第十二話:報告 ~それは雷のように、突然に~
背後から迫る
――まずはこれでひと段落か。
イセルが小さく息を吐き出す。戦闘が収束したことによって余裕を得たイセルは、ふと上を見上げる。いつしか空は黒雲に敷き詰められ、遠雷の音が小さく響いていた。雨が降り出すのも間もなくといったところか。
「かなり荒れるようだね。せっかくの連休だというのに、今年はツイてない」
刃嵐もまた上空を見上げて、不愉快そうに嘯く。両者はこの戦闘で最も多く異形を斃したが、全く息が乱れることもなかった。
「貴公の動きを参考に戦ったが、私もまだまだだ。折ることはなかったが、刃毀れさせてしまった。もう少し数が居たなら、結局また得物を破損させていたところだ。貴公のような洗練さには、まだまだ程遠い」
苦い表情のイセルに対し、刃嵐は呆れたように溜息を吐く。
「謙遜……じゃなくて本気で言ってるんだろうね、君の場合は。そもそも魔力のない、魔法の使えない状態で、うちの部下たちよりも多く数を斃している時点で異常だよ」
刃嵐が鞘をイセルに放る。軽々と左手で受け取ったイセルが納刀した直後に、残りの隊員が二人の下に辿り着いた。
「皆、ご苦労様。
「了解!」
「
「「了解!」」
刃嵐の指示を受けた申川、雉野、乾の三名は、通信を試みるためにイセルたちから離れる。そうして刃嵐は再びイセルを見据える。
「君のお蔭で、想定よりも迅速に制圧することが出来た。中央機動魔導科連隊第1中隊隊長として、隊を代表して深く感謝申し上げる」
刃嵐が右手を伸ばす。真摯な態度と声音からは、誠意以外の感情をイセルは読み取れなかった。
「こちらこそ、貴公のような素晴らしい剣士と肩を並べて戦えること、とても光栄に思う。こんな
そしてイセルも躊躇った様子もなく、握手に応じた。
「いやマジで、お前ホントに人間? 刃嵐と並んで戦えるやつなんて、そう居るわけじゃねえんだぜ? それを、魔力ない上に十六のガキがこいつと遜色ない働きするとか、誰に言っても信じてもらえないぜ普通」
啓治が驚き半分、呆れ半分でイセルに言う。言葉は乱暴ではあるがイセルの戦果を評価したものだ。しかしながら刃嵐との握手を解きいたイセルは、苛立たしげに鼻を鳴らす。
「おいおい、俺はこれでも褒めてるんだぜ? そんな態度はねえだろうよ」
普段の飄々とした雰囲気のままの啓治。イセルは苛立ちを隠す様子もなく。
「黙れ。貴様に軽々しく話しかけられるのは、無性に腹が立つ。必要最低限の会話以外では口を交わしたくない」
「ひっでーなあ、随分と嫌われたもんだね俺も。麗菜ちゃんとの仲直りも俺が居なきゃできなかっただろうに、恩を仇で返されたみてえで悲しいぜ」
「貴様……!」
へらへらと笑う啓治に、イセルは気色ばんで拳を強く握る。
「筧三尉、あまりふざけるな。イセルも落ち着いてくれ」
「りょーかい、一尉どの」
「……見苦しいところを見せた」
啓治が形ばかりの敬礼をし、イセルはそっぽを向く。両者の反応を見た刃嵐が苦笑する。
「イセル。僕から謝りたいことと、聞いておきたいことがある」
そうして穏やかな表情で、刃嵐が切り出した。
「異形を作り出す魔法が君の居た世界の魔法だと聞いて、今回の首謀者はどんな形であれ君に関わる者だと判断した。であれば君を目に見える範囲で泳がせておけば何らかのアクションを起こすだろうと、君を囮にした。君の戦闘力を利用して、異形の排除をさせた。それだけではなく、かなり低い可能性だったとはいえ、君が今回の首謀者に繋がっていると疑いさえした。本当に、申し訳なかった」
刃嵐はイセルに向けて、深く頭を下げる。啓治のバツの悪そうな表情からは、彼自身も刃嵐の考えにある程度賛同していたことを窺わせた。
「……二人の視線がやけに厳しかったのは、こちらを監視していたということか」
一人納得したように呟いたあと、イセルは刃嵐を見る。
