第六話:反撃⑥ ~熱を帯びる青さ、諫めるのは大人~

 「イセル、さ――」


 「あの店に居ろと俺は言ったはずだ。何故君がここにいる」


 麗菜の声を遮り、イセルが叩きつけるようにピシャリと言う。これまで向けられてきた中でも最も冷え切った声に、麗菜は身を震わせ、答えを返すことができない。


 麗菜の反応に苛立ちを覚え、イセルは奥歯を噛みしめる。そして麗菜へと歩み寄り、彼女の右腕を乱暴に掴む。


 「痛……!」


 身を竦ませる麗菜。だがイセルは構うことなく、腕を引き寄せて無理矢理自身の方へと向かせる。

 麗菜の表情は強張り、空色の瞳が頼りなく揺れる。怯えたように身を竦ませる麗菜に、しかしイセルは躊躇う素振りを見せない。

 そうして身長差のある麗菜を見下ろす形で、イセルは声を荒げる。


 「あいつらは命ある者を襲い続ける兵器だ! 正確な攻撃を与えなければ何度も再生する! 君が知る帯刀警官すら苦戦していた代物だ!

 それを、君がどうこう出来ると思ったか!? つい最近魔法が使えるようになったばかりの、魔導士と呼ぶことすら烏滸おこがましい素人が! 思い上がりも大概にしろ!」


 抑えられることのない言葉は、少女を苛む刃となる。

 明らかに過剰だと分かる烈しい叱責に、少女の表情から血の気が失せていく。そんな麗菜の様子を文字通り目の当たりにしてもなお、イセルが怒りを緩めることはない。自身の抱く思いが、それを許さない。


 感情を律する術を持つイセルならば、本来はもっと丁寧な対応を取れた。こうして麗菜を追い詰める真似をする必要もなく、麗菜がとった行動がどれだけ無謀で危険なものだったのかを、さとせたはずだった。

 

 それでも。


 ――あの瞬間とき、俺では君を守れなかった。


 ――あいつが居なければ君を傷つけられていた。君を、失っていた……!


 もし啓治の救援もなく、警官達の力が尽きていたなら、間違いなく麗菜は凄惨な末路を迎えていた。ありえたかもしれない未来、その想像が、イセルが冷静さを失わせるほどに心を波立たせていた。

 怒声を容赦なく浴びせられ、麗菜は体を震わせている。救世を為した英雄の本気の激情だ。並大抵の人間ならば卒倒してもおかしくはない。


 「ごめ、なさ……でも……」


 涙が滲む瞳は、けれど逃げることなくイセルを見続ける。


 「私……怖かったんです……!」


 それは少女が懸命に紡いだ思いであったが、意図を読み取れずイセルが目を眇める。


 「……あれは悪意によって創造された、呪いと汚辱の泥人形だ。ただの少女である君が恐怖を覚えるのも無理はない。

 だが、それなら尚更出てこなければよかっただろう! 一体何を考えて――」


 「違う!」


 今度は麗菜が、イセルの言葉を遮った。そのことに少なからず驚きを覚えたイセルは、目を見開く。


 「あのままだとイセルさん、どこか遠くに行っちゃうんじゃないかって! 私の手の届かない、どこか、もう戻ってこれないような場所に行っちゃう気がして、もう、会えないんじゃないかって!

 それが怖くて……だから、私……!」


 涙をこらえるように、麗菜は硬く目を瞑り俯く。対するイセルは、叫びにも似た麗菜の独白に、言葉を返せずにいた。

 

 ――俺は、何で。


 麗菜の言葉を聞いてイセルの胸に生じた感情、それは紛れもなく嬉しさだった。だがそれが生じた理由が、イセルには分からなかった。


 ――ふざけるな、何を喜んでいるんだ俺は! この娘が巻き込まれたかもしれないのに……!


 このような状況で抱いてはいけない感情だと頑なに否定し、喜んでいる自身に苛立ちを覚える。己の感情の行方も分からず、そしてどのような台詞を継げばいいのかも分からず、イセルが再び口を開きかける。


 「はいストップストーップ」


 軽薄な声が邪魔をした。いつの間にかイセルの背後に啓治が近づいており、イセルが気付いたときには、肩を組むように啓治の腕が回されていた。


 「なっ――!?」


 啓治の接近に気付けないほどイセルが油断していたのか、あるいは油断しているとはいえイセルの背後をとった啓治の技量が高かったのか。いずれにせよ、イセルは動揺を見せた。


 「お嬢ちゃ――麗菜ちゃんだったよな? 悪いけどチョイと、王子様借りるぜい」


 「お、おい! いきなり何を――!」


 回した腕に力を込め、イセルを連れ出す啓治。麗菜の腕を掴んでいた手は容易く剥がれ、麗菜は展開についていけない様子で呆然としていた。


 咄嗟に組み付かれては、イセルでも抵抗は難しい。本気で抵抗しようと思えばやり様はあったが、啓治からは敵意や害意を感じなかったため、イセルはされるがままにされていた。


 「仲間を手伝わなくていいのか?」


 「ん? ああ。あの気色悪いゾンビもどきは片付けたし、状況の整理はあいつらに任せた方が効率良いしな」


 異形の群れは完全に沈黙され、国防隊の隊員が手際よく周辺を整理し、通信をかけているのをイセルは見た。


 「……で、一体どこまで連れて行く気だ? それにいつまで気安く腕を回している? さっさと離せ、でなければ力づくで――」


 「あのなあ」


 確実に麗菜には聞こえない距離まで来たところで、啓治が歩みを止める。イセルもそれに順ずる。そして啓治が口を開いたかと思えば。


 「俺と同じくらいの背丈の癖に、中身は小せえのな、お前」


 「……喧嘩を売っているつもりなら買うが?」


 イセルは不機嫌さを隠すことなく、厳しい声で告げる。対照的に啓治は呆れた様子で、盛大に溜息をつく。


 「不覚を取ったことに苛立って、恩知らずにも助けてくれた女の子に当たり散らしてるような男。これを小さいと言わずして、なんて呼ぶよ」


 乾いた音が高く鳴り、啓治が目を見開く。回された啓治の腕を払うように、イセルが瞬間的に腕を振り上げた結果だ。そうして啓治と正面に向き直ったイセルは、血気盛んに啓治に問う。


