第十三話:遭遇① ~少女の中に渦巻く感情、そして出会ったのは~
時は少し遡り、イセルが巣鴨へと出発する前。
麗菜は高草木、有馬の二人に案内され、異形共が出現する直前までイセルと過ごしていた、ショッピングモールのエントランスホールに居た。
「ごめんね
交通機関は現在運転が見合わされており、多くの一般市民は一時的にこの場所に避難する形となっていた。大勢の市民が居るだけでなく、警官や警備員がせわしなく駆け回っている。
警官や警備員に今後の見通しを苛立った様子で問いただす者や、家族や友人に安否を伝えるために電話をかけて、そして繋がらずに焦りを見せる者。
泣きじゃくる子供や宥めようとする親、それを咎めようと心ない言葉をかける者が親と言い合いになっていたりと、建物内は騒然としている。
「大丈夫です。こんな状況ですし、わがままは言えませんから」
申し訳なさそうに言う高草木に対し、麗菜は然も気にしていないとばかりに微笑む。
「いやあ、ハハハ。そう言ってもらえると助かるよ。それから――」
高草木は一瞬だけ表情を緩めたが、再び表情を暗くする。
「イセルのこと、本当にすまない。こっちがもっと引き留めることができたなら、もしかしたら……」
「……それも、しょうがないです。多分誰が言っても、イセルさんは止められなかったと思いますから」
麗菜が微笑みに寂しさを添える。声もそれに従い、沈んだ響きになる。
「――まあ、あいつは相当強い男だ! 一緒に戦ったから分かる! 間違っても死ぬようなことはないだろう! それに『
それまでと一転して声を明るくする高草木。
「はいっ、ありがとうございます」
麗菜を元気づけようとする高草木の気持ちの表れであり、麗菜もそれに答えようと声を僅かに弾ませた。
「芳麻、さん」
ぎこちない呼びかけに、麗菜は視線を向ける。麗菜を呼んだ有馬は数秒ほど躊躇った様子だったが、
「昼は、申し訳なかった、です……」
これまた慣れていない様子で、小さく頭を下げる。
やや目を丸くする麗菜だったが、やがて柔らかく微笑んで。
「こちらは気にしていません。それから、私たちのために戦ってくださり、ありがとうございました」
丁寧に頭を下げる麗菜。有馬の表情はやや硬かったが、それでも安堵が滲んでいた。
「それでは我々も仕事に戻ります。もし何かあれば、お近くの警官にお声かけください。我々もできるだけ、このフロアを見回るようにしますので」
高草木が朗らかに笑いながら、明るい様子で敬礼をした。
二人と別れた麗菜は、エントランスホールの階段の端に腰かけた。なるべく混雑の少ない、他者に迷惑をかけないような場所を選んだ結果だ。
――大丈夫だよね。
緊張の連続で、ここまで気を張り続けていた麗菜。ようやく落ち着ける状態になったものの、麗菜の心が休まることはなかった。
決して無視できない、言い知れぬ不安が、麗菜に強く圧し掛かっていた。
「大丈夫、だよね……?」
膝を抱きながら項垂れる麗菜。
己に言い聞かせるように呟く声は、震えており。
身を縮こませる様は、台詞の言葉から程遠い心境を物語る。
「イセルさん……」
思い続ける少年の名前が、少女の口から零れ出る。戦い続けようとするイセルへの心配と、異形が現れてからのイセルの変化に対する戸惑いで、麗菜の心は重苦しく締め付けられていた。
――あれが、本気で戦うイセルさん……。
イセルと別れてしばらくは、麗菜は建物内で見下ろすように彼の戦闘を見ていた。麗菜は有栖野との模擬戦でイセルと共に戦ったが、あの試合におけるイセルは全く本気ではなかったのだと思い知らされた。
異形の群れを一手に相手取る戦い振りは、模擬戦で見せた動きが児戯に思えるほどに凄まじく。
そして猛々しく気勢を上げる様は、模擬戦で見せた義憤や余裕のある態度が演技だったと思えるほどに、鬼気迫る苛烈さだった。
この日まで接してきたイセルとはまるで違う
イセルが麗菜の知らない何かに変わってしまう。
イセルが麗菜の手の届かない場所に行ってしまう。
そんな不安が、少女を突き動かしたのだった。
。
――でも違う。あれが、向こうの世界で戦っていたイセルさんなんだよね。それを私は知らなかっただけで。
――勝手に怖がってる、だけで……。
膝を抱く腕に、さらに力が入る。少女の抱える感情に、自己嫌悪が加わる。
世界を一つ救った英雄、その
イセルに対し始めて恐怖を覚えた麗菜は、そんな自身に罪悪感を抱いていた。
――あんな風に戦わなきゃ、色んなものを守れなかったってことなのに。
麗菜と一歳しか違わない、それも魔力のない少年が、帯刀警官や国防隊と並んで戦えるほどの実力を持つ。その歪さは、戦闘に関して素人である麗菜だからこそ強く感じ取ったのかもしれない。
そしてイセルがそうなってしまったのは、向こうの世界でそうならざるを得ない半生を強いられていた結果なのだと、麗菜は思い至っていた。
――勝手に怖がって、ちゃんと自分の気持ちも言えなくて。私、最低だ。
イセルが刃嵐たちと戦うと決めた瞬間。
麗菜の本心としては、イセルにこれ以上戦ってほしくなかった。
行かないでほしい。
危険な真似をする必要はない。
お願いだから、傍に居て。
少女が抱える思いは、けれど言葉になることはなかった。
真っすぐに見詰める黒い瞳に。
穏やかな声音に反した、固い決意を宿した表情に。
麗菜は気圧されるように口を噤んでしまい、気付けば小さく頷いてしまっていた。
あの時に思いを言葉に出来ていたなら、みっともないくらいに泣き喚きたくなるような衝動をそのまま爆発させていたのなら、もしかしたら何か変わっていたのかもしれない――。
――違う、違う! お父さんみたいな魔導士になるんだったら、『行かないで』じゃなくて『一緒に行く』って言わなきゃいけないのに……!
