第六話:反撃④ ~窮地、手を差し伸べるのは~
元の世界において、イセルは妹と共に救世の英雄として世界を巡り、数々の戦場を駆け抜けた。その経験によって研かれた直感が、その行動を選択させた。
大型車の上に飛び乗る直前。全身の産毛までもが逆立つ感覚が、イセルの総身を撫でる。脈絡なく生じた不快感に逆らうことなく、イセルは咄嗟に後ろへと飛び退く。車が爆発したのはその直後だった。
異形もろとも吹き飛ばされたイセルの体は、地面を数回バウンドしてようやく止まった。うつ伏せになったまましばらく動けず、何度も咳きこむ。
「イセル!」
高草木が駆け寄ろうとするも、新たに出現した異形が押し寄せるため、他の帯刀警官と同様にイセルの下へ向かえない。
「爆、発? なん、で、魔法の反応なんか、なかったのに……!?」
息も絶え絶えに、掠れ声で悪態をつくイセル。
この世界の価値観や技術、知識を学んではいるが、イセルがこの世界に来訪してまだ一か月弱。そんな短期間で、必要最低限の理解を身に付けたとは言い難い。
《車》という魔法の力に依らない移動手段があるのだと理解しても、それが駆動する原理や機構、その燃料がどのような性質を持つのかを、イセルは充分に理解していなかった。
遠隔操作による爆破ともなれば、完全に常識の埒外からの攻撃となる。仮に今の爆発が魔法によるものだったのなら、その直前にイセルは察知することができただろう。自身にとって未知の技術による攻撃に、イセルは後れをとる形になった。
――落ち、着け。手足は、動く。折れている骨も、分かる範囲ではない。
理解の及ばない現象に晒されても、思考を放棄することなく、イセルは自身の状態を把握する。咄嗟に飛び退いたこともダメージ軽減の一助を担ったが、素の耐久力がイセル自身を救った。魔法の加護のない生身の状態であっても、戦士として鍛え磨いた体は常人よりも頑強だった。
四肢は十全に動き、あからさまな骨折部位もないことを、イセルは確認する。吐血もなく不自然な腹痛・胸痛を覚えないことから、内臓が損傷している可能性も低い。
――まだ、戦える……!
戦闘行動に支障はないと判断し、手を突いて体を起こそうとした。
「うっ……!?」
しかしながらその瞬間、上下左右が溶け合うように、視界がぐにゃりと捻じれる。気付けばイセルは、再び地面に倒れ伏していた。
――まずい、頭を揺らされた……!
爆発の衝撃による脳震盪であると即座に理解し、そして焦燥がイセルを襲う。
脳震盪自体は数分もすれば回復する。だが逆に言えば、その数分は平衡感覚が狂い身体操作がおぼつかず、無防備になるということだ。
獲物が見せた決定的な隙を、異形が見逃すはずもない。
「ギシャアアああアアああああ!」
元々戦っていた数体の異形も、イセルと共に爆発に巻き込まれ吹き飛ばされた。だが核にダメージがなければ、何度でも再生する。再生を終えた異形共は甲高い奇声を上げながら、イセルへとにじり寄る。
――動け、立て!
