第三話:沈潜 ~主従の稽古風景と、少年の勘違い~

 白銀の貴影が舞う。


 跳躍し、身を翻し、あるいは側転やバク転を駆使して身を躍らせる。軽やかに躍動する様は体操選手や、創作舞踏を生業とする踊り手を連想させる。


 イセルが動いた後、元居た場所に間髪入れることなく魔法が叩き込まれる。


 光弾。火球。水流。風刃。多種多様な魔法を織りなす数々の魔法陣は、白光で編まれている。


 魔法は対象を捉えようと迫るが、寸でのところでイセルはそれらを躱していく。紙一重のタイミングではあっても、間一髪の回避行動でない。それは危なげない足取りや、汗一つ浮かばない余裕の表情からも明らかだった。


 「どうしたレイナ! そんなんじゃ虫一匹落とせないぞ! 俺に当てるなんて夢のまた夢だ!」


 イセルは動きを止めることなく、口角をあげながら声を張る。


 イセルから30mほど離れたところで、麗菜は自身の周囲に五つの魔法陣を展開させている。イセルと同様、学校指定の体操着(制服と同じく、防護魔法が発動する簡易魔導器)に身を包み、先ほどからイセルに向けて魔法を放っている。


 「くっ……!」


 イセルとは対照的に、麗菜は固い張りつめた表情を見せる。額に汗を浮かべる彼女は、イセルの挑発に答えることなく、表情をさらに強張らせる。


 ――なんか企んでるな。


 傍から見れば、煽りに対して感情的になったと思わせる変化。だがイセルは、麗菜の表情に隠された意図を鋭敏に読み取る。

 自分が警戒していると悟られぬように、余裕に満ちた態度を崩すことなく、イセルは動き続ける。


 ――もうじき五分……そろそろ時間だが、さて。


 決められた制限時間まで残り十秒。そこで麗菜に変化が訪れた。


 正確には麗菜本人ではなく、その周囲に展開された魔法陣。五つ展開して魔法を放ち続けていたが、そのうちの一つが消失する。残された魔法陣から四つ同時に放たれた魔法は、イセルから大きく照準を外した場所へと飛んでいく。


 ――外した? いや、違う。


 四つの魔法――初級光属性攻撃魔法、《光弾ソル・バレット》――は、イセルの逃げ場を絶つように放たれていた。


 そしてイセルは、背後に僅かな揺らぎが生じたのを感じ取る。彼の背後に、一つの魔法陣が展開されていた。


 「これで――!」


 麗菜の口から小さく歓喜の声が漏れる。退路は断たれ、さらにイセルは跳躍した直後であり、今まさに爪先が地に着きかける瞬間だった。


 逃げ場はなく、体勢は不十分。イセルの背後に展開された魔法陣は正確に機能しており、魔法が発動する直前だ。

 着地した瞬間に、魔法が直撃する。実戦経験の乏しい少女がそう勝利を確信するのも、無理はなかった。


 イセルの余裕に満ちた笑みが、苦笑に変わる。


 ――甘いよ、レイナ。


 だがそれは、必定の敗北に対する諦念などでは、断じてない。


 足が地に着いた瞬間。イセルは体勢を立て直すのではなく、あえて脱力して体を沈み込ませる。足を大きく広げ、上体も限界まで地面に倒す。


 イセルの背後の魔法陣。そこから放たれた《光弾》は、地面に沈む彼の上体の、やはり紙一重のところで当たることなく通り抜ける。


 イセルと麗菜は一直線に並んでいる。イセルの背後から魔法を放ち、それをイセルが避けたのであれば。


 「え、ちょ――!?」


 放たれた《光弾》は、必然的に術者へと向かうことになる。予期せぬ結果に、慌てた様子の麗菜は周囲の魔法陣を霧散させる。そしてすぐに一つの魔法陣を自身の前に展開し、《明壁バリア》を発動させる。


 直撃する瀬戸際で、辛うじて《光弾》は《明壁》に阻まれた。だが麗菜は体勢を崩し、盛大に尻餅をつく。


 「いっ、た……!」


 麗菜が苦悶の声をあげるのと、制限時間終了を告げるブザーが鳴ったのは、ほぼ同時だった。


 ゆっくりと立ち上がったイセルは学生証端末を取り出し、ブザーを止める。そうして、へたり込むようにペタンと座る麗菜へと歩み寄る。

 荒い息を零し、額に汗を浮かべる麗菜は、立ち上がる余裕もないのかイセルの到着を黙って待つのみだった。


 「仰々しい動きに見えるだろうが、速さも加減してるし、回避行動だって分かりやすくしている。ちゃんと見極めろ。

 攻撃も単調だ。誰も攻撃魔法だけ使えとは言っていない。属性だってそうだ。最適属性が《皆無》である君の強みは、。そう言っただろ。それを使わなくてどうする。

 それこそ交響魔法陣シンフォニック・キャストを使ったっていいんだ。まさか、俺に怪我させるのを心配なんかしてないよな?」


 座り込む麗菜に、立ったまま見下ろして言うイセル。その表情には笑みはなく、冷徹な面持ちに温もりは一切存在しない。

 口を噤み視線を逸らす麗菜に、不機嫌さを隠すことなくイセルは嘆息する。


 「確かに魔力は失っているから、この服に備えられた防御魔法は発動できない。身体強化の魔法も使えないから、今の俺は本来の身体能力に大きく劣る状態だ。だがそんな俺にすら魔法を当てられないレイナが、俺の身を心配する余裕があるのか? 魔力を持たない者だからと、加減してやろうとでも思っているのか?

