第十二話:決闘⑤ ~少年がかけた魔法、そして約束された結末~

「……思い出したぜ。親父が前に言ってたなあ。あの天彩コンダクターが使っていたっていう――」


 「そう。かつて天彩コンダクターと謳われた至高の魔導士、レイナの父である芳麻ほうまひじりが編み出した魔法技術、それが交響魔法陣シンフォニック・キャストだ」


 様子見と思われる休止を挟んだ有栖野に合わせるように、イセルは麗菜の横に並び立ち、有栖野の言葉に律儀に答える。馬鹿の一つ覚えのように魔法を撃ちこんでいた有栖野は、魔法陣の展開を維持したまま忌々しげに二人を睨む。 


 「ハッ。何が至高の魔導士だ。一般人のみならず、この国の魔法の発展に欠かせない由緒正しき魔導士を守ることなく、親の情ってやつに流されてそこの出来損ないを守るために命捨てた魔導士失格の男!

 より多くの命を救うという魔導士の責務も果たせず、優先すべき命すら選択できない腰抜けが、なんだって!?」


 麗菜も魔法陣の展開を維持したままだ。余程の集中力を費やすのだろう。嘲笑に表情を歪める有栖野の言葉に答えることはなかった。けれど少女の身は強張り、歯の奥の方から音が鳴るのをイセルは聞いた。


 麗菜の胸に宿る怒りを思うだけでも、イセルの激情に火を点けるのは充分だ。そして真の英雄と認めた男が、このような愚昧に貶されているという事実。それはイセルの心に、さらに油を注いでいく。


 「なあ、教えてくれ有栖野。その出来損ないが今駆使している、腰抜けが作り出した魔法を一切破ることのできない貴様を、この世界では果たしてなんて呼べばいい?」


 だが荒ぶる己の感情を一切表に出すことなく、嘲りの色を過分に込めた声をイセルは投げる。


 「……そうだ。それが理解できねえ。単純な初級魔法ですら発動できず暴発させていた芳麻が、何故そんなものを使える!? どんな小細工を使った!?」


 噛みつくように声を荒げる有栖野。如何に見下しているとはいえ、麗菜が行使している魔法陣がどれだけ高難度の技であるのかくらいは理解しているのだろう。


 「何だ、まだ分からないか? レイナが用いている『明壁バリア』の魔法陣。貴様は何も思う所はないのか?」


 余裕ある笑みを携えて、挑発的に有栖野を刺激していく。青筋を立てた有栖野は、すぐに呆けた表情を見せて、そして驚愕に目を見開く。


 「まさか……基盤円フォーマット・リングに手を加えたのか!?」


 有栖野の驚愕に満ちた声に、観客席に居る者も一様に息を呑む。そんな反応を気に留めることなく、イセルは軽い調子で続ける。


 「加えたのではない。引いたんだ。この世界の魔法に用いられている基盤円、そこにすでに組み込まれている図形を消去して、単純な円環のみにした」


 魔法陣を形成するために必要なのは二つの要素。


 文字や図形により形成された魔法式。


 そしてその魔法式を記述するための根幹となる図形――基盤円フォーマット・リング


 この世界では一つの円環に、十字を象った図形を掛け合わせたものを基盤円としている。イセルが行ったのは、この基盤円を単純な円環だけにしたということだが――。


 「ありえない! 魔法式に関する研究は多くあっても、基盤円の研究に関しては今の形による魔導効率を上回った試しが一切ない! それにあの十字を無くせば、魔法は不発に終わるはずだ!」


 この世界における基盤円は、永い魔法の歴史を経て辿り着いた極致の図形だとされている。基盤円の改良を試みた研究は尽く、元の図形よりも魔力対効果コストパフォーマンスを著しく損なう結果に終わっている。


