第十二話:決闘④ ~少女の魔法、それは父が遺した発展途上の技~

 モニター越しに観戦していたひよりは、その光景をはっきりと目に焼き付けていた。


 迫る六つの火球。両手を前に掲げた麗菜は、真剣な面持ちで前を見据える。そして彼女の目の前に白光の魔法陣が展開されると、空間に波紋が走っていくように光の壁が形成されていく。


 麗菜とイセルのみを覆う小規模な障壁。そこへ有栖野の魔法が着弾し、派手な爆炎に包まれる。

 煙が晴れたあと、ひび一つなく術者を護り続ける白い壁が、燦然と輝きを放ち続けていた。


 「麗菜……!」


 泣き出しそうな心地を覚えるほどに、ひよりは歓喜に打ち震えていた。

 今まで魔法を行使しようとする度に、不発どころかその身を痛みに晒し続けてきた麗菜。落第生、落ちこぼれ、そして放火魔と蔑まれ続けた親友が、イセルを召喚したような偶然ではなく、魔法発動に成功した。麗菜もまた、無邪気な子供のように表情を輝かせていた。


 ――でも、麗菜の魔法陣。あれは一体……?


 有栖野が展開する六つの魔法陣。全て同じ魔法式によって構築されたそれは、中級炎属性攻撃魔法の一つ、『灼爆球ブレイズ・ボム』だ。

 中級魔法一つだけなら、高等部一年時点で使用できる者は少なくない。だがそれを六つ同時に形成し制御できるのは、腐っても名家の御曹司といったところだった。


 これに対する麗菜の魔法陣。興奮からやや醒めた頭でそれを見たひよりだが、理解がおよばず首を捻る。


 ――三重トリプル……四重魔法陣テトラ・キャスト? でもあんなの、自分見たこと……。


 麗菜の両手の前に、初級無属性防御魔法『明壁バリア』と魔法陣が三つ、正三角形の頂点に並べたように配置されている。そしてその三つを包み込むように、大きな魔法陣が取り囲む。


 ――『明壁バリア』……でもあの魔法陣、何か違うような……?


 三つの小魔法陣に使われる図形や文字はひよりの知るものだが、見慣れたはずのそれと麗菜の魔法陣に微妙な――そして決定的な齟齬があるような気がして、ひよりはもどかしさを覚える。そして『明壁』を三つ使ったからといって、中級魔法である有栖野の魔法、それも六つ同時に放たれたその攻撃を防げるとは、とても考えられない。


 『ば……馬鹿な!? 何で手前がここにきて魔法を発動させてるんだよ!? つーかその魔法陣、何だそれはぁ!?』


 これまで蔑んできた劣等生が魔法を発動させたこと、そして織りなす魔法陣に対し、有栖野は恐慌ヒステリーを起こした女のように金切声をあげる。有栖野だけでなく、観客席もまた同様に騒然としている。


 非常に業腹ではあるが、有栖野は高等部1年のうちでも優秀な魔法成績を修めている。座学では麗菜に多少劣るものの十分良好な成績と言えるし、実技に関しては間違いなくトップクラスだ。

 そんな有栖野ですら見たことのない魔法陣。ひよりは、イセルが異世界から持ち込んだ魔法でも教えたのだろうかと考えた。


 「交響魔法陣シンフォニック・キャスト……!」


 だがそんな考えは、隣から聞こえた呟きに否定された。ひよりが声の主へと向けば。


 「楸尾ひさぎお先生……?」


 ひよりの呼びかけに答えることなく、鏡花の目はモニターに釘付けになったままだ。

 いかなるときも冷然とした態度を崩さず、笑みを絶やさぬ鏡花。だが今はその表情を驚愕に凍てつかせ、その瞳は潤んでいた。


 「あの人の……!」


 口元を両手で隠しながら言う姿は、その弱々しく無防備な美貌は、同性であるひよりでさえドキリとさせた。そして絞り出すように放たれた声も、狂おしいほどの熱で掠れていた。


 「馬鹿な……ありえない! あいつの魔法は、受け継がれているというのか!?」


 飾った様子をかなぐり捨てて、狼狽したように響く声。有栖野信寛が恐怖したように目を見開いて、モニターを凝視している。


 周りを見渡せば、麗菜の魔法陣に驚愕を表しているのは鏡花と有栖野信寛だけだということにひよりは気付いた。信寛の控えたちは彼の驚愕の意味が分からず呆然としている。


 そして麗菜の魔法陣に、周りとは違う穏やかな、優しい視線を送る一人の男。


 「交響魔法陣シンフォニック・キャスト。これを知る者は、と深く関わったことのある限られた人間だけであろうな」


 玄蔵がゆったりとした声を響かせれば、場の人間は一斉に彼の方を向いた。


 「魔法とは魔法陣における魔法文字、図形、配置、それらが複雑に干渉し、結びつき、絡み合って形成される一種の芸術だ。その点はこの場に居る大人はもちろん、ひより君も理解しているところだと思う」


