第十話:参戦 ~戦意と別れ。少年が犯した一つ目の間違い~

 イセルの申し出に対し、刃嵐はらしはすぐには答えず沈黙する。イセルへ向ける視線は僅かに揺らいでおり、彼の逡巡を反映していた。

 残る隊員も刃嵐の判断を待っているが、互いに顔を見合わせたり、首を傾げたりと、上官よりも反応は大きい。


 「待てイセル」


 そんな中、高草木が表情硬く待ったをかける。


 「君も、それから芳麻ほうまさんも、本来なら我々が警護し真っ先に避難させるべき一般市民だ。先ほどは我々警官隊の不甲斐なさから君を戦わせることになってしまい、本当に申し訳なく思っている。だが国防隊まで出動した以上、君をこれ以上戦わせるわけにはいかない。君たちは他の市民と一緒に避難すべきだ」


 それは決してイセルの実力を疑い、あるいは年端もゆかない少年だと軽視したのではなく、イセルと麗菜の身を心から案じるが故の制止だった。

 子供を優先して守るという、大人としての当然の義務を当たり前のように果たそうとする、高草木の真摯な姿勢の表れであった。


 イセルもそれは理解している。高草木の厚意は充分に汲み取っており、自身を心から案じてくれる者の言葉に反発を覚えることなど決してなかった。


 だがそれでも、イセルは首を縦に振らない。


 「戦える者は一人でも多い方がいいはずだ。それともヒロキ殿は、私では荷が重すぎると?」


 「そうじゃない、俺が言いたいのは――!」


 「それに、私なら異形の注意を一手に引き付けることができる」


 イセルからもたらされた極めて有意義な情報に、戦士たちが目の色を変えた。


 「高草木警部補、イセルの言ったことは本当ですか?」


 沈黙を保っていた刃嵐が高草木に問う。


 「……事実です。イセルの叫びのあと、異形は一斉にイセルを狙うようになりました。対応していた警官の誰に聞いても、同じように答えると思います」


 苦い表情で高草木は頷いた。


 「イセル、異形には感覚器官がほぼないのだろう? 何故そんな方法で、奴らの注意を引ける?」


 刃嵐の質問に、イセルは表情を変えることなく淡々と告げる。


 「細かい理屈は私にも分からない。向こうの世界で偶然見つけた方法だ。だが私の全力の咆哮は、奴らの注意を引き付けることができる。それだけは確かだ」


 イセルが堂々と言ったに、刃嵐は疑った様子もなく再び黙考する。


 異形共の注意を引き付ける方法、その理屈も、イセルは理解している。しかしながら説明する時間が惜しいのと、この方法がイセルのみが施行できるという唯一性を示すため、あえてイセルは全てを説明しなかった。


 「分かった。君を連れていく」


 思考を終えた刃嵐が告げた言葉に、周囲からどよめきが湧く。


 「疾ヶ瀬はやがせ一尉、本気ですか!? 考え直してください、これ以上巻き込むわけには……!」


 刃嵐の決断を聞いて、高草木が再考を求める。


 「異形は個々の再生能力もそうですが、あの莫大な数自体も脅威です。イセルが奴らの注意を引き付けられるのなら、奴らの行動を誘導できます。異形の群れに指向性を持たせられるのなら、こちらとしても対処が容易になります」


 「イセルを囮にするということですか?」


 抑えた声で、しかしながら険しい表情を高草木が見せる。


 「……否定はしません。ですが、イセルに目を向かせることで、市民を救出できる可能性が飛躍的に上がることも事実です」


 「ですが――!」


 なおも言い募ろうとする高草木だったが、イセルが手を上げて制する。


 「ヒロキ殿。私の身を心から案じてくれること、本当に嬉しく思う。

 だがいいんだ。私が戦列に加わることでより多くの命を救えるのであれば、これに勝る喜びはない。この身を戦場に投じることに、一片たりとも躊躇はない」


 どこか穏やかさすら漂わせるイセルを見て、高草木は悔し気に押し黙る。


 異形の群れの注意を集められるということが、今回の事件でどれだけ得難い能力なのか。

 そしてイセル本人の高い戦闘力そのものが、戦場においてどれだけの価値を有するのか。


 実際に共に戦った高草木だからこそ、誰よりも理解していた。


 「イセルさん……」


 か細い声があがり、イセルは声の主へと向く。ともすれば泣き出す寸前のように、麗菜の表情が張り詰めている。


 「すまないレイナ。せっかく君がこの世界を案内してくれた楽しい一日だったのに、最後の最後でとんだ邪魔が入ったな」


 麗菜の感情や思いをイセルが察せないはずがない。だがイセルは、軽口を叩くように普段の調子で答えた。

 