 そして単純な円環にするという試みもすでに行われており、結果は魔法の発動すらままならないとする結果を、数多くの研究機関が発表してきたのだ。


 イセルが行ったとする基盤円の改訂も、歴史における結果だけを見るならば何の意味も持たないはずなのだ。魔法を暴発させてばかりいた劣等生が、自他共に優秀であると認める名家の魔導士の魔法に対抗するという大番狂わせなど、断じて起こるわけがない。


 「あの図形を十字だと言っている時点で、この世界の魔導士は間違っている。あれは一つの図形ではなく、四つの魔法図形を合わせて作られている」


 揺れる周囲を余所に、イセルは淡々と言葉を結んでいく。


 「あれは四つの図形――鏃を象った図形を四つ掛け合わせて形成されたものだ。その図形が持つ意味、それは『加速』」


 「加速、だと……?」


 「魔法陣に魔力を流し、循環させ、そうして生じる力場エネルギーが魔法の原動力となる。この図形は魔力の循環速度を上げて、得られる力場を多くするための補助を果たす。魔力対効果が上がるというのもあながち間違いではない。

 俺が元居た世界では、魔力量が少ない魔導士が好んで用いていた魔法図形だ。だが演算処理の容量を大きく使ってしまうため、単純な魔法式しか使えなくなるという欠点を持つ。そして魔力量が多い魔導士が無闇に使えば、得られる力場が多くなりすぎて暴発させてしまう」


 「ま、さか……!」


 「気付いたみたいだな」


 狼狽に満ちた有栖野の声に、イセルは不敵な笑みを浮かべて頷いた。


 「この世界の魔導士連中。俺が元居た世界の魔導士に比べて、はっきり言ってしまえば魔力量が粗末過ぎる。『加速』を四つも使わなければ魔法が使えないなど、正直笑いそうになった。

 その代わりに魔法式の組み方、その精緻さには目を見張るものがある。『加速』の魔法文字を四つも使っていれば、他の文字や図形による魔法式に割く演算処理能力は少ないはずだ。しかしその少ない容量で扱えるように、この世界の魔法式は情報量を抑えて極めて効率化された魔法式が用いられている。

 ここまで効率化された魔法式、そして何より『加速』の魔法図形。魔力量が多い者が使えば、得られる力場が大きすぎて暴発は避けられない」


 イセルの言葉に、万人が理解した。


 麗菜がこの日まで魔法を発動出来ず、暴発させて怪我を負ってきた理由。

 二代目の魔導士でありながら、名家の者を遥かに凌ぐ魔力量を持ち、けれどもその才能を活かすことができずに落第生としての烙印を押され、『放火魔』『ボマー』と蔑まれ続けた理由。


 それは魔力制御や、得られる力場を調節する能力が欠けていたというわけではなく。


 「分かるか有栖野。魔力量の乏しい貴様らに合わせた魔法陣を強いられてきたからこそ、レイナはこれまで魔法を発動させることが出来なかったんだ。


 確かに魔導士として拙い部分も多い。魔力制御にはまだまだ難があるといえる。だが雀に合わせて作られた羽を竜が使おうとしても、飛べる道理がない。壊さずに慎重に扱うにも限度がある。


