閑話:悪意の置き土産

  崩れ落ちる麗菜を、床に倒れ伏す前に章が抱きとめる。


 「ふぅ。思ったより手をかけさせられたわね。見た目と違って、案外お転婆さんなのかしら?」


 意識を失った麗菜の頬を、慈しむように撫でる。女の無線が着信を知らせたのは、そんな時だった。


 「こちらジャン。どうかされましたか中校ちゅうこう。定時連絡はまだ先だと認識しておりますが、なにかトラブルでも?」


麗菜の身を丁寧に横たえたあと、女は通信に応じる。


 『章か。各隊員の進捗を確認するためのものだ。いやなに、優秀な貴官であれば何も心配などしていないが、部下の動向を事細かに把握するのも総隊長の務めだからな。煩わしいかもしれないが、そこは飲んでくれ』


 今回の作戦の指揮官、そして女にとって表向きの上官である、チュセオからだった。野太い声が鼓膜に届いた途端、女は辟易とした様子で眉根を寄せる。

 定時連絡以外での周からの連絡を、女はこの日何度も受けていた。部下の行動や状況を把握するためと本人は言うが、この頻繁な連絡を他の部下は受けていないことも、周が抱く下心も、女にとってはすでに分かり切ったことであった。


 「わずらわしいなどとんでもございません。優れた将ほど手駒の動きの掌握に腐心するものです。それに……」


 自身の抱く苛立ちを表すことなく、女は涼やかな声で応じる。


 『……それに、なんだ?』


 意味ありげに途切れた台詞に、周が反応する。


 「こうして中校の御声をお聞かせいただくだけで、小官は……わたくしは、もう……」


 恥じらう乙女のように、その言葉は奥ゆかしく先細る。だが表情は他者見下すような薄ら笑いを浮かべている。声音だけとはいえ本心に思ってもないことを演じ切るという点では、女は相当な役者と言えるだろう。

 女の真意など理解できるはずもない周は、取ってつけたように重く咳払いを落とす。


 『貴官の、より一層の励みを、期待する』


 然も気にしていないとばかりに端的な言葉が返ってくるが、その厳格な声音が取ってつけた飾りであるということは、女でなくとも誰もが理解できるくらいの粗末な演技だった。


 「ちょうどご報告するところでした。現時刻を以て燃料の確保、完了致しました」


 『よくやった。流石の手際だ。現地協力者は始末したか?』


 「抜かりなく。息子共々、排除しました」


 『結構。では速やかに合流地点に向かえ。すでに巨号鬼ジーハオグェイの形成は済んでいる。燃料が到着し次第、起動に移るぞ』


 「了解です。直ちに向かいます」


 『それから、当該地域一帯はすでに結界を発動している。は忘れていないだろうな』


 「お気遣い痛み入ります。問題ありません」


 『……』


 「周中校?」


 突如訪れた沈黙に、女は訝し気に問い返す。


 『貴官は合流地点まで、“飛空フライング”の魔法を使ってくるのだったな』


 「はい、そう予定しております」


 『風属性を得意とする者でも、飛空を使いこなせるのはごく限られた魔導士のみだ。貴官は本当に、優秀な魔導士なのだな……』


 声音に波はなかったが、その言葉に周の苛立ちを読み取った女は、一層表情を不愉快そうに歪める。


 「我が身には過分なお褒めのお言葉、大変痛み入ります」


 舌打ちが漏れ出てもおかしくなかったが、女はすぐに穏やかに返す。


 「ですがそれは、わたくしの最適属性がたまたま風であったというだけです。中校の最適属性が土であるからこそ、今回の屍儡シーロエおよび巨号鬼ジーハオグェイの開発が為せたのです。もし中校の最適属性が風、あるいは無であったのなら、わたくしのような非才が使う魔法など、いとも容易く駆使なされることでしょう」


 『……そうだな、無いものねだりというやつか。だがしかし、貴官もそう謙るものではない。過ぎたる謙遜は最早嫌味になる。もっと己の技量の高さを自覚し、相応の自負を持たねばならぬ』


 明らかに晴れやかになった声は、女の答えが正解であったことを示していた。


 「肝に銘じます。それではまた後ほど」


 『うむ。くりぐれも油断せず慎重に――』


 周の言葉を最後まで聞くことなく、女は通信を終了させた。そして右足で地面を小さく踏み鳴らす。


 「ああもう腹が立つ……! 任務とはいえあんな無能で器の小さい男の下に就かなきゃいけないなんて……!」


 周が機嫌を損ねた理由は、その度量の狭さ故だった。ジャン凛華リンファチュセオの家系、周家の傍流に位置する魔導士となっている。そのような魔導士が自身の扱えない高度な魔法を操ることに、周家歴代最高を自称する男は嫉妬交じりの怒りを示したのだ。