「ハラシ殿、顔を上げてほしい。貴公は私と出会ったばかりだ、こちらを全面的に信じろというのが土台無理な話だ。貴公の懸念や疑念、そして判断は正当なものだ。
そして私に打ち明け、謝罪してくれた。歳の下回るこんな若輩に、こんなにも誠実に接してくれた。貴公を責め立てることなど、私にはできない。打ち明けられたということは、ある程度貴公から信頼を得られたと思って良いか?」
頭を上げた刃嵐は、固く頷いた。
「少なくとも君が、今回の元凶に連なっている可能性はないと、一緒に戦って僕は確信した。疑いの目で君を見てしまったこと、深くお詫びする」
頭を下げることはなかったが、刃嵐は重々しい表情で目を伏せる。
「何度も言うが、謝る必要は――」
「重ね重ね申し訳ないが、君に一つ問いたい」
イセルの言葉に刃嵐が重ねる。取り繕った様子のない態度を見て、イセルは首肯し続きを促す。
「ここに来る前に聞いた、君が戦う理由。あれが嘘だったとは思ってないが、同時に全てではなかったと僕は思っている」
刃嵐の言葉に、イセルは軽く瞠目する。自身に向けられる刃嵐と啓治の視線が、警戒や疑念を孕んでいたのはイセルも察知していた。けれど、本心を隠していること自体が気付かれていると、イセルは思っていなかった。
「君のような実力者が、本心を隠し行動している。僕や筧三尉が君を警戒したのは、これが一番の理由だった。重ねて言うけど、君が首謀者に与しているなんて、僕はもう思っていない。だから、出来ることなら教えてほしい。君は今回の事件、何故そこまでして戦おうとするのか」
イセルを見る刃嵐の視線に、威圧感や疑念はない。思考を整理しようと、イセルは目を閉じる。
――いいのか? この
胸の最奥で渦巻き、イセルを燃やし続ける憎悪の炎。
忌むべきものと理解しながらも切り離せない、イセルを突き動かす原動力。
元居た世界でさえ、妹を含めた数少ない人間しか知らない、救世の英雄が抱く昏い煌き。
本来であれば知り合って間もない者に打ち明けることなどありえない。
――だけどこの剣士は、こんなにも誠実に俺に接してくれた。
刃嵐に匹敵する戦士は、元の世界でも数えるほどしか居ない。そしてそんな剣士が己の非を明かし、年齢の下回る者に躊躇いなく頭を垂れた。実力も人格も兼ね備えた者などそうは居ない。それ故、刃嵐の誠実さは価値のあるものだった。
――業腹だが
啓治の軽薄な調子はイセルの好まない気質であり、苛立ちを誘うものだ。だがイセルと麗菜は啓治に助けられており。
滾る頭のまま麗菜を叱責してしまったときも、諫めたのは啓治だ。
――筋は、通すべきだろう。
気後れを覚えるのは否めないが、それ以上に二人に対し相応の誠意を見せるべきだ。イセルはそう結論付けた。
「……元々君を疑っていた僕たちだ、君が言いたくないのであれば問い質す権利なんてないと承知している。君が戦うことについても、異論を差し挟むつもりはない。むしろこちらとしてはありがたい限りで――」
「いや、そんなことはない。二人にとっては、大したものでもないかもしれないが――」
自身の抱く思いを打ち明けようと、口を開いたイセル。
「隊長、報告です」
だが刃嵐の部下に遮られる。
「……あとで改めて話す」
出鼻を挫かれる格好になったイセルは、憮然とした表情で嘯く。啓治の口角が笑いをこらえるように引き攣るのを見て、イセルは思わず舌打ちをしそうになった。
「ああ、そうだね。雉野二尉、ありがとう。護国寺の方はどうかな?」
イセルの反応に苦笑しながら、刃嵐が部下からの情報を待つ。
「はい。護国寺に出現した異形は総数153体。すでに討伐完了とのこと。隊員に死傷者なし、市民に負傷者ありですがいずれも軽傷、死者は居ません」
「ありがとう。追って指示を出すから、それまで負傷者の手当や搬送、警備を行うように伝えてくれ」
「了解」