 自惚れるなレイナ。今の君は、俺にかすり傷一つつけることすら不可能だ。俺の身を心配するなんて、杞憂を通り越して最早侮辱だ」


 麗菜へ向けるものとしては珍しい、冷たい声音と厳しい言葉でイセルは叱責する。顔を上げた麗菜は、一瞬泣き出しそうに表情を顰めた。


 首肯したものの、すぐに項垂れるように俯く。


 「――悔しいか、レイナ」


 イセルは見定めるように目を眇め、突き放す調子で麗菜へと問う。それは勝者が遥かな高みから敗者を辱めるような、ともすればそんな残酷さすら感じさせる。


 「悔しい、です……!」


 イセルを見上げることなく、麗菜は声を絞り出す。少女の柔らかな手が、痛々しく強張って拳となる。


 それを見たイセルは、穏やかな笑みを浮かべた。


 「悔しいって思えるなら、上等だよ。それは君が、君自身を諦めていないっていう証だ」


 笑みに相応しい温かな響きが言葉に宿る。再び顔を上げる麗菜は、戸惑いに満ちた顔色をイセルに見せる。


 直立の姿勢を崩し、イセルは麗菜と目線を合わせるように腰を落とす。麗菜の潤んだ瞳を、真直ぐに見つめて意思を伝える。


 「練習を始めて、一週間近く。拙いところはまだまだあるし、こうやって厳しいことは言ってるけど、間違いなく良くなっている。


 最後の攻撃も、俺の動きを読んで退路を断つ手際は良かった。なによりもあの遠隔魔法陣リモート・キャスト。あれはとても上手く展開されていたし、発動できていた。正直驚いたよ。魔法陣の展開に関する技術は、同年代に比べても図抜けていると思う。君の努力を窺わせる魔法だった」


 素直に称賛するイセルに、麗菜は目を大きく開く。


 「頑張ってるよ、レイナ。君はもっともっと、強くなれる。俺はそのために本気で君を鍛えるから、レイナも今は俺のことなんて心配しないで、全力の君でぶつかってきてほしい。魔力は持っていないけど、それに応えるくらいの力は、持ち合わせているつもりだ」


 熱い血の通った激励。麗菜は一度、乱暴に目元を拭い。


 「はいっ!」


 笑顔を輝かせて、イセルに応えた。






 午前七時。イセルと麗菜が居るのは学校構内の練習場の一つだ。イセルと麗菜の個人練習は、もっぱら登校前の朝に行っていた。


 練習場自体は申請を行えば誰でも、24時間利用可能となっている。だがこんな早朝から利用するのは、実技試験を控えた学生くらいのものだ。それ以外でこの時間帯に利用する者はほぼ皆無であるため、二人は独占して使うことができた。


 これまでは魔法の発動の練習に費やし、そして今日からイセルを的にして当てるという実践的な練習を取り入れていた。


 制限時間は五分。イセルは麗菜に半径30m以内に接近することはできず、麗菜が放つ魔法をただひたすらに躱し続けるだけだ。愛用する剣すら持っていないため、イセルには一切の応戦行動を許されていない。


 そんな圧倒的なハンデがあってもなお、歴戦の戦士と、ついこの間魔法を発動できるようになった学生魔導士との間には、やはり大きく隔たれた実力差が存在していた。


 「魔法を定義する魔法陣の『展開』。

 魔法陣に魔力を巡らせて消費し、力場を得る『循環』。

 汲み出した力場エネルギーを発散させることなく、安定化させて現象を形成する『固定』。

 

 君も知る通り、魔法を発動するためにはこの三つの過程を経る必要がある。君が今まで暴発させてきたのは、魔力量が多いうえに、基盤円に加速の魔法文字が組み込まれていたせいで、得られる力場が大きくて『固定』が出来ず、力場が暴走していたからだ」


 「『展開』に関しては、君は速いし正確だ。だけど今まで暴発してきたから無意識に委縮して、『循環』と『固定』が慎重になりすぎている。だから魔法の発動が遅い。

 普通の魔導士が発動時間の短縮で躓くのは『展開』の部分だ。それが人よりも速いレイナなら、練習を重ねれば『循環』と『固定』も自ずと洗練されるだろうから、もっと速く魔法が撃てるようになる。根気強くやっていこう。それから――」


 二人してベンチに座り、イセルは練習中に見出した問題点を洗って麗菜へと伝えていく。タオルで汗を拭きながら、麗菜はイセルの言葉を一言一句聞き漏らすまいと、真剣な眼差しで聞き入っている。


