第十三話:遭遇③ ~その女、嘆きを振り撒く者。他者の絶望に喜悦を求める者~
無人のバックヤードを進む影が二つ。並んで歩いているのではなく、少女が先導してもう一人が続く形だ。
麗菜の背後には婦警がピタリとついている。その右手には拳銃が握られており、銃口を麗菜の背中に突き付けている。
手足の感覚さえ覚束ない中、銃口が背中に押し当てられている感触だけが、生々しく麗菜に伝わる。
緊張と恐怖に支配された精神では、抵抗を試みる気力など生まれるはずもなく。
麗菜はただ、婦警に言われるがまま足を運ぶしかなかった。
そうして指示されるまま辿り着いたのは、開けた空間。様々な商品や資材が積まれた倉庫のようなその場所に、麗菜が見る限りでは他の人影は居ない。換気扇などの無機質な機械音が小さく聞こえてくるのみだ。
それ故に、女の言葉は麗菜の耳に余計に大きく聞こえた。
「はーい、ご苦労さまでした」
場にそぐわない能天気な声が上がる。
麗菜たちから5メートルほど離れた物陰から静かに、声の主が姿を現す。
女は黒いミリタリースーツに身を包んでいる。スーツは全身を覆っており肌の露出はないが、使用者の動きを極限まで優先するためか張り付くように体にフィットしており、女の体躯が
対して頭部はマスクやヘルメットを被ることなく素顔を晒している。アジア系の顔立ちは清楚に整っており、並の女優やモデルなど容易に霞んでしまうほどの美貌だ。
しかしながら瞳は妖しく揺らめいており、底が見えない。
血のように紅い唇は、肌の白さとのコントラストで一層色濃く映える。
「その
流暢な日本語で、女が名乗りを果たす。
右手を頬に添えて、穏やかに微笑む章。しなやかな所作も相まって美貌がさらに際立つが、浮かべる笑みは言い知れない影を孕んでおり、向けられた麗菜は寒気を覚える。
「御託はいい。早くあの子を返して。あの子は無事なんでしょうね」
麗菜の背後から婦警が言う。振り向けないため麗菜には表情が見えないが、声は硬く強張っている。
「もちろん分かっているわ。でもそんなに焦らなくてもいいじゃない、ちゃんと約束は――」
章が微笑みを崩さずに述べる途中で、婦警は力任せに麗菜を引き寄せる。
「きゃっ!」
小さな悲鳴を上げる麗菜。それに反応せず婦警は左腕を麗菜の首に回し、拳銃を麗菜の頭部に押し当てる。
「ひっ……!」
超至近距離に凶器を突きつけられ、麗菜は為すすべなく身を震わせるのみだ。
「あの子を返しなさい! じゃなきゃこの娘の頭、今すぐ吹っ飛ばすわよ!」
麗菜からは婦警の表情は見えない。だが血気盛んにがなり立てる声に反して、コメカミに当てられている銃口が、弱々しく震えていることに麗菜は気付いた。
――震えてる? なんで? それにあの子って……。
婦警が引鉄をひくだけで、麗菜の命はあっけなく奪われてしまう。そんな極限状態の中、麗菜は恐怖とは別に、婦警の反応――そしてその言葉に含まれている単語に疑問を抱く。
婦警の突発的な行動に驚いた様子を見せず。にこやかな表情を崩さぬまま。
「あなたのことは尊敬しているわ。夫は不倫相手と共に行方をくらませて養育費を踏み倒すような屑男に成り下がり、それでも女手一つで息子を育てる母親としての強さ。女の盛りである20代を子育てと仕事に捧げて、今なお自身を犠牲にし続ける献身的な姿勢。子を持たない身だけど、同じ女として深く敬意を表します」
そうして章は
「だからこそ、なりふり構わず必死になるのよねぇ。わたしのような犯罪者の言いなりになってその娘を連れてきて、警官としての矜持を放棄してまで差し出そうとするんだもの」
微笑みを向ける章に、婦警は答えず悔し気に歯噛みするのみだ。そして麗菜は婦警が自ら章に協力しているのではなく、息子を――大切な家族を人質にとられているのだと理解する。
「そうよ。どれだけ取り繕ったところで、私が最低なことをしているのに変わりはない。あなたみたいな最低な犯罪者に手を貸した、あなたと同じくらい最低な人間になった、警察官失格の女よ。
それでも、あの子のためになら私はなんだってやってやる! 分かったら早く透を返しなさい! さもなければ、本当に撃つわよ!」
章に見せつけるように、さらに強く麗菜の頭に銃口を押し付ける。麗菜は抵抗する素振りもなく為されるがままだったが、それは恐怖だけが理由ではなかった。