 それくらいの差があるんだよ、レイナと貴様らには」


 「だからどうしたぁ!」


 最早憐れみすら感じられるほどに冷え切った声音と視線に、有栖野が思い出したかのように息巻く。


 「ただ魔力量が馬鹿みてえに多いってだけのそこの女が、十三代に渡る有栖野の血を引く俺に、勝てるわけねえだろうがぁ!」


 単純に見れば、イセルに雑魚扱いされて激昂しているように思える。だがいきり立った言葉に見え隠れする怯えを、イセルは見逃さなかった。


 有栖野の展開する魔法陣、そこに記された魔法式が変化する。


 『灼爆球ブレイズ・ボム』と同じ中級炎属性攻撃魔法であるが、爆発の範囲と威力を抑える代わりに、速度と貫通力を向上させた『灼飛槍ブレイズ・ジャベリン』だ。


 次に放たれんとする魔法を理解したのだろう。麗菜は改めて、気を引き締めたように表情を硬くする。


 「レイナ。一度交響魔法陣を解いて。それで俺が飛び出したらすぐに、普通の『明壁』でいいから自分の身を守るんだ。煙に包まれるはずだから、その隙にの準備を」


 そんな麗菜に、イセルは気負った様子もなく指示を出す。麗菜は目を見開いて、イセルを見やる。


 「イセルさん、でも……!」


 「大丈夫だよ、レイナ。信じろ。俺があんなやつの魔法でやられると思うか?」


 不安に満ちた声を、イセルは自信に満ちた言葉と笑みで迎える。


 「……分かりました。ええと、こういうときは『ご武運を』、とでも言えばいいですか?」


 言い慣れていないとすぐに分かる口調と、真面目くさった表情。少女の初々しい反応に対し、イセルは力強く頷いて応えた。


 「何をゴチャゴチャ言ってんだ、このクソ共がぁぁぁ!」


 耳障りな怒声と共に、六つの炎の槍が放たれる。イセルと麗菜は、それぞれ同時に行動をとった。


 麗菜はそれまで展開していた交響魔法陣を解き、強度は落ちるが発動速度を優先させた『明壁』の魔法を展開する。


 イセルは麗菜を置いて突貫し、腰に携えた剣を鞘から抜いた。


 迫る有栖野の魔法。『灼爆球』よりも遥かに速度を増したそれがイセルに迫る。


 増大する相対速度。


 零へ至る相対距離。


 だが焦燥も驚愕もなく、そして油断もない面持ちでイセルが剣を振るう。


 白銀の剣閃が、六筋翔けた。


 真っ二つにされた炎槍はイセルの後方を数メートル飛翔し、やがて斬られたことを思い出したように四散する。


 爆風を背に受けて、イセルの銀髪が激しく靡く。だがその立居振舞いは微塵も揺らぐことなく。

 手にとる聖剣――その白銀の輝きは、彗星めいて高らかに。

 まさに世界一つ背負うに相応しいと思わせる、威風堂々たる雄姿だった。


 「馬鹿、な……。魔法を、魔法付与無しのただの剣で斬っただと……!?」


 驚愕を露わにする有栖野は、その声にいよいよ怯えた響きを明瞭化させる。未知の存在に対する、根源的な恐怖。有栖野の表情にそれがはっきりと見て取れた。


 「……貴様、さっきから舐めているのか?」


 掠れた低音。イセルは無表情なまま残心の姿勢を取っていたが、やがて秀麗たる眉目を怒りに歪ませ、切先を有栖野に向けて真直ぐに伸ばす。


 「さっきから何をそんなに魔法を撃っている。学生同士だから、命の遣り取りをするわけではないと高を括っているか? 放火魔ごとき、本気になる必要がないとでも思っているのか?

 思い上がるな愚図が! 俺はともかくレイナは、この決闘に全身全霊を以て臨んでいる! 

 初めての決闘で緊張に身を震わせながら! 貴様ら馬鹿共の蔑みで身に付けてしまった卑屈さに、心を掻き乱されながら!

 それでも今までの日々が無駄ではなかったと証明するために、渾身の勇気を振り絞ってこの場に立っている!

