閑話:しばしの休息、大人たちの思惑
遠ざかるイセルの背を見送り、
「一尉はなーにを考えておられるのですかっ、と」
そんな彼に、軽薄な声がかけられる。気怠そうに頭を掻きながら、啓治が刃嵐に向いていた。今にも煙草を咥えそうなほど、元の緩んだ雰囲気が戻っている。
「……筧先輩も、やっぱり反対ですか? 彼を連れていくこと」
対する刃嵐は先ほどまでの厳格な態度を一切消して、困ったように苦笑する。甘く整った面貌であるため見苦しさは生じないが、元々の垂れ気味な目付きも相まって、表情をより一層頼りなく見せている。戦士たちを率いるに足る実力者の風格が、完全に鳴りを潜める。
部下が周囲に居ない今、初めて刃嵐が素に近い己を見せていた。
「否定はしねえよ。あいつの言うように戦える奴は一人でも多い方がいい。べらぼうに強いんなら尚更だ。
だがまあ、褒められた行為でないのは確かだろうな。少なくとも
啓治は普段通りの調子で言う。そしてそんな啓治の態度に不愉快さを覚えるでもなく、刃嵐が顔を引き攣らせる。
「ですよね……」
「そうだ、楸尾は何やってるんだ? このまま黙っているような奴じゃないだろ?」
「それは報告がありました。魔導士学校の教師を招集して即席の魔導士部隊を編成し、応援に向かっているそうです」
「埼玉からこっちまでか。電車含めて交通機関は今ストップしてるし、来るだけでも大変だな」
啓治が葉巻を取り出し、火を点けて紫煙を吐き出す。そんな彼を、刃嵐は呆れと諦めの混じった複雑な表情で見る。
「んだよ、しゃーねえだろ? これが俺の魔導器だ、文句あっか?」
「ないですよ。だから何も言ってないじゃないですか」
「
悪態をつく啓治を、刃嵐が再び苦笑いで答えた。二人が階級や年齢の差を超えた親しい間柄であると、気兼ねという言葉から程遠いやり取りを聞けば誰もが察しただろう。
「んで? なんであいつ連れてくんだよ。まあ確かに、連れていかねえって言えば勝手に突っ走りそうだけどなあのガキ。
あいつの強さや、化け物どもを引き付けられるってだけが理由じゃねえだろ?」
啓治が再度、刃嵐に問いただす。その口調は断定的で、一切の誤魔化しが通用しないのは明確だった。
「敵わないですね、筧先輩には」
降参したと表明するように、刃嵐が肩を竦める。そして表情と雰囲気が僅かに引き締まり、答えを紡ぐ。
「もちろん彼の戦闘能力や、異形の注意を向かせるという能力を買っているのは事実です。ですが、それらとは別に二つ理由があります」
「
「イセルが居た世界の魔法と、俺らが使っているこの世界の魔法。原理や法則はほぼ一緒って話だろ? なら、この世界のどこぞのクソ馬鹿が作り出したってことは?」
「確かに可能性としては考えられます。ですがイセルが召喚されたあとに、イセルの居た世界の魔法が初めて使用された。何らかの繋がりがあると、最初に考えるのが妥当だと僕は思います」
この世界の住人が向こうの世界と全く同じ魔法を開発するという偶然よりも、イセルと同じ異世界の存在が引き起こしていると考慮すべきだと、刃嵐は冷静に告げる。
「そんでもし術者がイセルに関連しているとしたら、イセルを転がしておけばアクションを起こしてくるだろう、と。お前、本当にイセルを
啓治の目が細められ、刃嵐に向けられる視線に力が籠められる。
「だとしたら、どうします?」
刃嵐は気負いも見せずに、逆に問い返す。
「別に。俺も予備役とはいえ軍人だからな、上官である一尉殿の方針に口を挟むつもりなんてないさ」
「今更どの口で言ってるんですか」
一瞬で飄々とした態度を戻した啓治に、刃嵐はこれまでの会話を振り返りつつ、呆れたように笑みを零した。
「それで、もう一つの理由は?」
