第十三話:懐抱 ~勝利のあとに~

 「芳麻ほうまが、勝った……? 有栖野に……?」


 「十三代目の魔導士に……二代目が、勝った! あの芳麻が!」


 小波さざなみのように広がっていく驚愕の声は、やがて大きな歓声となって競技場を満たしていった。

 主に歓声をあげているのは、比較的若い魔導士の家系、あるいは一代目の生徒たち。有栖野を応援していた名家の生徒は、唖然とした表情を並べたまま口を開けていた。


 そんな痛快な場面を背景に、イセルは堂々とした足取りで麗菜へと歩み寄る。肩を上下させながら呼吸する彼女は、興奮も冷めやらぬといった表情で前を見続けている。イセルが隣に立っても、気付いた様子はない。


 「レイナ」


 イセルがそう声をかけて、ようやく我に返った麗菜は顔を向ける。激しい運動をしたばかりのように汗を滴らせ、頬は紅潮している。


 「やったな」


 短く簡素でありながらも、熱い思いが乗せられた称賛。受けた麗菜は目を見開き、やがて万感の思いに打ち震えるように、表情を輝かせて頷いた。


 満足げに頷いたイセルは、不敵な笑みを貼りつけ、再びこの場に集う人間に思いを告げるべく周囲を見渡す。


 「聞け!」


 魔法による拡声を施されていないにも関わらず、イセルの声は騒然とする場内全域に浸透し、観客席の歓声や喧噪がピタリと止む。


 「魔導士の優劣、これ即ち血の優劣である――これまで貴様らが疑うことなく信じ続けた掟は、この場で否定された! 

 永き血を持つ魔導士は高い能力を持つ! 確かに事実だ! だがそれは絶対ではない! 魔導士は弛まぬ鍛錬によって、どこまでも高みを目指すことができる! 今日この場で芳麻ほうま麗菜れいなが、有栖野信弥を打ち倒したことがその証左だ!」


 さながら歌劇オペラの一幕を見るように、他の者は固唾を飲んでイセルの言葉を待つ。そして当の主役は、自身に課せられた独唱曲アリアを高らかに謡う。


 「それでもなお、生まれ持った素質が全てだと自分を守るか? 血を重ねた己の家門は、それだけで価値があると優越感に浸りたいか? あるいは己にはそれが無いからと、実力の無さを正当化する理由が欲しいか?

 いいだろう、どう思おうが貴様らの勝手だ。くだらない理由に縛られながら、腐り落ちて沈み行け。

 だがそのふざけた価値観を、レイナに押し付けるな! 貴様らの狭小な器ごときで、この娘を推し量るな! 俺をこの世界に喚んでくれた、真の英雄の血を引く優しき、気高き魔導士を貶すことは、俺が断じて許さない!」


 表情に熱い激情をみなぎらせ、白銀の髪もなびかんばかりに咆哮する。

 息を呑む周囲。そして自身の後ろに控える麗菜は頬を赤らめる。そんな己以外の反応など知ったことかと言わんばかりに、イセルは勝気な笑みを浮かべながら両手を広げる。


 「宣言しよう! 芳麻麗菜は、この世界で一番の魔導士となる! 手始めに、この学校の頂点を目指す! 止められるものなら止めてみろ!」


 それは宣戦布告。麗菜と選手交代をする前にイセルが口にした『逆転劇』とはこの試合のことではなく、それはあくまで始まりに過ぎないのだということを十分に知らしめるものだった。


 言い放ったイセルは、もう用はないと身を翻し、入場口へと歩いていく。呆気にとられたように目を丸くしていた麗菜は、ふと周りを見渡す。

 全ての視線が己に注がれていると知るや、テンパったようにペコリと固い動作で頭を下げる。そうして意気揚々と退場を果たすイセルの後を追うのだった。








 「もう。だからイセルさんは、一人で勝手に突っ走り過ぎなんです。何もあそこまで持ち上げてくれなくても……」


 「何言ってる。父のような魔導士、つまりはこの世界で最強の魔導士を目指すんだろ? なら決意表明は派手な方がいい。いずれはあれくらいの前口上、レイナ自身が言えるようにならなきゃな」