 それを、火蜥蜴サラマンダーの屁にすら劣る火の粉で迎え撃つとはどういう了見だ! 本気で戦うべき場所を弁えることすらできないか!?」


 轟と鳴りはためく戦士の怒声。向けられる有栖野はもちろん、周囲の観客も声を上げることが出来ない。


 「ばけもの……化物……!」


 総身を戦慄わななかせながら、有栖野は歯の根が定まらない様子で呟く。逃げるように数歩後ずさる彼は、魔法陣の維持すらままならずに霧散させた。


 「この世界に来てアルジェグラウスで初めて斬ったのが貴様の魔法でなくて良かったよ。そうなってたら父祖にも、この剣にも顔向け出来なくなっていたところだ」


 そんな有栖野に興味を失ったイセルは、失望に彩られた冷たい視線のまま、剣を鞘へと納める。


 「戦意は失せたか。本来ならこの時点で勝敗は決したようなものだが、戦闘不能になるまでと先に言ったのは貴様の方だ。望み通り完全な決着をつけてやる」


 そう言ってイセルは、横に大きく飛び退く。まるでそれは味方からの攻撃に巻き込まれぬために、その射線から逃れるかのようだった。


 有栖野の魔法を撃墜したことにより生じた爆煙。それが晴れて、麗菜が姿を現す。


 右手を大きく前に突き出し、半身の姿勢となっている。


 右手の先に展開されるは、交響魔法陣シンフォニック・キャスト

 それを構成する魔法陣は五つ。

 初級光属性攻撃魔法『光弾ソル・バレット』。だが魔法陣から放たれる、目も眩むばかりの光は、それが初級魔法に収められる威力であるはずがないと知らしめていた。


 麗菜の魔力色を反映させる白い光。凄絶な煌きを放つその光は、まだ誰も足跡を付けたことのない処女雪のごとく清らかだった。


 「ありえない、ありえない! この俺が! 有栖野家十三代目を継ぐこの俺様が! たかだか二代目ごとき魔導士と魔力を持たない無能に、負けるわけが……!」


 「そう思うのは勝手だが、防御魔法を発動させた方がいいぞ? 直撃しても死にはしないだろうが、制服に備えられた魔法だけでは少しばかり痛い目を見るだろう」


 余裕ない有栖野に、飄々とした態度でイセルが告げてやる。麗菜の魔法がもう放たれる寸前だと分かったのか、


 「くっそぉぉぉぉぉぉぉ!」


 半ばヤケクソ気味に気勢を上げながら、有栖野は六つの魔法陣を以て『明壁』の魔法を行使した。だがそれは麗菜の魔法とは違い、単純に『明壁』を六つ重ねただけのもの。


 「走り続けた努力の日々が! 貫き続けた眩き信念が! 今、実を結び花開く! ブチかませ! レイナぁ!」


 幼子のように表情を輝かせながら、イセルが興奮に満ちた雄叫びをあげる。


 「はぁああああああ!」


 それに応えるように、麗菜も熱く気勢をあげながら魔法を発動させた。


 放たれる烈しい光は、既知の『光弾』を遥かに上回る大きさと速度、そして破壊力だった。真直ぐに有栖野目掛けて走る弾丸は、『明壁』を一枚、また一枚と容易く破壊し、その度に有栖野の魔法陣が砕け散っていく。


 「嘘だあああああああああ!」


 表情を驚愕と恐怖に歪めながら叫ぶ有栖野。そして六枚の『明壁』を全て破った『光弾』は、有栖野の身を光で塗りつぶした。


 有栖野の魔法のような爆煙ではなく、白光が見る者の視界を潰す。そして光が収束し、そこに一人分の人影が出現する。


 呆然と立ち尽くす有栖野。身を包む制服は所々破れ煤け、表情は驚愕に目を見開いたまま固定されている。そして膝を突き、突っ伏すように頭から倒れ込んだ。


 痙攣したように小刻みに震える体は、有栖野の存命を証明していた。


 ――流石に死にはしないか。だが馬鹿は死ななきゃ治らんって言うし、これはこれで残念な気もするが。


 イセルがそんな不謹慎な感想を抱くのと、拡声された筧の声が響くのは同時だった。


 『終了! そこまで!』


 そして筧は脚に魔法陣を展開させる。魔法式は身体強化であり、脚力を強化させて有栖野のもとに駆け寄る。そして口元に耳を当て、首に指を添えたあと、右手を大きく上げる。それが合図であったように、どこからか白衣を纏った数名の大人たちが有栖野のへと駆け寄っていった。


 『有栖野信弥の戦闘不能を確認! 勝者、芳麻麗菜!』


 麗菜の初めての模擬戦、その勝利を告げる宣言が、高らかに響き渡った。


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