い羽に赤い模様。続いて振るうと同じように現れる。
「あ……」
これが怪物たちを灰にし、少女が空中で足場にもしたモノだと気づいた時には手遅れだった。百を超える死が男を包み込む。燃え残り一つ無い、綺麗な灰だけがサラサラと地面に落ちた。
―――――――――――――――――――――――――――
「貴女の『手』にしては燃え残りが多いとは思いましたが」
「……せめて遺骨と遺品を少しでも回収できるようにと」
戦闘の終了後、白い防護服を着た後処理班の女性が明日香に状況の聞き取りを行っていた。
明日香の死蝶は、本来なら燃え残りなどなく一瞬で敵を完全に灰にする危険な代物である。戦域の包囲の目的も、男や怪物を逃さない為が半分だったが、明日香の死蝶を万に一つも外に出さない為でもあった。
男相手にはこの出力を加減していた。そもそも初手で大量の蝶を出して、男と怪物を瞬殺することも出来たが、敢えてやらなかった。男の能力が短期間で目覚ましく成長していたからた。
明日香や上が危惧していたのは、既に『怪物が怪物を増やすこと』や『男が死んでも怪物が消滅しないこと』が出来るようになっている可能性だった。
少しづつ追い詰めることで、隠している伏兵や奥の手があれば全て出させる。そうしてから倒すことで後顧の憂いを立つことにしていた。
「お手間をお掛けして……すみません」
「いえ」
処理班の女性が深く頭を下げる。まるで彼女に何か落ち度があったかのような雰囲気だが、それはおかしい。彼女の班が今回の件に関わるのが今が初めての筈だ。そう考えたところで明日香は彼女の涙に気付き、そして思い出した。
「あの、二年前ほどにお会いしましたよね?確か十月三十一日の……」
「え?」
その件には覚えがあった。彼女の担当地域で明日香のようなSS級が出動する事件は年に一・二件あるかどうかだ。とはいえ言われてようやく思い出せるレベルの普通の案件だった。少なくとも今回ほど凄惨な事態ではなかった。
何よりその時は彼女は明日香と話すどころか接触してもいなかった。思い出せないのも無理はない。
「あの時、友人の方と何か話されていましたよね」
「あ……ああー!……お、お恥ずかしいところを」
女性は思わず額を片手で抑えた。別にサボっていたつもりはないが、友人との作業中の雑談が盛り上がって上司に怒られた覚えがある。十六、いや当時は十四歳の少女に戦わせておいて大人があれでは、と恥じるほかない。
「勘違いだったらすみません。もしかして今回の件で……」
「……はい。先遣隊に参加していました」
「やっぱり、そうでしたか。残念です……」
怪物の一体の中にその友人の面影を見ていた、と明日香が気付いたのは、聞き取りの最中に当時の二人を思い出したからだが、流石に残酷なので言わないでおく。明日香が気付いた理由に思いを馳せれば分かってしまいそうだ、と焦ったのは発言した後だった。後悔したが既に遅い。気付かれないことを祈るしかない。
「ええ。前から後処理より直接魔法犯罪者と戦いたいと言っていて……今回が、初めての実戦だったんです。それが……」
「……」
目元を片手で完全に覆ってしまった女性に明日香は何も言えずにいた。
明日香の元へ討伐依頼が来たのは全てが終わった後なので謝るのも違うとは思うが、一度会った程度の関係で慰めるのも軽率に思われた。いや、軽率と言うのなら何故犠牲になった女性のことを指摘してしまったのか。
迷う明日香に、涙を拭った女性が話し掛ける。
「よく、一度会っただけの私たちのことを覚えていましたね」
「それは……あの時のお二人が……そう、とても楽しそうで……」
話しながら明日香は二人のことを覚えていて、それを指摘してしまった理由にようやく気付いた。明日香の記憶力は確かに魔術師の基準でも高い方ではあるが、すれ違った人間全てを覚えているほどではない。覚えるにはそれなりの理由がある。
「私も、あんな風に友達と笑い合いたいと、そう思ってしまったんです」
「『思って、しまった』……?」
「はい」
「思っては、いけないんですか?」
「……いけない、というより資格が無いんだと思っていました」
「……今も、そう思っているんですか?」
「分かりません」
明日香は目を伏せた。
「誰か、友達が出来たんですか?」
「……はい」
それは喜ばしいことの筈だ。だと言うのに、巨悪を倒したばかりの少女は、強力な魔術師の少女からは、色が失われ今にも消えて無くなりそうな程にか細く見えた。
女性は友人を襲った悲劇のこともひとまず横に置き、半ば無意識に少女の肩に触れた。消え入りそうな少女をこの世に繋ぎ止めようとするかのように。
「その……事情は分かりませんが、その友達のことを……友達との時間を大事にしてくださいね」
「ありがとう、ございます」
女性の顔を見つめ返した明日香の表情には、少しだけ色が戻ったように見えた。
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