第二話(後):雑談 ~放課後、少女は親友と~
図書室の奥。その一角で、麗菜は手に持つ書物に目を走らせていた。目の前の机にはいくつもの書物が積まれている。だが彼女の几帳面さが表れているのか、書物は無造作に散らばることもなく、1mmのブレもなくピタッと並べられている。
テスト期間でもない今の時期は、図書室の利用者数も少ない。麗菜の周囲には誰も居らず、本の文章を指でなぞりながら呟く麗菜の声は、無人の周囲に小さく響く。
「使い魔現界における効率的な魔力供給……召喚主と使い魔の魔力共鳴による、使い魔の能力最大発揮……使い魔の魔力を用いた魔法行使、および魔力の代替消費……。
ダメだ。どれも使い魔の魔力が存在する前提でしか話されていない。
でも、そうだよね。召喚した使い魔が幻獣じゃなくて人で、この世界の裏側じゃなくて別の世界から来ていて、魔力もないし召喚主との魔力経路もない。ここまで前代未聞が揃っているんだもん、そう簡単に使えそうな理論や魔法式が見つかるわけないか……」
細く溜息を吐きながら、麗菜は読んでいた本を閉じる。放課後にイセルと別れてからずっと調べ物をしていた麗菜は、思った成果が出せずにもどかしさを覚える。
「いや、何も見つからなかったってわけじゃないんだけどね……」
苦笑しながら麗菜は、積まれた書物の中の一冊を手に取り開く。
「だけどこの儀式でも、イセルさんが本来の力を取り戻せるかどうかは分からない。そもそも召喚魔法においての最大の禁忌。下手したら私も、魔導士としての能力を失うかもしれない。それに何より、この方、法……」
やがて麗菜は頬を紅潮させ、頭から振り払うように大きく首を振る。
「もう少し探してみよう。まだまだ私の知らないこと、沢山あるし」
「麗菜で知らないことだらけなら、自分なんて穴ぼこだらけのポンコツ脳ッスね」
ひとり言じみた麗菜の言葉に、答えるように重ねられた声。ひよりが麗菜の下へと歩き寄るところだった。
「ひより、お疲れ様。今終わったの?」
「おつー、麗菜。いやー、『風魔法 応用』の櫛薙先生がまーた暴走しちゃってさー。誰も興味ないってのに奥さんの惚気話始めるし、最近娘生まれたとかで親馬鹿発揮するし、授業ちゃんとしろっつー話ッスよほんと」
「あ、あはは。私は受けてないけど、変わった先生みたいだね」
「全くッス。高等部の教師、クセ強い先生多くないッスか? あーでも、中等部の教師に比べて家柄で区別するアホは少なくなった気がするッス」
「そうだね。多分、学校長が
「……うん。いい環境になりつつあるッスね。真面目な人が蔑まれて、血が古いってだけの名門共がのさばる時代は、これから終わりを迎えるッス!」
「勇ましいね。でも名門の人たちが優秀な素質を持っているのは事実だよ。人のこと言えないけど、そんな人たちに敗けたくないって言うなら、もっと勉強頑張らないと。高等部からは受ける授業も違うし、前みたいに勉強教えてあげられなくなるよ?」
「うっ……わ、分かってるッスよー。でも今の麗菜なら、名門のヤツらにだって負けないッス! 自分も勿論頑張るッス! 麗菜と一緒に! というわけで今度の中間テストも一緒に勉強していただけると……」
「えー? どうしよっかなー? ひよりに構ってばっかりだと、私の勉強も捗らないかもだし……」
「ちょ、れーいーなー!」
冗談交じりの麗菜の声に、ひよりが本気で嘆く。麗菜は控えめな笑い声を零した。
「ところで、何の調べ物ッスか? こんなに分厚い本、何冊も持ち出して」
即座に表情を好奇心に彩り、ひよりが麗菜に対面するように座る。そして積まれた本を一冊ずつ、中を開くことなく、表紙だけ目を走らせては置いて行く。