 「当たり散らしているだと? ふざけるな、レイナの実力では絶対に乗り切れなかった。自分の実力も見極められずに戦場に出る馬鹿を咎めることの、何が――!」


 「さっすが王子様、大層な物言いで。でもおかしいなあ、俺の記憶が正しけりゃお前はあの化け物どもに切り刻まれる直前で、あのの魔法がなかったら、相当痛い目見てたはずだが?」


 気色ばむイセルとは対照的に、啓治は軽薄な調子のまま、振り払われた腕をプラプラと振って痛がる素振りを見せる。


 「レイナの魔法など無くても、俺は乗り切れた! 多少あいつらの攻撃を受けただろうが、それで死ぬようなやわな鍛え方なんかしていない!

 向こうの世界で、何度も修羅場や死地を潜り抜けてきた! それに比べればあの程度、どうってこと――!」


 「ふーん、あっそ」


 興味なさげに放たれた返事も軽く、余計にイセルは苛立ちを覚える。


 啓治はマイペースさを崩すことなく、懐から葉巻入れを取り出し、葉巻を一本取り出す。以前イセルたちの模擬戦で見せたような煙草ではない。

 そして人差し指の先に極小の魔法陣を展開させ、葉巻を咥えながら先端を魔法陣に近づける。魔法陣と同色の緑黄色の火に炙られ、煙の筋が立ち上る。

 そうして一息、紫煙を吐き出して。


 「寝惚けたこと言ってんじゃねえよ、クソガキ」


 心底見下した口調で、そして眼差しに厳しさを宿して、啓治が言い放つ。


 「何だと……!」


 イセルも表情険しく、啓治に食って掛かる。


 「なーにが一人で乗り切れただよ。どれだけ耳触りのいい言葉や勇ましい物言いで取り繕おうが、お前さんがあのに助けられた以上、全部負け犬の遠吠えにしかなんねえよ。

 戦場で下手こいて、ピンチになって、いつも一緒に居る女の子に助けられて。

 そんな情けない自分が認められずに小っ恥ずかしくて腹立たしくて、礼を言うことすらなく苛立ちをぶつけている。そんな見るに堪えないクソガキが、今のお前だよイセル。模擬戦で見たときは器のでかい男だと思ったもんだが、買い被りだったかなこりゃ。

 今のお前、相当ダサいぜ?」


 イセルは音が鳴るほどに拳を握り、羅刹もかくやといった怒りの形相を見せている。けれど行動に移していないのは、啓治の言葉に少なからず思うところがある証左だった。

 葉巻を吹かす啓治は、意外なものを見たというように軽く瞠目する。


 「てっきり殴ってくるかと思ったが、抑えられるくらいの頭はあるみたいだな。ちょっとは見直したぜ」


 「黙れ。貴様のような無礼者、出来ることなら全力で殴り飛ばしている。だがそれでは貴様のような軟派者、殺してしまいかねないからな」


 「さようで」


 肩を竦める啓治には、いつもの飄々とした表情が戻った。


 「イセルさん!」


 二人が同時に声の方向へと向く。麗菜が走り寄ってくるところだった。麗菜は身体強化の魔法をまだ使えないため、二人の下へすぐに到着するわけではない。到着したころには、麗菜は肩で息をしていた。


 「レイナ……?」


 呆けた声がイセルから漏れる。


 「あ、えっと……イセルさんがすっごく怒っているように見えたから、喧嘩になっちゃうんじゃないかと思って、私……」


 麗菜の台詞に、啓治が噴き出した。そうしてそのまま小さく笑い続ける。イセルは辟易とした表情で、麗菜はキョトンと気の抜けた表情で啓治を見る。


 「ああいや、悪い悪い。そんなことのために全力疾走してくるなんて思わなかったからよ。面白えな、お嬢ちゃん」


 ひとしきり笑い終わった啓治は、麗菜に向き合う。


 「改めて、俺は筧啓治。このあいだの模擬戦で審判した奴だけど、覚えてるか?」


 「あ、はい! 覚えてます! あの、先ほどは助けていただいてありがとうございました!」


 麗菜は生真面目に、腰を折って啓治に頭を下げた。


 「いいねー礼儀正しくて。どっかの誰かさんとは大違いだ。ああそうだ、麗菜ちゃん? その誰かさんから、言いたいことがあるそうだ」


 「え……?」


 言葉の意味を測りかねたのだろう。麗菜が小首を傾げる。啓治は誘導するように、意味ありげな視線をイセルへと送る。


 ――余計な世話を。


 顰め面を見せたイセルは、麗菜と再び向き合う。イセルの視線を受けた麗菜は、緊張したように身を強張らせる。


 「レイナ」


 荒々しい様子を見せることなく、どこか照れ臭さがイセルの表情に垣間見える。けれど麗菜をまっすぐに見つめる眼差しは真剣で、向けられる少女はハッと息を呑んだ。


 「君のお蔭で助かった。ありがとう」


 イセルの感謝の言葉に、麗菜はようやくほっと胸を撫で下ろしたように微笑んだ。

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