 「イセルさん、私……!」


 少女の言葉が続く前に、イセルは麗菜の肩に手を置く。


 「心配するなレイナ。異形共を片付けて、この騒動を引き起こした輩を引き摺り出して、全て解決してから必ず君の下へ戻る。約束するよ」


 空色の瞳をまっすぐに見詰めながら、イセルが告げる。麗菜の唇が物言いたげに何度も震えたが、イセルの表情を見て、彼に宿る決意が己では覆せないと悟ったようだった。目を俯かせ、小さく頷いた。


 「ヒロキ殿。すまないがレイナを頼む」


 高草木もまた、イセルを止めることはできないと理解したのだろう。苦い表情で溜息をつき、


 「言ってもあまり意味なさそうだが、無茶するなよ?」


 諦観の色が目立つ台詞を口にする。


 「責任は全て小官が請け負います。イセルは小官と、筧三尉が全力でフォローします」


 「いっ!? 俺も!?」


 刃嵐の言葉に不意を突かれた様子で、啓治が素っ頓狂な声を上げる。周囲の人間――特に刃嵐の部下からの棘のある視線に晒され、啓治は「失礼しました」と消え入るように呟いた。


 「よろしくお願いします。啓治も、頼むな」


 高草木の求めを受けて、刃嵐は敬礼し、啓治は頭を掻きながら頷いた。


 「芳麻さん、こちらへ」


 「は、はい」


 高草木に促され、麗菜も彼と一緒に立ち去ろうとする。途中で名残惜しそうにイセルへ視線をやったが、イセルが目を合わせることはなかった。


 ――ありがとう、レイナ。だけどごめん、俺は……!


 イセルのために胸を痛めてくれる麗菜への感謝。そしてそんな麗菜の思いを振り切ってでも、己の我儘を通すことへの罪悪感がイセルに去来する。それでも後ろ髪引かれる様子を見せることなく、イセルは刃嵐へと視線を向ける。


 「ハラシ殿。すまないが剣を貸してほしい」


 「分かった。こちらで閃鉄を用意しよう。だがその前に一つ、君に聞きたいことがある」


 「……私に答えられることであれば」


 刃嵐の目付きがスッと鋭さを帯びたのを見て、イセルは油断なく言葉を待つ。


 「君は何故手を貸してくれる? もっと言えば、何故そうまでして戦おうとする?」


 若さに見合わぬ圧力が刃嵐の眼差しに込められており、虚偽や建前の返答を許さぬと言外に物語る。だがそのプレッシャーは、イセルだけに向けられるようコントロールされていた。

 刃嵐の問いの理由に思い至れた者は、この時点では少なかった。相対するイセル、刃嵐と同じようにイセルを観察する啓治以外は、上官の意図に気付いた様子もなく成り行きを傍観していた。


 「外法によって生み出された肉人形から、人々を守るために戦う。そこに理由が必要か? 無辜の民が理不尽に傷つき、死にゆく状況であっても、大義名分がなくてはハラシ殿は刃を振るえないのか?」


 イセルはあえて挑発的な口振りで問いを返し、刃嵐の視線に真っ向から対峙する。睨み合いとも呼べる視線の交錯は、刃嵐が瞳を閉じることで終わりを迎えた。


 「今は、そういうことにしておこうか」


 静かに呟いた刃嵐は、振り返って自身の部下たちに告げる。


 「これより我が中央機動魔導科連隊第1中隊は、巣鴨および護国寺で新たに出現した異形の排除にあたる。第3小隊は引き続き警察と共同で現区域の整理に当たれ。第1・第2小隊にイセルと筧三尉を加えて部隊を再編する。各員装備や状況を確認し、三分後に再集結せよ」


 「「「了解!」」」


 一糸乱れぬ返礼のあと、隊員は各自散らばる。


 「支援車両が到着しているから、イセルはそこで閃鉄やライフジャケットを受け取ってくれ。誰か案内を頼む」


 「了解! では、こちらへ」


 近場に居た隊員がイセルを促す。イセルは刃嵐に深々と頭を下げ、案内に従って場を離れた。


 








 

 その時点での最善手を選んだつもりでも、振り返ればそれは悪手だった。


 そんな皮肉は道端に転がる取るに足らない小石のように世界中に、そして歴史上にありふれている。そして質の悪いことに、小石に躓いたことはその時点で気付くことはできず、人は後になって痛みに気付くのだ。


 異形レヴナンテと戦い、人々を守ること。その行為に異を唱える者など居ないだろう。

 本当の目的は別にあったとしても、イセルもまた、戦場に身を投じることに疑いを持つわけがなかった。だがここで彼が別の選択肢を選んでいたのなら。


 、彼らの辿る未来は、あるいはもう少し穏やかな道行きになっていたのかもしれない。

 

 イセルがこの事件を振り返ったならば、自身が犯した失敗は二つと答えるだろう。


 一つ目の失敗は、異形共を殲滅すると決めたこの瞬間だった。


  



















 

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