 「――こんなとこかな。何か質問は?」


 「いえ、ないです。ありがとうございました」


 納得したように小さく微笑みながら、麗菜は礼を述べる。


 「よし、今日はこれくらいにしよう。簡略化してるとはいえ、初めての実戦形式の練習は中々疲れただろ? 学校も行かなきゃいけないし、続きはまた明日の朝……時間があったら今日の午後に」


 「はい。今日もありがとうございました」


 ベンチから立ち上がった麗菜は再び、今度は丁寧に頭を下げて礼を述べた。


 「ああ。それじゃ、軽く汗を流してきたらいい。練習場の使用終了の手続きは、俺がやっとくから」


 「あ、ありがとうございます。助かりますけど、イセルさんはシャワー浴びなくていいんですか?」


 自身よりも遥かに大きい運動量だったイセルに、麗菜がキョトンと首を傾げる。そんな彼女に、イセルはどこか得意気な笑みを浮かべる。


 「あの程度で汗を掻くような、やわな鍛え方してないよ。練習目標は俺に魔法を当てることにしてるけど、まずは俺に汗を掻かせることに変更した方がいいかな?」


 からかうように軽口を叩くイセル。それを受けた麗菜は、小さくむくれた顔色を見せ、


 「……絶対、痛い目見せてやります。怪我してから後悔しないでくださいね!」


 純度100%の負け惜しみの台詞を吐いて、施設内にある女子更衣室へと歩いていった。


 ――それくらい負けん気があるなら、心配要らないな。


 取り残されたイセルは小さく笑い、安心しきったように溜息をついた。


 「この世界へ来て一週間、か。ほんと、夢みたいだ。行く先は地獄だろうと思ってたのに、こんなにも満ち足りた生を受けるなんて」


 噛みしめるようにしみじみと言う。


 世界を救うため――というよりは、レーナの夢見る世界を目指すため。そして妹自身を守るため。

 自身の心を焼き焦がす憎悪をぶつけるように魔獣を狩り続け、ときに魔獣よりも残忍な内面を秘めた畜生共ニンゲンを斬り屠り、遂には魔王を命と引き換えに討ち果たした。


 魔獣といえど、命であることには変わりない。世界は救っても、数えきれない命をこの手で殺戮してきたことに変わりはない。さらには魔王の軍勢との戦いの中で、数多くの戦友や民草の命を救えず犠牲にしてきた。そして最後まで守り抜くと誓った存在を、守りきることが叶わなかった。


 憎しみのまま殺した命は多く、手から零れ落ちていったものは極めて多い。幼いころに夢見た英雄とは程遠い己が、まともな死に方や死後の世界を望めるはずもないと思っていた。


 「異なる世界への転生……に、なるのかこれは。普通は帰りたいとか思ったり、取り乱したりするかな。でもあんまりそんな気にならないのは、多分、目標があるからだろうな」


 己は一度死んだ身である。そのことをきちんと理解しているイセルだからこそ、無様に狼狽えることなく、一種の余裕を持って事態を受け入れることができた。そしてイセルがこの世界で得た目標、それは。


 ――この練習を始めるのは、もう少し先だと思ってたけど。ほんと、負けん気の強いところまで似ているなんてな。


 イセルを今の世界へと召喚した少女。彼女の夢を応援し力となることが、イセルの新たな目標だった。


 瞳の色や顔立ち。優しさや芯の強さ。外見だけでなく内面も、愛しい家族を想起させる麗菜。そんな彼女の力となることに、躊躇ためらいは微塵もない。


 「俺はまだあのに、レーナの面影を求めているのか……?」


 イセルが乾いた声を漏らす。イセルが麗菜のために尽力する理由。それは彼女の強さや優しさを心から認めたからであり、使い魔として彼女の剣となると誓ったからだと思っていた。


 だが今はそれ以外の、別の思いが自身の胸の中に生じていることに。

 そしてその思いが、麗菜のために尽力しようと自身を駆り立てていることに、イセルは気付いてしまっていた。


 あるいは共に食事をするとき。


 あるいは共に過ごす中で、無防備に笑みを綻ばせるのを見るとき。


 あるいはこうして稽古の最中に見せる、固い信念を窺わせる力強い表情を見るとき。


 麗菜と接する中でふと湧きあがる、切なさと温もりが同居した一つの感情。初めて認識するそれを、イセルは自分が、無意識に彼女をレーナと重ねているためだとした。


 ――違う、違う……! あいつは死んだ、死んだんだ! お前が守れなかったんだろうイセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー! 腑抜けたか『白銀の煌剣』! 償いを、救いを、あの娘に求めるな! 


 大きく頭を振り、己を叱咤する。そうして気を取り直すように立ち上がり、自身の仕事を果たそうと歩き始める。




 元居た世界では救世のために戦いに明け暮れ、『子供』であることを早々に捨て去ったイセル。




 誰もが通るべき瑞々しい時代を経なかった彼は、自身が抱える感情の正体に、まだ気付くことが出来なかった。





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