 「無理です! あんな威勢のいい言葉、イセルさんだからこそ許されるんです! 他の人なら恥ずかしくてあんなの言えません!」


 競技場から控室へと戻る通路の道すがら。

 退場後に遅れて生じた観客席の歓声、そして麗菜の非難めいた声を背中越しに聞きながら、イセルは悪戯を成功させた腕白小僧のように笑みを零す。


 「あ、今絶対笑ってますよね!?」


 「何だ、レイナは『千里眼』でも持ってるのか? 俺の顔は見えていないのに、そんなの分かる訳ないだろ?」


 「見えてなくたって分かります! 絶対そうです! からかっているみたいな、悪戯成功させて喜んでいる子供みたいな、そういうムカつく笑い方をしてるに決まってます!」


 「随分と的確な表現だな……」


 苦笑するイセルは歩みを止めることなく、そして麗菜へと振り返ることなく言葉を紡ぐ。


 「どうだった?」


 普通ならば含まれる意味合いが多すぎて、伝わることが稀な問いかけ。けれど今回に限っては、そのアバウトな言葉だけで十分だった。

 イセルの後ろを歩いていた麗菜が、立ち止まる。足音が途切れるのを聞いたイセルは、退場してから初めて麗菜の表情を見る。


 空色の瞳は頼りなく揺れて、表情も複雑な色を見せている。困惑したように震える麗菜は、胸に両手を当てて声を発する。


 「その、この感覚が何なのか分からないんです。もう試合は終わったのに、頭はまだ少しぼうっとして熱くて、心臓だってまだ痛いくらいにドキドキしていて、手も震えそうで。

 苦しいって思えるくらいなのに、でもこの感覚が、そんなに嫌じゃないんです……!」


 朱が差す頬のまま、熱に浮かされたように言う麗菜。それをイセルは穏やかに微笑んで、答えを示してやる。


 「よく噛みしめるといい。それが所謂、『勝利の味』ってやつだ」


 おどけたように言い結んだイセルに、麗菜は呆けた表情を見せる。


 「勝利……そっか、私、勝ったんだ。有栖野に。お父さんの、魔法で……!」


 そうして固く目を瞑り、祈るように両手を組む。目尻から涙が滲んではいたが、その表情は確かに微笑みを形作っていた。

 歓喜に震える麗菜を見て、イセルも頬を緩ませる。そんな時、忙しない足音が迫るのをイセルは聞く。

そして現れたのは赤茶けた髪をシンプルに結んだ、小柄な少女。


 「ひより!」


 麗菜の喜びに満ちた明るいに呼びかけに、しかしひよりは、答えなかった。

 イセルと麗菜の二人を見とめたひよりは、ハッと目を見開き、そして表情をクシャリと歪める。


 「ひより……?」


 困惑に満ちた麗菜の声が漏れる頃には、ひよりはその場に立ち尽くしたまま、両腕で何度も顔を拭いながら、泣きじゃくり始めた。


 「ひより……!?」


 慌てた様子で駆け寄ろうとした麗菜。だが一度歩みを止めてイセルの方を見る。

 先ほどとは打って変わった、不安と焦燥に満ちた余裕ない面持ち。


 ――ああ、本当に。このは自分以外の誰かのために、ここまで必死になれるんだな。


 温かい何かが胸を満たしていく。その感触を愛おしく思いながら、イセルは無言で頷いて麗菜を促す。数瞬躊躇ためらいを見せた麗菜は、大きく頷いてひよりのもとへと駆けてゆく。


 「ひより、どうしたの!? 何かあった!? 誰かに嫌なこと言われた!? された!? 有栖野の連中がなにかしたの!?」


 身長差のある親友に合わせるように、麗菜は少しだけ腰を屈め、畳み掛けるように問いを重ねていく。


 「れ゛い゛な゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 そしてひよりは涙でグシャグシャになった表情のまま、麗菜に跳びかかるように抱きついた。


 「わぁ!?」


 突然の行動に驚愕しながら、麗菜は幼馴染の体を受け止める。


 「麗菜! 麗菜麗菜れいなあああああああ!」


 「ちょ、ひより!? 本当にどうしたの!? ていうか落ち着いて、女の子が見せちゃいけない顔になってるから!」


 そう言ってスカートのポケットからハンカチを取り出し、ひよりの顔を拭いてやる。ぐずりながらひよりは、顔を麗菜の体へと押し当てて。


 「麗菜が……麗菜が勝ったぁぁぁぁぁ!」


 掠れた叫びを張り上げるひより。その切実な響きに、麗菜の体がピタリと止まる。


 「昨日麗菜が有栖野引っぱたいたって聞いて嬉しかったけど、模擬戦やることになっちゃって! もし麗菜の身に何かあったらって思うと夜も寝られなくて!」


 顔を離したひよりは、しゃくりあげながら麗菜を見る。涙に塗れた表情を、麗菜は目を見開きながら見続ける。


 「麗菜が、魔法発動させて! それが親父さんの魔法だって知ったときは、どうしようもないくらい嬉しくて! ずっと暴発させて、怪我してばっかだった麗菜が、あんなに嬉しそうに魔法発動させてるのがすっごく眩しくて! 

 今までずっと麗菜が苦しんでたのに、麗菜の力になれなかった自分が、喜ぶ資格なんかないんじゃないかって、思って! 何の役にも立ってない自分が、本当は麗菜の応援することも、許されてないんじゃないかって、思ってて!


 でも……!


 許されないとしても、やっぱり嬉しかった……! 麗菜が勝ったのが……頑張ってきた日々が無駄なんかじゃなかったって、麗菜が自分で証明したのが、本当に嬉じぐで、自分……!」


 声はボロボロのだみ声で、ともすれば内容も支離滅裂。それでも心からの叫びであると分かる声に、揺さぶられぬ者など居るはずがなかった。


 ひよりの体を掻き抱き、その肩に顔を押し当てる麗菜。


 「麗、菜……?」


 「ありがとね、ひより……!」


 麗菜の声も震えていた。


 「私の友達ってだけで、多分嫌な目に遭うこともあったよね? それでもひよりは、私を見捨てないでいてくれた。いつも傍で、励まして、くれた。私のために怒ったり、悔しがって、くれた……ひよりが居なかったら、私はきっと、もっと昔に挫けてた……! ひよりの明るさに、何回、助けられたか、分かんない……!

 私のためにこんなに必死になってくれる友達を、役立たずなんて、思うわけないよ……! 私はずっと、ひよりに支えられてた……!」


 顔を離し、ひよりの顔を見据える麗菜。涙に濡れた顔に、咲き誇る花に似た笑みが浮かんでいた。


 「ありがと、ひより……! ひよりは私の……! 私なんかには勿体ないくらいの、大切な、友達だから……!」


 そうして二人して大粒の涙を流しながら、互いに抱きしめあって嗚咽を零す。


 麗菜が歩んできた苦難の道は、同時に、ひよりにとっても苦しみに満ちた日々だった。

 親友が苦しむのを目の当たりにしながらも、それをどうすることのできない無力な己に絶望する。それでも決して逃げることなく、いつか大好きな親友が報われるときが来ると信じて、ひよりは麗菜と共にあり続けた。

 この日麗菜が掴みとった勝利、そしてそれに対する二人の喜ぶ姿は、共に歩んできた二人だからこそ眩しく輝いていた。

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