 老熟した低音は聞く者全ての耳に否応なく届き、静かな緊張を叩きつける。玄蔵から向けられる視線に、ひよりは黙って頷くことしかできない。


 「それらの干渉複合体とも呼べる魔法。その魔法陣同士を、一つの魔法陣の中に組み込み、さらに干渉・共鳴させあうことで、個々の効果の総和よりもさらに大きな効果を生み出す――そんなコンセプトをもとに芳麻ほうまひじり君が独自に編み出した魔法技術、それが『交響魔法陣シンフォニック・キャスト』だ」


 微笑ましく目を眇めた玄蔵は、視線をひよりからモニターへと移す。競技場では有栖野が何度も『灼爆球ブレイズ・ボム』を発動し、その尽くを麗菜の魔法が防いでいた。


 「……1+1を、3にも5にもするってこと、ですか?」


 「至極簡潔に述べるなら、そういうことになるかな」


 ひよりが恐る恐る言えば、玄蔵は苦笑交じりに答える。


 言葉にするのは簡単であるが、それがどれだけ困難なことなのか、ひよりでも理解できた。魔法陣を一つ組み上げるためには魔法式の形を正確に認識し、正確に展開する必要がある。魔法式が複雑であればあるほど展開の難度は上がり、魔導士は高度な魔法演算処理を求められる――強いられることになる。


 「麗菜君の今の交響魔法陣。その魔法式を構成するのは魔法文字や図形ではなく、魔法陣だ。魔法陣そのものにも演算処理が要求されるうえに、さらにその魔法陣同士を論理破綻なく干渉させるという綿密な計算が必要となる。単純に『明壁バリア』三つ分の処理を行うのとはわけが違う、極めて複雑にして繊細な、高難度の演算が彼女の脳内で行われている」


 モニター越しに映る麗菜の姿。有栖野の魔法は全て防いでいるため、その身に一切傷はない。

 しかしながらその表情はひどく張りつめている。玉のような汗を浮かべる彼女は、けれど、しかと前を見据えて有栖野の攻撃を耐え続けていた。


 「一度、ひじり君に見せてもらったことがある。彼本人も、未だ完成の域に至っていないと零していたが、その当時ですら私は衝撃を覚えた。戦慄が総身を震わせた。それほどまでに彼の魔法は力強く、緻密で、そして美しかった。まさしく天彩コンダクターと呼ぶに足る実力だった」


 「魔力量や魔法適正。魔法発動速度や魔力操作に対する感性。これらは先天的な要素に大きく左右されるものであり、その点に関しては永く血を重ねた家系の魔導士に分がある。

 だが文字や図形、それらの干渉作用への深い理解。魔法陣の改良。

 それから魔法演算処理能力は、魔法の使用を重ねることで洗練され、磨くことができると、我々魔導士は経験則で理解している。

 それら後天的な要素を突き詰めて高みを目指さんとする否血派。その最たる者こそ、聖君であると私は思う」


 そう言って玄蔵は眇めた目に神妙な光を添えて、映し出される麗菜の姿を見続ける。ひよりにはそれが、誰かの影を重ねて見ているように思えた。


 「あの若さで、父君が編み出した至高の魔法技術に指をかけている。これまで魔法を暴発させてばかりだったという彼女だったが、それにもめげず、魔法陣を展開する練習や魔法式への理解を深めること、勉学に労を惜しまなかったのだろう。今のあの少女の魔法は、並大抵ならぬ努力と信念によって培われた結晶だ。その姿の、なんと眩きことか」


 泣き出しそうな心地を、ひよりは再び覚えた。この国の魔導士を統括する機関の長が、手放しに親友を称賛してくれている。胸が震えないわけがなかった。


 もしこの人が当時の会長であったならば、麗菜も、麗菜の父である聖も、今までの憂き目を受けずに済んだのに。


 そんなことをひよりが思ったときだった。


 「空羅覇会長! お言葉ではありますが、そのような小細工を弄さずとも、御身をはじめとする我ら名家の魔導士は、高い実力を有しております! それは偏に、我らの永きに渡る魔導士の血が魔法に愛されているという証左に他なりません!」


 耳障りな声をあげたのは、有栖野信寛。一応反応してやるかと言わんばかりに、老紳士は器用に片眉を吊り上げる。


 「確かに一定の理解は必要となるでしょう。しかし血を重ねた我々は、それを突き詰めていく必要はないほど十分に魔法を使えるのです! 後天的に磨かれるとする魔法演算処理能力も、我々の方が高い素質を有しています!