平衡感覚は働かず、視界は回り続けている。何度も地面に倒れそうになりながら、イセルは懸命に立ち上がろうとする。
それでも鈍重な動きであることに変わりはない。イセルがようやく片膝を立てたころには、すでに異形共はイセルの周囲にまとわりつき、刃の間合いにイセルを捉えていた。
苦々しげに見上げるイセル。数体の異形が蹲るイセルへ刃を振るわんと、腕を振り上げる。
「く、そ……!」
息も絶え絶えに悪態を吐き、イセルは両腕を掲げ頭部を守ろうとする。蹲っているだけの獲物を容赦なく切り刻まんと、刃が振り下ろされる――。
刃は、イセルに届く前に壁に阻まれる。
「なに……!?」
思いもよらない事態に、イセルが目を見開く。気付けばイセルと異形を隔てるように、半透明の光の壁がイセルの四方に出現していた。
目の前の獲物を殺傷せんと、異形共は何度も刃を壁に叩きつける。そのたびに派手な衝突音が響くが、壁は一切揺らぐことはなかった。
「この魔法陣は……」
イセルの四方を囲む壁は魔法によるものなのは明らかだ。その証拠に、イセルの四方を取り囲むように、初級無属性防御魔法『
魔力光はイセルの見慣れた純白。そしてこの世界の他の魔導士とは違い、基盤円から《加速》の魔法文字が排されている。
「そんな、なんで……」
異形からの攻撃を覚悟したときよりも強い狼狽を見せながら周囲を見渡す。そして車道を挟んだ離れた場所に、イセルは少女の姿を見た。
「レイナ……!」
焦燥と驚愕のまま、その名を口にした。少女は強張った表情で、けれども力強く前を見据えて、イセルに向けて右手を掲げている。
「なんで、なんでここに居るんだ! 逃げろレイナ!」
狼狽を隠すことなく、イセルは叫ぶ。しかし麗菜は答えることなく、眉間に皺を寄せて前を見続ける。
魔導士が魔法を使うためには、魔法陣の展開が必須である。魔法陣の展開は術者の周囲であれば容易だが、距離が離れれば離れるほど、展開の難度は上がる。
遠隔魔法陣は術者から離れた場所に魔法陣を展開し、魔法を発動させる技術である。
麗菜が使用中の魔法は初級魔法。とはいえイセルとの距離は30m以上離れており、四つも発動させているとなれば、費やす集中力は尋常ではない。
麗菜が同時展開できる魔法陣の数は、現在五つ。ストックとしてはもう一つ魔法を使用できるが、遠隔魔法陣にて発動している『明壁』へ集中しなければならないため、これ以上魔法陣を展開させる余裕などない。
「やめろレイナ! これじゃ君が自分のことを守れない! 危険だ! 今すぐこの魔法を解くんだ!」
イセルの必死の叫びは麗菜に届いている。表情に怯えが滲むが、それでも頭を大きく横に振って、その場から動こうとしない。
「馬鹿……!」
歯軋りし、拳を形作る。イセルを攻撃しようとしている異形は、麗菜に向かうことはない。だが新たに出現した異形の群れは目的もなく無秩序に暴れており、疲弊した帯刀警官を食い破っていつ麗菜に襲い掛かってもおかしくはない。
異形共が麗菜の身を切り刻む。そんな光景を想像しただけで、吐き気にも似た恐怖がイセルの胸を刺す。
「お嬢ちゃんはそのまま魔法の維持。王子様は大人しくじっとしとけ」
ぶっきらぼうな物言いが聞こえたのは、そんな時だった。ハッと意識を向けたときには、若い男が麗菜の隣に立っていた。麗菜は驚いたように目を見開き、隣を向こうとして。
「ほれほれ集中集中。今魔法が解けると、王子様のバラバラ死体の出来上がりだぜ?」
余裕すら感じさせる男の声を聞き、改めて表情を引き締めて前を見据える。
男の手元から無数の光球が現れ、意思を宿したように飛び立つ。蛍火に似た緑黄色のそれらは、イセルを取り囲む異形共の胸部や背部に取り付く。異形は気にする様子もなく、ただひたすらにイセルを攻撃しようと刃を振り下ろすが。
「弾けろ、《
男の掛け声と共に、光が爆発する。範囲だけならば、爆発と呼ぶには小規模で異形は原型を留めている。
だが異形の胴体――胸部中央には風穴が空いており、その攻撃は確実に、異形共の核を破壊していた。
数舜遅れて、砂となって崩壊する。それを待ってから、麗菜はようやく遠隔魔法陣を解除した。
「あいつは、確か……」
イセルは男の姿と声を、自身の記憶から浚いあげる。
「よっ、また会ったなお二人さん」
気さくな調子で、
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