第六話:反撃② ~好転の兆しは、果たして真か~

 イセルが兄妹の下へ歩み寄る。


 兄妹は変わらず互いを抱きしめた状態で、近づいてくるイセルを見つめ続けていた。二人の前に到着し、イセルは片膝をついて二人に視線を合わせる。


 「怪我はないか?」


 引き締めた表情のままイセルが問う。妹の方は固まったまま反応を示さなかったが、兄の方は緊張した様子ながらも数度頷いた。


 「よかった……」


 二人の反応と、目に見えて分かるような怪我がないことを確認したイセルは、小さく安堵の息を吐いた。


 「きみ! 待ってくれ!」


 投げかけられる声と迫りくる人影に、イセルが意識を向ける。高草木がイセルの下へ、《身体強化》で駆け寄るところだった。イセルは立ち上がり、高草木の到着を待つ。


 高草木は相手取っていた数体の異形を、細かい肉塊へと斬り刻んでいた。斃せないながら再生速度を少しでも遅らせて、足止めするための苦肉の策だった。


 「何故きみはあれ殺せたんだ!? そもそもあれは何だ!? きみはあれを、知っているのか!?」


 焦燥と驚愕を隠すことなく、高草木は矢継ぎ早にイセルを問い詰める。


 ――この世界に、レヴナンテの魔法は存在してなかったのか……!


 未だに異形共に手をこまねく魔導士たちと、高草木の言葉が揃ったことで、イセルの中にあった予測が確信に変わった。


 苦い思いがイセルの胸を満たし、僅かながら表情を曇らせる。だがそれは一瞬で、毅然とした面持ちを再び取り戻す。

 無言のまま、今しがたたおした異形の下へ行く。

 砂となっていく異形の残骸。その胸部であった場所に、イセルは躊躇いなく手を突っ込む。そしてすぐに抜き出した手の中に握られていたのは、小さな二つの物体だ。

 ゴルフボールよりもやや小さい、真っ二つに割れた、深紅の丸い結晶体だった。


 「それは……?」


 「こいつらの胸の中心にある、こいつらを形作るための核だ」


 「核だと?」


 「こいつらをたおすにはこの結晶体を、正確に毀損しなければならない。それ以外は体を焼こうが真っ二つにしようが、首を斬り飛ばそうが頭を潰そうが再生し続ける。いつまでも、命ある者を襲い続ける」


 「成程。心臓にあたる部分攻撃しているつもりでも、それだけ小さな的なら、本当に正確に胸部正中を狙わなきゃならないわけだ。それで……」


 淡々と己が知る情報を告げるイセルに、高草木は向ける目を眇める。


 「何故きみは、それを知っている?」


 高草木の双眸がイセルを突き刺す。だがイセルはたじろぐことなく。


 「隠すつもりはない。知り得る全てを明かすことを約束する。だが今は時間が惜しい、頼む――!」


 高草木に一歩踏み出すイセル。眇めた目はそのままに、高草木は油断なくイセルの言葉を待つ。


 「俺にその剣を貸してくれ!」


 「な……!?」


 懇願の内容が予想外のものだったらしい。高草木が目を見開く。


 「魔導士だろ? 魔導器がなくても魔法は使えるんだろ? 頼む、俺にそれを貸してくれ!」


 高草木の胸元を掴み、イセルは顔を引き寄せる。その形相は必死そのものだった。


 「俺にどうか、戦う術を……!」


 縋りつくように、胸元を握る手に力を込めて、イセルは高草木を見詰める。押し殺したように言葉を吐くイセルの、鋭く張り詰めた態度に、高草木は感じ入ったようにイセルを見据える。


 「高草木さん!? おい異世界人! さっさとその人から手を離せ!」


 自身が相手取っていた異形共を一時的に沈黙させたあと、有馬がイセルたちの下へ駆け寄る。二人の会話を聞いていない有馬は、イセルが高草木に危害を加えている風に見えたようだ。有馬の声に反応を示すことなく、イセルは高草木に強い視線を送り続けている。