「『召喚魔法における魔力運用法』、『魔法生物アトラス』、『神話と伝承から紐解く幻獣図鑑』、『使い魔たちは何処より来たるか セザリック=ミルフォードの召喚魔法考察』……うひゃー、題名読んだだけで頭痛いッス。麗菜、これ全部読んだんスか?」
表情を歪ませたひよりは、別次元の……それこそ異世界の存在を目の当たりにしたように、驚愕と呆れが
「昔読んだことあったのもあるし、今日初めて読んだのも全部のページはさすがに見てないよ。使える情報がないかなーってサラッと流した程度だし」
小さくはにかむ麗菜に、何とも言えない表情を浮かべるひよりは、気を取り直したように表情を戻して問う。
「何調べてたんスか? 異世界についてとか?」
「んー、興味はあるけどね。でも今は、イセルさんの魔力を取り戻す方法がないかなって調べてたの」
空色の瞳を僅かに曇らせ、麗菜は視線を俯かせる。
「イセルさんが魔力を失っているのは、私が中途半端な召喚魔法を行ったせいだから。『気にするな』って言ってくれたけど、今まで使えた魔法や技術が使えないって、やっぱり不便だと思うの。
それに向こうの世界で、妹さんと一緒に努力した、世界を救おうと妹さんと一緒に歩いたっていう証の一つだと思うから。使えないままだなんて、やっぱりちょっと、悲しいと思う……」
昨日から麗菜は、イセルに魔法の稽古をつけてもらっていた。実戦に則した戦い方や魔法の技術、そして麗菜の知らない知識や思い付きもしなかった魔法式の組み方まで、異世界の少年から得られる全てが麗菜にとって新鮮だった。
そんなイセルからの教導を通じて思い知らされたのは、救世を為すに相応しい魔法の実力。そして最愛の妹と共に磨き続けた力への、自信と誇り。
それが失われたのは、
「イセルさんは私の最適属性が《皆無》だって知ったときも、笑わずに、すぐに私に合わせた練習メニューを考えてくれた。お父さんのような最高の魔導士になりたい――いつかお父さんを超えたいっていう私の夢を、心から応援してくれた。今はそのために、私を鍛えてくれている。
私なんかのために、あの人は真剣に、本気で向き合ってくれる。
だから私も全力で応えたい。イセルさんのために出来ることがあれば、私は頑張りたい。イセルさんの魔力を取り戻す鍵になるのは、召喚主である私だと思うから。だから――」
切実な思いを紡ぐ麗菜の視界に、一本の指が立てられる。驚いて上げた視線の先に、親友の柔らかな笑みがあった。
「私なんか、なんて自分のこと下げるの禁止ッス。自分だって昔から信じてるんスよ? 麗菜は――自分の大好きな親友は、きっと世界一の魔導士になるんだって。
自分はイセルさんみたいに、魔法について麗菜にアドバイス出来ないッス。麗菜に教えてもらってばかりの自分は、麗菜に必要な力に、悔しいけどなれない。下手すりゃ足引っ張ってるッス」
ひよりはそう言って、普段の陽気な雰囲気を一切消して、浮かべる笑みに寂しさを添える。
「そんな……違う! 私、そんなこと思ったことない! ごめんさっきのも冗談で、そんなつもりじゃ……!」
何の気もなしに放った軽口が、親友を傷つけたのだろうか。ともすれば泣き出しそうな頼りない表情で、麗菜は必死に言い寄る。
「あ、ごめん。自分で言っといて、こっちも自分のこと下げるようなこと言っちゃったッスね」
ばつが悪そうにはにかむひより。そして一度席を立ち、トテトテと小走りで麗菜の背後に回る。
「ひよ……わっ」
小柄な体を押し付けるように、後ろからひよりが麗菜に抱きつく。
「自信持って、麗菜。自分は知ってるッスよ。麗菜は誰よりも頑張り屋さんで、強くて、優しい女の子だって。自分の自慢の幼馴染は、いつか世界一の魔導士になるんだって。そんな麗菜に相応しい友達でいるために、自分も頑張るッス。