続けざまに、申川が報告のために足を運ぶ。
「報告します。第3中隊は『対特衛』と合同で、残骸の回収を開始しているとのことです」
「分かった。なるべく急がせて」
「はい。それから現時点より15分前に、インターネット上に今回の事件に対する犯行声明が発表されたと」
刃嵐だけでなくイセル、啓治の表情が険しくなる。
「相手は?」
「はい。まだ裏付けまでは行えていませんが、『イノセント』を名乗っていると」
「チっ、あいつらか……!」
啓治が盛大に舌打ちし、表情をさらに顰める。刃嵐はあからさまな反応を示さなかったが、こらえるように瞳を硬く閉じていた。
――『イノセント』? そういえば……。
イセルがまず思い起こしたのは、高草木たちと路上で会ったときに、麗菜が表情を翳らせたことだった。結局理由を聞けずじまいであったが、その時と同じ単語が出現したことで、言いようのない胸の重さがイセルに去来する。
「ハラシ殿、イノセントとは――」
不安と呼ぶべき感情に動かされるように、イセルは刃嵐に意味を問おうとする。
「た、隊長!」
だがまたしてもイセルの言葉は阻まれる。そして今回の妨害に、イセルは胸の重みがより一層増したのを自覚した。
「どうした。第3小隊に、何かトラブルが?」
焦りを隠せない部下に、刃嵐が声音も硬く問う。
「いえ、それが……」
歯切れの悪い物言いの乾三尉は、落ち着かない様子で何度もとある人物を見る。
――何だ? 俺?
視線の先に居るのはイセルなのは明らかだ。それに気付いた刃嵐は乾と共にイセルたちから離れた。
理由なく視線を泳がせるイセルは、啓治の視線とぶつかる。啓治は軽く肩を竦めて見せたが、表情からはイセルと同様に、戸惑いと警戒が表れていた。
「……それは、確かなのか?」
静かな口調ながらも、ある程度離れているイセルにも聞こえるほどの声量だった。乾が頷くのを確認した刃嵐は、額に手を当てる。イセルが初めて目にする、刃嵐の表情と仕草だった。
決意を決めたように、刃嵐はイセルと啓治の下へ戻る。
「イセル。一旦最初に出会った場所に――サンシャインシティまで戻ろう」
「ど、どうしたんだよ。向こうで何か、あったのか?」
啓治が口調を取り繕うことも忘れて刃嵐に言う。それほどに沈痛な面持ちだった。
「イセル、落ち着いて聞いてほしい」
覚悟と決意の乗せられた視線に射抜かれ、イセルの口と舌が縛り付けられる。イセルの研かれた第六感が、不快な程に警鐘を鳴らしていた。
――待って、何で……?
自身の第六感が何を察知しているのか、そして何故ここまで大きく働いているのかも分からず、イセルは刃嵐の言葉を待つほかなかった。
唐突に生じた耳を塞ぎたくなる衝動と、刃嵐の言葉を聞かなければならないとする義務感。矛盾する二つの思いが相克した結果、イセルは身動きできないほどに強張っていた。
「
「……え?」
気の抜けた声が己から出た物なのかすら、イセルは確証が持てなかった。手足が痺れ、芯から体温が抜けていく心地になる。
「な……おいどういうことだ刃嵐!? 何で嬢ちゃんがそんな目に遭ってんだよ!? お前の部下は何やってたんだ!?」
「……分からない。とにかく情報が欲しい、一刻も早く向こうに戻ろう」
「おい貴様! さっきから何だその口の利き方は! 知人だろうが隊長に対する態度を弁えろ!」
「うるせえ三下は引っ込んでろ! 燃やされてえかボケカスが!」
「なんだとお前!」
刃嵐たちの喧騒も、耳には届いているが異国の歌のように遠く聞こえる。
ガランっと、硬く重い音が響く。遠雷に似たその音が届いてやっと、イセルは、自身が刀を落としたことに気が付いた。
遠方で鳴り響く雷鳴も、降り始めた雨が皮膚を打つ感触も、手から抜け落ちた刀の
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