 「お前、聞いてるのか――!」


 「よせ」


 気が立った様子でイセルに手を伸ばそうとした有馬を、高草木が制止する。


 高草木が瞑目し、一つ溜息を吐いたあと。

 納刀された自身の得物を鞘ごと腰から外し、イセルへと差し出す。


 「この刀は魔力を流して使うことが前提として造られている。言おうとしていることは、分かるな?」


 「ああ」


 「ならいい。上手く使えば、それなりに長持ちするはずだ。あまり無茶な使い方するなよ?」


 イセルは刀を受け取りながら粛然と頷いた。


 「な、 高草木さん!? なにやってるんですか!? こんなどこの馬の骨とも知れない奴に――!?」


 「今は一人でも多くの戦える奴が欲しい。イセルはあの化物を素手で斃した。十分に戦力になり得る」


 「だからって一般人に魔導器を貸すなんて、なにを考えてるんですか!? 管理責任が問われ――!」


 「俺がやつらの注意を引き付ける。その間に、生存者や怪我人の保護を頼む」


 有馬と高草木の問答を遮るように、イセルが淡々とした口調で言う。


 「注意を引き付けるったって、どうやって――」


 高草木の疑問が言い結ばれる前に、イセルが高草木を向く。感謝と、懇願の入り混じった感情が面差しに込められていた。


 「武器をありがとう。それから、その子たちを頼む」


 声に宿る重さに、高草木も有馬も反応を示すことが出来なかった。返答のない二人の様子を気にすることもなく、イセルは鞘から刀を抜き、飛び出していった。


 「あいつ、本当に魔力がないんですか……!? 俺たちの《身体強化》と同じ、下手すればそれ以上の……!?」


 有馬の口から隠しきれない驚愕が漏れる。高草木も数秒ほど呆けた表情を見せたが、やがて意識を引き締め直し様子を見せる。


 「その子たちを安全なところに運ぶついでに、パトカーから俺の予備の『閃鉄せんてつ』を持ってきてくれ。

 奴らの弱点は胸部の中心だ、無線で情報共有を頼む。俺たちも行くぞ!」


 部下に指示を飛ばし、高草木は両手に風の刃を纏わせて戦場へと足を踏み出す。終わりのない戦いの攻略の糸口を知り、そして英雄の姿を見た彼の足取りは、先ほどよりも遥かに力強いものだった。








 駆け抜けざまに数体の異形をたおしながら、イセルは異形共を載せていた大型車群の中の一台へと辿り着く。


 大型車から異形共は現れており、単純に考えればそこを中心にして放射状に異形が広がっていると見れる。つまり、異形共を運んできた大型車の付近こそが、生存者から最も離れた場所だった。


 常人離れした跳躍で、地面から大型車の上に一足で飛び乗ったイセルは、辺りを見渡す。


 優に二百体を超す異形の群れ。帯刀警官たちは今なお懸命に戦っているが、適切な対応ではないため数が減らず、その戦果は足止めの域を出ない。トラック周囲にはイセルに反応して数体の異形がにじり寄っているが、その他生存者は居ない。


 状況を確認したイセルは、限界まで肺を膨らませ、


 「破ぁっ――!」


 吸い込んだ空気を一気に吐き出し、裂帛を放つ。雷鳴のごとき大音声は一瞬で炸裂し、周囲の喧騒を力づくで捻じ伏せる。


 イセルの近くに居れば、まともな耳を持つものなら間違いなく鼓膜を破られていた。彼からは離れている生存者たちは、突如響いた轟音に眉を顰める。


 そして耳に類似する構造物を持たない異形は、イセルの咆哮が響いた直後に一斉に静止する。そして体を、一斉にイセルの方向へ向ける。


 これまで無秩序に襲ってきた異形共の、一糸乱れぬ統率された行動は、かえって見る物に怖気を抱かせる。


 そして数秒の不気味な静寂のあと。


 「「「ーー◇◆゛□◆ーーーー!!」」」


 例えば、ガラス板を針金で引っ掻く音。


 例えば、耳元で虫が数匹飛び交う羽音。


 例えば、毒蛇が襲い掛かる前の威嚇音。


 凡そ思いつく限りの、人が嫌悪を催す音を全て詰め込んでもなお足りないほどの、背筋を凍らせる大合唱が響く。一般警官や帯刀警官ですら、悪心を噛み殺すために口を覆う者も居り、荒事とは無縁の市民はほぼ全員が気絶した。

 異形共は目の前に居る帯刀警官や生存者を無視し、イセルへと押し掛ける。


 「あのバカ、人の話聞いてないのか……! 生存者の保護と避難誘導を急げ!」


 異形共の急な変化に唖然としていた警官たちは、高草木の一喝により我を取り戻し行動を再開する。そこまでを見届けてから、イセルは殺到する異形の群れに身を投じた。




 魔王討伐、世界救済の旅路において、イセルは己の感情を律する術を身に付けなければならなかった。


 人々の期待や英雄としての重圧に動揺すること、そして戦いにおける犠牲に対し悲しみ涙することは、人々の士気低下に繋がる。弱さを己の中に押し込め隠すことは、必須の技能だった。