一緒に頑張ろ、麗菜」
「ひより……」
耳元で発せられる、ひよりの柔らかな声。そして麗菜は首に回されたひよりの腕に、自身の手を添える。
「うん。ありがと、ひより」
振り向く麗菜。空色の瞳には、ずっと傍で励まし続けてくれた少女の、照れくさそうな、そして満開の笑みが映った。
「でもま、魔法使うまでもなくイセルさん強いから、そんな不自由しないと思うッスけどねー。ありえないっすよあの身体能力……てか! 一限目の終わりの起こし方ひどくないッスか!? あんな痛いデコピン初めて喰らったッスよ!」
「それは……ひよりが悪い、かな」
「そんなー! 味方してくれないんスか麗菜~!」
ぶんぶんと、麗菜の制服を掴んで揺するひより。麗菜は抵抗することなく、苦笑を浮かべたままされるがままにされていた。
「ん。ところでイセルさんって、最適属性なんだったんスか?」
「……《全》、だったみたい」
「……は? 全? 全属性って、えっと、御伽噺とか神話で出てくる……?」
魔法には属性が存在し、《炎》《風》《地》《水》《無》の五つを
また、魔導士は最適属性以外の魔法を使えない、というわけではない。
たとえば最適属性が《炎》だった場合、その他の五基属性のうち、《水》以外の属性の魔法を使える。このように
「《無》属性や
再び机を挟んで座る二人の少女。いつしか麗菜がひよりにレクチャーする形になっており、ひよりは素直に首を縦に振っている。
「《全》属性……文字通り、
「……つまりこれまで嘘だって言われてた空想が、イセルさんの存在によって証明されるかもしれないんスか。いやー、なんか壮大な話になってきたッスねぇ。
んで、そんなイセルさんの魔力を取り戻す術がないか調べている、と。やっぱり中々見つからなさそうッスか?」
軽い調子で尋ねるひよりに、麗菜はどこか曖昧な色を表情に走らせる。
「一応、取り戻せる可能性があるかもしれない……っていう儀式はあるにはある、んだけど……」
「え!? マジッスか!? 麗菜すごいじゃん! さっすが席次一番の優等生、やっぱ麗菜はすご……って、なんでそんな微妙な反応なんスか?」
興奮したように声をあげたひよりは、すぐに麗菜の言葉の歯切れの悪さ、そして頬を染めて俯く表情に疑問を呈する。
「これで、イセルさんの魔力を取り戻せる確証はないの。それにこの方法は召喚魔法においては禁忌とされていて、それに方法が、あの……」
声は恥じ入るように先細り、頬の赤みは増していく。麗菜の反応の意味が分からないと言ったように、ひよりは目を丸くする。
「と、とりあえず! その方法が、これ!」
慌てた様子で、とある書物を開きひよりに差し出す麗菜。訝しげに眉を寄せながら、ひよりが本を受け取り内容を見る。
「えっと、なになに? 使い魔の能力の完全開放……禁忌の理由……方法は……」
一通り目を通したひよりは。
「わーお」
そんな言葉を漏らして、目を点にする。だが驚いたような表情であるものの、麗菜とは違って頬の血色にさほど変化はない。
「イセルさんが本来の力を取り戻せるか分かんないし、リスクは高いし、ほ、方法だってこんな……! とにかく、別のアプローチを模索しないと。召喚魔法なんて今まで見向きもしなかった……っていうか、どうせ使えないからってあんまり勉強してこなかったから、私の知らないことだらけだし、きっといい方法が……」
捲し立てるように言い続ける麗菜だったが、ふと、注意を親友へと向ける。
ひよりの顔に、やらしいと表現するに相応しい、ニンマリとした笑みが浮かんでいた。
「……なに?」
不機嫌そうに、麗菜が意図を問う。
