第232話:スタンピード⑫
人型で背中に翼を生やした魔獣、ハーピィ。
女性を模しているのだが、その瞳は深紅に染まり、鋭い爪で肉を抉り、そして捕食する。
厄介なのは空を自由に動き回れることと、その速度にある。
低空飛行で迫るハーピィの速度は、アルがブリジットに追い付くよりも明らかに速かった。
「ならば──
まだ距離はあるものの、アルは素早くアルディソードを振り抜いて飛ぶ斬撃を放つ。
ハーピィの爪がブリジットを捉える直前、疾風飛斬に気づいたのか、飛び上がり回避されてしまう。
だが、これはアルの予定通りの行動だった。
戦場だと言えば当たり前だが、無理やり連れてこられただろう女の子に魔獣の血を浴びせることを嫌ったのだ。
「逃げるぞ!」
「えっ?」
突然現れたアルに、ブリジットは何が起きているのか理解できないでいる。
しかし、自分が助かったことだけは理解できたのか立ち上がろうと力を込めたのだが──
「……た、立てま、せん。力が、入りません!」
腰を抜かしていたのだろう。ブリジットは震える腕に力を込めようとするが、どうしても動かない。
「仕方ない、ここを動くなよ!」
『キシャアアアアアアッ!』
食事を邪魔されたからか、ハーピィは憤怒の表情で上空からアルを睨み付けている。
制空権はこちらにあるのだから有利は変わらないと、ハーピィは思っているだろう。
しかし、剣士であるのと同時に、アルは魔法師でもある。
離れた相手であっても、上空にいる相手であっても、やりようはいくらでもあった。
「撃ち抜け──ファイアボルト」
『ギジャアアアアッ!!』
最速の魔法が、上空を旋回するハーピィの翼を捉えた。
きりもみ回転しながら落ちてきたハーピィへ駆け出したアルは、アルディソードを一閃──その首を落とした。
濡れた刀身を振り抜いて血を飛ばし、鞘に納める。
その光景を口を開けたまま見つめていたブリジットは、声を掛けられるまで動けずにいた。
「大丈夫か?」
「あ……は、はい」
「君の名前は? どうしてこんなところに?」
事情を把握しているものの、全てを見ていたとは言えずに知らないふりをする。
「わ、私は、ブリジット・フットザール。ここには、スタンピードを起こした魔獣の、討伐に……」
そこまで口にして、ブリジットは黙り込んでしまう。
それも仕方がないとアルは思う。自分の意思で来たわけではないのだから。
「……とりあえず、ここは危険です。一度戻って安全な場所に避難しましょう」
「ですが、それでは私は、お父様が戻られた時に、またお仕置きを!」
恐怖に塗り固められた瞳が、アルの腕を掴んだブリジットを震えさせている。
(こんな小さな女の子に、アンナと変わらない年頃の女の子に、恐怖を植え付けるか、ジルストス!)
表情には出さなくとも、その怒りは沸々と沸き上がってくる。
どこで爆発するか分からないと冷静に分析し、アルはブリジットを抱き抱えると移動を開始した。
「えっ!? あの、その!?」
「そういえば、名前を言ってなかったな。俺はアル・ノワール。ノワール家の三男だ」
「……アル様」
「様付けはいらないよ。どちらかと言えば、俺の方がブリジット様と呼ばなければならない立場だしな」
「そ、そんな! 私なんて、その……忌み子、ですから」
「……忌み子?」
話には聞こえていたが、アルにはその理由がさっぱり分からなかった。
だが、アルが繰り返すように呟くと、ブリジットの体に力が入るのが分かり、追及はしないことにした。
「言いたくなければいいんだ。まずは、安全を確保しよう」
「……私は、平民のお母様から生まれました。だから、忌み子と呼ばれています」
「……そうか。だが、俺の母上も平民の出だから、気にはならないけどな」
「そ、そうなのですか?」
「あぁ。有名な話だと思っていたが、知らないんだな。ノワール家当主の妻が、光属性レベル5持ちの平民、ラミアン・ノワールだって話」
この話をアルはエミリアから聞かされていた。
当時はレオンがレベルの高い平民を無理やり妻にしたと、ノワール家を目の敵にしている貴族から嫌がらせがあったのだとか。
実際はお互いに惹かれ合って婚姻を結んでいるので、気にしていなかったようだが。
「す、すみません。その、私は、家の中でしか暮らしていなかったので、何も知らなくて」
「……いや、いいんだ。気にしないでくれ」
平民の腹から生まれた子だからと、その存在すら隠されていたブリジット。
そして、その事実に気づいたアルは、ブリジットを誰に預けるかを即座に決めていた。
「だったら、会ってみるか?」
「えっ?」
「平民から貴族家の妻になった俺の母上、ラミアン・ノワールに」
そして、アルは山から下りると、すぐに左側の陣営へ駆け出していった。
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