どのような理由であっても、婦警の行動は正当化されるものではない。市民を守るという警官の責務を捨て、麗菜を章に引き渡そうとする婦警は許されるものではない。
それでも麗菜は、婦警を憎むことができなかった。
大切な家族に先逝かれた麗菜だからこそ、婦警を責めることができなかった。
悪人の手を取ってでも大切な家族のために必死になる婦警に、麗菜は痛みを覚えるほどに共感した。
興奮した状態の婦警に対し、章はつまらないものでも見たと言わんばかりに嘆息する。
「余裕のない人はせっかちで嫌ね。もう少しお話相手になってもいいでしょうに。でもま、その娘を殺されるのはこっちとしても困るから渡してあげるわ」
そう言って章は、麗菜と婦警に背を向けてゆっくりと歩き出す。章の意図が分からず、二人は黙って見ていることしかできない。
数メートル歩いたところで、章が意味ありげに指を鳴らす。その直後に章が元居た場所に浅葱色の魔法陣が展開される。
――あの人、魔導士!? それにこの魔法は
魔法陣に記されていた術式は上級魔法に分類される、物や人を風景に溶け込ませる精神干渉魔法だ。その魔法陣が消えると、そこには椅子に縛り付けられた少年の姿があった。
年齢は麗菜先ほどまで一緒に居た
「
「きゃっ!」
婦警がその名を叫び、麗菜を突き飛ばして駆け寄る。
「もうそろそろ麻酔が切れるころだから、そんなに急がなくても起きるわよ」
章に答えることなく、婦警は急かされるように少年を呼ぶ。
「透! 目を開けてお願い!」
腰を落として、左手で少年の体を強く揺する。右手は拳銃を握り、照準を章に向けている。章は薄らと笑みを湛え、白々しく両手を上げている。
「お……かあ、さん……?」
ゆっくりと目を開けた少年は、呂律が回っていない様子で呟く。
「透! ああ、よかった! ほんとうによかった……!」
婦警は安堵したように息子を抱き寄せる。拳銃は章に向けたままだが、完全に意識を向けているわけではない。
離れて見ている麗菜だからこそ気付けた。
「婦警さん、待っ――!」
咄嗟に声をあげた麗菜だったが、それは少年の絶叫に掻き消された。
「あがああああああ! 痛いいいいあああああああああ!」
椅子に縛り付けられていなかったのなら、その場でのたうち回っていたと想像できるほどに、椅子を軋ませるほど身を捩らせる。少年とは思えない力で見せる悶絶は、そしてその叫びは、目を背け耳を塞がずにはいられない壮絶さだ。
「透!? どうしたの透! しっかりして!」
我が子の突然の変貌に混乱した様子で、婦警は少年を抱き寄せようとする。しかしそんな母親の手を拒絶せんばかりに、少年は凄まじい叫びを上げる。
「あんた一体何をした!?」
怒りに歪んだ表情で、婦警が章に問いただす。
そしてその直後だった。
小さな爆発音と共に、少年の腹部が爆ぜる。
飛び散る血肉と骨片。
だが撒き散らされたのはそれだけではなく。
「が、ゴボっ……!?」
我が子の血肉によって真っ赤に染まった婦警の顔が、驚愕に彩られる。
婦警の首に、少年の腹部から飛び出したナイフが突き刺さっていた。
「ひ……あ、あぁ……!」
突如として繰り広げられた凄惨な場面に、麗菜は声にならない悲鳴を漏らす。
「あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛……ど、お゛、る゛……!」
血を吐き出しながら苦悶の声を上げる婦警が、必死に我が子の名を呼びかける。
だがもう、少年が答えることはない。
少年の表情は、苦しみに彩られたまま固定されていた。
目は限界まで見開かれており。
外れんばかりに開かれた顎は、死してなお、いつまでも叫び続けているようだった。
「あ゛……あ゛あ゛……!」
絶望に満ちた表情で大粒の涙をこぼす婦警は、拳銃を落とし両手を少年へと伸ばす。
彼女が事切れる前に、その手が息子へと届いたのが、せめてもの救いだったか。
緩慢な動作で抱きしめた婦警だったが、やがて力尽きたように身を少年へと委ねる。
二人は折り重なるように、派手な音を立てて倒れた。
「くくっ、くふふ……!」
「あははは! あははははははハハハははははは!」
身動き一つしなくなった母子を前に。
狂ったように哄笑する章の美貌は、喜色満面の笑みを浮かべていた。
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