 感情を律するということは、同時に、感情を見せる術を身に付けるということだった。冷静かつ機械的に敵を始末するよりも、義憤や闘志を前面に押し出し、魔獣共への底なしの憎しみを剥き出しにして戦う姿が、共に戦う味方を鼓舞し大きな戦果に繋がるということも、イセルは弁えていた。


 感情を隠す。感情を見せる。

 感情を律するとは、相反する二つの術を使いこなすということ。

 イセルは感情を律する術を、真の意味で習得していた。


 「おぉおおおおおお!」


 鮮烈なる闘志を叩きつけるように、イセルは刃を奔らせる。


 袈裟懸け。刺突。そして頭部から股にかけての豪快な唐竹割り。


 四方八方よりイセルへと押し寄せる異形の群れは、刀の間合いに入った瞬間に斃されていく。肉体は再生することなく、砂塵となって崩壊する。


 単調かつ鈍重な動きといえ、戦いの場でゴルフボール大の目標を狙うためには、極めて精密な技が要求される。ましてや外部からは見えないそれを、イセルの刃は寸分の狂いなく捉えている。激しく荒々しい斬撃は力任せのように見えて、その一つ一つが極限にまで磨き抜かれた武の絶技だった。


 イセルの闘志あふれる雄姿は、この場に立つ全ての戦士の心を奮い立たせた。









 「生存者の離脱確認! これより全員、やつらの殲滅にかかれ! 確実に奴らの胸の中心を狙え!」


 高草木の号令と共に、帯刀警官たちが異形の群れに向けて飛び掛かる。広範囲に渡る攻撃魔法はイセルを巻き込む可能性があり、なおかつひとまとまりに集合している異形の群れを散逸させる恐れがあるため、先ほどまでと同じように『身体強化』による白兵戦が主体となる。

 しかしながら異形の弱点を知った剣士たちの刀は、ようやくその命に届き始めた。


 イセルを中心に異形共が群がり、その外周から帯刀警官たちが攻撃を仕掛けている。異形共は間近に居る仲間が切り倒されてもなお、脇目を振ることもなくイセルのみを目指す。


 「なんだこいつら……どうして急に、あの異世界人だけを……!?」


 「手を止めるな! 一刻も早くこいつらを全滅させるぞ! 考えるのはあとだ!」


 若い部下を叱咤しながら、高草木が異形を斃す。他の帯刀警官も、一心不乱に異形共を沈黙させていく。


 ――これでいい。これでもう、犠牲者が出ることはない。


 現在の状況に安堵さえ覚えながら、イセルは迷いなく戦い続けていた。




 斃した異形の数が、四十に届いた時だった。


 パキィン、と。


 澄み切った高音が鳴ると同時に、イセルの両手から重量が消える。


 四十体目の異形を斬り斃した直後、イセルが手にしていた刀が折れた。


 「チィっ、やっぱり……!」


 外周の異形を駆逐している高草木が、悪態をついた。


 日本の汎用魔導器である『閃鉄せんてつ』は、魔力を流すことで強度が増強される。そのため物質としての元の強度をある程度犠牲にして軽量化を図り、使用者の取り回しが利くように製造されている。


 魔導士が使用者であることを前提とした設計であり、魔力による強化がなければ、普通の刀と同等以下の耐久性だ。イセルの苛烈な戦いぶりに、刀の方が耐えられなかったのだ。


 ――くそ、この辺りが限界か!


 高草木の『閃鉄』を受け取り、彼の言葉を聞いた時点で、イセルは手にした刀の性質を理解していた。それ故に、いずれは得物が折れるという結果も予期しており、忌々しくは思っても狼狽を覚えることはなかった。


 刀身の中程で折れた得物を、目の前の異形の胸に突き立てる。

 砂へと成り果てる異形。だが休む間もなく異形共がイセルに殺到する。


 襲い来る異形の刃。イセルは一体の腕を掴み、別の個体へ突き刺す。


 得物を失ったイセルは、今度は同士討ちにする形で異形を斃していく。刀を手にした時よりも異形共に接近を許してしまうが、異形の群れの僅かな間隙を縫うように体を操り、攻撃を掻い潜る。


 格段に勢いは落ちるが、それでも着実に異形を斃している。洗練された身の熟しに異形の刃が届く気配はない。時間はかかるだろうが、帯刀警官たちの奮戦も考えれば、イセルが無傷のまま乗り切るのは時間の問題だと思われた。









 イセルを襲う脅威が、今居る異形だけであったのなら。

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