第六話:反撃① ~少年は戦場へ~
殺到する人波に逆らい、誘導する警官の静止すら振り払って駆けるイセル。彼が現場に到着したときには、辺りには悲鳴と怒号、不快な叫びと血臭に溢れていた。
「レヴナンテ……!」
無秩序に悪意を振り撒く異形を目に捉えたイセルは、憎々しげに呟きながら奥歯を噛みしめる。
「いやぁぁぁぁ!」
切羽詰まった悲鳴がイセルの鼓膜を衝く。目を向けた先に居るのは互いを抱きしめ合う幼い兄妹と、二人に迫る一体の
イセルの意識が、無理矢理に過去の情景へと引きずり込まれる。
それはいつか見た――そして何度も目にした惨劇の一幕。
魔王軍に蹂躙された小さな村。
魔獣や魔人、そして異形共を殲滅しても、奪われた命が戻ることはなく。
せめて誰か生きていてくれと、僅かな希望を持って探し、そして見つけ出した小さな命は。
妹の――この世界で最高の魔導士であるレーナの魔法すら意味がないと分かるほどに、燃え尽きる寸前だった。
どれだけ甚振られ、犯され、弄ばれたのか。一体どこまで冷酷な悪意があれば、こんなにも小さく柔らかな体をここまで
目の前の命がまだ生き永らえているのは、奇跡などではない。できるだけ長く生かし、無垢なる命に与えられるだけの苦しみあれと、邪悪なる愉悦を満たすための遊興の結果だった。
憎しみと怒りを胸の奥底に押しやり、せめてもの安らぎを与えようとイセルが聖剣に手をかけたとき。
誰もが目を覆いたくなる惨状の中、レーナが幼子を抱きしめる。
言葉もなく、空色の瞳から大粒の涙を流しながら、それでも今まさに消えゆく命に微笑みかける。
濁り切った――絶望しか映さなかった幼子の瞳に、僅かな光が灯る。
おかあさん、と。
最期に小さく呟き、瞳を閉じた幼子の表情は、苦痛のない穏やかな笑みだった。
「痛かったね。苦しかったね。怖かったね……」
「ごめんね……ごめん、ね……!」
間に合わなかったことに対するものか、救うことの出来なかった己の無力感から湧いて出たものか、あるいはその全て。
腕の中で事切れた幼子を掻き抱き、涙声のまま何度も許しを請うレーナ。集った騎士や魔導士たちからも嗚咽が漏れる。
渾身の精神力で感情を制し、イセルは厳かな表情を保ったまま、レーナを後ろから抱きしめる。
「ありがとう、レーナ。俺が楽にさせるよりも、お前に抱きしめてもらえたことが、きっとこの子にとっての一番の救いだった」
耳元で穏やかに囁いたあと。
一際深くなったレーナの悲しみが、惨劇の爪痕残る村にいつまでも響き続けた――。
全速力で駆け抜け、全力で異形を殴り飛ばしていた。魔力のない――《身体強化》の魔法を使えないイセルにとって、今現在出せる全力の速さも力も、向こうの世界に居た頃に比ぶべくもないほどに貧弱だ。全盛期の己を知るからこそ、その差はイセルを苛立たせる。
それでもイセルは、奪われるはずだった幼い命を護りきった。二人の兄妹を隠すように、異形の前に立ちはだかる。
――この世界にも、
――死せる者の尊厳を踏み躙り、生ける者の幸せを奪わんと欲する、殺さなければならない救いようのない外道が!
胸の奥底で煮え滾る怒りが、さらに熱を帯びる。握りしめた拳はさらに硬く、険しい表情はさらに凄みを増す。
「その子たちを連れて逃げるんだ! そいつらは斃しても斃しても死なない、動きを止めない! 頼む、逃げてくれぇ!」
高草木が異形を相手取りながら、イセルに向けて必死の形相で叫ぶ。昼間に出会い、一定の評価を下した実力者の血の滲む声に、しかしイセルは反応を示さなかった。
高草木の言葉はイセルの耳に、そして脳に届いている。イセルの心は熱く燃え盛っているが、そんなことで視野狭窄に陥るような未熟さなど、イセルはすでに捨て去っている。
本人はそう呼ばれる資格などないと本気で思っているが、それでも世界を一つ救った大英雄だ。戦士としての実力は元居た世界において、並び立つ者のない絶対の力だった。
魔力を失い、魔法は使えなくとも。
向こうの世界で培ってきた技能や膂力、研ぎ澄まされた判断力や戦時の直感など、こと戦闘に関する全ての能力は、今なお輝きを失っていない。
イセルの感覚は戦場における全ての情報を取り込み、己の中で取捨選択している。
高草木の懇願にイセルが応えなかった理由。
それは高草木の叫び――現状、帯刀警官が異形共に不利な形勢を強いられている要因を、不要な
殴り飛ばした異形が大口を開けて襲い掛かり、イセルに向けて右腕の刃を振り上げる。イセルは刃が届く寸前で右半身を引くことで容易く避ける。異形の右側に、イセルが回り込む形になる。
異形の刃は腕と一体になっている。振り下ろされた刃――異形の右腕を右手で掴み、異形の右肩に左手を添え、さらに左足を異形の前に割り込ませる。
「シっ!」
短い裂帛がイセルから放たれる。
右腕は引き、右肩を下に押し込むように左手に力を込めて、左足で異形の足を掬いあげ直下の地面に叩き落とす。この世界における柔道や合気道の技が混じったような投げ方で、イセルは異形を組み敷く。
だがそれでイセルの行動は止まらなかった。組み敷いた異形の右肩を左足で踏み付け、立ち上がりながら両手で右腕を掴み引っ張る。
異形が悶え苦しむように奇声を上げる。痛苦による悲鳴と思われるそれを、イセルは無視して力を込め続ける。
「せぁああ!」
やがてブチリと、生々しい音を立てて異形の右腕が肩から離れる。肩と右腕の断端は、まるで互いを求めるかのごとく肉がウネウネと蠢いている。
引き千切った腕を持ち替え、刃を下にしたイセルは、踏み付けている異形の背中の中心に、迷うことなく突き立てた。
イセルが踏み付けている異形が、一度大きく震える。だがすぐに動きが静止したあと、肉体が砂となって崩壊し始めた。
「見た目だけじゃなく倒し方さえ同じか、反吐が出る……!」
吐き出された声は小さく、けれども込められた思いの密度は、果てしなく重かった。
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