無論、今の実力では足手まといにしかならない。それは麗菜自身が一番理解している。
だが敬愛する父のようになるには。
『
イセルを引き留められなかったことにではなく、イセルと共に戦えなかったことに後悔すべきなのだと、麗菜は自身を
「弱いなあ、私……」
魔導士としての未熟な実力にだけでなく、心の弱さに、麗菜自身が打ちのめされていた時だった。
「あ、あの、おねえさん……?」
自身にかけられた呼びかけに、麗菜は頭を上げる。
二人の幼い兄妹が立っていた。妹の方は俯きながら左手でスカートの裾を握っており、右手は兄の左手と繋がっている。そして兄は目元を赤くしながら、まっすぐに麗菜を見つめている。
「え、ええと……あ、きみたちは確か……」
一瞬戸惑った麗菜だったが、すぐに彼らを思い出す。イセルが戦場に降り立った際に、初めに異形から救い出した兄妹だった。
「おねえさん、あの銀色の髪の毛のおにいさんの知り合い、ですか? さっきおにいさんと一緒に戦っていた警察の人と、おねえさんが一緒に話しているのを見て……」
兄妹の見た目はそれぞれ十歳、五~六歳といったところだ。幼さに見合わない丁寧な口調で言う少年に、麗菜は頷くことしかできない。
「あ、あの! さっきはユミも……妹も一緒に助けてくれて、ありがとうございましたって、伝えてくれませんか? さっきはその、ちゃんと伝えられなかったので!」
礼儀正しく言う少年を、麗菜は眩し気に見つめる。
――偉いなあ、こんなに小さいのにちゃんと、自分の思いを言えて。
明らかに年上の、見ず知らずの麗菜に声をかけること自体、少年にとっては勇気の要ることだったに違いない。それでもきちんと感謝を伝えようとする姿は、今の麗菜の目には輝いて映った。
「あ、あの……?」
口籠ってしまった麗菜に、少年が疑問を表す。
――いけない、いけない。こんな子でも頑張ってるのに、これ以上気をつかわせちゃダメだよね。
不安も自己嫌悪も、いまだ麗菜の胸に渦巻く。それでも今は――少なくともこの二人の前では明るく振る舞おうと、表情を綻ばせた。
「んーん、なんでもない。ちゃんと伝えるね。きみのお名前は?」
「ぼ、僕は
「陽人くんに由美ちゃんだね。陽人くんは今何歳?」
「え、えっと、来月で十歳です」
「まだ九歳なんだ。偉いよ陽人くん、こうやってきちんとお礼言えるなんてすごいよ。お兄ちゃんだね!」
明るく言う麗菜に、少年の方はドギマギしたような様子で視線を泳がせる。年齢相応の幼い反応に、無理矢理作った麗菜の仮面は自然な笑みとなった。
「今日は二人で来たのかな?」
麗菜としては特に意図せず放った問い。だが少年の表情が一気に翳りを帯びたのを見て、あまりにも考えなしの言葉だったとすぐに察した。
「パパも、ママも、居なくなっちゃったぁ……」
ずっと俯いていた由美は、そう言ってポロポロと涙を流して、声を押し殺すようにすすり泣く。
「お、おい泣くな! 泣くなよお……!」
人前で泣き出したことを、陽人が叱責する。だが声は力なく震えており、目元には次第に涙が溜まっていく。このような状況で親も居ないとなれば、幼い兄妹が感じる重圧は凄まじいはずだ。
――ああもう、何やってんの私! 考えれば分かることじゃない!
自身の無神経さに腹立たしさを覚えながら、二人を前に慌てふためく麗菜。
「ええと、ええと……!」
そして衝動的に、幼い二人を抱き寄せた。突然の麗菜の行動に、二人とも固まって静かになる。
「怖いよね、きついよね、泣きたいよね? でも大丈夫だよ、きっと大丈夫。お父さんもお母さんも、きっとどこかで二人の事待ってるから。きっと無事だから。落ち着いたら一緒に探そ。ね?」
異形に襲われ、すでに多数の死傷者が出ている。そのなかに二人の両親が居ないとは言えない。ともすればこの二人に過度な希望を持たせるのは、間違っているのかもしれない。
それでも麗菜は、こうして二人の背をさすりながら言うことしかできなかった。正否はともかく、今はただ途方に暮れる二人に寄り添いたかった。
呆気に取られていた二人は、やがて麗菜の胸や肩に顔を押し付け泣き出し始める。そんな兄妹にそれ以上声をかけることなく、二人が泣き止むまで、麗菜はただずっと抱きしめ続けていた――。
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