 それからあの男が作り出したあの魔法陣! あれを技術と呼ぶのなら欠陥も甚だしい! 技術とは普遍化し、万人が用いることができてこそ意味がある! 奴の生み出したあれは難易度が高すぎて、使える人間はあいつだけだった! それが分かっていたからこそあいつは生涯、それを論文などの形にして発表しなかったのです! 

 所詮は弱者が悪足掻きをして、血筋など関係ないという憐れな幻想に浸ろうとしているに過ぎません! ましてや奴は魔導士の風上にも置けぬ臆病者! 日本最古の魔導士、空羅覇くらは家の現当主にして日本魔導士協会の会長にあらせられる御身が、そのような者が作り出した技術に関心を示されるなど――!」


 「そこまでだ」


 熱に浮かされたように捲し立てる信寛を、厳然たる声が断絶する。静かな声音には、誰もが察することができるほどの不機嫌さが滲んでいた。


 「君と聖君は同期であったな。学生時代ことあるごとに衝突し、そして負かされてきたと聞いている。そのような相手ということで頭に血が昇り、冷静な判断ができないのは気持ちとして理解できないわけではない」


 「魔導士としての純粋な能力であれば負けておりません! ですが奴は弱者ゆえに、模擬戦の度に様々な搦め手や反則擦れ擦れの小細工を――!」


 「君の勝敗分析は、この際置いておこう。だが魔法式への理解の突き詰めは不要、それは弱者のすることだ、君は確かにそう言ったな。

 それは魔法文字や図形、魔法式研究に携わっていた私の息子すら侮辱するということになるが、どうかね?」


 淡々と言葉を紡ぐ玄蔵。そして信寛は、自分が図らずも玄蔵の傷に踏み入ってしまったことに気付き、狼狽を見せる。


 「そして技術としては劣っている、だったか? だが理論上、彼の技術は誰もが手にすることができる。そこに至るまでに、並々ならぬ研鑚と血の滲む努力が必要だというだけだ。現に娘である麗菜君は、完全ではないといえ使っているではないか」


 玄蔵の言葉に何も言い返すことが出来ず、信寛は顔を赤らめながら歯噛みする。


 「で、ですが会長! 芳麻の娘はこれまで魔法を発動させたことがなく、暴発させて怪我をするばかりだったと聞きます! そのような娘が何故今になって魔法を――しかもそのような高難度の魔法を扱えるのでしょうか!?」


 おもねる主人に対し助け舟を出したつもりなのか、信寛が引き連れてきた集団の中の一人が玄蔵に問う。その質問に対し、玄蔵は鷹揚に頷いたあと。


 「魔法陣の展開だけなら、実際に発動させずとも暴発による怪我を心配することなく練習を重ねることが出来る。そして魔法の発動に関してだが、やはりあの少年による差し金であると考えるほかないだろう」


 玄蔵の言葉に、皆が一斉にモニターに映るその人物――つい先刻は驚異的な身体能力で対戦者を強襲し、今は麗菜の数歩後ろに控えて堂々と立ち構えているイセルへと視線を向ける。


 「私も完全に理解が及んでいるわけではない。だが何をしたのかは分かった。麗菜君の『明壁』の魔法陣がもたらす違和感、それは――」


 玄蔵の言葉が結ばれる前に、状況が動いた。魔法を繰り出し続けていた有栖野が一旦攻撃の手を緩める。そしてイセルが緩やかな足取りで、油断なく魔法陣を維持したままの麗菜の横に並び立つ。


 「どうやら種明かしは、彼の口から語られるらしい。さて諸君。異世界から来た魔力持たぬ客人が、どのような『魔法』を落第魔導士に施したのか、言葉を待とうではないか」


 落ち着いた雰囲気はそのままに、玄蔵の声音には高揚の色が小さく走っていた。


 ひよりは再び、隣に座る鏡花へと目をやる。ひよりの視線に気付いた鏡花は、指で目元を擦ったあとに、小さくウインクを飛ばす。その動作に、ひよりは試合前の鏡花の言葉を思い出す。


 『この模擬戦で、私たちはとんでもないものを目撃するんじゃないかって』


 これまで苦渋に満ちた日々を過ごした一人の少女は、この日、見る者全ての度肝を抜いた。ならば最後は、


 ――麗菜。それからイセルさん。あとは勝つだけッスよ!


 期待を込めた台詞を胸に呟き、ひよりは再びモニターへと目を移した。


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