刃嵐は笑みを消し、油断の一切ない表情を見せる。それを見た啓治も、放つ雰囲気を引き締める。
「彼を、僕の手の届く範囲で監視したいからです」
啓治が片眉を上げて、続きを促す。
「これは可能性としては低いとは思いますが、イセルが今回の首謀者と繋がっているという場合も想定しなければいけないからです」
「繋がってるって……あいつが敵側だって言いたいのか?」
啓治が目を丸くする。だが刃嵐は冷静さを失った様子もなく、淡々と自身の考えを述べる。
「僕自身、これはほぼないと思っています。ですが彼は、何かを隠している節がある。
彼に戦う理由を尋ねた時の返答。あれが嘘だとは思いませんが、同時に全てだったとも思いません。筧先輩もそう思ったんじゃないですか?」
「まあ、そりゃあ……」
イセルは本心を隠す術を身に付けている。だが刃嵐や啓治もこの世界においては一流以上の戦士であり、相対する者の実力、意図や考えをある程度察知できるほどには、他者を見抜く力を持っている。
イセルの本心を
「イセルが敵側であるかもしれないという想定。限りなく低い可能性ではありますが、ゼロではない。彼が本心を隠し、僕たちがそれを類推することができない以上、僕はこの想定に対しても備えていなくてはならない。
僕のチームにイセル、そして筧先輩を組み入れます。万が一、億が一イセルが僕たちに刃を向けてきたとしても、僕と筧先輩の二人なら無力化できると思います」
「……ったく、部隊長ってもんはそこまで考え巡らせなきゃいけんのか。俺には絶対務まらねえ。
でも俺居なくても、お前なら一人で止められるんじゃないか?」
軽口じみた問いかけに、刃嵐は表情を変えないまま首を振る。
「止めるだけなら僕だけでも辛うじてできるでしょう。けど彼が全力で抵抗するのであれば、加減は許されない。無傷どころか、彼を生かして捕縛するという甘い考えは捨てなければならない。僕が彼を止めるということは、つまりそういうことです」
日本の魔導士社会を牽引する五つの家門、魔導五大家。
その一つである
「疾ヶ瀬の最高傑作が、そこまで言うか……」
疾ヶ瀬家次期当主にして、歴代最高の戦士と名高い男の言葉であれば、疑う余地などない。そんな刃嵐が、イセルを止めるためにはその命を断たねばならないと語ったことに、啓治は呆然と目を見開いていた。
「僕一人だけでは無理でも、筧先輩に――『
刃嵐から向けられる真剣な眼差しに、啓治はいたたまれなくなったのか頭を乱暴に掻きむしった。
「ああもう、分かったよ……ん? いや待てそんな危なっかしい相手に武器持たせるとか、お前何考えている?」
苦い表情で了承を示した啓治だったが、刃嵐に再度問いかける。
「勿論、今言ったことはイセルが得物を所持していることを前提とした評価です。丸腰なら僕だけでも制圧できる。
ですが最初に言いましたけど、イセルが敵側である可能性は低いと僕も考えてます。僕たちの手の届く範囲であれば、イセルを戦わせて利用した方が効率がいいと判断したまでです」
充分に手を打った上で、イセルの卓越した戦闘能力を遠慮なく利用すべきだと宣う刃嵐に、啓治は乾いた笑いを上げる。
「ほんと、イイ性格してるぜお前」
啓治の言葉に、刃嵐は何度目か分からない苦笑を浮かべた。
啓治が大きく息を吐き出す。それに伴って紫煙が立ち昇り、何の気もなしにその行方を目で追う。
「荒れるな」
目線を上げ切った先――空を覆いつつある黒雲を捉えて口から漏らす。無論今後の空模様を憂う言葉であるが、皮肉にもそれは、この事件の先行きを表していた。
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