 演技とはいえそんな小物の配下に甘んじているという事実が、女の怒りを逆撫でていた。


 『駄目だよ姉さん。そんなに怒ってたら、せっかくの美人さんが台無しだよ?』


 無線からもたらされた声に、女は荒っぽく息を吐く。


 「メリー。いくら回線が暗号化されているからって、むやみにかけてこないで。ていうか、何でわたしが怒っているの分かるのよ。あなた今、合流地点に向かっているところでしょ?」


 『うん。今は他の隊員のおじさんが運転するトラックに紛れて、合流地点に移動してるとこ。多分姉さんなら、今頃あの太っちょのおじさんに腹立てているところかなーって思って』


 あっけらかんとした声を聞き、女が肩の力を抜く。


 「ええその通り。すごいわねメリー、あなたはわたしのこと、なんでもお見通しなのね」


 『当然だよ、ボクは姉さんのこと大好きなんだから!』


 「ええ、わたしも大好きよメリー」


 無邪気な声に解されたように、女は小さく苦笑いを漏らした。』


 『そういえば姉さん見た? あのおじさんがネットに出した、犯行声明』


 「見たわよ。見た瞬間吹き出しそうになったけど」


 『だよねー。分かっていたことだけど、あのおじさん頭とっても悪いんじゃないの? あの文章だとボクらじゃなくて、中大連だーって思う人のほうが多いんじゃない?』


 「わたしたちがいつもやってる文言にすればいいのに、自己顕示欲をこじらせちゃってもう始末に負えないわ。

 ま、どうでもいいけどね。今回の作戦が失敗したとしても、わたしたちは先生から与えられた任務を果たせばいいだけだもの」


 『そうだね。あ、姉さん。もう雨降り始めてるから、濡れて風邪ひかないようにね』


 「ああもう、飛空フライングだけじゃなくて気流操作魔法インビジブル・オペレートも並行して使わなきゃ駄目ね、めんどくさい」


 『やっぱすごいや姉さんは。のに、そんなに難しい風魔法いっぱい使えて』


 「ありがと。わたしもそろそろ移動しなきゃいけないから、切るわね。またあとで」


 『うん。またあとで』


 メリーとの通信では慈悲深さすら感じさせる穏やかな調子だったが、女の貌は再び残忍な笑みを浮かべる。


 「っと、この子たちを生かして残すんだったら、顔見られちゃ不味いわね」


 そう言って女は黒塗りのフェイスマスクを被り、目元をアーミーゴーグルで隠す。


 そうして歩き出す女の行く先は、魔法で拘束され続けている二人の兄妹。目隠しと猿轡をされている二人を嬉しそうに眺めたあと。


 「今から目隠しとか外すけど、大声出したり、わたしの言うこと聞かなかったら、どうなるか分かるわよね?」


 甘ったるい声音をかけられた二人は、身を強張らせることしかできない。女はゆっくりと、二人の目隠しと猿轡を解除する。


 「ひっ……!」


 「あ……!」


 視界を取り戻した陽人と由美は、真っ先に事切れた婦警とその子を捉えて悲鳴をあげかける。悲鳴が小さかったのは女の脅しが効いているからか、凄惨な光景に喉が凍てついたからか。


 怯えるように見上げる二人の視線を受け止め、女はニタリといやらしく微笑む。


 「あなたたちは本当はここで死んじゃうはずだったんだけど、あのお姉ちゃんのお蔭で生き延びられるのよ。感謝しなさい?」


 そうして女は、倒れ伏す麗菜へと指差す。


 「れいなおねえさん!」


 「おねえちゃん……!」


 「今からきみたち二人には、わたしからのおつかいを頼まれてもらうわ。嫌なら結構よ、無傷で逃してあげる。その代わりあのお姉ちゃんが、ここで血まみれになっている人たちみたいな目に遭うかもしれないけど」


 年端もいかない兄妹に対し、女は容赦なく決断を迫る。


 「……な、なにをすれば、いいんですか」


 怯えて震える兄妹のうち、陽人がか細い声で問う。女の足下で幼い少年が蹲り、それでも懸命に勇気を振り絞る。その姿を見た女はマスクの下で、嗜虐に満ちた笑みを形作った。











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