障害
山道を、一台の荷馬車が走る。
ガタガタと車体を震わせる馬車は、山奥を目指していた。
「おい! トト! ちょっとは、手伝えよ」
御者席に座る青年が、不満気な声を漏らす。
荷台では、トトと呼ばれた少女が横になっていた。青年、リリの言葉も素知らぬふりで、大きな欠伸をする。
「聞いてんのか、トト」
「あー聞いてるよー。あれでしょ。お姉ちゃんの役に立ちたいから、村まで、僕が馬車を引かせて下さいってことでしょ。いやー働き者の弟を持って私は幸せ者だなー」
「そんなこと言ってねぇ!」
それでも指一つ動かす気のない姉に、働く意思がないことが分かっている弟。リリは多きな溜息を吐いて、手綱を握り直した。
現在、二人が向かっているのは、山頂に連なる村、マウル。
村民の多くは、牧畜などで生計を立てている。人口も村の規模も小さく、取り立てて観光名所もないため、この村へ来る者も滅多にいない。周辺も山々に覆われていることから、移動手段が限られているのも、理由の一つだ。
「なーんで、こんな山奥まで行かなきゃなんないのかね」
「仕事だ、仕事。わかったら手伝え。馬鹿姉貴」
それだけ言うと、リリは意識を集中させる。
トトは、聞いているのかいないのか。その眼は、ぼんやりと上を見つめていた。そして小さく、瞬きをした。
しばらく馬車に揺られていると、御者席から聞こえてくる舌打ちに、トトは眉間を寄せる。
「リリ。うるさい。眠れないじゃん」
「うるせぇ。お前の代わりに馬引いてやってるんだから、文句言うな」
「そりゃどーも」
ゴロンと荷台で、寝返りを打つトト。しかし、リリの舌打ちが収まる気配はなく、「どうなってんだ、分っかんねぇ」等といった独り言も増えていく。
「ねえ、リリ」
「なんだよ」
トトが荷台から御者席に顔を覗かせると、弟が地図とにらめっこをしている最中だった。
「もしかして、道わかんないの?」
姉の一言に青年は声を上げる。
「そんなこと、あ、あるわけねぇだろ!」
しかし、彼の手元にはいくつもの地図が広げられ、手汗でぐしゃぐしゃになっている。
滅多に人が行かない場所であるから更新されている地図も少なく、似通っている山道多いため道に迷ってしまったのだろう。
リリは頑なに、それを認めず、未だ視線を地図へとさまよわせていた。
弟を無視して、視線を道の前方へ向ける。その先に見える黒い塊に、トトは気づいた。
「ちょうどいいじゃん。あれに教えてもらおうよ」
「あれ?」
トトが指さす方向へ、リリが視線を向ける。
目を凝らしてよく見ると、その正体にリリの顔が引きつった。
「おい、トト」
「何」
「あれ、山賊じゃねぇか!」
馬車を取り囲むようにして見えてくる黒い塊は、近年この山々を荒らしている山賊だった。人数は20人前後、大人もいれば子供もいる。
各々剣や弓を握って、馬車の積み荷に狙いを定めた。
「荷を寄越せ! それは俺たちのモンだ!」
集団の中心、リーダーであろう男が叫ぶ。男の合図と同時に、賊が一斉に荷馬車めがけて向かってくる。リリは動じず、手綱を握る手に、力を込めた。
「あんまり、派手にやるんじゃねえぞ」
「分かってるって」
トトは、山賊に向かって腕を伸ばす。
手には、ウサギの形を模した人形が握られていた。
「マリオネット・ローグ。星駆けるウサギ」
トトが発した言葉と同時に、手の中にある人形が発光する。
光が収束すると、ウサギの人形は白と黒の模様が入ったうさぎへと、姿を現した。首に星の首飾りがつけ、キュウキュウと鳴きながら空を駆ける。
「ステラ。その賊たち、やっちゃって」
ステラと呼ばれたウサギはトトの声に反応し、山賊たちへ向かっていく。
その動きはまさに、流れ星の様で、目に見えぬ速さで山賊たちの間を縫って、彼らを次々と圧倒していく。
馬車の周囲には、多くの人間が死屍累々と、人間の道を作っていた。
「さて、一丁上がり。ありがとね、ステラ」
腕の中へとステラを招き入れたトトは、小さな頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細め、うさぎは再び人形へと戻っていった。
「相変わらず、仕事が早いことで」
「まあ。それが実力ですから」
胸を張るトトとは反対に、リリはため息を吐いた。
その視線は、道の前方へと向けられている。
「つーか。これじゃあ、道も聞けないどころか、通れないんですけど」
「あ」
ステラが倒した山賊たちは、これから馬車が、通らなければならない道に散らばっていた。賊たちは、起き上がる気配もなく、避けて通ることもできない。
沈黙が二人の間に流れる。
先に沈黙を破ったのは、トトだった。
「一人くらいなんとか叩き起こせば、道もスピード上げなきゃ死にはしないって……」
「トト!」
「分かってるよ」
弟の説教を、右から左に聞き流す。どうしたものかと考えるトトに、忍び寄る小さな影。主は、小さな体躯に似合わない大ぶりなナイフを構え、荷馬車の裏でじっと潜めている。
流れる風に乗って、甘い香りが少女の鼻腔をくすぐった。どこかに花畑でもあるのだろうか。
少女は二人が自分の存在に気づいていないことを確信すると、目深にフードを被り直した。きつくナイフを握りしめ、地面を蹴る。
「積み荷を、寄越せ!」
トトに目掛けてフードを被った少女は、突進した。震える手で、ナイフを振り回す。
しかし、その切っ先は相手の体に到達することはなかった。
「え」
ナイフを持った少女の体が、まるで地に縫い付けられたように動かない。
どんなに手足を動かそうとも声を上げようとも、幼い体は言うことを聞かず、ただ眼前の二人を見つめているだけだった。
辛うじて自由を与えられた両目を動かしてみると、刃を向けたトトではなく……隣にいるリリの傍らに、いつの間にか少女が立っていた。
雪のような白い肌に、熟れたリンゴのような赤い唇。憐みのような目で少女は少女を見下ろしていた。
「ったく、面倒ごとは嫌いだっての」
声のする方へ顔を上げれば、ルビーのような赤い瞳と目が合った。すると、少女は消え失せ、存在すらも残すことはなかった。
「で、アンタ何? さっきの賊の生き残り?」
トトの問いかけよりも先に、少女は声を上げた。
悲鳴のような声に、思わず眉間にしわが寄る。少女は、後ずさった。全身の毛が嫌というほど、総毛立つ。震える唇をなんとか動かして、口を開いた。
「ば、化け物……」
少女の叫びに、姉はクスクス喉を震わせる。
「化け物だってさ」
「どこがだよ」
ニヤリと口角を上げるトトに対して、忌々し気に呟くリリ。姉弟の背後には、人形たちがいた。
物や生物、大小さまざまな人形が彼らを通して、少女を睨む。その中にはさっき見たウサギや少女も含まれていた。
無機質で、感情のない瞳が震える彼女を映し出す。
「私たちは、ただの人形師なのにね」
トトが放った一言が、木々を震わせた。
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