「確かにこの儀式、リスクのこと考えたら絶対にやっちゃいけないと思うッス。でももしそれが無かったら、手法は過激というかちょっと猟奇的ッスけど、麗菜は試すべきだろーなーって思っただけッス」
「は、はあ……!? いや、ありえないよ! そりゃリスクなくて、これ以外に方法がないっていうなら、その……と、とにかく! どうしてそう言い切れるの!?」
目に見える狼狽を見せながら、麗菜は余裕のない様子でひよりに言う。
「麗菜が躊躇ってるのはリスクと手法のせいみたいッスけど、リスクはともかく手法は問題ないッスよ。だって――」
浮かべる笑みをさらに深いものにしながら、ひよりは爛々とした瞳を麗菜に向ける。
「麗菜イセルさんのこと、もう好きでしょ?」
……。
…………。
………………。
「――っ!?」
たっぷりと間を置いた麗菜が、声にならない短い悲鳴を上げる。
「あはっ、やっぱり!」
顔を赤らめる麗菜を見て、我が意を得たりとひよりは
「フッフッフ。かれこれ十年来の幼馴染を誤魔化せると思ってるんスか? そんくらい一緒に居りゃ、自己主張の目立たない大人しい親友の心の機微くらい分かるッスよ。
今日だって授業や昼食で、女子の集団があからさまにイセルさん見て騒いでるの見て不機嫌になってたじゃないッスか。んで、麗菜がイセルさんと話してるときはもう恋する乙女って感じだし! ま、そういうのはこの
絶句する麗菜を余所に、ひよりは饒舌に語る。
「ち、違……な、ない! そんなんじゃ、ないから!」
それだけ言うのが精一杯なのか、頬の赤みをさらに増した麗菜は、必死に手を振り否定しようとする。
「頑固ッスねえ……じゃあ想像してほしいッス。イセルさんが麗菜以外の女の子と仲良くしてたり、それこそ今の儀式を行うとしたら、どうッスか?」
「それは…………べ、別に、どうっていうほどの――」
「はい今言葉に詰まったー! 嫌なんスよねー! 自分以外の女の子といちゃつくのが嫌なんスよねー!」
「う、うるさいなぁ! 違うったら違う!」
煽り立てているのかと思えるほど苛立たしい声音で言うひよりに、意固地になって対抗する麗菜。周囲が無人だからいいものの、そうでなければ
「だって、惚れないほうがおかしいッスよ。見た目は浮世離れしたイケメン、内面はチャラついてなくて、『正しいことは正しい、悪いことは悪い』って堂々と言える潔さ。魔法無しでも魔導士を圧倒する実力。
そんな御伽噺に出てくるような王子様に認められて、心から信頼を向けられてるんスよ? 意識するなって方が無理ッス。自分が麗菜の立場なら、間違いなく惚れてるッス」
ひよりの言葉、そして表情に浮かぶ柔らかな笑みに、麗菜は口が縫い付けられた。そしてまだ数日しか経っていないものの、イセルと出会ってから触れてきた彼の
見た目の麗しさ。そこからは想像できない、好奇心の旺盛さと飾らない態度。
揺るぎなき信念。確固たる己の価値基準と、それに準ずる真直ぐな姿勢。
そして模擬戦前日の出来事は、今なお鮮明に麗菜の心に刻まれていた。
麗菜が認められなかった弱さを、強さだと言い切って認めてくれた。
麗菜の心の奥底にある信念を、掬いあげてくれた。
麗菜の誇りを、真の英雄だと認めてくれた。
耐え切れずに溢れだした麗菜の慟哭に、イセルはずっと、麗菜の心の荒波が治まるまで胸を貸し続けた――。
「だって、ズルいよ。あんな風にされたら、誰だって……」
瞳を潤ませ、朱色の頬のまま俯く麗菜。口籠る麗菜を見たひよりは、
「……親友の恋愛応援しようと思ってたッスけど、気が変わりそうッスね。こんな可愛い女の子、誰にも渡したくないッスわ」
そんな冗談だか本音だか分からない感想を、しみじみと呟くのだった。
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